福島県浜通り(沿岸部)の中部にある福島県広野町。南はいわき市、北は楢葉町に隣接しており、福島第二原子力発電所から約10キロに位置する。東日本大震災では緊急時避難準備区域に指定され、原発事故の収束や除染、復興工事の最前線として、 復興従事者たちが当時も今も多く滞在している。2022年現在、町民約4,300人に対して、復興従事者など住民票を持たない「みなし居住者」は約1,600人だ。
広野町で生まれ育った吉田健太郎さんは、広野町の最北部、ちょうど楢葉町との境あたりにある「ホテルオーシャンいわさわ」で支配人をつとめている。広野インターチェンジから近く、Jヴィレッジが目と鼻の先にあり、何よりも海が近い。車で2~3分も移動すれば、サーフィンや海水浴が楽しめる岩沢海水浴場だ。吉田さんはこの岩沢の海で、子どもの頃にサーフィンを覚えた。
今でもローカルサーファーとして波乗りを楽しみ、復興のためにホテルを運営する吉田さんに、広野町への想いを聞いた。
祖父の代から続く宿泊業で、地元の復興に貢献したい
吉田さん一家は、祖父の代から 県浜通りで旅館経営を行ってきた。
「祖父が富岡で旅館をやっていまして、広野で旅館をはじめたのは父の代からです。近くにある広野火力発電所の作業員の方々をお客さんとして、最初は4室から始めたそうです」
吉田健太郎さん
広野町ではじめた旅館は、温泉ブームやJヴィレッジ建設などの恩恵も受けて増築を重ね、1992年には「ホテルいわさわ」を、1997年には「旅館ヴィラいわさわ」をオープンさせるなど、順調に成長していった。
幼い頃の吉田さんにとって、旅館は遊び場のひとつだったという。
「両親がお客さんに挨拶したり、一緒にお酒を飲んだりして旅館を盛り上げているのを、子どもの頃から見てきました。お客さんたちの宴会に混ぜてもらったこともあります」
そうした背景もあり、アメリカ留学や大学進学のための上京を経た後は、宿泊業界に就職することに。いつかは広野町にUターンしたいとの思いを抱きつつ、会社員としてホテル運営のノウハウをじっくり学ぶつもりだった。
ところが、大学卒業を控えた3月。卒業旅行で滞在していたアメリカで、東日本大震災の発生を知る。多くの人にとってそうだったように、吉田さんの人生も、この日を境にそれまでとは異なる軌道を描くようになった。つまり、 に戻る予定が早まり、就職した会社を3年でやめて家業を手伝うことになったのだった。
「うちは震災から3ヶ月後には復興のための長期滞在宿として再オープンしているんです。当時は周辺に宿泊施設があまりなく、しかしその一方では、復興従事者の方々がどんどん集まってくる。ものすごく忙しくて、両親が過労で倒れてしまうほどでした」
広野町は、福島第二原子力発電所から10キロ、福島第一原子力発電所からは20キロ圏ラインのすぐ外に位置する。Jヴィレッジが東京電力や自衛隊の前線基地になったこともあり、原発の廃炉や除染にあたる復興従事者たちが全国各地から集まっていた。そうした復興従事者が寝泊まりするための宿泊施設が切に求められていたのだった。
緊迫した作業を強いられる復興従事者たちは、広野町で寝泊まりし、身体と心を休め、力を蓄え、そうしてまた作業に向かっていく。 比喩ではなく文字どおりの意味で広野町は最前線であり、復興の第1歩は広野町から始まっていたと言っても過言ではないだろう。
親子で楽しめる海水浴場として、あるいはサーフィンの聖地として
「ホテルオーシャンいわさわ」は、吉田さんがUターンした2年後の2016年にオープンしている。ウェブサイトに「当館は、福島の復興を第一に考え、福島のために全力で営業して参ります」という文字がある通り、復興需要の高まりを受けて建てられたホテルであり、今でも多くの復興従事者たちが利用する。実際にオープンから現在に至るまで、稼働率が8割を下回ったことはほとんどないという。
