できることから、島のために。島に住むことを選んだ3組が見る新島の未来

東京の離島、新島。伊豆七島に属し、透明度の高いパステルブルーの海と白い砂浜に囲まれた美しい場所です。

サーフィンをはじめとしたマリンスポーツのメッカとしても知られていて、夏になると観光客が押し寄せますが、島内部では人口減や高齢化など、どの離島も抱えている問題を新島も抱えています。

しかし今、この新島で少しずつ未来に向けた新しい動きが始まっています。その原動力となっているのは、UターンやIターンをしてきた住民たち。外からの新たな視点を携え、島の人たちと共に歩み始めた3組に、お話を伺いました。

飲食店が足りないこの島で、島の人も観光客も気軽に入れる「島の食堂」を目指して

「島食堂マルゴー」オーナー 富岡 豪さん・いづみさん

「島食堂 マルゴー」のオーナーである富岡さん夫妻は、2020年3月に移住。話を切り出したのは、妻のいづみさんからだったそうだ。

「以前は都内で保育士として働いていました。すごくやりがいもあって楽しい仕事でしたけど、ふと、この仕事だけをやっていていいのかな、もっといろいろな人やコトと関わって世界を広げたいな、と思ったんです」(いづみさん)

夫の豪さんはすでに自身の飲食店を都内で経営していたこともあり、じっくりと1年ほどをかけて話しあいと準備を重ね、「何度か来たことがあって、なんかいいな、と思っていた」という豪さんの母親の地元、新島で飲食店を開くことに。移住当初は島の親戚を頼り、家と当面の仕事を確保。豪さんはスーパーで、いづみさんは空港で働きながら、地道な物件探しが始まった。

実は新島には不動産屋がほとんどなく、物件の貸し借りは人の信頼関係のみで行われてきた歴史がある。島外から来た人間が新しい店を始めるとなれば尚更で、人脈づくりが欠かせない。やっと見つけた空き店舗も、ツテが見つからず話を進めることすらできないこともあったそうだ。

知り合う人知り合う人に「飲食店を開きたい」と話をし続け、付き合いを広げること約2年。やっと知り合いから紹介を受けた土産物店の空き店舗を借りられることとなり、2023年5月に店をオープン。店名の「マルゴー」は、豪さんの母親の実家の屋号表記「㊄」と、名前をかけて命名した。

お客様にくつろいでもらいたい、と店内の空間はゆったりと取っている。

新島の夏は忙しい。オープンしたばかりのマルゴーも、多忙を極めた。観光シーズンの離島では、飲食店不足からしばしば食事のタイミングを逃してしまう人がいる。マルゴーにもそんな人たちがひっきりなしに訪れ、富岡さんたちは本来ランチ営業が14:00までのところを、可能な限り店を開けて受け入れたそうだ。

「新島は人の数に対して、飲食店がまったく足りていないんですよね。食料品店も早く閉まってしまうし。個人経営のお店ばかりだから営業時間も定休日もイレギュラーで、急にどこかが休むと他のお店に皺寄せが行ってしまうこともあって。9月の終わりまでとにかく大変でした」(いづみさん)

そんな繁忙期を乗り越え、これから春にかけては島民に向けた営業をしていくこととなる。地産地消にこだわったメニューを提供するマルゴーだが「島民の方にはそれだけじゃなくて、外の食材を使ったメニューが求められているんです」と、豪さん。とはいえ離島に食材を送ってもらうのは、コストも時間も本土の感覚では不可能だ。東京時代に取引のあった業者に協力してもらい、安く仕入れるルートを確保した。

「島の人は外食をする方とまったくしない方がはっきり分かれているんですけど、どんなお客さんが来ても少しでも喜んでもらえるように」

と、季節の食材なども積極的に取り入れている。

左上から時計回り)いかすみを使ったカレー、新島特産の赤イカを使ったパスタ、大人気メニューのカンパチの漬け丼。

話を聞けば聞くほど大変な島での暮らし。しかし、「東京にいてもいいところもあれば大変なこともある。ここも同じです。来たからにはここでやっていかなくちゃ」という富岡夫妻。

「今後はお客さんのためにも、お互いのためにも、もっと島の飲食店全体で連絡を取り合って助け合えたらいいな、と思っています」

目指すのは、外から来る人も、島民にも、分け隔てなく気軽に来てもらえる島の食堂。「気軽に食べに来てもらえる人を増やしたい」との思いを胸に、自分たちができることから島の課題に真摯に向き合おうとする姿が印象的だった。


