eyes on me~ふくしま12市町村で生きる者たちを見つめて~

TURNSでは、ふくしま12市町村を訪ね、そこに移住して挑戦している人たちに取材を続けてきた。しかし、ふくしま12市町村と言われても、そもそもそれがいったいどこのことで、なぜ「12市町村」と呼ばれているのか、ピンとこない人もいるのではないだろうか。

そこで本記事では、ふくしま12市町村とは何なのか、現在どういった状況で、なぜ移住の文脈で注目されているかなどの基礎情報をまとめてみた。本記事を読めば、ふくしま12市町村についてほとんど知らなかった人でも、ある程度の全体像が把握できるようになるはずだ。興味を持ったらぜひ、記事内のリンクを辿って、12市町村で暮らす人々の様子を見てほしい。

 

「ふくしま12市町村」ってなに?

「ふくしま12市町村」(以下、12市町村)とは、福島第一原子力発電所の事故により避難指示の対象となった、田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村12市町村のこと。

福島県は阿武隈高地と奥羽山脈によって3つの地域に分かれていて、東から順に、浜通り、中通り、会津に区分される。12市町村は、このうち太平洋側沿岸の浜通りを中心として、東の太平洋と西の阿武隈高地に挟まれたエリアにある。そのうち10の市町が浜通りの相双地域に集中している(南相馬市、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)。

この地域のうち特に沿岸部は、夏は海からの風が吹くため涼しく、冬は降雪日が少なくて温暖で、比較的過ごしやすい地域として知られる。福島県の中で、海に面している地域で、複数の海水浴場があり、東日本大震災前は多くの海水浴客で賑わっていた。また、黒潮と親潮がぶつかり合うためにさまざまな魚が生息し、1年を通して多くの魚が水揚げされる。それらは「常磐もの」と呼ばれており、震災前から築地市場等で高値で取引されるなど、おいしい海の幸として評価が高い。一方、阿武隈高地など山間部では冬の積雪は少ないものの、冷え込みのある高原性気候で山の幸も豊かになるので12市町村はちょうど、海の幸と山の幸の両方を楽しむことのできる地域でもある。

豊かな食文化だけでなく、「相馬野馬追」(そうまのまおい)と呼ばれる1,000年以上続く伝統的な祭礼や、東洋一種類と数が多いと言われる鍾乳洞の「あぶくま洞」、富岡町の誇りである「夜の森の桜並木」、サッカー等のナショナルトレーニングセンターとして有名なJヴィレッジなど観光資源も豊富で、首都圏からふらっと足を運ぶにもちょうどいい。東京からは特急電車で約2時間半程度の距離にある。

 

ふくしま12市町村の現在

この地域に津波が押し寄せ、原発事故が起きた。外部に漏れた放射性物質から身を守るため、12市町村には避難指示が出され、住民は県内もしくは県外の他地域で避難暮らしを余儀なくされることになる。

その後、避難指示区域は段階的に解除されてきたが、放射線量の高い帰還困難区域はその対象から外れていた。しかし、2017年に特定復興再生拠点区域が設けられ、除染やインフラ整備などを集中的に進めることが決まると、20226月の葛尾村と大熊町を皮切りに、帰還困難区域への住民の帰還がはじまった。


20226月時点での帰還困難区域と復興拠点(ふくしま復興情報ポータルサイトより)

12市町村の中には、住民全員が避難せざるをえなくなった自治体もあれば、一部だけ避難指示が出た自治体もある。だから、被害の程度や復興の進行度合いにはそれぞれ差があり、震災前の面影を保ち続けているまちもあれば、まったく新しいまちに生まれ変わろうとしているまちもある。

福島第一原子力発電所から30キロ以上離れた田村市や川俣町などでは、一部の地域を除けば震災前とそれほど変わらない生活が続けられているように見える。田村市に移住した古瀬希啓さんの明るさから感じるのは、そこが被災地であるという事実からは独立した、純粋にその土地に暮らすことによって得られる喜びだ。

【福島県田村市】
リアル「WOOD JOB!」関東からの移住で叶える夢。
幸せな子ども時代の続きをこの場所で

 

川俣町で生まれ育った移住相談員の菅野優奈さんのように、比較的被害の少ない地域に住み震災時には幼かったせいで全体像を理解できなかった新しい世代が復興とは異なる文脈でまちを盛り上げようとしている姿や、同じ福島県で育ちながら飯舘村のことを知らなかったという横山梨沙さんのような人が協力隊員として村のPRに励んでいる姿も印象的だった。


【福島県川俣町】
「このまちのファンを増やして、地域のつながりを作りたい」
地元の移住相談員が夢見る「あの頃」

 


【福島県飯舘村】
「誰かの生活を少しだけ豊かにしたい」
フリーランスのバリスタが提案する、人生の楽しみ方

 

ひとくくりに12市町村といっても、その土地に足を踏み入れて内実を見れば、そこには無数のグラデーションがあるわけだ。

 

