東京から、愛媛の地方都市へ。
四国の瀬戸内海側のほぼ中央に位置する愛媛県新居浜市。「別子銅山」の発展から始まった人口約12万人のまちは、産業と歴史・文化、自然のバランスがよく、四国エリアでも住みやすい理想的な地方都市のひとつだ。
外観から目をひく新居浜市の総合文化施設「あかがねミュージアム」
科学博物館や総合文化施設のの特徴として、人口規模からは考えられないクオリティをもつことがあげられる。壮大な太鼓台(山車の一種)がそろう新居浜太鼓祭りも全国的に有名で、産業に支えられた豊かな文化がまちを彩る。
愛顔のひめターンの最終回は、そんなまちに、東京から夫と移住してきた森田まどかさんを訪ねた。まどかさんはマクロビオティックの料理研究家。取材で訪れた日は、自宅で味噌作りの教室を行っていた。
教室ではまず、みんなで玄米おにぎりや味噌汁、蒸し野菜などを囲んで食事をいっしょにとることからスタート。子どもたちも伸びやかに過ごし、その姿をみつめるお母さんたちの表情もとても穏やかだ。まどかさんは、その平和な光景を愛おしそうに見つめていた。
「みんなが食べているのを見るのが好きなんですよね。マクロビオティックのひとっぽくないってよく言われます。見ての通り、きっちりしてなくて。たまたまマクロビオティックという料理をやっているだけで、ひとが集まってくつろぐ世界観をつくりたいんです」
心身やすむことがままならなかった東京時代
まどかさんは、大阪府和泉市で生まれ育った。20歳を過ぎたころに、マクロビオティックに出会い、実践。1年間で体重が20キロ減り、じぶんに自信がついた。実践する側から伝えるひとになるため、大阪のマクロビオティック会社に就職。その後、会社が東京進出するタイミングでまどかさんも東京へ。料理教室を担当していたとき、のちの夫になる裕一さんに出会った。
指導者として叩き込まれながら東京生活が3年たったころ、豆腐の販売をしていた裕一さんが「地元の愛媛に戻って農業をしたい」と打ち明けた。
「わたしも東京を離れたいと思っていたんです。刺激的で学ぶこともたくさんあるけれど、こころから休める気がしなかった。ずっと動いていることにしんどくなってきて」。大阪に戻りたい気持ちもあったというが、父親の実家も愛媛だったこともあり愛媛行きを賛成。2014年、裕一さんの就職先である新居浜市へと移り住んだ。
食をきっかけに地域とひととつながる。
まどかさんのなかでは「移住」より「引越し」のイメージに近いという。新居浜暮らしは、これまで東京と大阪でしか暮らしたことがなかったまどかさんにとって、驚きの連続だった。
「ちょっと離れたら山、川、海があって、夜にたくさんの星がまたたくことにも驚きました。公共交通機関も整っていて、生活にも不便はありません。わたしにとって適度に暮らしやすいまちでした」
とはいえ、見知らぬ土地。知り合いもいない。生活費も仕事も必要だ。そこで、これまでやってきた料理教室のノウハウを生かして、地域のつながりとマクロビオティックのニーズを得るために、自宅で料理教室を開くことにした。
近所にはまどかさんの食生活に欠かせない自然派食品店もあった。ここにおいた教室案内の小さなチラシからしごとの足がかりをつかんでいった。
「これがおいしいんですよね」と、自然派食品店でお気に入りのお菓子を手に取るまどかさん
裕一さんがつくった有機野菜もここで販売している
食の意識が高い子育て中の母親を中心に、まどかさんの教室の評判が広がる。わかりやすく、無理強いはなく、参加者への愛情がたっぷり感じられる教室は次第に人気を集めるように。現在も、スケジュールはいっぱいで、四国内のどこへも高速道路で1時間から2時間の間でいける地の利もあり、四国圏内の出張も多い。
参加者には、仕込んだ味噌に名前をつけてもらった。「こういうレシピにないところが味の決め手だったりするから不思議です」とまどかさん
