ふくしまで生きていく。INTERVIEW 01
fuku farming flowers 福塚 裕美子さん

この村で、自分のやりたいことで生きていく
川内村への2度目の移住で花屋を開店

福島県が今、移住・定住促進に力を入れている地域、「ふくしま12市町村」※。
県の沿岸部、地元では「浜通り」と呼ばれる地域の中で、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で一時期、町や集落ごと避難をした経験を持つ12の市町村だ。原発事故の影響を大きく受けているふくしま12市町村だが、震災から10年が経過し、少しずつ人や日常が戻り始めている。今回からシリーズで、ふくしま12市町村に移住した人たちの生き方や思いを紹介していく。

※ふくしま12市町村:田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村


 

「田園風景を取り戻したい」最初の移住は震災翌年

その名の通り、雄大な山々と美しい川に囲まれた山村・川内村。東京から仙台へ続く、国道6号線から山合に30分ほど入っていく、ふくしま12市町村の中でも手つかずの自然に恵まれた村だ。特に水質の良さには定評があり、全1211世帯(R3年9月30日現在)の蛇口から出てくるのは地下水を汲み上げた軟水だ。

この川内村で花屋「fuku farming flowers」を運営する福塚裕美子さんは、大阪府出身。
大阪、東京、名古屋、ドイツの花屋で修行をしたのち、2021年4月、川内村に自身の店舗をオープンさせた。取材に訪れた日は、福塚さんは従業員の女性と2人で、店舗の裏手にあるガーデンスペースの階段づくりをしていた。

「手が足りないから、なんでも自分たちでDIYしてるんです」

かつて東京で働いていた福塚さんが初めて川内村を訪れたのは、震災直後の2011年。川内村出身の同僚に連れて来てもらった際に荒れ果てた田園風景を目の当たりにし、戻ってもその光景が忘れられなかった。翌年2012年1月に帰村宣言が行われ、村に戻ることができるようになると、福塚さんは5月に村に移住し、一人で支援活動を始めた。

「東京にいても苦しくて、何かしたいと思ったら村に移住するしかなかったんです」

村役場に勤めてコミュニティを広げ、農業のボランティアイベントなどを行っていたが、活動資金や一人でできることの限界を感じ、志半ばではあったが、2年半ほどで村を去ることになった。


大型コンテナ2台を運び込んでつくった店舗。メイン店舗で、切り花やプリザーブドフラワーなどを販売し、サブ店舗ではガーデン用の花やガーデニング用品を販売する

 

「村で花屋を開きたい」川内村で生きると決めた瞬間

震災前からの夢だった花屋開業のためにドイツ留学することを決めた福塚さんは、仲間に報告するため川内村を訪れた。その時、「ドイツから帰って来たら、川内村に花屋開くから!」と自分でも思ってもみない言葉が口から飛び出した。一度離れてからも度々川内村を訪れてはいたが、この時、「私はこの村で生きていきたいんだ」と実感したという。


店舗面積は約3000平米で、裏にある大きなガーデンは、福塚さん本人やスタッフ、友人たちを巻き込んでガーデンづくりを行っている。

1年間のドイツ留学ののち、2018年に川内村に再移住。2度目の移住は、初めに来た時とは大きく思いが違った。「支援したいという気持ちはもう無くて、この村で生きていく、ここで花屋をやる、と自分で決めて戻ってきたんです」と福塚さん。今は村の復興より、自分の軸をしっかり持って仕事をしていくことを一番に考えている。「まず自分が思うとおりに働いて稼いでいかないと、誰のことも支えられない。最初に来た時にそれを思い知ったので、今は自分の店のことだけを考えています」と話す。

 

村に雇用を生み出すために、村の名物となる花屋を

川内村では2021年度から、小・中一貫の義務教育学校が始まったが、村内に高校はない。スーパーも無く、村内の仕事も少ないため、若い人たちは外に働きに出てしまう。福塚さんは、自身の花屋を雇用の場にもしたいと考え、現在2人の女性をアルバイトとして雇用している。


福塚さんが直接市場で仕入れる新鮮な切り花と流行を取り入れたアレンジは、おしゃれで長持ちするとファンが多い

店内には、福塚さんが毎週市場で仕入れる切り花や園芸用の鉢植えなどのほか、花瓶やアクセサリー、焼き菓子なども並ぶ。インフラが良いとは言えない川内村に『わざわざ足を運んでもらう』ための福塚さんの戦略の一つだ。


店頭には切り花のほか、福塚さんがセレクトした花瓶やアクセサリー、焼き菓子なども並ぶ

「子どものなりたい職業で、お花屋さんって必ずランクインするんです。なりたい仕事が村にあること、そして私の花屋が村の名物の一つになって、ここを目標に川内村に来てくれる人が増えるといいなと思って、日々営業しています」

まだ数は多くはないが、双葉郡内では震災後、福塚さんと同年代の女性が、IターンやUターンで事業を始めている。そういった移住の仲間たちの存在には「すごく励まされる」という。 ふくしま12市町村の中でも川内村は移住者の数が多く、2021年3月現在の居住人口約2000人のうち、約4分の1が震災後の移住者だという。遠藤雄幸川内村長も「移住してきた人たちの活動や情報発信には非常に感謝している」と語っており、福塚さんのお店にも開店当日に訪れている。「川内村の人は、特に何もなくても『生まれた村だから』という理由で川内村を好きな人が多いんです」と福塚さん。そんな川内村を気に入って住み着く移住者も多い。


タイルには関わった人たちの名前が刻まれている

「Fuku Farming Flowers」が双葉郡で数少ない花屋であるように、ふくしま12市町村では、まだ多くの地域インフラが復旧していないのが現状だ。自身のスキルや経験と地域のニーズが合えば、ほかの人口減少地域より事業成功の可能性が高いといえるかもしれない。

震災の影響を抜きに語ることはできないふくしま12市町村には、未だ許可なく立ち入りができない「帰還困難区域」も存在する。帰還する住民が少ないからこそ、移住・定住政策に力を入れている地域であるともいえるが、最近は課題が多くあるからこそ「コミュニティデザイン」最前線の現場としての魅力を感じ、移住する人も増えてきている。「復興」のためだけでなく、地方の課題解決、ゼロからのまちづくりや自己実現を叶えられる移住先として、ふくしま12市町村を是非ご検討ください。

 

文・山根麻衣子 写真・アラタケンジ
※本記事は、本誌(TURNS Vol.48 2021 [10月])に掲載しております

                   

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