いま埼玉で起きている、田舎ぐらしの可能性
埼玉を巡る旅の様子と、そこで出会った人々をご紹介していくTURNSツアーレポートの後編。
1日目に訪れた飯能市や奥武蔵の方々の活動を通して、埼玉は思ったよりも自然に溢れていて、都会的な部分がある一方で田舎の要素がたくさんあると感じた。そのバランスの良さを生かした暮らし方ができるのが、何より埼玉の魅力なのかもしれない。
そんなことを思いながら、秩父の宿で現地ゲストたちとの交流を楽しみ、2日目にまわる秩父の森に期待を膨らませて迎えた朝。息が白くなるほどに空気は冷たかったが、山々はちょうど色づき始めていて、紅葉も楽しみながら、バスは秩父の中でも奥側にあたる荒川の上流へと向かった。
次世代へ繋いでいく、秩父の森から生まれる循環
夜の懇親会に参加してくれた井原愛子さんと、その井原さんがUターンするきっかけとなった秩父メープルの仕掛け人、”NPO法人秩父百年の森“副理事長の島崎武重郎さんもバスに乗車し、賑やかにバスは進んでいった。
「愛ちゃん(井原さん)には、今でも戻ってくるには早すぎてるって言っていますよ。まだまだ秩父メープルだけでは食べていける仕事にはできていないからね。
でも、会社を辞めてこうして戻ってきちゃったから、責任も感じるし。どうにかしなきゃと思って、みんなを奮闘させてくれましたね。愛ちゃんはみんなのアイドルだから(笑)」(島崎さん)
そんな井原さんと島崎さんの微笑ましい会話から始まり、島崎さんがなぜ秩父の森で活動を始めることになったのか、秩父のまちや歴史も交えて様々な話をしてくれた。
「もともと秩父の大滝村は、鉱山で栄え、金・鉄などが多くとれた場所。その昔は、人で賑わい、埼玉県で初めてスーパーができたのも秩父だったんです。次々に山は切り開かれて、森には杉や檜のような木材として使いやすい人工林が植えられていきました。
今の日本の森は、戦後の急成長の中で植えられた人工林が40%です。みんな50〜60年が経って、今が一番切りどきなんです。だけど、同じく戦後、輸入材におされ国産の木は売れなくなった。使い道がないんだよね。 山の持ち主たちもそんな安い値で売られるなら、もうちょい待とうかなって。だから、切られずにそのままになっている森が多くなっています。」(島崎さん)
山遊びや川釣りが趣味だったという島崎さんは、学生時代から森に入り続けている。だからこそ、少しずつ森が変化していることに気づき始めたという。
「川魚も森の生態と深く関係していて。あるとき、いつも釣っていた魚がいなくなっていることに気づいたんです。それで森を見てみたら、明らかに昔とは様子が違っていた。このままだと自分が今楽しんでいる川釣りは、今の子供達が大きくなった頃にはできなくなっているかもしれない。
そのとき、このままじゃいけないって思いました。」
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大滝温泉から少しいったところにある森に到着した。バスを降りて、色づき始めた紅葉と荒川を眺めながら進んでいくと、道路のすぐ脇には杉が立ち並んでいた。まさに、バスで説明していた切りどきの森だよと教えてくれる。
「この辺りの森では、やっと少しずつ秩父メープルのおかげで循環ができるようになってきて、カエデの樹液で得た収益や補助金を使って杉を伐採し、森を管理できるようにしています。杉の木々のあいだに、カエデも植林し始めてますよ。」
※秩父メープルの仕掛け人である、NPO法人秩父百年の森・副理事長の島崎武重郎さん
そう言いながら、これまで秩父の森を管理してきた大事な調査データを見せてくれた。島崎さんたちは、少しずつ森を調査してはデータ化して、木や森の状態をすべて管理できるように進めている。
「秩父の森には、日本にある28種類のカエデのうち21種類が自生しています。これは日本中みても珍しい環境で、ここにしかない貴重な資源なんです。現在、秩父の森では約400本のカエデから樹液を採取しています。1本1本GPSで管理して調査を進めているところです。
