都心から約2時間。豊かな自然と悠久の歴史が息づく茨城県常陸太田市。この地で地域おこし協力隊に着任したメンバーは、一人ひとりがやりたいことを実現しながら、地域の力になる活動を展開しています。古くからある実家の建物を舞台に地域の交流の輪を広げている阿部深雪さん。名産の梨の栽培に従事する武藤春香さん。地域の魅力を最大限に活かそうと奔走する2人の挑戦と、その思いに迫ります。
地域おこし協力隊とは?
地域おこし協力隊は、都市部の人材を過疎地域に呼び込み、地域の活性化に取り組んでもらう制度。隊員の定住・定着を促進することで、地域の維持・発展を目指します。2009年からスタートし、2023年には全国の自治体で7200人の隊員が活動しています。
隊員は委嘱を受けた自治体に移住し、地域ブランド化や地場産品の開発・販売・プロモーション、都市住民の移住・交流の支援、農林水産業への従事などを通して、地域の活性化に努めます。活動期間は1年以上3年以下で、各自治体の規定に基づいて定められます。任期終了後も半数以上の隊員が同じ地域に定住し、起業や就業を通じて地域づくりの担い手として活躍を続けています。
Part 1|阿部深雪さん
実家を地域おこしのシンボルに
阿部深雪さんが活動の拠点としているのは、常陸太田市内にある築47年の古家で、自身の実家でもあります。とび職だった曽祖父様が建てた家を、1977 年にお祖父様が建て替え、現在の姿になったそうです。
阿部さんが2歳の時に家族で引っ越した後も、お父様が折々に管理していましたが、2018年にお父様が亡くなられたのをきっかけに阿部さんが引き継ぐことに。
周辺の山並みや旧市街を見渡すパノラマビューが楽しめる。
この付近は「鯨ヶ丘」と呼ばれる高台で、かつては城下町の中心地として栄えていました。商店街の通りには、国の登録有形文化財に指定された歴史的な建物が今も残っています。この家が面する「板谷坂」は、旧街道から阿武隈山系や市街地を一望できるビュースポットとして親しまれています。
「banya base」の名の由来となった板谷坂。旧街道から見下ろす景色には、往時の賑わいや風情を感じさせる、情感豊かな雰囲気が漂います。
実家の建物自体も古き良き時代の雰囲気をまとい、味わい深い魅力が今もなおそのままに。「壊すことはできない。またかつてのように人が交流する場の拠点として再生させたい」。阿部さんはこのように決意。
建物に「banya base」と命名し、2020年12月から知人と協力してヨガ教室やアートイベントを月に一度のペースで開催。さらに、今後は建物の寿命を延ばす工事とともに、一部をパン屋の店舗として改装し、地域再興のシンボルにしようと取り組んでいます。
ヨガ教室やワークショップを開催し、地域の交流拠点に(写真提供:阿部深雪)。
自分の持つスキルが移住先で新たな価値を生み出す
banya baseの活用に取り組む阿部さんが、地域おこし協力隊として常陸太田市に戻ってきたのは2022年のはじめのこと。水戸、宇都宮を経て、埼玉の大学を卒業後、東京で飲食業に就職。その後、大学時代からの趣味であったレザークラフトを仕事にしたいと考え、都内の皮革メーカーに転職してノウハウを習得しました。
2012年に宇都宮に移っていたご両親のもとへ。そこから常陸太田の実家に通いながらbanya baseの取り組みを続けていたときに、茨城県が地域おこし協力隊を募集していることを知り、移住することになりました。
「常陸太田には親戚もいましたが、banya baseを通じて友人の輪がどんどん広がり、地域とのつながりが強くなっていきました。東京から約2時間という近さの割には自然も豊か。でも、気候は東京とそれほど大きくは変わりません。都内で暮らしていた私でも、すんなり馴染むことができました」
現在は、市内にある工房で革製品を製造するほか、地元を案内するツアーガイドも主な業務のひとつに。
阿部さんが制作した革のちりとりとメガネケース。地域のアーティストと交流することで、創作のアイディアが刺激されるそうです。
「もともとアウトドアが好きで、休みの日には副業として鬼怒川でラフティングツアーのガイドをやっていました。今は常陸太田の自然と文化を巡るツアーを企画・開催しています」
