2015 年に地域おこし協力隊として四万十町十和(とおわ)地域に「十和地域『むらの鍛冶屋さん』技術伝承」ミッションで着任した菊池祐さん(38)と妻・未来さん(42)。
鍛冶屋に憧れ、全く知らない土地に移住し、現在は同じ地域内で自身の工房を構え鍛冶屋を生業としている。
移住者である菊池夫妻が未来へとつなぐ、地域に根付いた伝統と文化とは?
「たまたまの縁で、師匠に出会えたことが、移住して一番よかったことかもしれない。本当にラッキーなことだったと思います。」
そう話すのは、四万十町十和地域で土州勝秀鍛冶屋に弟子入りし、9 年目を迎えた菊池祐さんと妻・未来さん。2015 年、神奈川県横須賀市出身の祐さんは、地域おこし協力隊として、青森県深浦町出身の未来さんとともにこの地へ赴任。現在は自身の工房を構え、2 人で鍛冶屋を営んでいる。
移住前、大手重工業会社で作業員として勤めていた祐さんは、職人への憧れと伝統工芸に対する興味があった。
「単純に『職人さんってかっこいいなあ』っていう憧れがあって。小さな町工場の職人さん、その人たちが 1 番すごいんじゃないかなあと思っていたし、伝統工芸も好きでした。刃物にしても、お椀にしても、一流のものって格好良くて、そんなものをもし自分が作れたらっていう思いを持っていました」
一方、看護師として働いていた未来さんは鍛冶屋には全く興味がなかった。
「興味は一切なかったです。突然、『俺、鍛冶屋になる』って彼が言ってきて」
全国的にも珍しい「鍛冶屋を地域に残していくための後継者」というテーマの協力隊募集を見つけ、試験に臨んだ祐さん。
その頃の未来さんは、まだ移住に対する気持ちが定まらず、合格した祐さんにただついてきただけだったという。それから始まった四万十町十和地域での 2 人の暮らし。
協力隊として着任した祐さんは師匠のもとで鍛冶屋という仕事を、青森県出身の未来さんは久しぶりの田舎での生活に、まずは地域に溶け込むことを、それぞれが必死に努めた。
勝秀鍛冶屋では、包丁などではなく、鉈(なた)を作っている。地域の暮らしや山仕事で木を切ったり枝を払ったりする際に使用される「腰鉈」、狩猟で仕留めたイノシシなどにとどめを刺す際に使用される「剣鉈」、この 2 種類の鉈を作ることを基本とし、その他にも、地域の方から依頼される刃物類の修理やオーダー制作に対応している。
都会では日常的に使用する人は珍しいかもしれないが、山に囲まれたこの十和地区では、地域のおじちゃんおばちゃんが日常的に使うという鉈。
「ここでは地域のおばちゃんたちも普通に鉈を使う。まだ薪でお風呂を沸かすという家庭もあるし、そんな人たちの日常の道具を作ったり直したり。図面は師匠の頭の中にしかない。目に見えないので、いかに自分の頭、自分の中に落とし込むかっていうのが難しいですね。私が形を作って師匠に見せて、「ここはこうだろう」とか「ここをもう少し削った方がいい」とか、擦り合わせていくような作業です。師匠が良いっていうものが正解なので。最初は理由もよくわからなかったけど、今、ようやく少しわかってきたかなっていう感じです」
協力隊卒業後、2019 年に自身の工房を構えたが、今もなお、師匠の姿を見ながら日々勉強中の祐さん。
一方、まさか自分も鍛冶屋になるとは思っていなかった未来さん。
「田舎出身なので、地域に溶け込まないと生活していくのは大変っていうことがわかっていました。移住をしてきて、地域の人たちと本当に同じことをして、とことん付き合う。最初は生活の基盤を作るというか、人とのつながりをしっかり作ろうと思って色々なことをやりました」
産直市や高齢者が集まる施設、保育所での手伝い、家の目の前の茶畑で進むお茶摘みの作業、興味があった狩猟など、地域に溶け込み、自分たちを知ってもらうためによく動いた。
そうしているうちに、3 年の月日が経過。