すべては育った島への恩返し。Uターン者だからこそ伝えたい、島の子どもたちへのメッセージ

動画クリエイター 青沼宏樹さん(NUMA FILMS)

「お、今帰り?」

下校中の学生たちと気軽に声を掛け合い、カメラを構える。まるで島の子どもたちの“お兄ちゃん”のような存在感を漂わせるのは、動画クリエイターの青沼 宏樹さん。「人を撮るのが好き」と言うとおり、島の子どもたちを撮っているときの彼はとても幸せそうだ。

撮影中、たまたま通りかかった地元の高校生たちと。

※青沼さん撮影

新島で生まれ育ち、大学進学と同時に神奈川へ。卒業後は体育教師として神奈川県の中学校で2年働き、その後はJICA青年海外協力隊としてモルディブに2年。帰国後は改めて自身の考える教育の形を見つめ直すため再び神奈川県に戻り、学童保育施設に指導員として3年勤めた。

「外で何かしらのスキルを身につけて、島に帰って恩返しがしたいと思っていました。でも、それがなんなのか自分のなかで漠然としていて。教師の道もあったんですが、どこか納得しきれない部分もあり、帰りたくても自信が持てずにいました」

しかし30歳を目前にした頃、大学時代に知り合った他の島出身の友人に「そろそろ帰りたい」と相談をしたところ、意外な道が開けた。

「当時、動画にハマっていて、自分でも撮ったりするのが好きだったんです。それを新島で活かせないかな?と相談したら、いいんじゃない?と。

新島ってすごくロケーションがよくて、動画との相性がいいんですよね。僕は喋ったり書いたりするのは苦手だったけど、もともと子どもたちの写真を撮ったりするのも好きでしたし、カメラを使った表現ならできるんじゃないかと思いました」

こうして2021年4月に島に戻り、フリーランスのカメラマンとして仕事をスタートした。冠婚葬祭や会社・学校のちょっとした行事。最初は個人からの依頼を少しずつこなしていたが、次第に近隣の島からも依頼をもらうようになる。

「実は新島には趣味でカメラをやっている人はいても、仕事として依頼できる人がいなかった。それはこの辺の島もみんな同じだったみたいで、けっこう重宝されましたね」

その仕事で人との繋がりも広がっていき、現在では行政からの依頼も受けている青沼さん。島の魅力発信にとどまらず、島での撮影のコーディネートなども行っている。

そんな彼が今、事務所を構える「スタジオなかにわ」は、クリエイティブな人材が集まる場として活用されている場所だ。石造りの家を守りたいという所有者の意志を大切にし、もとの素材を生かしながら、なかにわメンバーでリノベーションした。地下階は入居者たちの事務所やアトリエ、1階は居住スペースのシェアハウスとなっていて、2人のクリエイターが暮らしている。

「リノベの計画段階で、ひょんなことから『石のこ』の桐島さんと知り合いまして。コーガ石を使って何かしたいという彼女の気持ちに惹かれ、『じゃあ一緒に働くスペースと何か面白いことができる場所を作ろう!』と、もともと一緒に仕事をしていた友人と3人で始めたのがきっかけです」

できる限りコーガ石の風合いを残してリノベーションした「スタジオなかにわ」内の事務所。

新島では島外の人が移住を希望しても、いきなり家を借りることは難しい。まずはこのシェアハウスを拠点に、制作に没頭しながら島でのつながりを増やしてもらいたい。そうして、新島をもっと盛り上げていきたい。青沼さんはそう考えているそうだ。

「島の人口が減っていくなかで、『島から人がいなくなっちゃうんじゃないか?』という焦りを感じていました。島には仕事がない、帰りたくても仕事がないから帰れない。そう思っている人は多いと思います。でも僕は今、好きなことで仕事を作れている。その姿を子どもたちに見せて、この島で暮らしていく選択肢もあるんだよ、ということを伝えたいんです」

という青沼さんの言葉には、いつも島の人や島の未来を思う気持ちが溢れている。

「今後はウエディングフォト事業も積極的にPRしていきたいし、子どもたちに自分の活動を伝える場をもっと増やしていきたいと思っています。いろいろやってみたいことはありますね。

自分が育った島に恩返しがしたい。その気持ちが1番だから、カメラじゃなくても、ツールはなんでもいいんです。もしかしたら将来はカメラマンじゃなくなってるかもしれない(笑)。

