北海道十勝地方にて三代目として農場を継ぐ三浦尚史さん。
畑面積は徐々に増え、今や百ヘクタール超。
少人数運営のまま事業拡大できる秘訣は、飽くなき改善欲と好奇心、
分野をまたぐ経験値に裏付けられた視座にあった。
ハードもソフトも垣根なく農業経営を俯瞰して捉える
十勝平野の中央に位置する音更町。ここで早くからスマート農業を実践し続けてきたのが、三浦農場だ。代表の三浦尚史さんを含めた家族三人と従業員五人の計八人で、小麦・大豆・小豆・馬鈴薯・ビート・長芋などを栽培している。
三浦さんは約二十年前に祖父の代からの農場を引き継ぎ、いち早く半自動運転トラクターを導入。同時に自身でも効率的な作業が叶うロボットトラクターのプランを企画提案し、そこから新たなロボットトラクター開発に協力することに。現在は精密農業の分野に注目し、今年から二社のサービスを使って可変施肥(土地の状況によって適切な肥料の量をコントロールする)を実現すべく取り組みを始めている。
技術面だけではなく、後述する地元資源を活用した循環型の取り組み「ばん馬toきのこto小麦の環」の発起人となるなど、三浦さんの取り組みはソフト面にもおよぶ。その活動の根っこには、農業経営をビジネスとして俯瞰し多角的に見る視座がある。
「ロボットトラクターを導入したから売上が伸びる、というよりも、儲かる方向に経営シフトできるし、土地拡大のチャンスがあったら飛びつける」
エンジニアの知見と精神、企業でのビジネススキルやセンス。一般的にはそれぞれ専門家が集まって実現される話が、三浦さん一人に凝縮されている。三浦農業で行われている取り組みの数々が、一体どうやって実現されているのか……三浦さんの経歴をたどりお話を聞く中で、たくさんの「これからの農業」へのヒントが見えてきた。
「農業なんてやめろ」父の言葉から始まった道
三浦さんは一九八九年、岩手大学の農業機械学科に入学する。折しもバブル崩壊前夜のタイミング。
「大学四年になったその手前の春休みに父親から『おまえは農家なんかやるな、農家なんてロクなことがない』と言われたんですよ。市役所の職員にお前はなれ、と」
その言葉を受け改めて生き方を考えた三浦さん。最終的に出した結論は、やはり農家だった。「うちの父親がそんなに農業がだめというなら、自分は猛勉強して農業を変えてやろう」一大決心し、「北大さえ入れば道が開けるんじゃないか」と考えた
三浦さんは、猛勉強して北海道大学大学院に入学。当時(一九九三年ごろ)、隣の研究室ですでにロボットトラクターの研究を始めていたのが同分野の第一人者と言われる野口伸教授だった。
卒業後は農業機械メーカーへ営業現場で身につけたビジネス視点
「ゆくゆくは農業経営者になろうとは思ってたんだけども、製造業に務めた方がいろいろと学びがあるんじゃないかと思って」、卒業後は農業機械メーカーである東洋農機に入社。配属部署は営業企画。同社が製造業のコンサルタントを請け負っていたこともあり、製造職だけじゃなく営業もコンサルタントの指導の元、作業改善や品質などに関わることを求められた。
「この営業現場での経験が僕の中でわりと影響を受けていて。違う目線で農業はやったつもりです」
五年勤めた後、実家を継ぐため三浦農場に戻る。東洋農機時代に営業現場で培った合理化、整理整頓、マニュアル化などのビジネス視点は、今も日々の業務のベースだ。ホワイトボードでその日や先々の業務内容が管理されていたり、三浦農場を訪れるとその経験が今も息づいていることがわかる。
時代の波と三浦農場の転換期となった二〇一二年
