【福島県双葉町】ここからはじまる新たなまちの歴史。移住した元復興副大臣が語る「人間の復興」

福島県双葉町は東京電力福島第一原子力発電所が立地する町で、東日本大震災の原発事故では全町民が町外への避難を余儀なくされた。一部区域の避難指示が解除されて住民の居住ができるようになったのは、震災から11年以上経った20228月。12市町村の中でもいちばん最後に避難指示の解除がはじまったまちだ。現在(※20223月時点)の住民は約60名。そのうち、かつて双葉町に住んでいた帰還者は約20名で、残りは行政関係者が約20名、移住者が約20名だという。

その移住者の中に、かつて復興副大臣をつとめた浜田昌良(はまだ・まさよし)さんがいる。2022年に65歳で政治家を引退すると、直後の10月より双葉町に移住し、町民としての生活をはじめた。「双葉町は福島復興のバロメーターだ」と語る浜田さんは、なぜ双葉町に移住し、ここで何をしようとしているのか。その想いと双葉町での暮らしぶりを聞いた。

実は便利で暮らしやすい? 双葉町でのリアルな生活事情

双葉町で避難指示が解除されたのは、まち全体の15%に満たないわずかな区域。それでも、JR双葉駅を中心として、駅の東側には町役場の新庁舎が建てられ、駅の西側には「駅西住宅(えきにしじゅうたく)」と呼ばれる復興住宅が建設された。役所では業務が始まっており、駅西住宅では住民が入居し生活を始めている。この2月には駅西住宅の区画内に診療所が開設された。


双葉町の駅西住宅

他にはまだ何もない。スーパーやコンビニはもちろん、学校や公共施設などができるのはまだ先の話で、駅前を歩いてみても、役場の職員や視察に訪れる人が時折姿を見せるだけ。双葉町の復興はようやく本格化したばかりなのだ。駅からそれほど離れなくとも、事故直後のまま放置された崩れかけの家や店舗などが点在し、駅西住宅の周辺には工事の槌音が響いている。


JR双葉駅前の様子

ところが、2004年から2022年まで参議院議員をつとめ復興副大臣などを歴任した浜田昌良さんは、双葉町に移住してから半年間の実感を「ここはとても暮らしやすいですよ。予想していた以上に便利で、生活には非常に満足しているね」と語る。どういうことか? まず、買い物面では、隣町にある浪江町の大型スーパーが重宝するという。

「品揃えがいいし、365日やっていて、地元産の新鮮なものを安く買えるんだよ。メヒカリの刺身なんて、普通、冷凍でしか売ってないから食べられないよ。そういうお店が車で6分の距離にあるんだから、めちゃめちゃ便利だよね。その一本先には道の駅があって、おいしい海の幸や山の幸をたくさん売っている。非常に満足していますね」

車を持っていない人のためには週に五日ほど移動販売車が双葉町まで来てくれて、店舗と同じ値段で販売してくれるという。食料品や生活用品など、最低限の買い物に不便することはなさそうだ。また、院内処方できる診療所ができたことも大きい。

ないのは学校だ。今、駅西住宅には小学生の子どもがいる世帯も暮らしている。その子は隣町の学校に通っているが、ひとりで通っているのではなく、町が学校まで送迎しているのだという。

「たしかにここにはまだ何もないよ。隣の浪江町に行かないと幼稚園も小学校もない。しかし」と浜田さんは続ける。

「ひとりひとりを個別に送迎してくれる、町がそこまでやってくれているんだよ。そういう環境があるのは重要なことだよね。役場が近いのも良いね。町民が少ないから自然と顔見知りになるし、住民や役場職員と気軽に声をかけ合える関係になる。フレンドリーな感じだよね。だからとても暮らしやすい。暖かくなったらカミさんも遊びに来るから、一緒に浜通りを回ろうと思ってね」

浜田さんは家族を横浜に残し、単身で双葉町に移住してきた。単身赴任には自分も家族も慣れているという。2012年の12月に復興副大臣になり、翌月の1月から単身で福島市に移り住み、その後は選挙の事情などで名古屋に住むなど、直近の10年を単身で暮らしてきた。今回の双葉町への移住にも、家族は納得して送り出してくれたという。

「基本的に、国会をやっている時以外はいなかったんだから、『ああ、またか。行ってらっしゃい』というだけだね(笑)。仕事はメールやクラウドがあればどこにいてもできるわけだし、生活を大きく変えたわけではない。しかも、伊澤町長はじめ知っている人もいっぱいいるしね。もちろん、双葉町に移住をすればそれなりに投資をしないといけないから、思い切ったといえばそうかもしれないけれど、私にとってみれば、仕事の延長だった感じがするね」

 

苦渋の決断を飲んでくれた人たちに、立場を離れたからといって「もう知らん」とは言えない

「仕事の延長」と浜田さんは言うが、すでに政治家は引退しており、2022年には横浜で合同会社浜田経営労務相談室を設立し、行政書士・社会保険労務士として事業者支援を行っている。それでも福島の復興に携わろうとするのはなぜなのか。「復興が終わっていないからだ」と浜田さんは即答する。

