島根県の隠岐諸島にある海士町。
古より後鳥羽上皇を始め幾多の 客人を受け入れてきた遠流の島は、今や全国から移住者が集まる地方創生の先進地だ。
その町に2021年初夏、新しいホテルが誕生した。
島外の海士ファンとの繋がり方をアップデートする可能性を秘める「Entô」。
ここを起点に、新たなフェーズに向けて動き出した海士町の新たなチャレンジをレポートした。
日本初の本格的なジオホテルが
海士町とファンとの未来の関係性を築く
海士町は隠岐諸島の4つの有人島のうちの一つ、中ノ島にある。
海産物のブランド化や教育の魅力化など、町の存続を賭けた島ぐるみの挑戦の数々が注目され、島外との積極的な交流も功を奏して移住者が後を絶たない。
その雄大な自然において世界に誇れる価値を有する隠岐。
中でも島前3島(中ノ島、西ノ島、知夫里島)は約600万年前の火山活動で出来たカルデラを囲む外輪山の一部で、各島の断崖絶壁は大地の成り立ちのダイナミックさを物語る。
2013年には「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」に認定され、海外向けの発信にも着手。各島に拠点施設を作るという地域構想のもと、ジオパークの面白さを最大限に味わうための機能を備えた“泊まれる拠点”、言わばジオ・ホテルとして2021年7月1日にオープンしたのが、Entôである。
今では人口約2200人のうち約2割がIターンという異例の離島だ。
Entô(エントウ) |隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点
Entô のコンセプトは「honest」と「seamless」
「Entô」は『遠島』。
Entôのoは丸い地球を示し、その上の^は島前。『地球にぽつん』というコンセプトを表現しています」。
こう語るのは、Entôを運営する株式会社海士の代表取締役、青山敦士さん。約15年前に移住して以来ずっと観光業に関わり、島の観光のあるべき姿を考え続けてきた一人。
「挑戦をやめるわけにはいかない」という海士町の文脈の中で、Entôはどのような存在たりえるのか。目指すジオツーリズムとは。
TURNSプロデューサー堀口正裕が青山さんに話を聞いた。
目前にありのままの自然が広がる
日本初の本格的なジオホテル
堀口
Entôを作った目的は何ですか。
青山
国内外問わず、海士町と親和性が高いお客様がもっといるはずなんです。しかしまだアプローチできていないし受け入れ施設も無い。この状況を打開しようと、約6年前にプロジェクトが始まりました。未開拓の客層をつかみ、実際に来て満足して頂き、新たな交流で地域がさらに良くなる。これが狙いです。
堀口
Entôに宿泊してあの部屋で感じたのは、自然との一体感みたいなもの。静かに自分と向き合う時間になりました。
青山
それは一番嬉しい感想です。お客様には、肩書きを外す、まっさらな自分に帰る感覚を味わって頂きたい。そのためにできるだけモノを減らし、空間を研ぎ澄ませることを意識して設計しました。また、すべての客室からジオ・スケープを堪能でき、自然の中で心をほどいて寛げる。この滞在がリセットになり、ご自身が次のフェーズへ進んだり、新しい問いを得たり…。そのような変容のきっかけを提供したいです。
無駄を削ぎ落とした内装。町のキャッチコピー「ないものはない」(余計なものは無くていい)をEntôでも具現化
堀口
〝自分を見つめ直す折り返し地点”。まるで「TURNS」ですね(笑)。
Entôのために移住したスタッフも多いとか。
青山
一般的なホテルと違って未経験者が多いのも特徴です。現場で苦労するでしょうが、コロナ禍の今こそ斬新な感性で観光業を変えていくチャンス。Entôらしい働き方を自信をもってやっていってほしい。
堀口
外観も内装も特徴的です。施設にはどんなコンセプトがあるのですか?
青山
「honest(ありのまま)」と「seamless(境目がない)」です。内装は限りなくシンプルに。そして宿泊エリアとジオ関連エリアとを明確に分けず、旅人と島民の暮らしとの隔たりが無いこと。宿泊客を地域へと送り出すビジターセンターの機能もあり、“島まるごと観光”の入り口です。
堀口
Entôが提供する食に関するこだわりは何ですか?
