新潟県本土から船で約一時間、
日本海にぽつんと浮かぶ小さな離島「粟島」。
病院もコンビニもないこの島で
全国から集まったしおかぜ留学生たちは
手つかずの大自然と心を通じ合える動物、
優しく見守ってくれる島民、
気の置けない大切な仲間たちに出会いました。
人口三五〇人の小さな島に、
全国から子供たちが集う
新潟県村上市の北西、日本海に浮かぶ「粟島」。粟粒のように小さいことが由来となり名付けられたという説もあるほど小さく、島の周囲はわずか二三キロメートル。自転車で三時間、車で四〇分もあれば島全体を一周することができる、小さな独立孤島だ。現在の島民人口は約三五〇人。村にはコンビニがなく、保育園や学校も一つだけ。病院もないため週に二、三回のテレビ診察が島民たちの健康を支えている。そんな手つかずの自然にあふれる粟島で、六年前からスタートしたのが『しおかぜ留学』だ。
『しおかぜ留学』は、〝人が育つ島づくり〟を目指して二〇一三年から始まった。豊かな自然を活かした体験や地域住民との交流、馬とのふれあいによる命の教育、小規模学校でのマンツーマン教育などを通じ、未来に通用する子供たちを育てていくことが目的だ。初年度には六人だった留学生も今年度は十四人となり、民宿を改装した『しおかぜ寮』で小学五年生から中学三年生までが仲良く一緒に暮らしている。
馬の世話を通じていのちを学ぶ
留学生たちの一日は、十頭の馬の世話から始まる。毎朝六時に起きて、みんなで一緒に自転車で牧場へと向かうのだ。子供たちが通う『あわしま牧場』は〝日本一海に近い牧場〟とも言われ、しおかぜ寮から海岸線に沿って二〇分ほど歩いた場所にある。粟島には古くから野生の馬が多く生息していて、昭和初期には五十〜六十頭の馬がいたという。そんな島の原風景を取り戻すべく、数年前から牧場の整備に力を入れ始めたのだ。潮風に吹かれる馬たちは、なんだかとても気持ち良さそう。牧場での仕事は、餌や水やり、ボロ拾い、馬房の掃除など。毎日馬の様子を細かくチェックして、体調管理も子供たちが自ら行う。日常的な世話だけでなく乗馬に必要な調教もしているため、子供たちと馬のコミュニケーションはかなり密なものだ。年に数回は島外の馬術競技会へ出場するなど、乗馬のレッスンも積極的に行われている。
毎朝早くから牧場へ行って作業をするのはきっと大変なのでは……と思い子供たちに話を聞いてみると、「もともと動物が大好きなので毎日馬と触れ合えて幸せです」「お世話をしているうちに愛着が湧いて家族のような気持ちになってくるので、今の生活に欠かせない存在なんです」と、みんな馬のことが好きで仕方ないようだ。東京から留学に来た中学二年生の那須あんなさんは「ゴールデンウィークに東京へ帰っていた間も『馬たちはどうしてるかな』という気持ちでいっぱいで、早く粟島に帰りたかったんですよ」と話す。離島留学制度は人口減少に悩む多くの島で行われているが、馬の飼育や調教をする中で〝命の大切さ〟を学べるのは、粟島のしおかぜ留学の大きな特徴と言えるだろう。
島にたった一つの学校で、
小・中学生がともに学ぶ
牧場での仕事を終えると、寮へ戻って朝食を食べ、お弁当の準備をして学校へと向かう。島で唯一の学校『粟島浦小中学校』は明治二十五年に創立された歴史ある学校だが、現在の生徒数は十三人の小学生と十一人の中学生のみ。合計で二四人の生徒のうち、十四人は全国から集まったしおかぜ留学生たちだ。人口の減少や高齢化に伴い子供の数が年々減り、このままでは学校を存続できなくなってしまうのでは……という懸念があったのも、しおかぜ留学の取り組みが始まった理由の一つだった。「島に留学生が来て〝同じ教室で学ぶ仲間〟が増えたことで、もともと島にいた子供たちの学習意欲が増した」という保護者からの声もあったという。小学六年生の越山円夏さんによると「小学生と中学生が同じ校舎で過ごしているから、上下関係があまりないところがいいなと思います。昼休みも学年関係なくみんなで一緒に遊ぶし、本土の子供たちと比べると男女の仲もいいのではと感じます」と言う。たしかに、留学生たちを見ていても「男の子だから」「女の子だから」というしがらみがあまりなく、まるで兄弟のようにフラットな関係を築いているように感じる。
自分のことは、自分でやるように
