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土湯こけし「ほほえみがえし」に刻まれた、工人たちの伝統と新たな思い

近年、女性を中心に幅広く人気を集めている「こけし」。かつて子どもたちの「おもちゃ」だったこけしは、昭和の大ブームで「お土産もの」として広く認知され、現代は、可愛らしいインテリアとして、職人のつくるクラフトとして注目されています。大手のインテリアメーカーや気鋭のクリエイター、ファッションブランドなどとコラボしたこけしも数多く制作されるようになった今、「こけしなんて古臭い」というイメージ自体が古臭くなっているのかもしれません。

福島市中心部から車で30分ほど。吾妻の美しい山並みに囲まれた土湯温泉郷に、福島市の伝統工芸「土湯こけし」の工房があります。現在、7人の工人がそれぞれの工房を構え、こだわりのこけしを制作しています。土湯こけしの歴史は古く、江戸時代の文政年間(1818〜1831)に、佐久間亀次郎という人が作ったと言われています。誕生から200年。土湯こけしは多くの人たちに親しまれてきました。

阿部国敏さん。土産店内にある作業ブースで取材を受けていただいた

こけしについて少し詳しく紹介しましょう。こけしは、江戸時代末期ごろに東北地方の温泉で生まれたとされる、ろくろ挽きの木製人形を指します。柄や顔の表情といった絵付けの特徴などから、東北6県で12の系統に分かれていて、中でも鳴子系、遠刈田系、土湯系の3つを「三大こけし」と呼んでいます。いずれの産地も温泉地なので、こけしと聞くと「温泉」を思い浮かべる人も多いはず。事実、こけしは、長く温泉旅行のお土産として愛されてきました。

この3体いずれも国敏さんの作品。右側のこけしは「阿部家の顔」を受け継いだもの

土湯こけしの特色は素朴な美しさです。ほかの産地のこけしと比べて頭が小さく、胴も細めで女性的。頭には黒一色のシンプルな「蛇の目模様」が描かれ、前髪は大ぶりで、両側の鬢(ルビ:びん)に赤いカセ(髪飾り)が大きく描かれています。目を見てみてください。クジラの背中を横から見たような細長い形状をしています。これを「鯨目」といいますが、この鯨目と可愛らしい「おちょぼ口」が土湯系こけしの最大の特徴と言われています。昔話に出てくるような、日本人らしい童の顔。なんとなく、子供の頃に会ったことがあるような、どこかで見たことがあるような誰かの顔に見えませんか?

 

土湯一の名作家、「阿部治助」の伝統

温泉の湯気たなびくまちの一角に、土産店「まつや」があります。中に入ると、壁一面にこけしが飾られていました。この「まつや」が、土湯こけし工人組合の組合長を務める阿部国敏さんのお店です。国敏さんは、組合に所属する工人7人のうち最年少。土湯こけしが最も隆盛した時代に名人と称された阿部治助を曽祖父に持ち、祖父の勝英さん、祖母のシナさん、父の敏道さんと続く工人の家に生まれ育ちました。

土湯温泉の一角にある土産店「まつや」。橋におかれた大きなこけしのそばにある

国敏さんの曽祖父、治助さんのつくるこけしは「治助こけし」と呼ばれ、広く文化人にも愛されました。大正ロマンを代表する美人画家として知られる竹久夢二が訪欧したとき、カバンに忍ばせていたのが「治助こけし」だったと言われています。治助こけしの特徴は、太い眉、縮れたカセに、細く美しい鯨目。夢二の描く美と共鳴した治助こけしの特徴を、国敏さんのこけしも色濃く引き継いでいます。

「昔から続く、うちの顔っていうのがあるんですよ」と国敏さんは言います。実際に、先々代の勝英さん、祖母のシナさんのこけしと見比べてみると、たしかに鯨目や眉の描き方が共通していているように見えます。「顔以外にも、頭や胴の形、色の配色などにその家のこけしらしさが出てきます。もちろん、土湯と鳴子ではまた違いますし、職人によっても表情などは異なります。それぞれ好みに合わせて選ぶ楽しさが、こけしの魅力の一つですね」(国敏さん)。