青山
単に美味しいだけではなく、食体験を通じて島のファンになり、会いたい生産者や行きたい場所が増えてほしい。地元の素材をそのまま目の前にお出ししてストーリーを伝えながら調理していく鉄板焼きをメインにしたのもそんな想いからです。
堀口
パートナーシップに関するEntôのスタンスを教えてください。
青山
大江町長は「みんなでしゃばる(=引っ張る)」というスローガンを掲げており、町内の各事業を連携させていこうという気運があるので、Entôもその流れに乗りたいですね。島外の企業とは、「ジオツーリズム」という切り口でさまざまな連携の可能性を探ります。連携のメリットは人材面でも大きい。例えばEntôスタッフが2年間だけ他の企業で働いてみたり、異分野の職場どうしで人が行き来しあうことで人材育成に繋げていきたいです。
堀口
最近始まった「オープンアイランド」について教えて下さい。
青山
海士町に来られたお客様に日中どう過ごして頂くかがずっと課題でした。翻って自分の友人が島へ遊びに来た時のことを考えてみたら、集落の飲み会に連れて行ったり、祭りで一緒に神輿を担いだり。住んでいる私たちが楽しんでいる行事や、面白い島民と共に過ごす時間といった、〝暮らしの中の幸せ〟をお裾分けするのが一番のおもてなしだと気づいたんです。そこで考えたのが「オープンアイランド」で、月に1回、地域ぐるみでお客様を歓迎し、一緒に過ごします。必ずしもEntôに泊まっていただかなくても、すべての観光客にとって楽しみ方の選択肢が増えることに価値がある。当社では地域連携チームを新設し、オープンアイランドにも関わってもらっています。お客様の声や地域の声をすくい上げてマッチングするコーディネート能力を重視しています。
堀口
島外とも島内でも「繋がること」が鍵ですね。海士町は今後どう変わっていきそうか、期待も含めて教えてください。
青山
関係人口の増加を目指す反面、これまでは町を応援したい人の関わりしろが乏しかった。その状況を変えたのがふるさと納税で、昨年から納税額が急伸。さらに未来共創基金が出来て、その納税を投資という形で、島のチャレンジに結びつけることが可能になりました。
Entôやオープンアイランドで旅人と島との関わり方が多様化していく中、未来共創基金によって島を応援してもらえる仕組みが整ったことは、大きな前進です。今こそ、海士町がずっと大切にしてきた〝交流〟の力を最大限に活かす時が来ていると思いますね。
内装も、スタッフも、働き方も
すべてがチャレンジ
Entôには各地から移住してきた個性豊かなスタッフが揃う。
真谷茉弥さん(兵庫県出身) はフロント担当。
大学新卒でEntôに就職。理由は「自然の豊かさと楽しそうな雰囲気」で、海を間近に見ながら働ける喜びを噛みしめる毎日。
ダイニング担当の簔毛英里さん(大分県出身)は友人の紹介で来島し、スタッフの熱量に魅了されて移住を決意。
ダイニングでは白イカなど旬の地元食材や隠岐牛の鉄板焼きで腕を振るう。
マーケティング推進室で広報に携わる池内亮太さん(京都府出身)は、網走や小豆島、デュッセルドルフなど国内外のでの勤務経験を持つ。
今の職場の「互いに応援しあう空気」が大好き。実は島での映画撮影を目論むクリエイターだ。
ありのままの島の暮らしを開く
観光を超えた新たな関係性が生まれる
5月のオープンアイランドでは、福井区で田んぼの周りの草刈りと田植えを体験。昔ながらの協働作業を楽しんだ。
日常に入り込むことで見える、海士町の真髄。
観光名所には行かず、日常の人、暮らしに直に触れることで、島の新たなファンが増えていく。
6月某日、語り部の濱谷包房さん( 93 )が20 人ほどの聴衆を前に海士弁で昔話を読み聞かせていた。「よぉい、さっさん(猿さん)! お前らちゃ、海の底の竜宮城ちゅうとこを見たことあっかえ?」(『猿の生き肝』)。
