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「common-ship橋通り」石巻より再出航

快晴。まだ4月だというのに、初夏の日差しが石巻の街にガンガンと照り付けていた。
ものすごい熱気だ。どうやらこれは太陽のせいだけではないらしい。
4月28日、仮設商業施設「common-ship橋通り」がオープンした。石巻の街を走る北上川のほとり、橋通りには大勢の人たちが集まっていた。ここ橋通りには2015年、common-shipの前身である「橋通りcommon」が開場し、昨年11月に盛大なフィナーレを迎えた。それから5カ月。橋通りcommonはcommon-ship橋通りと名を変え、橋通りに帰ってきた。地元の人たちの声援を受け、新たな船員たちとともに、common-shipは新たな船出に出る。


みんなの思いが詰まったcommon-ship橋通り

common-shipのオープニングイベントは三夜にわたって続いた。各飲食店舗から立ち昇る美味しそうな匂いと威勢のいい店主たちの声。訪れた人たちの顔にはみな、自然と笑みがあふれている。月がきれいだ。今宵の酒のなんと美味しいことだろう。

身を委ねてしまいたくなるような音楽が会場を包み込む。開放的な野外ステージでは多様なジャンルの音楽家たちによるライブが繰り広げられていた。ステージ横に設けられた展示スペースからは、熟年のフォトグラファーがサックスを抱えて飛び込みセッションを始めた。どこのおうちの子だろうか、小さな犬がアイドルよろしくステージ上を跳ね回っている。

これまで様々なイベントや結婚式さえ行われたメインステージも一新され、クラウドファンディングによる支援者一人一人の名が焼印された特性のウッドデッキステージとなった。施設全体の設計から土木作業、店舗経営、広報、人員集め…common-shipは地元の人たちと移住してきた人たちがそれぞれの得意分野を生かし、力を合わせて作り上げられた空間なのだ。

「何か新しいことをしたい、という人たちがチャレンジできる場を石巻に作りたい」

common-ship、出航2日目。午前の開場からとどまることのない来客に四方八方から声をかけられながら、街づくりまんぼう・まちづくり事業部の刈谷智大さんの瞳には熱がこもる。刈谷さんはcommon-ship橋通りを企画・運営するまちづくりの第一人者だ。

前回は飲食が中心だった橋通りcommon。「飲食だけで世界が閉じてしまうのがすごくもったいない」。そう感じた刈谷さんは、今回のcommon-shipにステージと展示ブースを設けた理由を語る。
飲食をやっている人はしっかりと商売を、音楽をやりたい人は観客と一緒にたのしめるステージを、作家の人は自在に表現できる空間を持ってもらいたい。各々の目的を持った人たちが、きちっと同じ場所でそれを達成できるよう。そんな刈谷さんの思いが今回の敷地内レイアウトには反映されているのだ。秋冬の厳しい寒さに客足の遠のいた前回の反省も生かし、今回は各飲食店を丸ごとビニールカーテンで囲えるような配慮も施された。例えば焼き鳥屋さんの席でカレー屋さんにカレーを持ってきてもらえるような、前回から受け継ぐお店同士の一体感はなお健在だ。

ランチやお茶をしにくる商店街の人たち、ビールや地酒を片手に逸品を食べ歩く若者、椅子に腰かけ音楽を楽しむ老夫婦、走り回る子供たちを誰もがあたたかく見守っている。昼夜問わず、誰もが各々のたのしみ方を見つけ、自由に行き交うcommon-ship橋通り。船上から上気するこの熱量は一体どこから来るのだろうか。

“橋通り”という場所へのこだわり

街の中心を走る北上川。そこに架かる内海橋へ直接つながる“橋通り”。港町のせいか海のイメージの強い石巻だが、意外にも地元の人のこだわりは川であった。いつの時代も生活の中心にあったという北上川。石巻の産業を育み、街を生み出した、母なる川だ。かつてから両岸には商店街が広がり、役所や郵便局、病院、学校など街の主要機関が川を基軸に置かれていたというが、その様子は地図を広げ街を散策していてもいまなお確認できる。

「北上川は石巻の人にとって誇りであり、アイデンティティでもあった」(刈谷さん)

しかし、震災はその町並を歴史ごと奪い去った。「川を生かしたまちづくりを」。そんな声が震災直後から上がっていたという。しかし、川だけで人が集まるのか、街全体が魅力的になるのか。川辺や中瀬だけでなく、駅前の商店街にも人の流れが生まれてほしい。そう考えた末に、“橋通り”がとても重要な位置にあることに刈谷さんは気づいた。

