心と身体の健康をめざし、
各分野の第一人者が参画
群馬県みなかみ町が力を入れて取り組んでいる、町の資源を人々の健康に生かす「ヘルスツーリズム」プロジェクト。実践を通じたエビデンスを取得・検証しながら、科学的根拠に基づいた健康維持・増進プログラムを開発するという、国内でも例を見ない先進的な取り組みだ。
10月18・19日の二日間にわたり、第一回目のモニターツアーが町内の猿ヶ京温泉で行われた。このエリアはみなかみ町が誇る風光明媚な湯処の一つ。都市部から訪れた参加者たちは、ここを拠点にアクティビティを体験し、体験前後の心身の変化について計測を行った。今回はさまざまなアクティビティの中から、人間にとって最も身近な全身運動である「ウォーキング」をピックアップ。歴史ある街道から自然豊かな森林まで、変化に富んだ猿ヶ京エリアの魅力を体感しながら、とことん「歩く」ことを楽しんだ。
「ヘルスツーリズム」プロジェクトでは、心と身体の両面から健康になることをめざし、各分野の著名な専門家が参画しているところも特徴だ。このツアーでは、スポーツ医学や運動生理学の第一人者である筑波大学・田中喜代治教授、そして、うつ病の再発予防やストレス対策などで今注目を集める「マインドフルネス」研究のパイオニア、早稲田大学・熊野宏昭教授の研究室から大学院生が参加。1日目はそれぞれの知見から、健康な自分を取り戻すためのガイダンスが行われた。
まず最初は、田中教授によるウォーキングの健康効果についてのガイダンス。ウォーキングを続けることは、体力増進だけでなく、ストレス解消にも効果的で、「プラスの心理スパイラルが生み出され、メンタルタフネスが向上する」そうだ。
「歩数の目安として、1日1万歩と言われますが、膝痛や腰痛などを抱える方にとっては5000歩でもきついですよね。一人ひとりの価値観、生き様、職業、年齢、体力に合わせて、自分にあったやり方を見つけることが大切です」(田中教授)
またウォーキングなどの有酸素運動に、筋肉を鍛える筋力トレーニングを組み合わせることで、より効果が発揮されるという。そこで田中教授は自宅で簡単にできる筋トレ方法を、実演をまじえて紹介した。
「筋トレを毎日少しでも実践すれば、一年後、みなさんの筋力はぐんと上がります。ウォーキングとともに、毎日5分、10分でも続けてほしいですね」(田中教授)
特に20?40代は日頃の運動の成果が出やすい年代。健康づくりをスタートするには年齢的にまだ早いのでは、と思ってしまうが、今のうちから少しずつ始めることが、健康寿命を延ばすことにつながる。つまり、早ければ早いほどいいのだ。
「若い人の多くは運動習慣の大切さに気付いていません。そのため、70歳くらいから頑張り始めて怪我をしているケースがとても多い。高齢になっても苦しまず、元気な人生を送るためには、できるだけ早い時期から健康づくりに取り組むことが大切です」(田中教授)
さらに、「ストレスとうまく付き合っていくには、スポーツを楽しみながら、オンオフを切り替えることが一番」という田中先生。実際にスポーツ選手はうつを発症する割合が少なく、うつ傾向のある人でも仲間とスポーツをすることで悪化を防ぐことができるそうだ。
「スポーツをしながら、自然と触れ合うヘルスツーリズムの総合的な効果はとても大きいと思います。日頃から運動習慣をつけて、月に一度くらいはみなかみ町でヘルスツーリズムを体験する。そういうリズムを作ると、心身を整えるコツがだんだん身についてきて、多少病気になっても長生きするんですよ」(田中教授)
今世界で注目を集める
「マインドフルネス」とは?