しかし震災から11年が経った今、吉田さんは、これまでとは異なる客層の増加にも期待している。というのも、今年、震災以降初めて岩沢海水浴場が海開きを迎えたからだ。
震災以前、岩沢海水浴場には毎年約3万人の海水浴客が訪れていた。家族連れはもちろんのこと、サーファーからの人気も高く、全国から集まるサーファーたちで賑わう人気のポイントでもあった。しかし、震災による津波の影響でさまざまな設備が損壊。2018年から復旧工事がはじまり、それがこのたび完了し、ついに海水浴客を受け入れる態勢が整ったわけだ。
ここに至るまで、吉田さんたち地元の人々も清掃などを定期的に行い、1日も早く震災以前の海が戻るようにと活動してきた。
吉田さんら地元の人たちによるクリーンビーチ活動 の様子(吉田健太郎さん提供)
そうして迎えた7月16日の海開き。久しぶりに活気が戻った岩沢海水浴場は、多くの町民で賑わっていた。そのなかには、初めて地元の海に入った子どもたちもいる。「子どもが遊べる場所が再開したのは嬉しいですね」と吉田さんは目を細める。
2022年7月16日、岩沢海水浴場には12年ぶりに一般客の姿が(吉田健太郎さん提供)
吉田さんもこの海で、15歳の頃からサーフィンに明け暮れていた。ある時期などは毎日朝3時から夜8時まで波乗りするほどのめり込んでいたという。現在も、時間を見つけては波乗りすることを忘れていない。
「ここは波がいいんです。北からうねりが入って波があがり、風がやむと、すごく気持ち良く波に乗れるんですよね。ロケーションも最高だし、駐車場から海へのアクセスもいいし、関東のポイントに比べて人も少ないから、安全に楽しめます。実は、初心者にやさしいポイントでもあるんです。それでいてエキスパート向きの波になることもある。昔からサーフィンで全国的に有名なところで、これからサーフィンをはじめたい人にもおすすめです」
岩沢の波に乗る吉田さん(吉田健太郎さん提供)
10月にはサーフィンの大会も開催される予定。震災まで25年間続いていた「楢葉町杯」を復活させる方向で調整していて、吉田さんは運営のサポートをつとめるという。
「もっとサーファーに戻ってきてほしいし、子どもたちが海で楽しく遊んでいる姿も見たいです」
本当の復興がはじまる
吉田さんは広野町の魅力を「のんびりできるところ」だという。
「何かにじゃまされることがないんですよね。都会で暮らしていると、まちを歩くだけでも他人が気になってしまうけれど、ここでは、海で誰かと会った時も、ちゃんと人として接している感じがするんです」
岩沢のサーファーはみんな仲間
12年ぶりの海開きを機に、広野町 は、震災以前の姿をいよいよ取り戻そうとしている。Jヴィレッジではボルダリングやスケートボード施設の整備も検討されており、復興工事の最前線だった場所は、新たな観光や娯楽の場として注目されるかもしれない。
のんびりできる空気と、素晴らしい海。おだやかな浜風に吹かれて、吉田さんは取材をこう締めくくった。
「これまでとは違った意味での復興を進めていきたいですね」
吉田健太郎(よしだ・けんたろう)さんプロフィール
2004年に湯本高校を卒業すると、アメリカ・カリフォルニアに留学。アーバインバレーカレッジに入学し、帰国後、帝京大学に編入。卒業後は新卒でルートインジャパン株式会社に入社し、ホテル運営のノウハウを学ぶ。2014年、家業を手伝うために有限会社イワサワに入社。2018年に専務取締役に就任し、2020年から取締役副社長をつとめる。
文/山田宗太朗 写真/鈴木宇宙
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