学校から帰宅すると、再び馬の世話をするために牧場へ。平日は朝夕、土日には昼も牧場へやって来るのだとか。自由時間の他の過ごし方について尋ねてみると、夏には海水浴、最近はトランプや花札を使って遊ぶのが流行っているそう。寮にはテレビゲームやスマートフォンがないため、留学生たちの興味の対象も自ずと「自然」や「動物」になってくるのだろう。また、牧場での仕事だけでなく、畑での収穫作業や、食堂や民宿の手伝いなど、地域と密着した体験活動も豊富に行われている。そのおかげか留学生たちは島の事情にとても詳しく、おすすめの宿や飲食店、写真スポットなどについてもいろいろなことを教えてくれた。
夕食の時間になると、男子寮の子供たちがぞろぞろと女子寮へやって来る。寮は男女で二つに分かれているが、食事の時間はみんなで一緒に過ごすのだ。寮で子供たちを日々見守る寮母さんが心を込めて作った料理を、みんなで一斉にいただく。育ち盛りの子供たちはおかわりにも積極的だ。食事が済むと、洗濯や部屋の片付け、入浴をして、それぞれ宿題を終わらせてから十時に消灯となる。洗濯や掃除など家事のほとんどを自分たちで行わなくてはいけない寮での生活は、子供たちにとって大変ではないのだろうか? 粟島へ来て二年目だという中学二年生の佐藤和音さんは「宿題が多い日は家事をやっている余裕がなくて大変ですが、徐々に慣れてちゃんとできるようになりました。ただ、粟島にはコンビニが一つもないので、必要なものをすぐに手に入れられないっていうことだけは少し不便に感じますね」と話す。
ここでしかできない経験に魅力を感じ、
親元を離れて粟島へ
豊かな自然とのふれあいや少人数での教育など、都会にはなかなか出合えない魅力を持ったしおかぜ留学だが、そもそも子供達はどんな目的でこの場所へやって来たのだろうか? 疑問に思いみんなに尋ねてみると、「ずっと都会で育ったのでこういう大自然の中で暮らしてみたくて」「今まで行ったことがない場所にとにかく行ってみたかったんです」「馬と一緒に生活できるのっていうのが一番の理由です」ときっかけはさまざまだ。インターネットなどを使い自分でこの制度を見つけた子供も多く、みんな自主的に留学を考えたという。親元を離れて暮らす留学生たちは長期休暇のみ地元へ帰って家族と過ごすそうだが、ホームシックになることはまったくないというから驚きだ。「友達と遊んでいた方が楽しいし、ここでは一日中誰かと一緒にいられるから安心できるんです」「粟島は人口が少ないから島全体が家族という感じがして、寂しくなることはありません。道を歩いていてもみんなが声をかけてくれるし、地元にいた頃よりも積極的に人と会話できるようになったと感じます」などと、小さな島ならではの人情味にあふれた生活を全力で楽しんでいるようだ。
粟島で行われる季節ごとの行事に魅力を感じている留学生も多い。毎年五月頃に開催される『島びらき』は、名物料理『わっぱ煮』や島で獲れた鮮魚の販売、ステージでの出し物などが行われ、島民総出で観光シーズンの幕開けを祝う子供たちに大人気のイベントだ。他にも、島で獲れたワカメを乾燥させて売り物にする『ワカメ作業』や『村民運動会』など、都会ではできない経験をたくさんできる。また、島の生態観察や『海岸クリーンアップ作戦』など、自然に親しみながら取り組む環境学習も多く行なっているという。
思い出の詰まったこの島を愛する
しおかぜ留学生たち
「いつか必ずこの島に戻ってきたい」。これまでしおかぜ留学に参加した子供たちは、口を揃えてこう言う。実際に、六年前に粟島にやって来た第一期の留学生たちは、二十歳を迎えたのをきっかけに島に再集合し、みんなで成人式を行った。戻って来た卒業生が村の漁業に携わるという事例もあるという。粟島浦村教育委員会の脇川さんは「しおかぜ留学生の応募数は毎年定員を超えてしまうため、お断りしてしまうことも多いんです。でも、受け入れることができなかった子もプライベートで粟島に遊びに来てくれたりして。他の地域で育った子供たちがこの島のことを愛してくれているのは、地域住民としても嬉しいことですよね」と話す。また、粟島には高校がないため、留学生に限らずすべての子供たちが親元を離れて本土の高校へ進学することになる。留学へ来て二年目だという中学三年生の髙橋初菜さんも、「私は中学を卒業したらこの島を出なくてはなりません。これまで一緒に生活してきた友達や学校の先生、お世話になった地域の人たちと離れるのはちょっと悲しいですね」と寂しそうな表情を見せた。粟島で一生ものの思い出を手に入れた子供たちは、この島を離れてもきっと強い絆で結ばれていくだろう。
文・編集/大場 桃果 写真/兼下 昌典