勝秀鍛冶屋の鉈は、刃や刃を収納する鞘(さや)、持ち手の柄、それらを外注することなく作っている。これは全国でも少なくなってきた作り方だ。しかし、そうなると、作れるのはせいぜい頑張っても 1 カ月に 10 丁程度。「少しでも作業効率を上げられたら」と、木で作る鞘と柄の部分を未来さんが担当し、祐さんのチームに加わることとなった。その頃は「軽い気持ちだった」と話すが、「この持ち手は師匠独特の形で・・・」と取材に答える今の未来さんの言葉は、熱を帯びている。
2 人がともに作る鉈には、師匠への尊敬、愛、そして師匠の教えが詰まっている。
今年 4 月、2 人は大手アウトドアブランドが多く集まる祭典へ出店し、自身が制作した鉈、そして師匠の鉈を持ち東京へと出かけた。地域ではみんなが知っている鍛冶屋だったが、2 人が勝秀鍛冶屋にやって来るまで、こうして都心や全国方々へ師匠の鉈を積極的に売り出すことはなかったという。「師匠の鉈がこの四万十町を出て、どんな評価を受けるのか、師匠に知ってもらいたかった」という 2 人の思いからのことだった。
「東京の人たちにその凄さを知ってもらいたかった」というより、「師匠にその凄さを知ってもらいたかった」という言葉が、2 人の思いの現れだろう。
東京へと出かけた師匠の鉈は、決して安価な値段での販売ではなかったものの、すぐにほとんどが売れてしまったという。それを帰町後、師匠に伝えると大喜びだったそう。
「ここにやって来るまで、どんな鍛冶屋なのかも師匠の凄さも知らなかった。知らないまま来たけれど、『師匠と出会えた』ということが移住してきて一番ラッキーなことだったかもしれない。師匠の腕もすごいし、作り方ももう 100 年以上前から変わっていない、ずっと続いている古い方法で作っているんです。今の時代、もっと効率的なやり方もあるのかもしれないけれど、師匠の作り方には鍛冶屋の基本の全てが詰まっている。自分には元々『職人さんがかっこいい』っていう思いがあるので、師匠のやり方がやっぱり一番良いなと思っています」
もうすぐ十和に移住してきて 10 年の月日が経とうとしている 2 人。
3 年前、未来さんが「ありがたくて笑っちゃう」というほど、地域の大工さんが 2 人のために立派な建屋を建ててくれ、これからもここで生業を続けていくという目にみえる基盤ができた。
「せっかくここに来たからにはここでやっていく。それは最初から思っていたことです。鍛冶屋という仕事は、今の世の中に無くても良い職業なのかもしれない。けれど、こうして地域に師匠が残してきたものなので、自分はそれを発展させるというよりも、『鍛冶屋がある地域なんだ』ってことをキープしていくイメージ。」
鍛冶屋は昔から「地域の人が集う場」だった。修理の依頼に来た人が世間話をしながらその完成を待つ。カンカンカンという音に引き寄せられやってきた人が、その様子をただ見守る。寒い冬、鍛冶屋に灯る火を囲い暖を取る。昔から十和地域に根付いてきた鍛冶屋という「社交場」がこれからも消えないように。師匠の尊い技術だけではなく、地域にとって鍛冶屋がどういう存在なのかも理解したうえで、2 人は「野鍛治」になろうとしている。
「自分たちの工房がこんなふうにしっかり建ったことによって、地域の人たちには『ああ、ここに根付いてちゃんとやっていくんだな』ってわかってもらえたと思います。やっぱり移住者って、何年かいたらいなくなるようなイメージが増していると思うから。だから『なんかこの人たちは違うかな』ていう のをちょっとでも感じてくれているんじゃないかな」
師匠から紡いできた技術や想いとともに「なた」という言葉をいつかは世界に知らしめたい。そのために、四万十町の青々とした山の間で、音を響かせる。
菊池さんも利用!四万十町の「中間管理住宅」とは?
■「中間管理住宅」
四万十町への移住または定住を促進することを目的として、最長12年間入居可能な住宅。町内に39軒あり、家賃は住居によって異なります。
▼詳しくはこちら!
しあわせしまんとせいかつ : https://shimanto-iju.jp/
TURNS×四万十町連載始まりました!
四万十町についてこれからどんどん発信しながら、全12回の連載でお届けしていきます!
Text : 岡本里咲 Photo : 鈴木優太