夫婦で営む接骨院とバレエスタジオ。
“手の中にあるもの”を活かしてきた妙高での日々

花言葉は『peace(平和)』そして『wisdom(知恵、賢さ)』。幸せを呼ぶ木と呼ばれているオリーブになぞらえた店名が掲げられた接骨院とバレエスタジオが妙高高原にあります。

夫婦がそれぞれ運営している『オリーブ接骨院』と『オリビエバレエスタジオ』が2020年4月にリニューアルオープンしました。

千葉と妙高を行き来し、あるものを活かしながら「ここだから出来ること」を見つけ出した夫婦のお話です。

 

この場所だから出来ること


1階は接骨院、2階はバレエスタジオ

「この建物は親の持ち物だったんです。もったいないなと思いながらも、ずっと放置していた空き家でした」

中島功さんは妙高市出身の柔道整復師。高校を卒業した後に妙高市を離れ、就職してから独立・結婚まで千葉で過ごしました。

中島功さん
昭和45年生まれ、妙高市出身。柔道整復師(接骨院の先生やスポーツトレーナーが取得する国家資格)の資格を取得し、千葉県船橋市で接骨院を開業。平成25年に妙高高原駅に2店舗目となるオリーブ接骨院をオープン。現在は船橋市の営業は後輩に引き継ぎ、妙高市にUターン。

 

「今の場所に接骨院を移す前は、妙高高原駅近くのテナントを借りていました。ただ、せっかく妙高市で開業するなら雰囲気があって、少し非日常な手作り感がある場所を持ちたいと考えていたんです」

木の質感が周囲の景色と調和する外観。待合室を抜けると車庫だった部分も含めて改装された施術室があります。小上がりを活かした段差も接骨院ならではのこだわりで、ステップのトレーニングに使っています。


オリーブ接骨院待合室


小上がりを活かしたステップ

「思い起こせば、20代のときに多様な世代が集まる空間を妙高市につくりたいと思っていました。プロスポーツ選手がリハビリしている横に子供達がトレーニングをしていて、それを見たお爺ちゃんが『がんばりな』なんて言ってる。描いていたことが実現に向かっているのを感じています」

あるものを活かそう」と考えたのは、同じ移住者のカフェを訪ねたのがきっかけでした。訪ねたのは、民家を改装した山の家カフェ。オーナー自身が設計した内装を見た時に「自分の場所も、こういう風にしたい」と相談したそうです。


車庫を改装した施術室

「この建物なら絶対よくなるよって言ってもらって、そこからはトントン拍子。自分で釘を打ったり、壁を塗ったりしながら、3ヶ月後には改修まで終わり、かなり費用を抑え施工を完了することができました。船橋で同じ物件を持とうとしたら、どのくらいかかるのでしょうね」

船橋市と妙高市の地価は50倍以上の差があり、人口規模は20倍近い差があります。しかし、実際に両方の地と関わる中でどのような違いを感じていたのでしょうか。

「妙高市に専念する前は、船橋と妙高を週2〜3回の頻度で往復していた時期も数年あったんです。妙高は立地がいいですよね、千葉へも日帰りで行けます。そう思った時に、千葉にずっといなくても、妙高にいることで出来ることがもっとあるんじゃないかと思ったんです」


機材は千葉と東京の縁ある業者から納入してもらった

都心と妙高を行き来をしていた当時は妙高高原駅近くのテナントを借りて運営していました。妙高市内でも数が少ない接骨院。土曜日(※)の営業をしている所となれば、なおさら貴重な存在です。

※月〜土営業で、日曜日は基本お休み。(院内イベントは日曜日でも開催)

オリーブ接骨院に導入されている設備を利用するために、周辺の市町村から通ってくる患者さんもいました。

「この場所だから出来ることを目指そうと決めました。同じ柔道整復師や理学療法士が戻ってきた時に働ける場所になって欲しいですね」

船橋の接骨院を後輩に託し、現在のオリーブ接骨院の経営に専念。現在は複数人の移住者スタッフや北海道から戻ってきた柔道整復師などが働いています。

 

自分を活かす第一歩

オリーブ接骨院の2階へ上がると鏡張りの広いスタジオがあります。
オリビエバレエスタジオ」は中島洋子さんが運営するバレエ教室。千葉県出身の洋子さんは妙高市への移住をキッカケにクラッシックバレエ教室をオープンさせました。

中島洋子さん
昭和46年生まれ、千葉県出身。6歳より東京バレエ劇場支部にてクラシックバレエを始める。大学卒業後同バレエ団入団。数々のバレエ団公演・支部発表会に出演。同支部教師としても10年間指導にあたる。退団後は長期間のブランクがありながらも、妙高市への移住をきっかけにクラシックバレエの指導を再開。
2014年、NPO法人日本スタビライゼーション協会
スタビライゼーション・アドバンサー(Stabilization Advancer)取得
2017年、BODY CODE SYSTEM in italy認定MasterStretch(マスターストレッチ)トレーナー資格LevelⅠ取得

 

「クラシックバレエを退団した後、接骨院でストレッチ教室やバレエエクササイズの指導をしていました。妙高市に移住してからは少し離れていたのですけど、接骨院のお客さん達に『なんでバレエやらないの?』とは言われていたんです」