ただ、少しでも島の発展につながることをやっていければと思っています」


人の縁が引き寄せたコーガ石との出会い。島の人に支えられながら、創作活動に取り組む

石のこ 桐島 甲宇(きりしま こうう)さん

海底火山の噴火活動によって誕生した新島。ここには、世界でも珍しい「コーガ石」という石がある。細かい気泡を含んだ石は軽くて加工しやすく、吸湿・吸音性が高いほか、酸にも強い。島民にとってこの石はとても身近なもので、家の外壁などにも用いられてきた。有名な渋谷のモヤイ像も、このコーガ石を使って新島で作られたものだ。

今、新島でコーガ石を扱う工房「石のこ」を開いているのは、千葉県から移住した桐島 甲宇(きりしま こうう)さん。

子どもの頃からアニメ映画が好きだった桐島さんは、将来は作画の仕事に就きたいと考えていた。しかし、デジタルが主流となってしまった今の業界では自分の思う手作業での仕事をするのは難しいと知り、同じように映画に関わることのできるキャラクター造形の仕事を目指して彫刻を専攻する。そして、在学中にさまざまな素材を試すなかで、石の持つ魅力を知り、素材として用いてきたそうだ。

加工しやすく表情豊かなコーガ石で作るキャラクターは、ユーモラスで味わいがある。

コーガ石と出会ったのは、幼馴染とたまたま訪れた新島だった。

「なんだ、この石は!と衝撃を受けましたね。そして旅行中に地元の人と知り合うなかで、たまたまモヤイ像を作った職人さんの奥さんと出会ったんです。その方に私が石の彫刻をしていると話をしたら、職人さんが遺した石を分けてくれて。それが、コーガ石で作品をつくるようになったきっかけです」

しかし、すぐに新島に移住したわけではない。大学を卒業後、撮影現場での美術のアルバイトなどを経験した桐島さんは、かねてより希望していた海外移住に踏み切る。カナダに渡り、飲食店のアルバイトと書道パフォーマンスで生計を立てながら今後の道を模索していたが、1年も経たないうちにコロナ禍に。ロックダウンでの生活は厳しく、仕方なく帰国した後は、しばらくは自分のやりたいことを探す毎日だったそうだ。

「もう一度新島に行ってみたいという気持ちがあり、ちょうどそのタイミングで募集をしていた、新島で開かれるクリエイターのイベントに応募をしました」

イベント自体はコロナ禍の影響で中止となってしまったが、NUMA FILMSの青沼さんと知り合うきっかけとなり、それが新島移住へとつながっていく。

「ちょうど『スタジオなかにわ』の物件改修前で、『一緒にやらないか?』と誘われまして。もう、二つ返事で『はい、行きます!』って言っちゃいました(笑)」

本土ではコーガ石を入手することは難しいが、新島に行けばコーガ石を使った創作に思う存分取り組むことができる。桐島さんのなかのクリエイター魂に火がつき、勤めていた会社がリモートワークだったこともあり、まずは新島と千葉との2拠点生活をスタートさせた。

桐島さんにとっては初めての島暮らし。

「当初は、文化や生活習慣の違いに驚くこともたくさんありました。でも、本当に人があったかくて、新島の1番の魅力だと思っています」

コーガ石の調達は、主に再利用が中心。先述の職人さんから分けてもらったものだけでなく、古い家を取り壊す際に出た廃材などをもらうため、島の人たちと直接関わる機会も増えた。桐島さんの創作活動は、島の人たちに支えられている。

工房で石を切り出す桐島さん。コーガ石は加工しやすく、扱いやすいそうだ。

桐島さんが思うコーガ石の魅力は「加工のしやすさと、ひとつひとつ異なる表情の豊かさ」。その個性をどう引き出していくかが、楽しみのひとつだという。2023年1月には本格的に住まいを新島に移し、島の人から頼まれる看板やオブジェ、お土産品の制作を行いながら、自身の創作も並行して進める毎日。

そんな彼女が今、新島に抱く思いはとてもポジティブだ。

「コーガ石って本当に魅力的な石なんです。だから、みんなにコーガ石のことを知ってほしいし、新島のことも知ってほしい。私の作品がそのきっかけになってくれればうれしいですね」

「石のこ」の歩みはまだ始まったばかり。島の大切な資源に島への思いを乗せて、桐島さんの作品は新島から羽ばたいていく。

                   

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