みやげ店で、実際にこけしを手に取り、自分だけの一本を探すのが楽しい

こけしは、ひとつひとつ表情がちがいます。手作業で作られるものですから、同じ工人が作ってもまったく同じものにはなりません。棚に並べられたこけしを見ていると、友だちに似ているこけしや、家族に似ているこけしが見つかるかもしれません。お気に入りのこけしを選ぶ時間は、自分の親しい「だれか」の面影を探す贅沢な時間でもあるのです。こけしとの出会いは、いつも偶然のたまもの。たまたまそのこけしが棚に並んでいなければ、そのこけしとは出会えなかったかもしれない。そうして「出会っていく」ことが、こけしの魅力です。

先代たちが作ったこけし。目つきやおちょぼ口に、共通する特徴があります

伝統への思いが生んだ、ほほえみがえし

国敏さんが実家に戻ったのは十代の頃。祖父の勝英さんが亡くなったタイミングでした。父の敏道さんは、工人でありながら土産屋の経営も続けていて、こけしを作る時間の余裕がなかったそうです。そこで、国敏さんが一念発起して跡を継ぐことに。「やっぱり伝統は残したいなと思ったんです。当時は、こけしで食べていけるかどうかなんて考えていませんでした。とにかく伝統を守らなきゃいけないなっていう思いでこけしづくりを始めたんです」。国敏さんは、当時を思い出しながら、そう語ってくれました。

国敏さんが近年とくに力を入れているのが、「ほほえみがえし」と名付けられたこけしです。通常のこけしよりも胴が短く、首をかしげたかわいらしい姿が特徴です。「鯨目」は、土湯こけしの伝統。カセ、前髪や鬢、縞模様にも伝統の絵柄を残しています。ですが、口は違います。伝統の「おちょぼ口」ではなく、にっこりと微笑んでいるのです。

「こけしって言ったらすまし顔なんですけどね。すまし顔のまま首をかしげると、ちょっと怖い印象を与えてしまうかもと思って。それでなんとなく、かわいらしくなるように表情を描きました。頭が動くので、動体は細いままだと倒れてしまいます。だから、首を動かした時に安定するように、この三角になりました。顔も形状も、最初からこれっていうのがあったわけではなく、それぞれバランスを取るなかでできてきました」

この「ほほえみがえし」は、多くのお客の心をとらえました。しかも、これまでの「こけしファン」だけでなく、こけしを手にしたことがない人たちからも、大きな反響があったそう。物産展などでも大変人気で、常に品薄状態が続いているそうです。この取材の日に撮影できたのも店頭にあった1体だけでした。コロナウイルスの影響で伝統工芸を扱う展示会などが減り、工人たちにとっては厳しい状況が続いていますが、土湯こけしの人気はそれでも根強く、国敏さんのこけしは、全国の人たちのもとへ送り届けられています。

 

土湯こけしの伝統を守りたい

国敏さんにお話を伺っていると、「伝統」という言葉がたびたび出てきます。それだけ国敏さんが伝統を大事にされているということなのでしょう。土湯こけしの名作として知られる「治助こけし」の伝統を守る者としての誇り、土湯に生きる工人としての矜持を、その言葉の端々から感じることができました。

伝統についてどうお考えですかと質問すると、国敏さんはこう語りました。「やっぱり、ずっと続いてるものなので絶やしたくないなっていうのはあります。長く続いてるものって、消えるのは一瞬かもしれないですけど、もう1回始めるのはむちゃくちゃ大変ですから。だから、つないでいきたいと思うんですよ」。

新たな魅力を発信しないと伝統も守れない、と語る国敏さん

一方で、国敏さんは「伝統ばかりに身を委ねてもいられない」とも言っています。「伝統伝統って言われても、ちょっと入りづらいじゃないですか。ぼくは、これまでこけしを手にしたことがなかった人に、ちょっとだけでも伝統に触れてもらえればいいなって思って『ほほえみがえし』を作った、そんなところがありますね。それで、カセや胴には伝統を残して、新たな表情と動きをつけたんです。伝統への入り口を作らないと、伝統に触れてすらもらえないから、伝統を見据えつつも、見直していきたい。最初にそう考えていました」。

土湯こけしが誕生して200年。夢二を魅了した「治助こけし」から100年の令和の時代。国敏さんのつくる「ほほえみがえし」には、伝統を守ろうとしてきた工人たちの歴史が刻まれています。優しげで、かわいらしく笑うこけしたちとの出会いは一期一会。数あるこけしの中から、あなたが出会いたかった「ほほえみ」に出会えますように。

まつやでは、絵付けの体験もできる(要予約)。ぜひ試してみてほしい