岩手県沿岸最北の町、洋野町(ひろのちょう)。2006年に種市町と大野村が合併し、新しい町名と共に誕生した。ここは野心的な起業家たちが集結する町でも、ITの先進地でもない。しかし、人口約16,000人のこの町に、2021年度は新卒を含む4名もの20代が関東圏から移住し働いている。
この渦をつくり出しているのは一般社団法人fumoto。「地域から何かを生み出したい。チャレンジする人の土台になろう」との思いから、地域おこし協力隊OBである大原圭太郎さんが立ち上げた。洋野町の地域おこし協力隊や移住希望者たちの窓口となっている。
記事の後編である今回は、この町に移住してきた新卒の20代3名のインタビューと、東京でキャリアを積んだ後に移住したデザイナーのエピソードをご紹介する。
水産業の未来のために、広く地域を知ることから始める
2021年3月に宮崎大学の海洋生物環境学科を卒業し、4月から地域おこし協力隊として洋野町に来た渋谷風雅さん。大学3年の時、就活の一環で “復興創生インターンシップ” に参加したことをきっかけに、洋野町にある水産加工のベンチャー企業『北三陸ファクトリー』に関わりができ、地域振興に興味が湧いた。内定していた東京の会社と迷った末、洋野町の地域おこし協力隊になることを選んだ。
ビジョンに強く共感している北三陸ファクトリーへ就職する道もあったが、まずは広く地域を知りたい。かつ、任期終了後のキャリアも考え、北三陸ファクトリーとの関係も築きながら地域の水産業の課題解決に関わることができる道として、地域おこし協力隊として洋野に入ることを決断。その受け入れ窓口となったのが、fumotoである。
協力隊としての渋谷さんの活動は、水産振興事業推進員として『洋野町の水産業を元気にする』こと。洋野町の漁業はほかの漁村地域と同じように、高齢化による担い手不足と漁獲量の減少が課題である。稼げないために漁師を志す息子や若手に継がせにくい状況に陥っている。地球温暖化で海水の温度も上がり、漁場の生態系も変化しつつある。
こうした課題を打破するために、まずは漁業従事者の収入を上げ、その先に漁業者を増やすことができたら、と渋谷さんは考えている。そのために、漁師が漁に出ながら副業として名産品のウニを養殖し収入の安定する仕組みづくりをしている。また、漁師が水産物を消費者に直接販売できる場をつくり、漁師のモチベーションを上げるなど、新たな試みを構想中だ。
さらには、洋野町の水産業の可能性を町内外に知ってもらい、漁業に関わる人材を増やすための情報誌の作成にも取り組んでいる。
水産業の未来を担うため活動する、笑顔が素敵な渋谷風雅さん
「僕は “誰のために働くか” が大切で、誰かに感謝される仕事をしたい。何かを得る代わりに、何かを与えられるようにしたい。課題は自分の力不足。今は地域の方々に与えていただいてばかりですが、恩返しできるようにしたい。
地域に関心を持ったなら、まずは1日だけ手伝いに来るなど小さな関わり方もある。それが心地よければ、地域にもう一歩入り込むのもいいかもしれない。自分なりの関わり方をすることが大切だと思う」(渋谷さん)
地域には課題も多いが、それだけやりがいも大きいと、笑顔で語ってくれた。
▼洋野町で生きる人々を紹介するメディア「ひろのの栞」に掲載されている水産業関連の記事はこちら
地域の人が持続的に楽しんでいけるまちを目指して
2021年4月にfumotoに入社し、洋野町へ移住した新卒の千葉桃子さんは、ご両親が岩手県奥州市のご出身。祖父母もいる岩手には年末年始などに幼少期から訪れていた。
千葉さんが地域活性に興味を持ったのは、中学生の頃、NHK朝の連続テレビ小説で放映されていた『あまちゃん』がきっかけだ。舞台がなじみのある北三陸で、放映当時は観光客で賑わっていたが、2016年頃から観光客が如実に減っていくのを目の当たりにし、一時的な賑わいではなく、住民が持続的に地域を楽しくしていくにはどうしたらいいのか。それをテーマに千葉さんは大学を選び、まちづくりを学んだ。そして、大学で地域活性を学んでいくうちに「将来は東北で働きたい」と思うようになった。
就職活動中の大学3年生のとき、『日本仕事百貨』を見ていると、1枚の美しい海の写真が強烈に印象に残った。場所を調べると、あまちゃんの舞台の隣町である洋野町だった。地域活性を学んだ同級生たちが「スキルもないまま地域へ行っても何もできないから」と東京の会社へ入社する中、千葉さんはその海の写真を掲載していた洋野町の会社 fumoto を選んだ。
千葉さんが惚れ込んだ洋野町の風景
千葉さんのfumoto社員としての主な活動は、”洋野町の関係人口を増やすこと” だ。メディア『ひろのの栞』やSNSの運営をはじめ、月に1回はオンラインでイベントを開催し、大野木工やウニ、地ワインなど多様な切り口から洋野町の魅力を発信している。また、2021年8月からは、メディアから派生した洋野町の関係案内所『スタンド栞』を拠点に、オンラインも併用して移住相談なども受け付けている。
そのほか、千葉さん個人の活動として、洋野町の種市高校で探究学習のコーディネートもしている。プロボノ人材と一緒に高校の魅力化について考えたり、他地域の高校生とオンラインで交流を行うなど、高校生の学びをサポートするのが主な役割だ。また、地域との関わり方を学べるプログラム『さとのば大学』の半年コースを受講し、他地域の地域づくりについて学んだり、プロジェクトをつくって地域での実践にも取り組んでいる。さらに、関係人口として地域に関わる側の気持ちを理解したいと、岩手県葛巻町の副業講座にも参加したりと、多方面で活動中だ。
