東京⇄富山
東京での子育てに疑問を持ち、家族での移住を決めた「株式会社70seeds」代表の岡山史興さん。二拠点目に選んだのは、「小さな村での、助け合う子育て」を重要視する富山県「舟橋村」だった。ただ暮らすだけでなく、東京と地方を行き来して村に価値を生む彼。その姿を子に見せるのも、目的だったという。
profile:岡山史興
「株式会社70seeds」代表。長崎県出身。平和教育への関心から、戦後70年である2015年にWEBメディア「70seeds」を立ち上げ、「これからの70年に残すべきもの」をテーマに価値ある事業やプロダクトを取材し、発信。東京ではWEBメディアと並行し、各地の地方自治体や企業のPR・マーケティング支援事業を行う。2018年に富山県の舟橋村へと移住し、現在は村のブランディングに尽力している。
村の一員として、みんなの子育てを助ける
子育ての村に暮らしたくて
立山連峰の山々を遠くに臨む、舟橋村。人口約3000人の村の主な産業は農業だが、富山駅へも電車で約15分とアクセスが良いため、ベッドタウンとしても機能している。
遠くには、白い雪を被った美しい立山連峰が見える。公園にいる親子は雄大な景色には一瞥もくれず、互いを追って走り回っている。
「リョウジは何したい? かけっこする?」
「ボールがいい!」
追いかける四歳児と、逃げるお父さん。見守るお母さんのお腹には、三ヶ月後に生まれる予定の赤ん坊がいる。
WEBメディア『70seeds』の編集長・岡山史興さんが家族とともに富山に移り住んだのは、今から一年半ほど前。子育てのために、人口三千人の小さな村「舟橋村」へと移住した。より良い環境に移ろうと考えたのは、東京を走る通勤電車の中だった。
「当時は東京の江戸川区に住んでいて。混雑する東西線に毎日乗っていました。人でギュウギュウの電車のなかに、ランドセルを背負った小学生たちもいて。あれ、これが当たり前でいいんだっけ。と考えて」。自分の子が、同じように電車に乗って通学する姿を想像できなかったという。
「自分の田舎は長崎で、殺伐とした空気とは縁のないところでした。だからなのか、東京で子どもを育てるイメージが持てなくなって」
そうして移り住んだのが、「日本一面積の小さい村」としても知られる、富山県中新川郡の舟橋村だった。
「子育てだったら、他の田舎でもいいんじゃない?って思うでしょう。でも、舟橋村は特別なんですよ。ここには『村での子育てを大切にしよう』という空気がハッキリとある」
そもそも、「日本一小さい」村になった経緯も、現在の「子育て重視の村」へとつながっている。周囲の市町村が次々と合併し、大きな町へと変化していくなか、舟橋村は合併を受け入れなかった。それは、村の中にあった小中学校を残すため。合併すれば町全体の予算は増えるが、学校は少し離れた、より大きな規模の学校と統合される。村のなかで子どもたちが育ち、村の親たちが見守るなかで育っていけるようにと、学校は残されることに。それから、「子育て重視」の村づくりへゆっくりと舵が切られていった。
「移住してみると、僕らのように移住してきた子育て世代の人たちが本当に多かったんです。聞けば、村の世帯の半分くらいは村外出身者なんだとか」。三千人という人口も、三十年ほど前には千五百人だった。
「地方でコミュニティに入っていくのは難しいイメージがあるけれど、舟橋村では違いました」。子どもを持つ同世代の親たちが集まって暮らしながら、個人間で互いの子どもを世話し合う空気ができていた。
「この考え方は、『子育て共助』と呼ばれています。移住して間もなかった私たちも、子どもの親として人々とつながることができた」。多くの人が、子どもを軸にした暮らしを営んでいる。
村には、小中学校に幼稚園・保育園のほか、「子育て支援センター」と呼ばれる施設がある。ここでは保育スタッフに育児についての相談ができるほか、他の子育て世代との交流もできる。そして、重要なのは後者だという。
「ただ、教育サービスを受けるわけじゃない。生後半年の子がいるお母さんが困っていたら、四歳の子を持つお母さんが相談に乗ってあげたりするんです。自分も村の一員として、他の世帯の子育てを手助けしていく意識がある」
それだけ子育て世代に優しい土地でありながら、村では特に目立った「支援制度」はないのだという。「移住者への補助金とか、子育て世代への補助とか、そういう制度がイメージされがちでしょう。でも、特筆すべきものはない」と岡山さん。意外なことに、彼らにとって、制度がないことは安心を意味しているようだ。
「行政が変われば、制度も変わる可能性がある。でも小さな村の人たちが受け継いできた『舟橋村は子育てを大事にする』というアイデンティティは、そう簡単に変わらない」。以前、はじめて村のこども園(幼稚園・保育園が一体となった施設)が定員オーバーとなった。待機児童が出ると思われたその時、隣接する小学生向けの学童保育施設は部屋とスタッフを保育のために割き、多くの児童を受け入れた。
「こういう迅速な動きができるのも、小さな村ならではだと思うんです。村のサイズ感も、子育て世代を守るのにちょうどいい」
(続きはTURNS vol.41本誌で)
文… 乾 隼人 写真…小林 直博