コロナ禍がもたらした、働く場所も、住む場所も問わない時代。日本各地に多彩な「地域」がある中で、今、自分があえて関係を持ちたい地域とはどんな所だろうか。自然が豊か、食べ物が美味い、人が良い…そこから私たちはもう少し、個別の地域と、自分自身が求めるものの解像度を上げる必要がありそうだ。
今回紹介する岩手県洋野町(ひろのちょう)は、野心的な起業家たちが集結する町でも、ITの先進地でもない。しかし、人口約16,000人のこの町に、2021年度は新卒の20代が4名も関東圏から移住し働いている。この動きの中心にあるのが一般社団法人fumotoだ。地域おこし協力隊OBである大原圭太郎さんが立ち上げたこの団体の取り組みに注目し、最近は複数の自治体が視察に訪れるようになった。
今回の記事では、前編でfumotoの活動と背景にある大原さんの想いを、後編では洋野町に移住した20代の若者たちへのインタビューをお届けする。
希望の火を灯し続けた海の町
岩手県沿岸最北の町、洋野町。2006年に種市町と大野村が合併し、新しい町名と共に誕生した。青森県との県境にあり八戸市も近く、東北新幹線を使えば東京から約4時間で到着する。
三陸地域に比べれば、海岸線はなだらかで鉄道が海の際を走り、白い砂浜には良い波が打ち寄せ、北東北屈指のサーフスポットとなっている。久慈平岳から続く高原が広がり、美しい星を眺められる天文台もあり、小さな町でありながら海も山も楽しめる場所だ。主な産業は農業、水産業、酪農や畜産などの1次産業で、木工や裂き織りなどの工芸もいまなお息づいている。
東日本大震災では、津波で甚大な被害を受けたものの、過去の教訓を活かし日頃の訓練や注意喚起のおかげもあって人的被害を奇跡的に免れたため、復興にいち早く着手できた。来る日も来る日も沿岸に打ち寄せられるゴミを町民が懸命に拾うところから始め、同年7月には本州有数の水揚げを誇る名産品ウニの販売再開にこぎつけた。当時の町長が「洋野町から元気を発信しよう!」と掛け声をかけ、漁獲量は少なかったがウニまつりも開催し、東北に小さな希望の火を灯し続けてきた町である。
地域から新しいものを生み出すために
大原さんが地域おこし協力隊に着任して洋野町へやって来たのは、2016年10月。町の雰囲気が、幼い頃からよく訪れていた祖父母の家のある気仙沼に似ていて、なんだか懐かしかったという。
fumotoの代表である大原圭太郎さん
仙台出身で、服飾の専門学校を卒業後、仙台や東京でアパレルに勤めていた大原さん。東日本大震災をきっかけに「地域から新しいものを生み出したい」と思うようになり、仲間と洋服のブランドを立ち上げた。
しかし事業に取り組むうちに、世の中にこれだけ洋服があふれている中で、なぜ自分がさらに洋服をつくる必要があるのだろうか、と疑問が湧いた。自分がしたかったのは洋服づくりではなく、”地域で何かを生み出すこと” だという原点に立ち返った大原さんは、奥さんの実家のある洋野町で地域おこし協力隊の募集があることを知り応募。洋野町の観光を盛り上げるミッションを担い、着任した。
チャレンジする人の土台となるfumotoを設立
大原さんは任期中に、洋野町観光協会のウェブサイトを制作し、移住促進やPRのイベントを開催して情報を発信したり、洋野町でのトライアルツアーを実施したりと尽力した。町としては将来的には観光協会を独立させたいとの考えがあったが、大原さんの3年間の任期内では観光協会単独で採算ベースに持っていくのは難しそうだった。一方で、任期満了後は独力で仕事をつくり、稼いでいかなくてはならない。
現地で開催した体験ツアーの様子
協力隊の任期中に、大原さんは次のような課題を感じていた。
小さな町では観光や移住促進などの事業の大部分を行政が担う場合が多いが、それゆえの限界もある。例えばSNSの運用や広告はもっと積極的に行いたいし、洋野町を想う多彩なメンバーがチームで動ける体制を取りたい。そんな時、大原さんは民間の事業者が地域おこし協力隊の制度を活用して、メンバーの採用やマネジメントを行なっている事例を知る。同じ岩手県内の遠野市でこれを行なっていたNext Commons Labをはじめ、全国のいくつかの自治体で民間業者へ地域おこし協力隊の運用を委託しているケースがあった。
大原さん(写真右)を協力隊時代からサポートしてくれた洋野町役場の高橋係長(写真左)
大原さんは視察と研究を重ねた末、洋野町に最もフィットする形で地域おこし協力隊の募集、マネジメント、独立へ向けての支援を行う事業を構想し、町へ提案した。洋野町にとっては大きな挑戦であるこの提案に対して当然異論もあったが、最後は大原さんを見守ってきた企画課の高橋係長の力強い後押しもあり、事業プランが認められた。
こうして大原さんは洋野町の地域おこし協力隊の募集と運用、独立支援を請け負う一般社団法人を、任期が終わる2019年9月に設立。その名を『fumoto』とつけた。”チャレンジする人の土台になる” という意味を込めて。
協力隊応募者が5倍に増えた
大原さんはfumotoを設立してすぐ、町から委託された2020年度の地域おこし協力隊の募集に取り掛かった。メンバーが集まらなければ事業自体が破綻するので真剣だ。東京にいた時にも好きでよく見ていたメディア『日本仕事百貨』に求人掲載をし、岩手県が東京で開催する移住イベントでも洋野町をアピール。現地視察に来た人には、大原さん自ら丁寧に一人一人を案内をした。
