ふくしまで 生きていく。 INTERVIEW 02
福島県 双葉郡 楢葉町 喫茶ヤドリギ 森 亮太さん

町に暮らす人たちの「日常の一部」になるような場所を
楢葉町の駅前に開業する喫茶店「ヤドリギ」

地元では「浜通り」と呼ばれる福島県の沿岸部は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で、県内でも甚大な被害を受けた地域である。
その浜通りを中心とした「ふくしま12市町村」※で、復興という枠を超え、地域での出会い、人とのつながりを通して、事業を行っている移住者の思いに触れるシリーズの2回目。

※ふくしま12市町村:田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村


 

「駅」のある町、楢葉町

福島県の楢葉町(ならはまち)は、日本初のナショナルトレーニング施設「Jヴィレッジ」を有する町として知られる。今年開催されたTOKYO2020オリンピックの聖火リレーのスタート地点になったことで記憶にある人もいるだろう。

そんな楢葉町には、この地域には珍しくJRの駅が3つもある。南から、Jヴィレッジ駅、木戸駅、竜田駅、である。その竜田駅から歩いてすぐの場所に、喫茶店の開店準備をしているのが、楢葉町起業型地域おこし協力隊の森亮太さんだ。「本当に準備中で、まだまだなんですけど」。そういって案内された元スナックだという店内は、入口付近こそ雑然としていたものの、木目の壁や棚がとても雰囲気のいい空間だった。


「喫茶 ヤドリギ」と手描きの看板


入口付近は開放する予定。

 

大学時代に出会った楢葉町

森さんと楢葉町の出会いは大学生の時。岐阜県出身の森さんが、京都府の立命館大学に通っていた時に東日本大震災が発生。森さんは大学で行われていた「減災×学び」プロジェクトに参加し、阪神淡路・新潟県中越地震・東日本大震災という3つの震災をフィールドワークで学びながら、2012年夏に福島県でのボランティア活動にも参加。そこで避難を続ける原発被災者の現状に触れた森さんは「もっと福島の人たちのことを知りたい」と、授業やボランティアをともにしたメンバーとボランティア団体「そよ風届け隊」を結成し、福島県に通うようになる。その時に縁ができてつながったのが、いわき市に避難していた楢葉町の人たちだった。


竜田駅周辺の通りは飲食店や神社などが再開しており、歩いてみると発見が多い

2015年9月に楢葉町の避難指示が解除されてからは活動を町内に移し、町に戻った人にも戻っていない人にも楢葉町の情報が届くよう、町の人たちとフリーペーパーを制作。町の人と一緒に町の人が必要とする活動をする中で、多くの楢葉町民の思いに触れることになった。2017年の大学卒業時には、東京などほかの地域への就職も考えたが「楢葉で働いてみたい」という思いに導かれて楢葉町の企業に就職を決めた。「楢葉の魅力はとにかく『人』です。話したい人、紹介したい人がたくさんいる」。

 

必要な仕事に導かれて

森さんは楢葉町の企業で1年働いたのち、フリーのデザイナーへ。主な仕事と住居をいわき市に移しながらも、楢葉町とのつながりは途切れることはなかった。
2018年7月に楢葉町内のコンパクトタウンにオープンした「みんなの交流館 ならはCANvas」のロゴデザインをはじめ、町内のマップや町内で開催されるイベントのチラシやポスターのデザインなどを手がけるようになった。震災後、町で再開された夏祭りなどにも欠かさず参加した。

2019年には楢葉町起業型地域おこし協力隊となり、また楢葉町で暮らすようになるが、仕事の多くはまだいわき市にあった。そんな中、現在の活動の拠点となっている、JR竜田駅の駅舎が改修されるというタイミングに立ち会ったことが、森さんの転機となった。

 

竜田駅周辺50メートルの日常をつくる

80年以上運用されてきた駅舎に東西自由通路が建設され、橋上駅舎になることが決まったことを知った、竜田駅前で飲食店を経営する女性や近所の人たちから、「駅舎のお別れ会をしたい」と聞いた森さんは町役場・竜田駅西側を考える会と協働で、改修前の駅舎で「ありがとう、竜田駅」と題したイベントを行った。

森さんのいわき市での仕事の一つである、大学生のインターンシッププログラムで楢葉町に滞在したことのある大学生らと、駅周辺の模型を作り、来場者にはそこに思い出と色を付けてもらい、駅舎の前で記念撮影を行った。10日間のイベントには楢葉町民をはじめゆかりの人が多く訪れ、駅舎や町の思い出を語った。


近所の人と竜田駅周辺の模型を挟み、昔の町のことを聞く森さん。模型は、オープン後も店内に設置する予定

同イベントと前後し、現在の物件を紹介されていた。地域おこし協力隊になった時から、町内で拠点となるスペースを探してはいたが、なかなか決め手になる物件はなかった。だが、イベントに集まった町の人やゆかりの人たちの、世代や地域を越えて盛り上がる様子を見て、「ここで喫茶店をやって、そういう場所を作り出せたらいいんじゃないか」とイメージが浮かんだという。

もともとカフェは好きだったが、自分で経営することは考えたことが無かったという森さん。しかしこの物件との縁で、今までお世話になった人たちに来てもらえる場所、楢葉町の日常の一部になるような場所をつくりたい、と考えている。


喫茶店開業に向けコーヒーセットを新調。すでに近所の人にふるまっている

「自分がここまで来られたのは、本当に周りの人たちのサポートがあったから。その感謝を忘れないようにしたいし、そんな自分を支えてくれた人たちに来てもらえるような『みんなの喫茶店』を目指したい」と思いを巡らす。現在、森さん以外の仲間達も喫茶店作りに加わることになり、来春オープンに向けて準備を進めている。


元スナックだった店内はそのまま使ってもよいほどのいい雰囲気。いろいろな人に関わってもらいながら改修していくという

楢葉町は、森さんのほかにも若い移住者の活動が目立つ町である。実は森さんが立ち上げた「そよ風届け隊」のメンバーも3人、楢葉町や双葉郡に移住している。町全体の避難指示が解除されたのが2015年9月と早かったことで、近隣町村に比べると町民の帰還が進んでいることや、避難指示解除直後から大学生などの外部受け入れを積極的に行っていたなど、様々な要素が相まってのことだろう。

しかし一番の要因は、森さんの言うように「人の力」だ。原発事故や津波による避難を経験し、町に戻ること・戻らないことを選択せざるを得なかった楢葉町の人たちの生き方や考えは、重大な決断をしたからこそ、深く、懐が広く感じられるのだ。

そんな町の人たちと先輩移住者がいる楢葉町は、移住者にとって住みやすい町と言えるかもしれない。

 

文・山根麻衣子 写真・アラタケンジ
※本記事は、本誌(TURNS Vol.49 2021 [12月])に掲載しております

                   

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