そもそもカエデの研究って全然進んでいなくて。カナダにはカエデの種類が1種類しかない。だから、研究ができなかったんです。でも、この秩父の森なら少なくとも21種のカエデがあるでしょう?まだまだ知られていないことがたくさんある。だから大学機関とも連携して、調査研究は進めています。」
こんな秩父の山奥で、最先端技術を駆使した研究が進められているとは思いもしなかった。
※島崎さんオリジナルのカエデについての資料
「最初に山のオーナーに調査をさせて欲しいといったときは、メープルシロップなんて作れるはずがないって言われましたよ。けどね、僕には絶対採れるってわかっていたから。自信もありましたし、何とか使わせてもらえないかと懇求して、許可してもらいました。
その代わり、カエデの樹液から作った収益は、山主にもちゃんと還元をしています。そのお金で森の管理をしてもらえれば、森が守られ、いい循環が生まれるんです。」
島崎さんは、これを “伐らない林業“ と呼んでいる。
「自分だけが関わるのではダメなんですよ。だって、森は何十年何百年単位で育っていくでしょ。今、僕がどんなに頑張っても、あと十数年できるかどうかです。だから、僕がいなくても繋がっていく関係性を作らなきゃいけない。それはお金の回り方もそうだし、次の世代にも続けていける仕組みづくりが大切なんです。そのために、一生懸命活動しています。まあ何より一番は、とにかく楽しいからなんだけどね。」
島崎さんは、森のオーナーでも林業者でもない。ただ、森でのあそびが大好きで、森のことを誰よりも良く見ている。そして、森が好きだからこそ、この森がなくなるのが嫌で、どうにかしたいと思っている。
井原さんは、そんな島崎さんだからこそ、惹かれたのかもしれないと話す。
「私が秩父メープルの活動に興味をもったのは、島崎さんたちのNPOが主催するエコツアーに参加したのがきっかけです。私は秩父が地元で、すぐ近くにずっと住んでいたんですけど、まさか秩父の森でこんな活動が行われていたなんて知らなくて。驚きばかりでしたね。」(井原さん)
「何より一番すごいなって思ったのは、いろんな人を巻き込んで、チームとしてこのプロジェクトを成立させていることでした。そもそもカエデの樹液って、採っただけではお金にならないんです。メープルシロップはかなり濃縮して水分を飛ばした状態です。カエデの樹液自体は、ほんのり甘さがあるかなくらいで、そのままでは商品にはならないんですよね。
島崎さんたちの活動の甲斐もあって、ある程度のまとまったカエデの樹液はとれるようになりましたが、それだけではお金にならない。そこで、その樹液を秩父観光土産品協同組合の方々に買い取ってもらうことにしたんです。この組合には、色々な業者さんが入っているので、この樹液をいかして様々な商品が生まれました。」(井原さん)
普通なら、自分でとったら自分で商品開発をしたくなるかもしれない。だけど、森を守っていくために連携できる仕組みを作ったのが島崎さんなんだと話す。
「自分一人のためじゃなくて、森全体のため、地域のために、みんなが役割分担をして、秩父メープルは支えられています。森をサポートするチーム・つくるチーム・売るチームがそれぞれ連携して、関わり合いながらコツコツと頑張っています。
だから、わたしもチームの一人になりたいなって。もっとこのプロジェクトを広げていきたい、誰かがやる前に私がその役目になりたいって思ったんです。」(井原さん)
井原さんは、秩父メープルの活動を知って数ヶ月後には横浜で勤めていた会社を辞めてこの地に戻った。そこから、秩父の森づくりを行うNPOや関係団体の活動に参加しながら勉強を重ね、2015年に『TAP&SAP』という屋号を立ち上げた。現在は、秩父の自然の恵みを生かした商品開発やエコツアーの企画、秩父メープルに関わるプロデュースなどを行っている。
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「ここは、樹液がとれる森の中でも一番アクセスの良い森です。普通は、傾斜の急な斜面にある森を登ったり降りたりを繰り返して、20lのタンクを担いで山を降りなきゃいけない。とても重労働ですよ。今はやっと連携できる仕組みができてきたけど、最初の3年間は全くのボランティアでした。やっと樹液が売れるところまで来ても、山主にお金を払って、みんなの人件費を払ったら、僕らの手元には何も残らなかった。
