移住者・起業者を引きつける城下町。
歴史をみつめ未来を考える、たつの市のまちづくり

瀬戸内海に面する兵庫県たつの市は、一年を通じて穏やかな気候風土に恵まれ、自然も豊かな地域。古くから山陽道、筑紫大道、揖保川の水運など交通の要衝として発展し、今も江戸時代の町割が残されています。2019年に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定された龍野藩53千石の城下町は「播磨の小京都」と呼ばれ、歴史情緒あふれる景観を今も楽しむことができます。

たつの市で不動産事業を展開し、移住・起業のサポートも行っている「緑葉社」代表の畑本康介さんと龍野地区連合自治会長の真田忠敏さんは、由緒ある建物群や町並みの保存に取り組みながら、地域の新しい魅力づくりにも注力してきました。そんなお二人に、たつの市での暮らしやまちづくり活動のこと、これから実現したいことについて、じっくりとお話を伺いました。

歴史と文化を活かしたまちづくりを推進

畑本康介さんはたつの市の隣町、相生市の出身。中学時代から地元の和太鼓団体に参加し、高校生になるとお祭りや演奏会など地域のイベント運営を任されるようになったそうです。

「親よりも上の世代の方と打合せをする機会に多く恵まれ、地域の伝統や文化を維持していくことの大切さを学びました。和太鼓団体は年間60回ほど演奏活動を行っていて、その度に太鼓を積み込み、設営するのが大変だったんです。それまでは、若手の有志で行っていましたが、食事代くらいは賄えるようにしたいし、太鼓のメンテナンス費も必要。会費を見直したり、イベント出演料の交渉をするなど、よりよい存続のために知恵を絞ることもこの頃に経験しました」(畑本さん)

大学卒業後も会社員の傍ら地域活動を続け、2007年にたつの市で「NPO法人ひとまちあーと」を前代表と共に設立。2014年には会社員を辞めて代表理事に就任し、主にイベント企画を手掛けてきました。城下町に残る三軒長屋を「ひとまちあーと」の事務所にリノベーションしたところ、「この城下町でお店を出したい」、「こんな活用ができるのなら物件を貸したい」という声が多数寄せられ、そこから不動産事業を開始。以来、たつの市の歴史文化を活かすまちづくりに尽力しています。


かねゐ醤油工場跡地「ゐの劇場」にある緑葉社のオフィス。新しい観光拠点としての機能も期待されている。

「重伝建地区内に唯一残されていた銭湯が廃業することになり、地域のための活用法を考えていました。そんな矢先、他の業者が購入し、建物が解体されてしまう事態に。もっとしっかりと地域の人たちとコネクションを築いて、空き家再生・町並み保存に取り組んでいこうと決意しました」(畑本さん)

投機目的ではなく、地域の人々の暮らしに主眼を置いたまちづくりを展開していくには、市民主体の企業でなければ。そう考えた畑本さんは、市民出資のまちづくり会社をつくろうと思い立ちます。地域の方々に出資を募ろうと最初にお願いに伺った先が、緑葉社の初代代表・原田研一さんでした。緑葉社は一般的な営利法人と異なり、原田さんがたつの市の町並みを守りたいという思いで立ち上げた不動産会社で、原田さんの友人たちが約3分の2の出資をしていました。原田さんから「出資はできないが、会社を引き継がないか」と思いがけない逆提案を受けた畑本さん。市民出資に近い形の会社を、ある意味、運命的とも言える経緯で譲渡され、2015年に代表に就任しました。

醤油工場の跡地をまちのランドマークに。新たな観光拠点として整備


たつの市はうすくち醤油発祥の地。「かねゐ醤油」は龍野藩脇坂家の「ゐ蔵」を譲り受け、1869(明治2)年に創業した。

数年前に緑葉社が取得した「かねゐ醤油工場跡地」は重伝建地区の真ん中にあり、象徴的なレンガ造の煙突は城下町のランドマークとなっています。約800坪の敷地に貸しスタジオや野外ステージ、ワークショップやオンライン配信用のスタジオを備え、ここを「ゐの劇場」と名付けて団体観光客を受け入れる計画を進めています。城下町の南エリアには小型店やまち宿を集積し、個人客が気軽に訪ねられるエリアとして整備していく予定です。

「私たちの事業の目的は、たつの市の暮らしや文化を未来に引き継ぐこと。地域の自治会が不動産免許を持って不動産事業を行っている、そんなイメージが最も近いと思います」(畑本さん)

