若者が育む新潟の未来

新潟県×東京都 [Flags Niigata]

上手に東京を離れよう。上手に新潟に近づこう。
コロナ禍に生まれた若者のコミュニティFlags Niigata

オンラインとオフラインを横断し、
今、新潟で新しい一歩が踏み出される

東京にいる僕らが新潟のためにできることってなんだろう……。新型コロナウイルスが猛威を奮い全国に緊急事態宣言が出された二〇二〇年五月、東京と新潟をつなぐ若者のコミュニティ、Flags Niigataは発足した。

メンバーは二十代から三十代の首都圏に住む新潟県出身者、あるいは県内在住者などの新潟にゆかりのある若者で、その数は十月末現在で五百六十人にのぼる。コミュニケーションツールとしてslackを活用し、参加者に情報交換や交流の場を提供。

『上手に東京を離れよう。上手に新潟に近づこう。』というメッセージを掲げて新潟との関わり方を探っている。

 

Flags Niigataは
コロナ禍の孤独から生まれた

「東京にいながら新潟とどうつながれるか。Flags Niigataは孤独や寂しさから生まれました」と、代表の後藤寛勝さんは発足時を振り返る。

新型コロナウイルスの影響で在宅勤務となり自宅にこもる自粛の日々。地元に還元したいという気持ちから始めたはずの地域に関する仕事だったが「東京にいて新潟のためにできることがひとつもない」ことに気付かされた。苦境の飲食店や商店を応援したくとも食べに行くことも買いに行くこともできない。地元へ帰ることができない状況でいかに新潟を支援するか、その問いに対するひとつの答えがオンライン上のコミュニティ、Flags Niigataだった。

「新潟の企画やプロジェクトを続々と生み出せるような前向きなチーム、コミュニティを作りたい」と友人に声をかけて十五人のメンバーから始まったFlags Niigataはローンチから一ヶ月半で約三百五十人にまで広がっていた。「東京の人たちはUターンとか移住、仕事というかたちで新潟に関わるのは難しいけれど、何か関われるプロジェクトがあるなら是非やりたいっていう人が多かったですね。新潟の人たちも東京の人たちがそんな思いをもっていたんだって喜んでくれていると感じました」

Flags Niigataでまず立ち上がったのはコロナ禍の新潟を支援する三つのプロジェクトだった。ひとつは県内の飲食店に先払いが可能な『新潟エールチケット』の発券。家族で出かけたレストランに大学時代よく通った居酒屋、帰省の度に親しい店員に会いに訪れるカフェなど、様々な飲食店が対象となった。東京に住むメンバーの失くしたくない思い出の味を守りたいというアイデアを、新潟のメンバーが飲食店を一軒一軒回って協力を取り付けることで実現した。

ふたつ目はインターネット上で買うことができる新潟県産の食材や日用品を紹介する『ステイホーム with 新潟』。そしてもうひとつが『新潟オンライン酒場』の開催だ。月に二回、定期的に開催されるZoom上でのオンライン飲み会で参加者が交流を深める。新潟の酒やつまみを持ち寄り地元談義に花を咲かせる。「この時間にここに来れば新潟出身の誰かが必ずお酒を飲んでいるからおいでくださいという場所。どんなに寂しくても絶対に味方がいるからっていう場所を作りたかったんです」。そしてこの『新潟オンライン酒場』での雑談からさらなるプロジェクトが現在進行形で生まれている。

 

地域の寄合所と
思いをかたちにするプラットフォーム

コロナ禍、新潟への想いから生まれたFlags Niigata。後藤さんはこのコミュニティに二つの機能を期待しているという。

ひとつは『オンラインとオフラインを横断する地域の寄合所』になることだ。「若い世代は地域に興味ないとか地域活動に参加しないとか言われているけれど、全くそんなことはないと思うんです。新潟が好きだっていう気持ちでこんなにもたくさんの人が集まって、それで繋がりあって頼り合える場所、地域の寄合所になってくれれば。東京からでもこれだけ広がって、僕自身が帰りたいなと思わせてくれる人にたくさん出会えてすごい救われました」。