場所は御波区の公民館。耳を傾ける人々の中には、来島客である男性2名の姿があった。これはオープンアイランドという新しい島旅のワンシーン。
オープンアイランドとは、海士町で今春から始まった2泊3日のツアー。ただし観光名所へは行かず、地域の中で感じる関係性の面白さが目玉だ。ディープな界隈の散策や山菜採り、隠岐民謡の練習など、地元民と一緒だからこそできるアクティビティはアイデア次第で無限。偶然の出会いやアクシデントも何でもござれ。「また会いたくなる人に出会える2日間」を旅のコンセプトにしている。
人の面白さが最大の魅力と言われる海士町。島の風土に育まれた自然はもとより歴史や文化、人情までを丸ごと、短い滞在の中で伝えるにはどうしたらいいか。そんな議論の中からオープンアイランドの企画は生まれた。ガイドブックには載らない地域の良さは、実際に島民と交流して感じとって頂くしかない、という結論だ。
スタッフの一人、海士町観光協会の河本直起さんによると、この旅のチャンスは月に1回。全14 集落のうち毎月どこかの地区がフィールドとなり、その地区の住民の誰かが“当番”となる。そしてスタッフとチームを組み、旅をどうアレンジするかの知恵をしぼる。
とれたての海の幸にお客さんも大喜び。島の定置網で買ったアジは、区長さんがさばいてお刺身に
「この季節なら何が楽しいか、地区の良さをどう伝えるか。僕は6 月に御波区を担当したので御波在住の3人とアイデアを出し合いました。決めたプランは、2つの神社を含む地域散策と昔話、海鮮バーベキュー。サザエや白イカ、こじょうゆ味噌を付けた焼きおにぎりなど島らしいごっつぉが勢揃い。通りすがりの人や急遽呼び出された人も続々と参加して、地元民とお客様とが入り乱れる様子が海士らしくて最高でした!」(河本さん)
海士町出身・御波区在住の永原馨さん(右)は、陽気で面倒見がよくIターン者から頼りにされる存在。旅人をもてなす“当番”はまさに適任で、やる気満々だ
当番を務めた御波区の永原馨さんは、「またやりたい。コロナが落ち着いたらもっと派手にやろう!やっぱり交流って皆が元気になっけんなぁ~」と、地域でもてなすホスト役を存分に楽しんだよう。
また、参加した50 代の男性(東京都在住)からは後日このような感想が送られてきた。
「(前略)人生のターニングポイントになりました。船が離れるときにまた来ますと言いましたが、本当です。海士町は心さらいですね。もっと好きになりました」
新しい挑戦の掛け声、「オープンアイランド!」。この「ひらかれた島」を訪れた客人が、予期せぬハプニングを島民とともに笑って乗りこなし、一期一会の出会いに心震わせる。
本土へ帰るフェリーで「また来いよ~!」と見送られる頃には、島民との絆が生まれたことを感じて、次はいつ来ようか…と再訪への期待に胸を熱くする。そんな関係が連鎖していくことを、期待せずにいられない。
海士町を新たなフェーズへ導く
〝未来への投資〟
海士町ファンとの繋がりという、見えないものこそが最大の武器。
応援を外貨に換え、新事業に挑む島民への投資として〝見える化〟する新たな試みが始まった。
「ないものはない」(あるものを活かし、ないものは作る)の精神で、岩がきや隠岐牛といった地域資源のブランド化によるものづくり、教育魅力化による人づくりに挑戦し続けてきた海士町。過疎化・高齢化が進む“課題先進地” の島はいつしか地方創生の最先端とも呼ばれるようになった。雇用の創出で移住者が増え、人口減少が下げ止まるなど、一定の成果をあげている。とは言え、第一次産業を始めとする担い手不足は依然として深刻だ。
「次のフェーズへの過渡期とも言えるこの状況だからこそ、行政、産業、教育や福祉など各分野に横串を刺して、より強く効果的に連携していく体制を町ぐるみで作る必要があります。さらに、時代に合わせた新事業としてふるさと納税を推進し、得られた外貨を民間による新しいチャレンジに回していきたい。そのような狙いで立ち上げた官民連携の事業会社が、A MAホールディングスです」