だけど、とにかく楽しくてね。それに、頑張って山に入って、何より味わえるカエデの樹液の美味しさといったら、何物にも変えられないごちそうなんだよ。あの味は、そのときにしか分からない。色んなカエデの味を試せるのも、僕らだけの特権だね。」(島崎さん)
島崎さんは、秩父メープルやカエデの話だけでなく、そこから繋がっている他の木々の特性や生態まで森に関わる様々な話をしてくれた。
「メグスリノキは、目にいいんじゃなくて肝臓にいいから目にも効くんだ。」「キハダはとても苦いけど胃に効くんだよ。『良薬口に苦し』という語源にもなっている木なんだ。」「この木はどっちを向いて立っているか分かる?」といった話まで。島崎さんの手にかかれば、森にあるものすべてが資源になる。
秩父メープルプロジェクトは、まだまだ始まったばかりだし、島崎さんが言っていたとおり、これだけで食べていけるほど楽な話ではない。だけど、島崎さんや井原さんをみていると、とても楽しんでいて、その原動力に人が集まっているように感じた。
森の中にいる島崎さんはとてもイキイキしている。
連鎖のなかで、自分にできることを見つける
昼食は秩父ファーマーズファクトリーの収穫祭へ伺った。秩父ファーマーズファクトリーは、自家生産・自社醸造できるワイナリーで秩父産ワインを製造している。この日は、年に一度のイベントとあって、近隣のお店や農家さんも出店しており、秩父の食を楽しみながら野外で食べる開放的なランチを堪能した。
そして旅の最後は、井原さんがプロデュースした日本初のシュガーハウス『MAPLE BASE』を訪れた。秩父ミューズパークという秩父市が管理をする公園の一角にあり、紅葉シーズンの週末ということもあってか、バスを降りるとたくさんの人で賑わっていた。
MAPLE BASEでは、先回りしていた井原さんが出迎えてくれ、エントランスに植えられた21種のカエデの前で、オープンするまでの苦労話を聞かせてくれた。
※右側に写っているのが、『MAPLEBASE』をプロデュースしたTAP&SAPの井原愛子さん
「カエデの樹液がとれる期間は、ほんの1ヶ月半。それ以外の季節は、森の奥で起きている活動は、なかなか一般の人には知られにくい。それに、秩父メープルの現場であるカエデの森は、秩父市内からも遠くて、地元の人でさえも行きにくい場所です。
島崎さんたちが森でコツコツと頑張っている活動をもっと多くの人に知ってほしい。だったら、私はもっと人に知ってもらえる場所を作りたいなって思ったんです。それで、シュガーハウスを作る計画を始めました。」(井原さん)
様々な物件を見てまわる中で、辿り着いたのが、ミューズパークの中にあるこの物件だったそう。
「もともとここは、西武グループが所有していて、ゴルフのショートコースのスタートハウスだったんです。でも、閉鎖された後に秩父市に譲渡したんですよね。2〜3年は花の回廊を作っていたんですが、花の苗がシカに全部やられちゃって。人と鹿のいたちごっこになって、結局、鹿が勝ちました(笑)そのあとは、使われないままだったみたいです。
ここなら地元の人や一般の人も多く訪れるし、気軽に来てもらえる。秩父メープルを広めるためには、とにかく知ってもらえるきっかけづくりが大切だと思ったんです。それで、秩父市にお願いして、貸してもらえることになりました。
いざ、物件が決まったあとは、今度はオープンへ向けての準備が大変でしたね。シュガーハウスのノウハウは日本にはなかったので、実際にカナダのシュガーハウスも訪れました。日本では考えられないかもしれませんが、カナダには4社もメープルの機械を作る会社があるんですよ。それだけメープルが、国としても一大産業なんですね。
その中の1社から”エバポレーター”というメープルシロップを煮詰める機械を輸入できることになりました。ただ、お互いに初めてのことだらけで。とにかく大変でした。