続いて行われたのが、うつ病や不安症といった心の病だけでなく、教育やビジネスの世界でも活用され、今世界中で注目を集める「マインドフルネス」のガイダンス。瞑想をベースとしたストレス対処法の一つで、自分の身体や心の状態に気づく力を育む、いわば「心のエクササイズ」だ。その効果はうつや不安、ストレスの低減、感情制御やセルフコントロールの能力の向上など、多くの研究によって科学的に実証されている。
講師を務めた早稲田大学人間科学部の大学院生、木甲斐智紀さんは、「ストレスの中で疲弊する現代人は、自分が疲れていたり、苦しんでいることに気づかないようにしながら無理に日々を乗り切ろうとしている人が多い」と話す。ストレスそのものより、“ストレスに対する向き合い方”の方がよほど問題だという。
マインドフルネスの瞑想では、意識的に世界のありのままを受けとめ、ストレスフルな生活に疲弊した自分を無視するのではなく、感じていることに素直に気づき、思いやりの心を向けていく。座禅のように無心になるのではなく、オープンな心持ちで自分の心を観察することに重きを置いているのだ。
「ストレスを遠ざけようと努力するより、ストレスも人生の一部として共生しようとする方が豊かな人生になるというのが、マインドフルネスの基本的な考え方です。ぜひ日常にも取り入れてもらいたいですね」(木甲斐さん)
この日はまず15分間の瞑想を体験。楽な姿勢になって目を閉じ、自分の呼吸に意識を集中させていく。一見簡単なように思われるかもしれないが、実際にやってみると、これがなかなか難しい。
「呼吸を追っているうちに、意識が別のところにずれていき、これって何の意味があるのかなとか、足が痛くなってきたとか、このあと何があるんだっけとかいろんなことを考え始めます。これは人間の基本的なシステムのようなものなので、悪いことではありません。ここで自分がどんなことを考えていたのかに気づき、優しく“OK”と言って、また呼吸の観察に戻ります。瞑想の時間はどんな体験もOKです」(木甲斐さん)
床に座って行う瞑想を体験した後は、歩行瞑想に挑戦。呼吸の感覚に加え、足の裏の感覚を意識しながら、ゆっくりと一歩ずつ歩みを進めていく。音や光の明るさなど、周りに注意を向け、五感であらゆることに気づこうという気持ちを持って歩くだけで、自然の楽しみ方も変わってくるそうだ。
「日常の中で落ち込みそうな時に、こうした瞑想を少しでも行うことで、自分の心のギアをよい方向へと切り替えることができます。毎日続ける中で、きっと見えてくる自分があるはず。セルフケアの一つの方法として身につけてほしいと思います」(木甲斐さん)
ガイダンス後は、歩行瞑想の実践として赤谷湖の周りを1km弱のウォーキング。その後は田中教授から、質のよい睡眠法とそのための温浴法についてのレクチャーがあり、参加者は熱心に耳を傾けていた。
「運動不足でパソコンばかりやっていると神経が高ぶり、なかなか睡眠に入っていくことができません。そこで睡眠前の入浴温度が大事になります。35?38度の“微温浴”は毛細血管への刺激が小さく、筋肉を弛緩させるので、安らいだ気分になれる。自分の身体に合わせて、こうした知識をいかに組み合わせて実践するか、その調整能力を養ってほしいですね」(田中教授)
このツアーでは、ウォーキング後、就寝前、起床後といったポイントごとに、心身の機能を調節している「自律神経」を測定。その方法は2分30秒の間、椅子に座って目を閉じ、楽にしているだけ。その間に指先で脈拍の変動をチェックする。心身の健康状態を測るものとして、今最も重要視されている自律神経。学術的にも評価され、プロのアスリートも使っている最先端のデバイスを使用することで、信頼できるエビデンスを取得し、分析につなげる。
今回宿泊した「猿ヶ京ホテル」は、マクロビオティックの考え方を基本に、長年にわたって健康な食の研究に取り組んできた、まさに健康志向の宿。館内の豆腐工場でつくる自家製の豆腐料理が名物だ。夕食では、湯葉や豆腐の燻製、豆乳のしゃぶしゃぶなど、バラエティに富んだ豆腐懐石を堪能した。「ヘルスツーリズム」プロジェクトでは、食のプロと地域が一緒になって、心と身体の健康を考えた食の開発も行っている。今後はこうしたツアー参加者の感想も参考にしながら、みなかみらしい新たな食の形を作り上げていく。
みなかみで得た健康効果や知識を
そのまま日常に生かしてほしい
2日目は、早朝から約1kmのモーニングウォークで身体を慣らした後、朝食を挟み、メインとなるアクティブウォークへ。観光と運動をテーマに、三国街道を西川姉山方面へ約6kmの道のりを強弱をつけながら歩く。道中は「猿ヶ京ホテル」の大女将、持谷靖子さんがガイド役を務め、猿ヶ京の歴史や見どころを解説。街道ではこの地の歴史に思いを馳せ、森林では色づき始めた木々に季節の移ろいを感じ、変化のある道のりを五感で体感した。
ウォーキングの合間には、自然に囲まれた中でマインドフルネス瞑想を実践。「屋内と外ではまったく違う感覚で、風の感触や自然の音がとても心地よかったです」と参加者の一人。屋内とはまるで違う音、風、匂いなど、自然の中だからこそ感じられるものを実感できた様子だった。ホテルに戻った後は、温泉に浸かってクールダウンし、効果測定を実施した。
この2日間の体験について、東京から参加した会社員の青柳智裕さんと大学院生の佐々木恭平さんはこう話す。
「私はストレスを感じやすい性格なんですが、自律神経を測定した時にそのことをご指摘いただきました。改めて自分を知ることができたのは大きかったですね。自律神経の乱れを整えるためにも、マインドフルネス瞑想を今後も続けてやってみようと思います」(青柳さん)
「ここには東京とは違うゆったりとした時間が流れていて、心からリラックスできました。これまで呼吸に目を向ける機会はなかったのですが、自然の中で深く息を吸い込むことで自然の香りが感じられて、穏やかな気持ちになれました。田中先生から伺った質の良い睡眠方法や入浴方法を、ぜひ実践で生かしていきたいですね」(佐々木さん)
「ヘルスツーリズム」プロジェクトがめざすのは、みなかみ町での非日常の体験を日常生活に生かし、心身の健康を長く持続してもらうこと。ツアーの最後には、この二人だけでなく、多くの参加者たちが「今回得た学びを日常に生かして、実践していきたい」と話していた。都心から約1時間のみなかみ町が、都市生活者の健康を取り戻す拠点となる、そんな大きな一歩を踏み出した。
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