一方、原子力発電所に近い双葉町や大熊町、浪江町等では、山間部など多くの区域がいまだに帰還困難区域のままだ。双葉町で居住が可能になったのは12市町村の中でもっとも遅い20228月で、震災から11年以上もの年月が経過している。双葉町に移住した元復興副大臣である浜田昌良さんの「人間の復興はこれから」という言葉に象徴されるように、まだ復興は始まったばかりなのだ。


【福島県双葉町】
ここからはじまる新たなまちの歴史。
移住した元復興副大臣が語る「人間の復興」

 

そういった地域であるがゆえに、復興に向けて確たる目的を持って移住した人の活躍も目立つ。浜田さんはもちろん、大熊町に移住し地域コーディネーターとして活躍する佐藤亜紀さんや、富岡町にUターン移住してまちで唯一の理容室を営む草野倫仁さん、記者として葛尾村を取材するうちに移住を決意した米谷量平さんなど、自分のやり方で復興に向けてまちを盛り上げようとする移住者たちの言葉は力強い。

【福島県葛尾村】
「福島に貢献し、まわりの人たちの生活をより良くしたい」
GIVE&GIVEの精神が広がる「おたがいさま」の村

 


【福島県大熊町】
「震災のせいでなくなったもの」を減らしたい。
ひととまちをつなぐ移住者が見据える未来

 

福島県富岡町】
まちで唯一の理容室
この店から心の復興を

 

また、12市町村には移住支援金や起業支援金など、さまざまな手厚い移住支援制度が設計されており、そうした支援にビジネスチャンスを見出して浪江町に移住し起業した野地雄太さんのような若者の例もある。野地さんのような若者が集まり、12市町村を拠点にビジネスを展開する人が増えれば、12市町村は将来、東北のシリコンバレーとして盛り上がるかもしれない。


【福島県浪江町】
見えない壁を乗り越えて、浪江町から世界を広げていく

 

 

2021年には12市町村への移住を支援する「ふくしま12市町村移住支援センター」が開設され、いまや12市町村は移住先としても注目され始めている。遊び場としても、かつて年間2万人が訪れサーフィンの名所として知られた海水浴場が12年ぶりの海開きに賑わうなど、徐々に人々の往来が再開し、地域に活気が戻ってきた。


【福島県広野町】
復興最前線のまちで12年ぶりの海開き。
広野町からはじまる本当の復興

 

多くの人に開かれた、可能性と共創の地域

このように、一口に「ふくしま12市町村」といっても、場所によって現状はそれぞれだし、まちの特徴も当然ながら異なっている。しかし、共通しているのは、移住者やビジネスを志す人たちへの支援が厚く、働き盛りの世代が少なくマンパワーを必要としていて、それゆえに活躍の機会が多いということだ。

実際に若い世代が責任あるポジションで活躍している。本記事で紹介した人々の多くは20代から30代の若者であった。彼ら、彼女らの多くは、もちろん仕事もできるのだろうが、気さくで人当たりのいい、ごく一般的な感覚を持っている人たちだ。たとえ天才でなくとも、あるいは炎のような強い意志がなくとも、モチベーションさえあれば、12市町村では何かを成し遂げることができるのかもしれない、そう思わせてくれるほど、この地域は、制度としても風土としても、挑戦しようとする人々に対する支援が厚い。

だから、事業を起こしたい人やまちづくりに関わりたい人にとっては狙い目の地域なのかもしれないし、事業をしなくとも、新たな人生を始めたい人にとっては、真っ白なキャンバスの上にこれからの人生を描けるチャンスに溢れた珍しい地域なのかもしれない。そういった意味で、12市町村は多くの人々に可能性が開かれた地域であると言えるだろう。

 

この地域は、取り返しのつかない不幸な大災害に傷つけられた地域であり、同時に、そうした状態から甦ろうとしている地域でもある。それゆえに、競争よりも共創を促すムードに地域全体が包まれている。そんな場所が他にあるだろうか?

双葉町に移住した浜田さんは、「本当の復興とは、ひとりひとりが希望を持って歩き出せるようになることだ」と語っていた。希望を持った状態とは、今よりも未来は良くなるだろうという思いを持てる状態のことだろう。だとしたら、おそらく、この地域には希望がある。この言い方は決して大袈裟ではないはずだ。

 

最後に、東日本大震災直後にある日本人作家がNew York Timesに寄稿したエッセイから、一部の文章を引用する。

「大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた(村上龍「危機的状況のなかの希望」)」

今、その種がようやく芽を出し、新しい季節の到来を告げようとしている。

 

文/山田宗太朗


※TURNS本誌では、R3年度に12市町村の方々のインタビュー記事を掲載しております。

ふくしまで生きていく。INTERVIEW 01 fuku farming flowers 福塚 裕美子さん(川内村)
https://turns.jp/57949

ふくしまで 生きていく。 INTERVIEW 02  喫茶ヤドリギ 森 亮太さん(楢葉町)
https://turns.jp/57962

ふくしまで生きていく。 INTERVIEW 03Restaurant MADY 吉川 晃さん 吉川 未来さん(南相馬市)
 https://turns.jp/60090

                   

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