そう語るのは、海士町役場の外貨創出特命担当課長を務める柏谷猛さん。AMAホールディングス株式会社は、2018年に海士町長を代表取締役として設立された、町が100%出資する第三セクター。外貨獲得と町内還元(地域内で経済を循環させること)を図るため、町からの委託としてふるさと納税事業と未来投資事業に取り組んでいる。この2本柱を連動させた仕組みが、2021年度から運用が始まっている「未来共創基金」だ。
ふるさと納税で得た外貨を
海士町の未来への投資へ
未来共創基金とは、海士町へのふるさと納税の年間納付額の約25 %を原資として投資運用される、島の未来に繋がる新事業を生み出すための基金のこと。そのスタートに先立って、海士町とAMAホールディングスは2020年、投資運用の母体として一般社団法人海士町未来投資委員会を設立した。未来投資委員会の理事会には、海士町の財政課長など一部の町民だけではなく、海士町と縁が深いさまざまな分野の経営者たちが揃い、島内の民間事業者のどのチャレンジ案件に投資をするかを審査するほか、新事業への資金援助や多角的な視点からアドバイスを行う“伴走者”として寄り添う。
海士町のふるさと納税額は、A MAホールディングスの営業活動や返礼品を充実させた成果で2020年に急伸し、全国から5000人以上、金額では前年比約2・4倍の1億2000万円に達した。この寄付金(納税)が増えれば増えるほど、より多くが実際のまちづくりに還元される。寄付者(納税者)には寄付金の使途はもちろん、投資する事業の進捗状況を定期的に報告することで、海士町に関心をもち続け、応援し続けてもらう。基金の名の通り、島外の“関係人口”と島に暮らす人々とが一体となって、共に未来を創る。
「海士町での仕事づくりや人づくりに寄与するような、本気度の高い、最低金額500万円以上の事業というのが基金の応募条件。島外の方でも、島内在住の方と協働であれば応募することができます。周りの人たちに好い影響を与える事業であることも重要です。既に3件のエントリーがあり、第1回の応募受付は5月末で終了しました。9月下旬の審査会までに、これらをより良い提案に仕上げていくサポートも私たちの役割です。エントリーした時点から伴走しているイメージですね。支援決定後は事業の内容も公開されますのでお楽しみに」(柏谷さん)
地域資源の活用と「新たな挑戦」が外貨獲得につながり、そこからさらに新たな人の交流が生み出される。
海士町の今年のふるさと納税目標額は3億円。高いハードルだが、是非とも実現したいと柏谷さんは意気込む。
「ふるさと納税推進プロジェクトは町からAMAホールディングスへの委託事業なので、ふるさと納税が増えればそれに応じた手数料がホールディングスに入ります。外貨が回ってきたらホールディングスでもっと人を雇えるので、雇用の受け皿となってU・Iターン促進にも貢献できるはず。魅力的な会社に育てて、お金が回り人も回る。それが理想の在り方です」
今年度の海士町は挑戦づくし。ジオツーリズムという切り口でグローバルな発信を始めるEntô。超ローカルな島の魅力を伝えるために“島をひらく”、オープンアイランド。振れ幅は大きいが、共通しているのは、地域を見つめる視点、そして島の魅力の本質を伝えていこうという姿勢だ。
さらにこれらの背景で、未来共創基金という仕組みを全国の自治体に先駆けて走らせている。したたかに、巧みに、あるものを活かしてチャンスを最大化するのは海士町の〝お家芸〟であり、一度は経済破綻しかけながらも知恵をしぼって生き残ってきた離島のしぶとさ、底力を感じさせる。
成功するかどうかはまだ分からない。しかしこの島には希望がある。ありたい未来を共に創ろうという意志がある。その一点において、海士町は今も、まちづくりの最先端を走り続けている。
文:小坂まりえ 写真:鈴木優太