だって、建物をリノベーションする前に機械が到着しちゃったんですよ。それに、海外って日本みたいに詳しい取扱説明書もないんですよね。しょうがないので、現地で撮影した写真を参考に、見よう見まねでなんとか機械を組み立てました。ただ、機械を先に配置してしまったので、実はエバポレーター優先の間取りになってしまって…。お店としての動線は、あんまりよくないんです(笑)」
シュガーハウスを作るまでは前例がないこともあり苦労したようだが、一方で、カナダに行った時にシュガーハウスが持つ可能性も感じたそうだ。
「日本の食品工場って、衛生管理がすごいじゃないですか。一般の人は入れないし。でも、カナダは違うんですよ。シュガーハウスを訪れたとき、普通にメープルを煮詰める機械の横で近所のおじちゃんたちがしゃべってるんです。でも、それがいいなあって。地域の人にもオープンで。ここではそんな場所が作れたらなあって思っています。」(井原さん)
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丸一日使って、島崎さんと井原さんに秩父メープルとそれに関わる活動の話を聞いた一同は、すっかり秩父メープルの虜になってしまった。
MAPLE BASEの店内では、カエデの樹液をいかしたジュースやお菓子などが購入できるほか、パンケーキなどの軽食が味わえる。みんなでテーブルを囲み、島崎さんおすすめのキハダサイダーや井原さんが商品開発をした”第3の蜜”を試食しながら、参加者からもツアーの感想を伺っていった。
『2月に行われるカエデの樹液シーズンにまた来たいです!』
『漠然と移住したいと思って参加しましたが、島崎さんの話をきいて、次の世代へこの自然を繋げていかなきゃいけないんだと改めて思い、まず今の自分の暮らしを見つめ直したいと思いました。』
短い時間ではあったが、それぞれに色々な可能性を感じながら帰路についた。
このツアーでお会いした人たちを通して感じたことは、それぞれが自分の活動や暮らしを楽しんでいて、自分ごとで作っているということだ。田舎は都会ほどモノが溢れていない分、自分と見つめ合う機会が多いのかもしれない。それぞれが取捨選択をしながら生きているように感じた。
また、ゲストの一人がツアーの後にこんなメールもくれた。
『何でもトライ。何でも楽しむ。これが、私たちが田舎暮らしを楽しむキーワードになっています。』
田舎で暮らすこと、地域で活動することは決して楽なことではなく、都会に比べてゆったりとした時間が過ごせるかと思ったら全く違ったという話はよく耳にする。それでも自分がやりたいことを試せる場所になっていたり、思いがけない仕事が作り出せる可能性を秘めているのも、まだまだ余白のある田舎の魅力なのかもしれない。
埼玉は都会に近いけれど、田舎でもある。そういった意味ではまだまだ余白も多く、挑戦できるフィールドが多くあるのではないかとツアーを通して感じた。
“移住“ というと、どうしてもハードルが高いように感じる。仕事も暮らしも家もコミュニティもすべてガラッと変わるのだから、なかなかすぐに決断できるものではない。
だけど、今回訪れたゲストたちを見ていると、そんなに難しく考えることはないのかもしれないと思った。それは埼玉という立地が都心に近いという理由も関係しているのかもしれないが、「もっと気楽に自分が住みたいと思った場所にすむ」そんな感覚で考えてみたら、案外うまくいくのかもしれない。
もし、東京の近くで何か始めたい、暮らし方を変えていきたいと思ったなら、ぜひここで登場したゲストたちを訪ねてみてください。都会の感覚に近い田舎だからこその視点をもって、いろいろな話を聞かせてくれるのではないかと思います。自然環境と、そこで自分らしい暮らしを営む人々で溢れている。そんな身近な場所だからだ。
(文:須井直子 写真:服部希代野)
ー 埼玉をめぐる旅。レポート 記事一覧 ー
▼埼玉で農ある暮らしを叶える人々を訪ねる。
【前編】http://www.turns.jp/5594
【後編】http://www.turns.jp/5804
▼埼玉を楽しみ、盛り上げる人々を訪ねる。
【番外編・北本】http://www.turns.jp/7108
【番外編・川越】http://www.turns.jp/7311