もうひとつは『やりたいことを具現化するプラットフォーム』になること。多様な人が集うコミュニティである利点を生かし、メンバー同士が繋がり協力することで企画を生み出すことができるという。今年、中止になった長岡花火大会が開催されるはずだった日時に過去の写真をSNS上にアップする『長岡思い出花火2020』や、メンバーの知りたいテーマについてゲスト講師を招いて開くオンライン講座『新潟おむすびの会』など、既にかたちになっている例も少なくない。

 

聴くだけで参加できるBSNラジオ『のための会議』

二〇二〇年十月、新潟で知らない人はいない老舗のBSNラジオでFlags Niigataの『のための会議』の放送が始まった。毎回テーマを設けて新しい新潟のための作戦会議を行う番組だ。代表の後藤寛勝さんがMCを務め、東京在住のメンバーもZoomで参加。新潟に暮らす漫画エッセイストやゲストハウスオーナーなど多彩なゲストを迎え、総勢十五人ほどが同時に出演する。

初回のテーマは『新潟もっとこうだったらいいのに』、そして続く二回目は『心地よくUターンできる新潟のための会議』だ。「新潟にいつか帰りたいと思っているけれどそのタイミングを決められない」と悩む東京在住者に「給料は東京の方が良いのは確かだけれど新潟の方が断然良い」と話すUターン経験者、そして「Uターン施策やUターンしてきた人に県民はどうやって関われるのか」と考える県内在住者。中には「東京から地元の上越に戻り就職したがコロナで派遣契約が打ち切られ再度東京に戻った」という切実な声も寄せられ、若者が等身大で経験する新潟のリアルが浮き彫りとなる。

番組テーマソングもまた、同世代で上越市出身のスリーピースロックバンドだ。『My Hair is Bad』の『告白』の「若者はずっと悩んでいた」という歌詞も印象的に「力を合わせて今何ができるかを一緒に考えてみませんか? 今いるこの場所から僕らの新潟へ」というメッセージで五十五分間の番組は締められる。

 

老舗のBSN新潟放送
若者の真剣な熱意に打たれた

Flags Niigataの新たな挑戦『のための会議』は、BSN新潟放送にとってもこれまでにない新しい形式の番組となった。素人ともいえる若者のグループが企画構成から担い、複数人とZoomを繋げたまま全員参加で番組は進行する。番組プロデューサーの吉井秀之さんは、Flags Niigataがコロナ禍に生まれたコミュニティであるように『のための会議』もまたコロナ禍だからこそ生まれた番組だと話す。「まずは話だけでも聞いてみようと聞いてみたら、思った以上に真面目で真剣だった。コロナの状況で今の若者は色々考えることがあるんだなと感じました。放送局も大変だけれども彼らも色々な岐路に立っているんだなと。BSNラジオは老舗でどちらかというと聞いている人は中高年が多い。自分たち若者が考えていることをもっと年配の人たちにもわかってほしいからこそBSNラジオを選んだのだと知って、その思いに応えたかったですね」。
初々しさの残るトークで番組を進める後藤さんは「新潟の人に会いたい、行きたいを最大限に高められるのがラジオだと考えました。聴くだけで参加できる、より多くの人を巻き込んでいく番組にしたい」と意欲的だ。

そして番組の進行に欠かせないのが東京からZoomで参加する安部茜さんの存在だ。番組に寄せられたメッセージを紹介し、Zoom参加による他の出演者からも適切に意見を聞き出していく。「私は大学から新潟を出て今は東京に住んでいますが、でもずっと新潟のことは好きなんです。ラジオでは、関東にいる人でも新潟はこうしてみたらいいんじゃないかと意見して、柔軟な新潟への貢献の形を探れるところが面白いなって。ラジオを聞いた地元の同級生から連絡があって、茜たちが頑張っていることを自分も一緒にやってみたいと思ったよと言ってもらえて嬉しかったです」。