農場に戻り十年以上経った二〇一二年。三浦さんにターニングポイントが訪れる。
土地を譲り受け、それまでの畑面積が八十六ヘクタールから九十九ヘクタールに拡大。そのころGPSオートガイダンスという半自動運転のシステムが普及し始めていたこともあり、半自動運転のトラクターを導入。また、三浦農場として初めて正社員を採用する経営に踏み切った。
「十三ヘクタール増えたけども、このやり方で経営が回るぞ」
そう思っていた矢先にメインで使っていたトラクターが故障。一度は二百馬力のトラクターを買うことを検討した三浦さんだったが、そのクラスの価格は二千万円は下らない。
「確かに買った方がいいんだけども……ちょっとこれは違うなと思って」
思案の結果、「もし無人トラクターがこういう作業体系でやれば効率的だしもっとコストを安くできるじゃないか」と思いつく。それは一台のロボットトラクターをもう一台のトラクターに乗った一人が操作し二台で同時に作業するという、効率化と安全性を担保したプラン。三浦さんは作業体系の案を企画書に起こし、母校の野口教授に持ち込んだ。持ち込みから半年後、野口教授から電話が入った。「三浦くん、あなたのアイデアのやつ、できたから」……その半年後に野口教授がヤンマーの開発担当者を連れて実機を見に農場を訪れたことをきっかけに、ヤンマー、クボタ、井関農機などと共に実用化に向けて開発を開始。二〇一九年に販売開始に至った。
「十年前は、GPSよりさらに高精度で位置情報を測定できるRTKという技術も出てきて。すべてのタイミングが重なっていて、まさに人生の分かれ道という感じでした」
「正直、悔しい」最強の武器が人の役に立ってほしい
自身が考えたソリューションが実用化された。しかし、それは三浦さんにとってゴールではない。
「僕はこれは単純にロボットではなくて、『最強の武器』が販売開始されたなって思ってはいるんだけども……その割にはみんなおっかなビックリで、買う人がいない。僕は正直悔しいわけです。で、その悔しさをどうやって解決しようかと思ったら、自分でYouTubeで、こうやったら使えてメリットあるよ、って情報発信しようと」
良い商品やソリューションが市場に現れたとしても、それが使われて誰かの役に立つところまで行って初めて、その存在価値が出る。企業で言えば販売促進か。三浦さんは、そのソリューションを求めている人たちの方を見つめているのだ。
思い立ったらすぐ行動やりたいことが多くて時間がない
いついたらすぐ行動するタイプ。三浦さんは自身をそう分析する。
「行動しなかったら人生後悔するなって毎回思ってるんだよね。絶対自分が後悔する。考えついたら行動せざるを得ない質なので。それが苦にならないというか、逆に楽しいからやってる、みたいなところがあるから」
地元の企業五社で作った「ばん馬toきのこto小麦の環」は、まさにその典型例。帯広で老舗のパン屋を営む満寿屋商店の従業員が、地元の堆肥で育ったパンだったら循環型でいいよね、と発言したことをきっかけに、すぐに帯広市の「ばんえい競馬」からの馬厩肥でマッシュルーム栽培をしている農業法人・鎌田きのこに連絡。マッシュルームを収穫した後の培地を買い、小麦の栽培に成功。満寿屋商店に連絡したら仕入れてもらえることになった……という流れだ。先に「できたら仕入れる」という約束があったわけではない。
エンジニア精神×行動力皆がハッピーになるシステムを
思いついてすぐ行動、なかなか実践できるものじゃない。行動して後悔したことはないのだろうか?