「新卒だと企業では難しいチャレンジも、洋野町では役場や学校の方が “何でもやってみな!” とサポートしてくれる。コロナ後の地域との関わりは、オンラインと関係人口が鍵だと思います。出会いの多様性が狭まらないように、オンラインでいろんな人や地域とも関わり続けていきたいし、洋野町のことも知ってもらえたら嬉しい。
移住となるとひとつの地域になってしまうけど、関係人口ならたくさんの地域に関わることができるのがいいところだと思います。オンラインで出会った人にリアルで会いに行きたくなったりするからこそ、地域活性には場所や施設以上に “人” が大事だと思います」(千葉さん)
洋野町に興味を持ってもらい洋野町の関係人口になってくれる人がひとりでも増えたらと、千葉さんは洋野町の入り口づくりに奮闘中だ。
▼メディア「ひろのの栞」に掲載されている、千葉さんが企画したイベント関連記事はこちらから
この町の歴史を次世代へ残すために
2021年4月から洋野町の地域おこし協力隊として新卒で移住してきた梅林寺梨音さんは、大学で歴史学科を専攻。卒業後も地域地誌学や民俗学を探求したいと、洋野町でも歴史を通じた地域貢献事業推進をミッションに活動している。具体的には、洋野町の歴史や神社などの行事を記録したり、メディア『ひろのの栞』が主催するイベント「歴史と自然をめぐるオンライントリップ」では、カメラで撮影した映像とともに洋野町の案内役を担っている。
協力隊に着任する時、役場の人から「洋野にはそんなに歴史がない」と言われたが、梅林寺さんにはそうは思えなかった。江戸時代に洋野町の沿岸部に100匹を超える鯨が打ち上がったことがある。度重なる飢饉に見舞われてきたこの地方の人々は、鯨の肉を近隣の町に売り、生活をつなぐことができたことから『鯨州(くじらす)神社』を建立してお祀りしたと伝えられている。地域に根付いたこのような物語が梅林寺さんには興味深くてならないのだ。
「一般的な小説とは違い、民話や民俗学の面白さは、当時の人々の暮らしや感じていたことが飾らない形で反映されている所」と楽しそうと梅林寺さんは話す。
しかし、大学卒業後の進路として、なぜ洋野町の地域おこし協力隊を選んだのだろう。
「就活で東京のいろんな企業を受けましたが、そもそも満員電車に乗るストレスが自分には辛すぎると感じました。同級生で地方移住を選ぶ子もいて、何とかなる気がした。学生時代から東北が好きでよく遊びに行っていましたが、その中でも洋野町を選んだのは、”企画提案型” の地域おこし協力隊という選択肢があったから。役場だけではなく、fumotoという受け入れ先もあり、全体的に柔軟な気風があるなと感じました。
地方の一般企業に就職する道もありましたが、いきなり移住となるとお金もなく難しい。協力隊なら生活面でもサポートがあり、特にfumotoは若い人や先輩も多く移住へのハードルが低かった」(梅林寺さん)
オンラインイベントで楽しそうに洋野町の歴史を語る梅林寺さん(写真右)
梅林寺さんは今、洋野町の歴史マップを作成中だ。自転車や徒歩でじっくりと町を回遊できるマップで、観光客はもちろん学校などでも使用してもらい、若い世代がこの町をもっと知ってくれたらと願っている。
「苦労しているのは、資料があまり残っていないこと。それがいつ始まりどうやって受け継がれているのか残さないと消えてしまうし、それは寂しいこと。もし行事などが絶えても資料があればいつか復活できる。1年目はインプットだけで精一杯だったので、2年目からはどんどんアウトプットしていきたい。3年目には洋野町の昔話を絵本にしたいと考えています」(梅林寺さん)
洋野町の歩んできた物語を次の世代にも繋げていくため、梅林寺さんの探求は続く。
▼メディア「ひろのの栞」に掲載されている、梅林寺さんの歴史さんぽの記事はこちら
まずは小さな関わりから。
自分なりの地域との関わり方を試してみよう。
23歳の3人の選択の理由はそれぞれ違う。しかし共通しているのは、洋野町には彼らが「好き」を原動力に自分らしく活躍できる余白と、自分の行った活動が町の未来をつくっていく確かな手応えがある点だ。
働き方や暮らし方の価値観が大きく変わりつつある今、洋野町を選んだ彼らから「新たな地域で生きる」ことへの可能性を感じた。
「ひろのとつながるみなさまへ」の冊子写真
『ひろのの栞』では今、メールマガジンの無料購読者を募集中だ。これから新しい活動が多発していきそうなこの町の最新情報を毎月お届けしている。これまでこのメディアに綴ってきた町の人々の物語をまとめた冊子は、岩手ADC Competitiona&Award 2021で審査員特別賞も受賞した。
この冊子をデザインしたのは、大原さんと知り合ったことをきっかけに東京から移住したデザイナーだ。デザインの力で地域の価値やシビックプライドを高めることに大きく貢献している一方で、デザイナー自身は「よく見せるために地域の一部を切り取ってデザインすることはしたくない。できるだけありのままを見せるようにしている」と言う。その精神は『ひろのの栞』も同じだ。地域を消費させない丁寧な情報発信とコミュニケーションを大切にしている。
地域に根づく関わり方もあれば、気軽に移住してまた旅立つ関わり方もあり、その両方の選択肢がある洋野町。冒頭で協力隊の渋谷さんが述べたように「まずは小さな関わりから始めて、それが心地良ければ次に進んでみる」ことで、さまざまな地域とのつながりと同時に生き方の可能性も広がっていくのかもしれない。
(文:森田マイコ 写真提供:一般社団法人fumoto)
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【岩手県洋野町】
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