たまには海をぼんやり見る時間を
旅行に出かけると、あそこに行って、ここもまわって…と、せっかく忙しい日常から離れたはずなのに、旅先でも疲れてしまうことが多い。ただただ、ゆったり、のんびりと、家族や友達と過ごしたい。そんなときにぴったりな場所が、葉山町にある。「港の灯り」は、初めて来たのに、なつかしさを感じる宿。荷物を置いて、少し昼寝をしたら、海を散歩しよう。
静かな空間でゆっくりと穏やかに時が流れる
「ただいま」と言える場所
「葉山」と聞いて、どんなまちをイメージするだろうか。御用邸や高 級住宅街を連想する人もいるかもしれない。確かにそれも葉山町の一部だが、かつては半農半漁で栄え、いまもワカメやアワビ、タコなどの魚介類が獲れ、漁港のあたりには漁師が暮らしている。
真名瀬漁港の近くにある「港の灯り」も、もともとは漁師が住んでいたという築120年の古民家をリノベーションし、一棟貸しの宿泊施設として生まれ変わった。
最寄りのバス停から海を見ながら歩いて1分。 ガラガラガラ…と引き戸を開けると、洋室と、その隣に2畳もの広い和室、奥に台所が見える。 和室には縁側があり、 その向こうには海が見えた。静かで穏やかで、ゆっくりと時間が流れている。「でも最初はボロボロでお化け屋敷みたいでした」とオーナーの忠武志さんは振り返る。
「何年も空き家のままだったので、床は落ちて壁は剥がれていて、直せるか怯みました。でも、葉山はもともと好きでいいところだと知っていたし、海の目の前にあるという立地もすごくポテンシャルを感じて、大工さんと半年ほどかけて改修に取り組みました」
前の住人の持ち物が置いたままの状態だったため、ごみ捨てから始まったという。使えるものは残し、船のプロペラやアンカーなど漁師らしいものは塗装して、室内に飾っている。
名前にもある「灯り」も、かつて漁師の家だった歴史を汲んでいるそう。
「ここはすぐ前に漁港があって、漁師さんが海から帰ってきたときに家の灯りを見て安心感があったと思うので、そのときの『ただいま』という気持ちをお客さまにも共有したいと思いました」
そこで「『ただいま』といえる場所」をコンセプトに掲げ、心身ともに癒やせるような空間づくりを心がけている。
かゆいところに手が届くおもてなしを
心地よく過ごせるおもてなし
利用するのは、3世代など大家族が多いとか。「ほかにも、友人や同僚と集まって『ひとつの部屋で寝たい」というかたは多いですね。畳の部屋に布団を敷くのですが、スペースとしては5人くらいがベストですけど、最大10人まで大丈夫です」と、武志さんの妻・夫樹さんはいう。
結婚式場で働いていた実樹さんは、現在はフリーランスでウェディングプランナーとして仕事をしながら「港の灯り」の宿泊対応もしている。「港の灯り」では予約時に宿泊客へ徹底したヒアリングをおこなっているのだが、夫樹さんのウェディングプランナーの経験が生かされているようだ。
「結婚式と似ていますが、お客さまが当日どんなふうに過ごしたいのか、事前に電話やメールで何度か打ち合わせをして、それに合わせていろいろな用意や準備をしています」
たとえば誕生日や同僚の送別 会などではケーキを用意したり、部屋を飾り付けしたり、サプライズの手伝いをすることも。
「ご年配のかたが和室で過ごしているのを見たときは、ずっと正座するのは大変そうだと思ったので低座椅子を用意したりと、かゆいところに手が届くようにできたらいいなと思っています」
ほとんどのお客さんはここに泊まりにくることが目的で葉山町まで来る。そのため、みんなで昼寝をしたり、縁側でバーベキューをし たりと、家のようにくつろいで過ごす人が多いそう。
「何もしないこと」が一番の贅沢
「何もしない」をする場所
「あるお客さまのレビューに『何もしないをする場所でした』とあって、いい言葉だなと思いました。ここでゆっくり過ごしていただいて、元気になってもらって、また日からがんばろうという糧になればうれしいです」
宿は一組だけの貸し切り利用だが、スタッフは離れに常駐しており、「何かあったときに駆けつけてくれるので安心だ。また、朝食のサービスもある。実はこの朝食に出る干物定食が、「港の灯り」の原点だった。
ローカルとグローバルをつなぐ
高校卒業後、北米や南米などを2年ほど旅してまわったという武志さん。帰国後は会社勤めをしていたものの、「旅にまつわることで起業したい」と思っていたそう。「地元である湘南エリアで、ローカルとグローバルをつなぐものをやりたいと思い、ゲストハウスをはじめようと考えました」
そのなかでも国内外から観光客が訪れる鎌倉で物件を探しはじめたが、なかなかいい物件が見つからないまま1年ほど過ぎたある日、古民家バンクを通して元・仕立て屋の建物と出合う。観光客に人気の路面電車・江ノ島電鉄が目の前を走るという立地にも惹かれ、かつて実家が干物の卸しをしていたことから干物を提供するカフェ「ヨリドコロ」を2015年にオープン。
「ヨリドコロの建不法律上、宿泊施設にできなかったので、鎌倉の情報を発信する飲食店にすることにしました」
カフェには地元の人も観光客も訪れ、まさにローカルとグローバルをつなぐ場としてにぎわっている。そんななか、近所に住む大工さんから「葉山に古民家を持っているんだけど、ヨリドコロのように使ってもらえないか」という提案が。なんというご縁!ここて2016年に「港の灯り」を開業した。
「葉山は観光客が少なく、鎌倉よりもさらに時間の流れがゆっくりとしていて落ち着いています。僕たちは茅ヶ崎や鎌倉にも住んだことがあるけど、葉山は特に居心地がいいですね」と、武志さんの言葉からは葉山愛が伝わってきた。
時間の進みかたは土地によって異なるようだ。「港の灯り」には“葉山時間”が流れていた。
文・編集:古瀬絵里 写真:小緑慎一郎