教室の参加者ひとりひとりにきちんと目配りしながら、食の大切さをゆるりと伝えるまどかさん。ところが、大阪、東京時代のまどかさんはいまとはまるで、別人だったという。
何事にも厳しかったじぶんが変わる。
「上を目指して、負けたくなくて。じぶんにも他人にも厳しかった。東京ではなにかをする“目的”が常に消えないという生活でした」。食の大切さを大都会の暮らしのなかで説く違和感ももしかしたら募ったのかもしれない。
結月ちゃんの命が宿ったと分かってから、意識を変えようと思った。「こんな性格ではきっと子どもをダメにしてしまう。じぶんをゆるめなきゃ」と、食のハードルをすこし緩めはじめた。
厳しさの鎧を完全に脱いだのは新居浜市に移住してから。「ぼーっとしたり、目的もなく散歩したりできるようになりました。何もせずに自転車でまちを一周しただけ…みたいな日もあったりします」。ゆったりしたひとの流れ、飛びかうひととのコミュニケーション。そんな日常の温もりもまどかさんを変えていった。
「じぶんを緩めることで、できないことも増えていきました。でも、完璧主義を捨てることで、まわりのひとが助けてくれるようになったんです。東京時代だったら頼ること自体、許せなかった。いまでは友人や教室に通う生徒さんたちに助けてもらっています。おせちづくりのときは、たまった洗濯物を見かねて、料理のヘルプにきた友人が干してくれていましたね(笑)」。
新居浜市はもともと、子育て世代が多い。「このまちのひとたちは本当に子どもを大切にしてくれます。子どもが3人いるママは珍しくないです。移住してきて、よかったことしかないですね。いろんなひとに助けてもらって、ひととのつながりを感じられるようになりました」
まどかさんの現在の柔らかな表情には、東京時代を彷彿とさせる一面は見当たらない。屈託のない笑みを浮かべる人懐っこい結月ちゃんも、ここでなければいまの姿とは違ったのだろうか。
“たら、れば”が通用しない人生であるけれど、暮らす場所がもたらすものの大きさ、移住が引き起こす可能性を、いまを生きるまどかさん親子の姿からたっぷりと思い知らされた。
文・写真:ハタノエリ
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5名の女性の暮らしは、愛媛県じゃなければ叶えることができない…というものではないかもしれません。そうではなく、愛媛で暮らすという選択をしたからこそ、ご紹介したそれぞれの暮らし方にいき着いたのではないかとも思います。
最後にご紹介させていただくのは、スカロケ移住推進部のリスナーから募集した愛媛県での「移住体験者」である東京出身の竹尾奈津子さん。
これまで都会でしか暮らしたことがなかった竹尾さんですが、3年前に夫の転勤で山梨へ。現在は3人のお子さんと家族5人で甲府に暮らしています。
愛媛県で暮らしたことがない竹尾さんが感じたその暮らしをレポートしていただいています。
まだ愛媛県を訪れたことがない方、訪れたいという方。まずは、今回ご紹介した5名の女性たちの記事と、竹尾さんの体験記を読んでみてください。
【竹尾奈津子さん移住体験レポート】
https://www.tfm.co.jp/sky/iju/report1812ehime.html
竹尾さん移住体験最終レポートの一部がこちら。
港で15分ほどぼーーーっと海を眺めながら、
(かえりたくないなぁ)
と、本当にこのままここに住んでしまいたい衝動に駆られました。
その時。
2歳くらいの男の子を連れたお母さんがやってきて、港にすわりお弁当を広げ始めました。2人で海を見ながらのんびりご飯を食べています。なんとも微笑ましい光景を見て、私も絶対子どもたちを連れて、またここに戻ってくるぞと!決意しました。
飛行機の中で思い返すのは、愛媛で出会った人たちの顔や言葉ばかりです。移住する決意は、人とのご縁で決まるのではないでしょうか。
皆さんの笑顔が宝物になるような旅でした。