『のための会議』が目指すところは議論のその先にあると吉井さんは語る。「議論して終わりではなくみんなで考えて何か動き出してほしい。大きなことはできないかもしれないけれどこの番組を通じて橋渡しみたいなことができたらいいですよね。番組が〝繋がる〟ためのプラットフォームになれれば」と、若い世代に向ける眼差しは温かい。

 

オンラインからオフラインへ動き出した新潟

快晴となった十一月某日、信濃川の遊歩道にひとりまたひとりとFlags Niigataのメンバーが集まった。「元々Flags Niigataに知り合いっていましたか?」「メンバーと会うのは初めてです!」「仲間がいるんだって感じてすごく嬉しかった」。初対面のぎこちなさは数分で吹き飛び、自然と旧知の仲の談笑に変わっていた。『新潟オンライン酒場』や『のための会議』を通してすでに交友関係が築かれている様子がうかがえる。

河原最初はテレビで見て若い知り合いがほしいなと参加したんです。軽い気持ちで入ったのに、ラジオが始まったりオリジナルの日本酒を作ろうとなったり。どんどん企画が膨らんでいるので一緒に楽しんで行けたらいいなと思っています。

佐藤企画が増えていってるのも楽しみだなと思うんですが、本当にメンバーの人数も増えていて。普段なら出会えない人と出会えるっていうところが魅力です。色々な人との繋がりができるきっかけの場所でありたいです。

金谷僕は新潟のためになる仕事をやりたいと考えて、勤めていた東京から新潟に戻ってきました。Flags Niigataに参加したのは最近ですが、出演したラジオの収録が強く印象に残っています。新潟に思いをもっている方が集まってくれて、仲間がいるんだと感じて嬉しかったです。

Flags Niigataでは新し屋酒店の塚本聖太さんを中心にオリジナルの日本酒を造るプロジェクトが始動している。佐渡の北雪酒造の協力を得て、若者が自らの言葉で語り発信できる日本酒の製造を目指している。

塚本僕も新潟をよくしたいという思いはあったんですけれど、高校を卒業してから九年間新潟にいなかったので地元で活動している人たちをそもそも知らなかった。その中で新潟をよくしていこうと思っている同年代に会えて嬉しいです。僕の職業は専門的な仕事ですが、それでも何かひとつでも貢献できることがあれば実現させたいです。

源川地域起こしの話になると、新潟にはあれがないこれがないとか悪いダメ出しで終わっちゃうことが結構ある中で、具体的なアクションにつながって、お酒や製品が生まれるっていうはっきりとした一歩があるのがいいですよね。最初は、都市部にいる人たちもアイデアを出して新潟にいる人たちがアクションを起こしてっていう話に、その具体的なアクションを起こす新潟の人って誰だろうと思っていたんです。一方で実際にオフラインで顔を合わせてアクションを起こせれば確かな手応えがもてると期待していました。そんな中でラジオが始まって、企画も始動して、こうやってひとつひとつが形になっていくのかなって。

後藤地元の友達以外でも声を掛ければこうやって集まってくれる。初めましてでも既にFlags Niigataでつながっているからこんにちはってなって、このままご飯を食べにいってもいいしみたいな関係。長く帰れていなかったのに帰る場所がいっぱいあるんだっていう安心感。僕は下越の出身なんで、上中越や佐渡はあまり知らないんですけれど、会いたい人や行きたい場所がずっと自然と増え続けているんです。やりたいことを認め助けてくれる人はたくさんいて、新潟がそれを受けとめてくれる。もっと声を出していければなと思いを強くしましたね。僕も声を出せない時はあるけれど……。みんなやりたいことが見つかった時にそれを一緒に紡いで具体化できるプラットフォームでありたいです。

日本酒造りのほかにも『新潟オンライン酒場』や『のための会議』で出されたアイデアや意見がプロジェクトとなり、具体化に向けて着々と動き出している。新潟の人に会いに行くツアーや空き家の利活用などこれからも目が離せない。ふるさとへの想いと人の繋がりから芽生えた新潟の未来を、今、若い世代が育もうとしている。

 

編集…宮部 誠二郎 取材・文…中村 早紀 写真…内藤 雅子

                   

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