「特に双葉町なんかは、むしろこれからなんだよ。果たしてどれぐらいの住民が帰ってくるのか。元通りには帰って来ないにしても、私のような移住者がどれくらい来るのか。コミュニティがどう形成されていくのか。そういうものを見たいし、参加したい気持ちがあったよね」

帰還困難区域に特定復興再生拠点区域を作ると決められた20168月当時、浜田さんは復興副大臣として福島を担当するだけでなく、与党の復興加速化本部で事務局長をつとめていた。その時の思いが今でも消えていないのだ。

双葉町と大熊町は、除染で取り除いた土などを安全に管理・保管するための中間貯蔵施設の建設という重い決断を受け入れた地域でもある。「もし双葉町と大熊町がこの決断を受け入れてくれなかったら、福島の復興は止まっていただろう」と浜田さんは語る。

「双葉町、大熊町の人たちには苦渋の決断を飲んでもらったわけだよ。そういうことを考えれば、立場を離れたからといって『もう知らん』とは言えないよね。なかでも双葉町は12市町村の中で最後に居住が可能になった場所で、中間貯蔵施設も、イチエフ(※福島第一原発のこと)も、処理水のタンクもある。ここは福島復興のアンカーであり、福島の復興を見るバロメーターになると思うんだよね。ここがうまくいけば福島の復興はうまくいく。そういう場所だから、双葉町に身を置けば、復興のことがいちばんよくわかると思ったんだよね」

 

復興の春を告げる公園を。地域コミュニティ再生への道

この12月には公益社団法人福島相双復興推進機構と契約を結び、行政書士・社労士として地域の事業者支援を行っているという。また、双葉町の地域コミュニティ再生にも一役買うつもりだ。双葉町の復興のシンボルとして、駅西住宅の奥に公園を整備したいという。モデルは福島市の花見山公園だ。浜田さんが復興副大臣として福島市に住んでいた頃、よく訪れたのだという。

「めちゃめちゃきれいなんだよ。写真家の秋山庄太郎が『桃源郷』と言ったんだけど、桜とかレンギョウとか桃とか、本当にきれいでね。ああいう公園ができたらいいなと。元々は伊澤町長の案なんだけどね。復興の春を告げる花見山公園、そういう夢があったほうがいいじゃない。そうすれば、公園にいろんな人に来てもらい、ゆっくりとした時間を過ごしてもらうこともできるかもしれない。それに、帰還者と移住者が一緒に木の植え替えをしたりすればコミュニティになるよね。そういう共同作業って重要なんだよね」

コミュニティの再生に向けては、具体的な動きもある。役所が主催する月に一度のレクリエーションの他、2月には駅西住宅内の集会所で芋煮会が開かれた。町長や駐在所の夫婦、町役場の職員など、住民以外の飛び入り参加もあり、大いに盛り上がったという。参加者からは「週に一度、こうやって集会所を開放してはどうか?」という意見が出て、すでにその方向で調整に入るなど、新たなコミュニティがゆるやかに形成され始めているようだ。

「復興住宅ができて解除がされたからといって『復興』というわけではないんだよね。大切な人や故郷とのつながりをなくされた方々の心の傷は、簡単に癒えるものではない。本当の復興とは、ひとりひとりが希望を持って歩き出せるようになることだと思う」

すでに震災から12年が経過しており、以前と同じまちにはもう戻らないかもしれない。しかし、新たなまちになる可能性は秘めている。浜田さんのような移住者と、ようやく帰ることができた地元の人々と、地域を守り続ける行政関係者たち、それぞれが前を向いて歩き出したことで、双葉町という名の新しいまちが生まれようとしている。新しい双葉町には、希望の芽のようなものがある。その芽が育ち花開くのも、それほど遠い未来のことではないはずだ。

「地元の方々の意向を最大限尊重して、伝統を守りながら、たくさんの人と協力して新しい双葉町を作っていきたいね。人間の復興はこれからだよ」

文・山田宗太朗 写真・鈴木宇宙

浜田昌良(はまだ・まさよし)さんプロフィール:

1957年大阪生まれ、横浜育ち。通商産業省(現在の経済産業省)入省後、参議院議員を3期18年務める。この間、外務大臣政務官(1期)。復興副大臣(5期)を歴任。現在、合同会社浜田経営労務相談室代表、公明党アドバイザー。


◎双葉町の紹介

新たな未来を自らの手で作る、なりわい暮らしのまち
■2022年、帰還開始や役場移転等の大きな転換期を迎え、公営住宅への入居開始や、更なる雇用創出を進行中
■JR双葉駅の西側地区で、“なりわい暮らし“をキーコンセプトとした公営住宅および分譲地を整備。この場所を中心とした新たなまちづくりが始まっている

◎移住相談窓口
双葉町役場 復興推進課
Emailfukko@town.futaba.fukushima.jp
TEL0246-84-5203
FAX0246-84-5212
8:30~17:15(月~金曜日、祝日除く)

                   

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