移住者はまちを守る仲間。地域に溶け込めるようサポート

たつの市の重伝建地区には、観光客を呼び込むために急ごしらえでつくられたものはありません。スクラップ&ビルド型の地域開発を免れ、観光業に依存することもなく残されてきた町並みには、大正や昭和など異なる時代に建築・改築された建物が隣り合わせに並んでいます。近年は所有者の高齢化が進み、管理・維持が難しくなった建物が増えていますが、それらを緑葉社が引き受けて改装。退店リスクが最小限になる家賃設定で、スモールビジネスを始める人に転貸しています。


三軒長屋をリノベーション。個性的なショップが増えることで、新たな出店と人の流れを生み出している。

「数年前にたつの市にIターンされたパン職人さんが古民家でお店をオープンしました。集客目安の設定や改修計画・工事は私たちが行っています。『相談料はいらないんですか?』と聞かれることがありますが、そういったものはいただいていません。私たちにとって移住者さんは、まちを一緒に守っていく仲間。長く続く関係性を何よりも大切にしたいと考えています」(畑本さん)

住んでいる人の居心地のよさ、楽しさを大切にしたい

畑本さんと同じく、たつの市のまちづくりの中心的役割を担っているのが真田忠敏さんです。昨年4月、たつの市の龍野地区にある18の自治会を取りまとめる龍野地区連合自治会長に就任し、住民団体「龍野みらい舎」でも代表を務めています。生まれも育ちも龍野地区で小学校の校長先生も務めた真田さんは、畑本さんが主宰するコミュニティカレッジ「ムカシミライ学校」で、まちの歴史や魅力を語り継いでいます。

「成人してまちを離れた子どもたちが帰ってくるたびに『龍野、いいところやなあ』としみじみと言うんです。観光用につくり変えられた町並みではなく、子ども時代に見た風景と暮らしがそのまま残っています。進学や就職で出ていった世代が、帰ってきたくなるまちにしていきたいですね」(真田さん)

真田さんは戦後長らく定期的に露店が出ていた頃の賑わいを取り戻そうと、20232月に龍野川西商店会とともに重伝建地区周辺の飲食店巡りを楽しむ「龍野城下町バル」を開催。老舗はもちろん、新しい出店者も多数参加しました。

「観光客を呼び込むことはもちろんですが、まずは住んでいる人の居心地のよさや楽しみが大切」と真田さん。自治会や住民団体、それを構成する商店や個人、自治体など、横断的な人のつながりによってまちの賑わいが作り出されています。

城下町は「田舎の都会」。ハイブリッドな暮らしを可能にする

長く住み継がれてきた地域への移住となると人間関係にまつわる不安はつきものですが、実はそう難しいことではないと畑本さんは言います。

「ご近所の方や自治会、商店会に挨拶に行くなど、基本的なことで充分です。こちらから自己開示をしていけば、おどろくほど親身になってくれます。城下町は昔の都心部でもあるから、あっさりとした付き合いで人間関係が複雑になることはありません。実際に移住して開業された方にお話を聞くと、ご近所の方が何かと気に掛けてくれつつ、ほどよい距離感でお付き合いを楽しんでいるみたいですね」(畑本さん)

地域の「暗黙の了解」を移住者と共有することも、畑本さんは大切にしています。「家の前を一日に何回も掃き掃除する」、「洗濯物を通り沿いに干さない」など、城下町としての作法が今も生き続ける重伝建地区。それらを単なる制約や義務ではなく「お殿様がいつ通られてもいいように平時から美しく保つ文化」として伝えています。

【取材後記】

たつの市の城下町を散策すること約2時間。自然と歴史が融合する風情あふれるまちには、1つの吸い殻も見当たりません。軒先に竹ぼうきが掛けられている家も多く、守られ続けてきたまちの文化が垣間見えました。観光開発の手が入らなかったからこそ残った、本物の古い町並み。畑本さんや真田さんに限らず、ここに暮らす市民全員がそれらを守り育ていこうとしている雰囲気が伝わってきました。

京阪神エリアから日帰りができ、姫路市まで車で20分のたつの市。移住・子育て・創業支援事業が充実しており、都市部からの若い移住者も増えているといいます。この先、どんなまちづくりが展開されていくのか、たつの市のこれからが楽しみです。

取材・文:北浦あかね 撮影:大坊 崇

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