その結果、2020年4月に3名、6月に1名が洋野町の地域おこし協力隊に就任。それでも採算はギリギリだ。2021年の1月にさらに3名、4月に3名が加わり、ようやく事業として回せるようになった。これまで年間2名程だった応募者がここまで増えたことは、fumotoの活動の成果と言える。
自分の生きた足跡が、未来の町のピースになっていく
現在、洋野町では全部で16名の地域おこし協力隊が活躍している。そのうち、行政に所属し第3セクターの施設などで活動しているメンバーが6名、そしてfumotoに所属しているメンバーが10名だ。この10名は、大原さんが1人1人オンライン等で面談し、それぞれのやりたいことをじっくり聞いて、協力隊としての活動企画を一緒に考えたり、ブラッシュアップしたりして応募に至っている。
関東圏からのIターンや近隣の町から移住してきたメンバーは、デザイナー、木工、空き家活用、歴史や民俗学の調査と発信、持続可能な水産業の研究開発など、活動内容も多岐に渡り、20代から50代まで年代もバラバラだ。
「東北でも有名な釜石市や陸前高田などには、震災直後から大勢の人が入って復興支援をしていたので、プレイヤーが多いという印象があります。それに比べて洋野町にはまだまだプレイヤーが少なく、自分のやりたいことを形にできる余白がたっぷりある。fumotoを活用することで、行政に所属せずに主体的に活動できる自由度がありながら、支援も受けられるのが大きなメリットに感じてもらえたら嬉しいですね」(大原さん)
海辺の小さな町で、自分の生きたい人生を、地域の資源や課題と重ね合わせ、支援を受けながら1からつくってみる。派手さよりも、大きさよりも、スピードよりも、自分自身が大切にしたいものを真ん中に置いてじっくり取り組む。そして自分の営みの跡が、そのままこの町のカルチャーや未来をつくる欠かせないピースになっていく。洋野町の魅力とは、そういうものかもしれない。
洋野町に生きる人々を描くメディア『ひろのの栞』
fumotoの事業の一つに『ひろのの栞( https://hirono-shiori.jp/ )』というメディアの運営がある。町の関係人口を増やすため、2021年3月に開設したウェブサイトだ。記事の取材の立ち会いや写真撮影も行なっている大原さんには、伝えたいことがある。
「いわゆる観光情報のような一般的な情報よりも、この町でどういう人が、どういう思いで活動したり、暮らしたりしているのかを届けたい。それによって洋野町の輪郭が見えてくるといいなと思っています。元々は町から委託されている関係人口づくりのための3年間のプロジェクトですが、長く残っていくメディアにしたいです」(大原さん)
“お気に入りのページにそっと挟む栞のように。いつか洋野町を訪れる人のための、道しるべとなるように。”
そんな想いで運営されている『ひろのの栞』には、大原さんをはじめ、fumotoの若き社員たちが見つめる洋野町の人々の暮らしや生き様が、リアリティを伴って丁寧に書き綴られている。読んでいるうちに、洋野町の人々が近所の顔なじみのおじさんや親戚のおばさんみたいに思えてきて、心に何か温かいものがきざしてくる。
協力隊とおこなった“ひろのの栞“オンラインイベントの様子
現在、『ひろのの栞』の編集を担っているのは、2021年4月に新卒で関東から移住してきた20代のfumoto社員の2名。人手としてはあと1人か2人、関わってくれるスタッフがほしいところだが、「このメディアが大切にしたいことを理解してくれる人であってほしい」と大原さんは言う。
出会いと交流が生まれる場所『スタンド栞』がオープン
観光案内所も兼ねる「スタンド栞」。奥にはfumotoの事務所も。移住相談や協力隊メンバーとの打ち合わせもこの場所で行っている
また、同年8月には、『ひろのの栞』が空間として立ち上がった『スタンド栞』がオープンした。町にあった空き店舗を活用し、大原さん自身も塗装などのDIYをしてリノベーション。fumotoの事務所に併設する形で、洋野を訪れる人を迎える案内所としても稼働している。
ゆくゆくは地域の人も集まるコミュニティスペースにもしていく予定で、2022年の年明けには、町での認知を高めるため、『ひろのの栞』で紡いできた記事をポスターや印刷物にして展示を行った。
2022年1月にスタンド栞で開始した「ひろのの栞」展には町の人たちが訪れ、新たな視線で洋野町を見つめていた
そう、ここからなのだ。
洋野町はまさに今、始まろうとしている。町が面白くなる気配、新しい活動がこれから多発していきそうな気配が、春の芽吹きのようにあちらこちらに潜んでいる。商業施設や商店が並ぶ都市にはない “始まりの予感” こそ、洋野町の強い魅力だ。
これからこの町でどんな活動が育まれていくのか。興味を惹かれたなら、まずは『ひろのの栞』のメールマガジンを受け取ってみよう。関係はここから始まっていく。メールの向こう側には、大原さんやfumotoのメンバーがいる。彼らに会いにいくことが、洋野町への最初の旅の目的になってもいいのだから。
(文:森田マイコ 写真提供:一般社団法人fumoto)
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後編では、洋野町に移住した20代の若者たちのインタビューをお届けします。
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【岩手県洋野町】
本を読むように、ひろのの暮らしと人をもっと知る
『ひろのの栞』