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「暮らすこと」を自分の中心に据えたら ここにたどりついた
感覚を取り戻すくらし 島根県大田市大森町

島根県・大田市。日本初の産業遺跡として世界遺産登録された
石見銀山遺跡の中心、大森町の古民家に暮らす多田純子さん。
「ここで目が覚めて、息をして、生きていけたら幸せだな」
この地を訪れたときの直感を信じ、移住してもうすぐ4年。日々の中でほぐれはじめた、働くことと暮らすこととは。

石見銀山生活文化研究所「根々」多田純子さん

兵庫県神戸市出身。群言堂ブランどのひとつ「根々」の生産管理を担当。神戸で生まれ育ち、神戸の大学に進学し、就職も神戸に本社を構えるアパレルメーカーと神戸から出ることなく生きていたが、2014年の春、縁もゆかりもない島根県へ転職と移住をたった3ヵ月で決断する


このまちで「巣づくり」の最中

やっぱり「家」が好き。
最盛期には約万人が暮らしていたとされる銀山の町・大森町の現在の人口は約400人。小川に沿ってゆるやかな曲線を描く道沿いに、江戸時代までさかのぼる、最盛期の面影そのままに修繕された古民家が立ちならび、旅人を非日常へと誘う。

大森町を語るのに「群言堂」の存在は欠かせない。運営する石見銀山生活文化研究所の本社と本店を大森町に置き、都市部の百貨店などに出店する異色のアパレルメーカーだ。創業者で、現在も事業を率いる松場大吉・登美夫妻による「日本の美しい生活文化にもう一度光を当てて、次世代に伝えていく」という取り組みは、過疎化の一途だったこの町の復興と発展に貢献してきた。近年は地方創生の分野でも注目され、企業理念に賛同する若者が移住。町の保育園では遂に待機児童発生という「喜ばしき問題」が起きている。

通りを歩いていると目をひく古民家があった。どこか異国情緒が漂う、でも和風の、とにかく独特の佇まい。多田さんの暮らす家だ。「アメリカ人建築家が改装した家です。ギャラリー風なので観光客がまちがって庭に入らないように、先日はご近所さんが庭の入り口に張る用のロープをくださいました」と、すっかりこの町に馴染んでいる。

賃貸物件だが庭の手入れが自由で庭いじりが趣味に加わった。このときは植えて2年で随分成長したミモザが満開に。「庭木が成長していると励まされます」と多田さん。

「群言堂」への転職をきっかけに島根県で暮らして約4年。神戸で、仕事とプライベートのバランスを見直し「暮らすこと」を生活の中心に据えはじめたら突然舞い込んだ転職の誘い。すぐに大森町を訪ね、この町での生活を想像すると高揚感しかなく、3ヵ月後には引越ししていた。まるで何かに導かれるように。

移住前、大森町がどんな場所か確かめたくて訪ねたときに食事をした宿「他郷 阿部家」。台所の「働くものたちが並ぶ美しさ」に衝撃を受けた。

ここでの暮らしは、病院や日常の買い物など、どこの田舎にもあるささやかな不便がいろいろある。多田さんにとっては、それを踏まえた時間の流れがちょうどいいという。

「都会と田舎の暮らしは、既製とオリジナルの違いに似ています。都会はなんでもすぐ手に入るけど、田舎では、欲しいものや場を手に入れるためにまず自分の手を動かすことを考えなくちゃいけない。材料も時間も工夫が必要。私はその過程がとても楽しくって。群言堂は不思議な会社で、松場夫妻を筆頭に染色に詳しい人、大工仕事が得意な人、料理上手な人……暮らし上手な人が多く、その影響からますます家と暮らしにまつわることが好きになっています」

多田さんは、大森町での暮らしを「巣作り」と例える。ひとつひとつ手を動かして居住空間を「好き」で満たしていく。今の家もまだ未完成。

「ここに柿渋染めのクッションを置きたくて。あれこれやりたいことだらけです」

天窓から優しい陽射しが入る台所。家にいる時間の多くをここで過ごす。

物々交換をうまくなりたい。
仕事があるとはいえ、単身で見ず知らずの田舎へ転居することに不安はなかったのか。この先の人生設計について、例えば結婚など。「好きなものが集まる所には理想とする人がいるんじゃないかと思って。ま、実際まだ出逢ってないので思い違いでしょうか(笑)」

縁側は家の中でもお気に入りの場所。今年の夏はおつまみをつくってビアガーデン風に設え、ご近所さんを招く予定。

大森町に来た当時は会社以外に属すコミュニティがなかった分、ご近所さんとの関係が深まり、まちへの愛着と正比例した。採れたての野菜を玄関先に置いてくれたり、飲み会や行事ごとに誘ってくれたり。日々の中にある好きなことやものをベースに親睦を深めているからか、そのやりとりには無理がない。多田さんの目下の目標は物々交換の上達だ。

「いただきものをしたとき、相手の負担にならず喜ばれるものをさらっと返せるようになりたいです」

多田さんならきっとすぐになれる。

 

写真:福岡秀敏 文:永井美子 編集:アサイアサミ
※記事全文は、本誌(vol.29 2018年6月号)に掲載