チャレンジャーが集まる街、宮崎市
奇跡の商店街と呼ばれる「油津商店街」(宮崎県日南市)の再生に伴い、多くのベンチャー企業がサテライトオフィスを開設し、近年、話題を呼んでいる宮崎県。
その県庁所在地である宮崎市においても、空港から中心市街地まで車で15分程度という立地の良さから、上場ベンチャーの進出などが相次いでいます。
そんな宮崎市で新しくはじまった取り組みが、同市のベンチャー企業が仕掛けるサービス「クラウド継業プラットフォーム『relay(リレイ)』」での事業承継先の公募です。
relayでは、県外の移住検討者に向けて、現地で継業し「経営者」になるという新たな移住の選択肢を提示しています。今回は、そのうちの一つ、barの継業案件をご紹介します。
宮崎の中心市街地 “ニシタチ” を抜けたところにある六本木?
夕暮れ時、宮崎一の繁華街「西橘通り(通称:ニシタチ)」を擁する商店街、一番街はにわかに活気づきます。人々は急ぎ足で夜のニシタチへ。今日も美味しいお酒と美味しい肴で一献、というのが宮崎県民の日々の小さな楽しみ。
そんなニシタチの奥地、”奥ニシタチ” とも言える場所に、知る人ぞ知る飲食店が入居するビルがあります。今回、継業者を募集しているお店『bar gifter』が入るニュー六本木ビルです。
ニシタチのランドマーク「東天閣」さんの隣にそびえ立ちます
ニシタチの、いろんな空が見えるバー
『bar gifter』は、ニュー六本木ビルの4F。エレベーターを降りて目の前の角立地にあります。一番街からは徒歩1分程度で、同じビルには趣向を凝らしたスナックやバーがところ狭しと並んでいます。
ちなみに、宮崎県は人口あたりのスナックの数が全国1位。そんな中、中心部から少し離れた場所にひっそりと佇む立地は、どこか高級感を漂わせます。
店舗に到着し、ドアを開けると・・・
まず目に入るのが、とても開放感のある大きな窓!宮崎の街中が一望できます。
取材時は夕方で、まだ明るくさっぱりとした雰囲気だったのですが、夕暮れが近づくと、だんだんと幻想的な雰囲気に。
窓からはニシタチのネオンがきらめく
席数は約20席弱とそんなに多くはありませんが、この窓と景色が相まって、窮屈さは全くなく広々と感じる空間。ニシタチには星の数ほどスナックやバーがあれど、中々この景色を堪能できるお店には出会えません。
「ひとりでできるキャパというのを基準に探すと、どうしても窮屈さが出てくるのですが、この物件は窓で開放感が出るのが決め手でした」
そう話すのは、『bar gifter』オーナーの浜根冬馬(はまねとうま)さんです。
知人が一人もいない宮崎で、奮闘してきた青年
浜根さんは和歌山県出身の28歳。大学卒業後、地元の金融機関に就職したのち、海外へ。カナダとニューヨークの飲食店で経験を積み、ひょんなきっかけで宮崎へ移り住みました。
「ニューヨークの店の姉妹店が宮崎にあって、ビザの更新で2ヶ月くらい帰国しないと行けないっていう時に、『することないんだったら姉妹店手伝って』って言われたのがきっかけですね。大学時代、自転車で日本一周したときに宮崎に立ち寄って気に入ったんですよね、いつか住んでみたいと思ってました。」
浜根さんはまっすぐな表情でそう語りだす。
「働き始めたら、ニシタチの面白さにハマっちゃって。色々と調べていたんですけど、3,000円飲み放題という宮崎独特の文化って、差別化が難しいじゃないですか。でも逆にそのほうが自分の好きなことをお店のカラーにできると思ったんです」
開業当初の浜根さん
老後は「関西でカレー屋を開くのが夢」という浜根さんのバーでは、カレーが人気
最初は、日銭が稼げて勉強になればいいという気持ちで独立したという浜根さん。しかし、予想以上にうまくいき、半年で初期費用を回収、その後も順調に経営してきたそう。
もちろん、相応の努力はしてきました、と浜根さんは話します。
「県外の、しかも若造が一人で開業したので、同級生の来客なども見込めませんでした。なので、同業者のお店にマメに顔を出したり、経営者団体に所属したりと、頑張って足で稼いで営業しました。
だんだんとお客さんが増えてくると、来店したお客様に『閉まってた』と言われるのが嫌になって、帰省時以外は定休日もなく働いてきました(笑)」
順風満帆なように見えがちだけれど、飲食店経営の基礎的な努力は必要不可欠。そのあたりを履き違えて安易に継ぐことを決めてしまう方がいないように、という強いメッセージのようにも感じます。
いずれ、ここを出るときを想いながらつけた店名「gifter」
では、浜根さんは、なぜこれほど順調なお店を引き継ぐことに決めたのでしょうか。
そこには強い決意がありました。
「20代のうちに、もう一度海外でチャレンジがしたいと思っているんです。次はジョージアに行きたいと思っています。ジョージアはバックパッカーにとっては有名な場所で、一度住みながら今後生きていく上で必要なスキルを身に付けたい。今回の譲渡資金も、その渡航費用などに充てたいんです」
お店のほど近くには、赤ちょうちんの風情ある通りも
開業以来黒字を続ける『bar gifter』。
浜根さんは、どんな人にあとを継いで欲しいのでしょうか。
「この仕事は、たしかにお酒を扱うという意味では体力的にしんどくなることもあります。でも、いろんなお客さんと話ができるようになるし、深く関わっていける。そこがなんと言っても醍醐味ですね。
歳は何歳でも構わないと思っています。いずれ起業するために経験を積みたい人、僕みたいに宮崎に来たい、移住したい人なども歓迎です。新しいことを始めたい夢を持った人であれば学生さんでも、次の日から営業できる状態でお渡し致します」
店名は、その気持ちにも由来しています。
「『gifter』には、色んな意味をこめたのですが。その中の一つに、いずれここを出るときに次の想いをもった人に店ごと譲りたい、そんな気持ちで名付けました。バトンタッチって意味も最初から込めているんですよね」
“奥ニシタチ” で、この想いを引き継いでみませんか?
ニュー六本木ビルに差し込む夕日
浜根さんが約3年間運営してきた『bar gifter』。
たしかに4月からコロナの影響はあれど、売上的には3年間でピークを迎えつつあります。
ニシタチでお店を出したい、宮崎に移住したい、そんな想いをお持ちの方にぜひ。
『bar gifter』を継業をしてみませんか?
ここニシタチで、次なるgifterに出会えることを楽しみにしています。
※ 本記事は、クラウド継業プラットフォーム「relay」にて募集中の継業案件を紹介しております。