今後は、県北全域を対象に名勝地や寺社を巡り、地域の人と触れ合うツアーなども計画しているそうです。
ラフティングやSUP、トレッキングなどアウトドアガイドとしても活躍。
「地元の方は『何もない田舎』とおっしゃるけれど、よそにはない、この地ならではの歴史や文化があります。常陸太田にルーツがあるけれども他県での生活が長い私には、それが実感できるんです」
空き家再生、レザークラフト、ツアーガイド。自分の持つスキルが、移住という形でこの地に舞台を移すことで、新たな価値を生み出すことができる。地域おこし協力隊の3年目を迎えた阿部さんは今、そのような手応えを感じています。
Part 2|武藤春香さん
100年の歴史をつなぐ、梨づくりの新しい担い手
常陸太田市は茨城県を代表する梨の産地です。久慈川などの清流からもたらされるカルシウムやミネラルを多く含んだ良質な土壌が、梨づくりに適しているのだそう。
常陸太田における梨栽培の歴史は約100年前に遡り、およそ 50 軒もの梨園がありましたが、後継者不足により次第に数を減らし、現在は約20 軒にまで減少しています。こうした課題を踏まえ常陸太田市では、産地を担う梨農家として独立就農を目指す、地域おこし協力隊員の委嘱に踏み切ったところです。
常陸太田市で生産される主な品種は「幸水」や「豊水」、茨城県オリジナル品種である「恵水」など。直売が中心のため、完熟するまで木に実らせているのが特徴です。実に袋をかけずに栽培する無袋栽培により、陽光をたっぷり浴びた梨は、優れた甘味と肉質が高く評価されています。
(写真提供:武藤春香)
武藤春香さんが地域おこし協力隊として梨農家で研修を始めたのは2022年5月のこと。出身は茨城県ですが、青森県の大学の農学部に進学。そのときに経験したリンゴ農家でのアルバイトが、農業への道を決定づけたと言います。
「ふだん私たちが何気なく食べているリンゴに、これだけの手間がかけられて、おいしいものに育てられているんだということが実感できて、生産者を心から尊敬しました。こんな人たちのようになりたい、そう思いました」
植物が好きで農学部を選んだ武藤さんですが、実際に栽培の現場に関わることで、農業への情熱が徐々に高まっていきました。
梨栽培への熱い思いを語る武藤さん。2000年生まれの若手ということで、常陸太田市の農業の担い手として期待される存在です。
大学では果樹栽培を専攻していたという武藤さん。卒業を控えた頃、故郷に近い常陸太田市での梨栽培の地域おこし協力隊募集を目にして、応募することに。
「一般企業を経験してからという選択肢もあったのかもしれませんが、チャレンジするなら今だ!という気持ちが強かったですね」
私ならではの梨をつくりたい。いつかは自転車でツーリングも
地域おこし協力隊の活動は、ひとつの梨農園に通い、作業に従事しながら栽培過程をじっくり学ぶことからスタート。3年目を迎えた今年は、3軒の農園を回りながら、さまざまな栽培技術や経営手法を学んでいます。
「じっくり熟成させて甘くする方法もあれば、シャリシャリした食感を生かすために早めに収穫するやり方もあります。農家さんによって育て方も味も違うんです。それぞれの味わいを気に入って、長年その農園の梨を買い続けてくれるお客様も多くいらっしゃいます。私も自分ならではの梨をつくりたいです」
収穫後の梨の木は適切に剪定して来年以降の栽培に備えます。どの枝を切って、どの枝を残すか、その判断によって梨の味が変わるのだそう。
新規就農では、高齢などを理由に離農する方から農園を受け継ぐケースが一般的ですが、武藤さんはいちから自分の農園を立ち上げることに。現在は、週5日は他の農園で研修を受け、土日は自分で借りた農地の準備に追われています。
地域おこし協力隊の任務が終了する来年には、自分の農地に梨の苗木を植え、5年後に初めての収穫を迎える予定です。それまでは副業も辞さない覚悟で梨農園の起業に取り組んでいます。
「常陸太田の梨は、農家の庭先での直売が主体です。『今年の梨もおいしいね』『また来年も頼むよ』と声をかけていただくこともよくあります。お客様の顔が見えるので、やりがいがありますね」