「行動して後悔したことはないけど、時間がいっぱいいっぱいだね。やりたいことが多くて時間がない。あっちもこっちもできなくて(笑)」
三浦さんは話を聞く中でも、やりたいと思っている事柄がどんどん出てくる。しかも寄与するサービスやプロダクト名まで明確なのだ。「システムを作るのが好きでね。こういうシステムにしたらみんなハッピーになって、自分も手間がかからないよねっていうような」
根底にあるのは、エンジニア精神といえるものだ。
「今、農村の豊かな食文化を創造したいなと思っていて。従業員の昼ごはんを僕が毎日作ってるのだけど、『ホットクック』っていう自動調理鍋と低温調理器を使っていて。朝仕込んであとはほったらかし、昼にちゃちゃっと作ってすぐ食べられる」
「自動運転トラクターなんだけど、感知作業をどうやるかっていう問題があって。例えば、最近『ギグワークス』(単発・短期の仕事を受注・発注できるプラットフォーム)っていうサービスがあって。『空き時間があるからちょっと四時間だけトラクターの仕事やるか』って、UberEATSやる感覚で請け負う。5Gの技術が出たら、そういう方向に進むだろうなと僕なりに予測をしている」
営業と農業、二つの視点で痛感するテクノロジーを生かす難しさ
そんな三浦さんが、これからの農業にとっての課題の一つと思っているのは、テクノロジーと農業が機能しあうためのいわば「繋ぎ」の部分だ。そしてその難しさは、東洋農機の営業現場にいたときから認識していた。
「営業マンの要望=農家の要望なんだけど、それを開発部に伝えるっていうプロセスがあって。現場の声を開発に届けるのって、すごく大変。一番難しいと思うのは、優先順位が混乱しちゃってること。開発の方は『あれもこれもできないよ』ってなる一方、営業マンは『開発は僕たちのいうこと全然聞いてくれない』ってなる。これは優先順位をちゃんと調査するところが必要だなと」
「農家の意見を開発に伝えるのって難しいなと当時から思っていたし、うまく農家とコミュニケーションを取らないと全然望まないものを作ってしまったり、値段も全然合わないよとか。農業の最先端技術って難しいことだらけ」
「農家の方も、ロボットトラクターに使われているような最先端技術もそこそこ理解してないと。技術もひと通り知らないと、わがまま言い放題になってしまう」
今年から試みを始めている施肥の効率化についてもサービスを使ってみて、改めて課題を感じている。
「サービス提供者は、こうしたらっていうコンサルはやってくれない。自分の頭で考えて、なるほどこういうデータで畑の様子はわかったと。じゃあガチで儲けるためにはどういう設計がいるかって言ったら、正直僕もわからない。一年やったんだけども、もっといい成果があるかもしれないし、もしかしたら一生かかるかもしれない。だけど技術として提供しているわけだから、自分は農家だし……それはそれで頑張ろうと思って」
どんなに高度な技術も、高精度なデータも、それで効果を出すところまで持っていかないと意味をなさない。現場にも受け入れられないのが現実。だからこそ自身で獲得したノウハウを他者に提供することに、三浦さんは積極的だ。
「自身でノウハウを獲得したロボットトラクターは現状そんなに普及してないんだけども、自分なりにノウハウを蓄積して『うちはこういう経営内容なんだけども、これを使ってこんな経営・運営をやっていた』というのをデータとしてヤンマーに提供するとか……論文を書こうかなとも思っているし、YouTubeで情報発信したらいいのかなとも思っている」
ちなみに三浦さん、動画編集技術もすでに身につけているそうだ。
その目に映る、次なる夢は「翻訳者」そして「教育」
課題は山ほどあるけれど、今後アグリテック分野が順調に伸びていくためには、一体何が必要なのだろうか?
「やっぱりテクノロジーと農家側を、うまく橋渡しをするのが必要なんじゃないかと。そうなると『出会い』も関わってくるだろうし」
その橋渡し役を三浦さん自身が担うことも、もちろん検討中だ。
「農業コンサルタントに将来なりたいなと思ってて。精密農業だとか、知識体系を組み立てて、優秀な従業員に経営を任せて農業コンサルタントをやりたい。たぶん儲からないと思うけど、でもやってみたいなと」
同時に、教育事業への関心もある。農業高校での学びは、今の現状に則しているのか。もう長いこと変わっていないのではないか。教科書を取り寄せ、新たな人材の育成にも目を向けている。
「スマート農業」。言葉にすればシンプルだが、その実現には一言では済まない多様な視点や多くの人の知見が必要だ。資金があれば、技術があれば、フィールドがあれば、人材があれば、熱意があれば……そのどれもが単独では不十分だ。それらを機能させるには、経験によって物事を広く捉え、深く考えること、互いがうまく機能するように繋ぐこと……新しい農業の現場に必要とされるのは「人間力」ともいえる。三浦さんの前に待つ、次なる未来はどんなだろう。彼は今、最前線にいる。
文 : 吉澤志保 写真 : ミネシンゴ