四万十で暮らす仕立て屋「と生 toki」
18 歳で移住し 10 年。
地域の人の純粋さから学んだことは。

高知県四万十町久保川地区で「と生toki」を屋号とし、服の仕立てを生業にする桑幡あかりさん(28) 。
兵庫県神戸市出身で、高校卒業後、18歳で四万十町へ一人で移住。その後10年、この地で生活を続けてきた。
若い年齢で移住をしてきた理由、さらに1年後に独立を決意したきっかけとは。そして10年間の山間での生活で学んだ地域の人々の暮らしとは。

「ちょうど菜の花が咲いている時期だったんですよ。汽車で来て、トンネルを抜けた瞬間に『ふぁっ』と三島の瀬に一面の菜の花畑が見えたのがすごく印象的でした 。都会で育ったので、私の中の[懐かしい景色]に田舎の風景ってないはずなんですけど 、潜在意識的になぜか 『あぁ懐かしいなぁ』って。タイムスリップしてきたような気がしました」

そう話すのは、四万十町へ10年前に移住し、久保川という山間の地域で「と生toki」として服作りを生業とする桑幡あかりさん(28)。
兵庫県神戸市出身の桑幡さんは、高校を卒業して間もない18歳の頃に四万十町への移住を決め、それから10年の月日をこの地で重ねてきた。

移住のきっかけは、同郷の先輩からの誘いだ った。

「四万十町の三島キャンプ場でラフティングをやっている会社があるんです。そこで働いていた同郷出身の先輩から『進路はどうするつもり?』『仕事と家はあるからおいで』と誘われ、特に考えてもいなかったので『じゃあ、行っちゃえっ』って」

まだ会社勤めを経験したことがなかった桑幡さん。自分の身近な世界しか知らず、何が不安なのかも知らなかったからこそ、軽い気持ちで移住ができたという。

迷いはなかったが、移住後は、地方に長く住み続けるためには手に職が必要だと感じ始めたという。

「ここでは、手に職がないと生きていけないなっていうことが、若い私でもわかるくらいでした 。私の祖母が服を作る仕事をしていたので、昔から身近に 『服を仕立てる』ということがあったんですよね。何か手に職をつけるために、強いてやるとしたら」と、そこで、服作りが思い浮かんだ。

学生時代、古着の文化が根付く神戸の街の洋服屋でアルバイトをしていた経験もあり、昔から服が好きだった桑幡さんは19歳の時「藍と生」という屋号で服の仕立て屋として独立をした。

現在は生地を裁断し縫製して服を作り販売することを基本とし、2023年に屋号も「と生toki」と改めた。「藍と生 」として活動していた当初は、徳島県に伝わる藍染めを取り入れ、自身で生地を染めるところから行なっていたという。 この地に住むのであれば 、自然豊かな地の環境に配慮した技法を選択するということは、あまりにも当たり前だったと振り返る。

そんな桑幡さんが「久保川という地が大好きなんですよね 」と話す理由、暮らし続けている理由もやはりこの地域の環境や自然の豊かさにある。

「こんなに綺麗な所って、日本各地の田舎の中でもあんまりないと思うんですよね 。観光名所のような綺麗さ、パッと見て華やかな場所はどこに行ってもあるんですけど、『人が暮らす場所』として、これだけ綺選なところ。 地元の人たちの営みがこんなに近くに見える。畑作業をしている人がいたりとか、素朴なところですけど、それが魅力ですよね」

世間を知らず、四万十町のことも知らずに移住してきた18歳の桑幡さんだったけれど、地域で暮らす人生の先輩たちの営みを間近で見てきた。だからこそ 、28歳現在の桑幡さんの言菜には地域の人たちの素朴さや、暮らしの中で大事にすべきことを学んだ10年間の 「姿勢」が見えたりする。

「プライベートな話ですけど、子どもの頃、引きこもりがちだったんですよね。だから、移住してきたばかりの頃は地域の人と挨拶すらまともにできなかった。でも 、地域の人たちの暮らしを見てきて、自分から歩み寄っていくことの大切さや、ピュアな気持ちを教えてもらいました。それを10年かけて、大切にしてきた結果、大切にせざるを得なかった結果 、今のこの幸せな暮らしがあると思っています」

田舎に暮らすと、人によっては地域の人間関係の濃さに居心地が悪くなったり、新しい文化を煩わしく思うこともあるのが現実。でも、何よりも尊いのは、それは本当は、地域の人たちの純粋さであるということ。桑幡さんはそ れをしっかりと感じ取り、自身の生活を通して「と生」の作品作りに反映している。

桑幡さんの服作りは、書き上げたデザインに沿って仕立てていくというものではなく、布を手に取り対峙しながらできあがっていくスタイル。

「私、布を触ってることが好きなだけなんですよね。触っているうちに、『これはこうしようかな』みたいな。 どちらかというと『副産物』って感じですね 。四万十で楽しく過ごしていると、いつの間にか服ががいっぱ いできていくっていうイメージかな」

塩を作ろうとしていたらニガリができる。「と生」の作品は、四万十の地を楽しむ彼女の暮らしの中からこぼれ落ちるキラキラとした欠片のようなものかもしれない。

「郷に入れば郷に従えっていうのをどこまで素直にできるか。その人の『心の純粋さ』っていうのが試されるくらい、地元の方たちがすごくピュアなので…その恩恵に私はずっとあやかって来ました。だから、地域の方に見せていただいて来たものを自分なりに時間を費やして磨けていけたらいいなと思いながら制作をしています」

若くして、四万十という素晴らしい田舎に飛び込み「地域の宝 」として純粋に育ててきてもらった。移住して10年の時間の中で、地域の人たちの暮らしで学んだこととその心が、しっかりと彼女の中で生きている。

そして、「と生」として活かされていく。

 

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Text : 岡本里咲 Photo : 鈴木優太

                   

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