地元の人の話によると、かつてバラックの立ち並ぶ活気あふれる通りだったという橋通り。地方各地から人が集まり、屋台を並べ、財を成し、店を建てる。その痕跡が、街中随所に見受けられるといい、その一つが店の名だ。栃木屋、福島屋、横浜屋、尾張屋――各地の屋号が店の看板に掲げられているのだという。「一旗揚げてやろう」。そんな志を胸に石巻・橋通りに各地から集った先代たち。そのかつての通りの情景が、震災後の石巻に暮らす人々と重なったと刈谷さん。

目的は違えど、地方各地からボランティアで人が集まった。石巻に魅了され、ここに住もうと決意した。そして商売をしよう、事業をしていこうという人たちが動き始めた。「何かを新しくはじめようとする人たちにとって、石巻との親和性は非常に高い」(刈谷さん)。だからこそ、外から来た人が何かにチャレンジできる場所づくりを、ここ橋通りにこだわったという。
よそ者の集まる港町・石巻、そして橋通り。common-shipに沸き返るこの熱気はどうやら、地元の人たちのこよなく愛する北上川が要因らしい。

新たな価値観を生む場所

「どれ、どんなもんかな」「おもしろいやつだな」「よし、応援してみるか」――common-ship船上からは、お客さんたちの心の声が聞こえてくる。

「橋通りcommonを2年半やってみて、外から来た人たちを応援する人たちがたくさんいるというのがわかった」と刈谷さんは顔をほころばせる。common-shipに集まる人たちはみな、料理がむちゃくちゃ美味しいからとか、お酒が他より安いからという理由だけで飲み食いしているわけではないようだ。ここで挑戦したい、やりたいことやりたい、という人たち対し、「お前らがんばれよ」という思いをお金に代えて食事をしているようだと刈谷さん。

かくいう筆者もそうだった。今更何ができるわけでもない。けれどその地に行き、その地を知り、その地の人とたのしみ、その地にお金を落とす――そんな支援の仕方をよしと教えてくれたのは前回の橋通りcommonだった。フライドポテトが300円だろうが1000円だろうが関係ないのだ。言わずもがな、もちろん料理もお酒もむちゃくちゃ安くてむちゃくちゃ美味しい。

「ここでお金を使うことは、ここで頑張っている人に投資をするということ」(刈谷さん)

安価な良品がボタンひとつで手に入る時代だ。その競争に乗ってしまった時点で、地方はどうしたって勝てないと刈谷さんはみる。そんなとき強みになるのが、人付き合いの濃密な地方ならではの、この価値観だという。物に対してではなく、人に対してお金を出す。そんなお金の使い方が、common-shipから若い世代の新しい価値観として浸透し、石巻全体に広がっていくことを刈谷さんは願っている。街のこれまでから学び、街のこれからをみんなで作っていく。新たな価値観がここcommon-shipで醸成されつつある。

common-shipの担う重役

「“石巻は日本社会の縮図”と言われている」

common-ship、出航3日目。石巻日日新聞社の元記者・武内宏之さんはセブンスターを片手に語り始めた。2011年3月11日、震災によって電気もネットも遮断されたあの日、紙とペンのみで「壁新聞」を発行、市民に情報を伝え続けた地元紙・石巻日日新聞。武内さんは当時の報道部長だった。生涯をかけて石巻を伝え続けてきた武内さん。言葉に熱が帯びてくる。

災害、人口の流出、高齢化、商業の衰退…それは石巻など被災地だけの話ではない。日本全体がこれから辿るであろう近未来だというのだ。暗雲が立ち込めている。

「だからこそ、ここから巻き返せば、現代社会に対していいモデルになるんじゃないかと期待している」。そう武内さんは力を込めた。

外からの移住者、支援者。地元の人たちと、新しいやり方で、新しい街を築いてく…いま石巻が取り組んでいることが成功すれば、日本の未来は明るい。その重役を担うのがここcommon-shipなのだ、と。

北上川をわたり、橋通りから人を運ぶcommon-ship。
ここで生まれる人と人とのコミュニケーションシップが石巻を、ひいては日本を救う手立てとなる。その船出を祝いに集まる人たちの笑顔を見ていると、大袈裟ではなく、本気でそう感じた。

かつての石巻のように、よそ者に開かれた街のシンボルとなるべく、common-ship橋通りはこれからも先陣を切って走り続ける。

(文・写真 小田桐知)