収穫期の梨農園(写真提供:武藤春香)。
夢に向かってひた走る武藤さんのプライベートの楽しみは、料理。茨城県の郷土料理である「つけけんちんそば」(けんちん汁でたべるそば)をよくつくるのだとか。
「そば、大根、にんじん、里芋、ごぼう、ねぎ、こんにゃく、芋がらなど、たくさんの材料が必要ですが、常陸太田では道の駅などの直売所に行けば全部地元産のものが手に入ります。気候が穏やかで農業が盛んだからこそ。また、研修先の農園から季節の野菜をいただき、具だくさんのけんちん汁を作ることも。ありがたいことです」
自宅で作ったつけけんちんそば(写真提供:武藤春香)。
また、常陸太田の夏の風物詩である「太田まつり」や、特産品である常陸秋そばを楽しむ周遊型イベント「常陸秋そばフェスティバル」、汁物料理の No.1 を競う「汁 ONE カップ」、市内各所で開催されるマルシェなど一年中催しが企画され、おいしい食材、料理を通じて地元の方々と触れ合うことができるのも大きな魅力だと言います。
研修先の農園で梨の木を見回る武藤さん。
また、武藤さんは実はサイクリングも趣味。
「今は農作業が忙しくてなかなかできていませんが、市内は広くて爽快な田園地帯が多く、紅葉の美しい竜神大吊橋、歴史が感じられる鯨ヶ丘、西山公園の桜、地域の人が管理しているスイレンやハスの池、ヒガンバナの咲く川沿いなど巡りたいスポットがたくさんあります」
竜神大吊橋は奥久慈里山ヒルクライムルートという県北の名所を巡るサイクリングコースの中にも含まれています。いつか時間をとれるようになったら、恵まれた自然の中を走りたい。そんな夢も胸の中で育まれているそうです。
常陸太田市の主な起業・就農支援制度
起業や就農の際に活用できる常陸太田市の各種支援制度等の最新の情報をご紹介。
常陸太田市新規起業支援事業費補助金
https://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/page/page003747.html
市内で新規起業しようとする方に対して対象経費の一部を補助します。
新規就農者育成総合対策経営開始資金
https://www.maff.go.jp/j/new_farmer/n_syunou/roudou.html
独立して自営就農を目指す認定新規就農者で、年齢が満50歳未満の方が対象。次世代を担う農業者としての強い意欲を持つ方に対して、年間150万円(夫婦で就農する場合は225万円)を最長3年間支援します。
就農者等家賃助成事業
https://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/page/page005193.html
常陸太田市外から常陸太田市に移住し、就農又は本市で就農する意思を持ち、市内の農家において研修を行う方に対して、1世帯当たり20,000円/月(家賃が20,000円に満たない場合はその額)を最長24ヵ月助成します。
UIJターン就農奨励金
https://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/page/page005192.html
常陸太田市外から転入し、市内において就農するにあたり、就農認定(認定農業者,新規認定農業者)を受けられる方に対して、奨励金を交付。奨励額は1人あたり20万円。交付決定後と6か月経過後に半額(10万円)ずつ交付します。
就農相談窓口
https://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/page/page005047.html
・常陸太田市(農政課 農業振興係)
就農相談、青年等就農計画の申請窓口、各種補助金等の情報提供など
TEL:0294-72-3111(内線:615)・茨城県常陸太田地域農業改良普及センター
就農相談、就農計画作成支援など
TEL:0294-80-3340/0294-80-3341
取材・文:渡辺圭彦 撮影:内田麻美