長いブランクを経て、指導を再開した

妙高市にクラシックバレエが習える場所は数える程度。洋子さんが住んでいた千葉には多くの教室やスタジオがあり、洋子さん自身も組織の中で教えることはあっても、自分自身のスタジオを開くことは考えていませんでした。

「自分のバレエを教えること」へ踏み出すための最初の一歩には、自分の中にある自信と謙遜、一から物事をつくることへの不安、周りからの期待、様々な感情と環境に向き合う必要がありました。技芸を極める人の多くが持っている感覚です。


木造の天井を抜き、広々とした空間へ

「クラシックバレエの世界で言えば、もっと実績がある人がいます。その中で私が妙高市でスタジオを開く。自分とクラシックバレエと関係を考えるには、とても良い時間と環境でした」

洋子さんのスタジオが妙高市で始まったとき、生徒数は数名の状態。1年程は少人数でのレッスンが続いていました。


トウシューズを初めて見る生徒がほとんど

「生徒さんは『今までやってみたかった、習わせてみたかった』という初心者の方が多かったです。私としても日常に溶け込むようなバレエ教室でいられたら良いなと思っていましたから」

転機が訪れたのは「発表会をやってみないか?」という一言。スタジオ内で生徒の家族だけを観客にした発表会をしたことで噂を聞いたバレエの経験者からの問い合わせが増えたそうです。

「新井(妙高市内)の方にあった教室が閉じてしまって、そこに通っていた生徒さんが習える場所を探していたそうなんです。発表会の話が伝わって、少しずつ通っていただける生徒さんの数も増えました」

口コミ、人伝いに話が広がるのが妙高市の特徴。存在が認知されるようになって舞い込んできたのは市内の多目的ホール「妙高高原メッセ」でのステージ公演でした。

「東京バレエ劇場で教えていた時に公演は何度もありました。ただ、それは組織の中でやっていたことで、自分で1から作り出すのは初めての経験でした」


生徒とスタッフが制作してくれた看板

ステージを手伝ってくれたのは生徒さんの家族や友人。決してプロの集団ではないですが、一緒に作り上げた経験は洋子さんにとって大きなものになりました。

「若い時は自分が踊ること、教えることだけで充実していました。でも、妙高市に来てから色々な経験をして、千葉にいた時に比べて新しい感性が入ってくるような感覚です


屋根と天井の間の空間に保護者用のスペースを作った

この地域は子供が習い事をするにも、車での送り迎えが必要です。子供を通して関係が広がったり、活動を通して関係が広がったり、何かをする時に人との繋がりが軸になって始まりやすい妙高市。発表会は年々大きくなり、30名以上が出演するまでになりました。

来てくれる人にとって、どんな場にしたいか

接骨院とバレエスタジオ。夫婦それぞれが積み上げてきたものがカタチになった場所に人が集まるようになり、心境や妙高市へのイメージも変わっていきました。

功さん「妙高に帰ってくるまでは『自分のこと』が中心にあったように思います。でも今は『来てくれる人にとってどうか』とか『この環境をどう利用するか』という所まで発想の範囲が広がりましたね

洋子さん「そう。バレエをする環境としても窓から見える景色がビルの壁ではなくて四季の山だったり、動物だったり。『窓の外に狐がいる!』なんていう、ちょっとしたことで、話題になって会話が生まれるのも良いですね

2階のバレエスタジオは天井を抜いて、観覧スペースを作ったりバルコニーを作って星空の下でヨガをやったりと今ある環境を活かしていました。

妙高市が持つ環境やこれまでの人間関係が活かされることで、その場所の可能性も広がります


近日中にスタジオにサンドバックを吊るすそうだ

功さん「千葉の友人が子供を連れて毎年来てくれますし、通っていたキックボクシングのジムが合宿に来てくれるというような、妙高にいても千葉の人間関係って続いているんですよね

洋子さん「バレエだけじゃなくて、ヨガに使いたいとか、合気道の体験をやってくれるとか、私達以外の人がこの場所を使ってくれるようにもなりました。それぞれの人間関係、これまでの人間関係がこの場所で繋がるのは良いことかなって思います」


洋子さんはレッスン以外にも身体づくりの指導にも取り組む

ここ数年は、移住者も増えて人間関係がより広がっていった感覚があるのだといいます。今までいた場所での人間関係、妙高に来てからの人間関係、夫婦それぞれが広げてきた人間関係、それらが集まってくるような、そんな場所にしたいと話します。

功さん「人生の先を考えると、人との繋がりって大事な軸になってくると思います。人の繋がりがあって、僕らもこういう場を持てました。もし、やりたいことがあれば、年代や経歴に関係なく、人の繋がりにアンテナを張っていれば、どんなことをやっても先駆者になれるのではないですかね」

まるで、前から知っていたかのような家族づきあいが自然にできるのが妙高の魅力だと話す功さん。


人の姿と温もりが伝わる手書きのボード

そして「今までの妙高での暮らしに+αとなるような場を提供したい」とこれから先の展望を話す洋子さん。

 

人の繋がりが人を呼び、繋がり、日々の幸せを呼び込む。そんな妙高での日々を重ねていく。妙高市で育てるオリーブの木は、人との繋がりそのものなのかもしれません。

 

文/大塚眞
写真/ほんまさゆり