鹿児島県の「北薩摩」って、どんなところ?
鹿児島県の「北薩摩」は、薩摩半島の北部に位置し、熊本県との県境に接する出水市・阿久根市・薩摩川内市・さつま町・長島町の3市2町で構成されています。
鹿児島県の中でも農林水産業や製造業が盛んな地域であり、九州新幹線や南九州西回り自動車道も走っており、鹿児島市や熊本市、福岡市などへの交通の便にも恵まれています。
POINT①:農林水産業
北薩摩の西側には、東シナ海が広がっており、甑島や獅子島等の離島があります。各地でブリや鯛などの養殖が行われ、ばれいしょや豆類、かんきつ類などの栽培も盛んです。POINT②:製造業
特産の農林水産物や食肉等の食品加工、芋焼酎の製造が盛んで、自動車部品や電子部品等の製造工場も立地しています。また、伝統の和紙や竹細工、薩摩切子などの製造、太陽光や風力等の発電事業も行われています。POINT③:観光・サービス業
国定自然公園の甑島、日本文化遺産の麓武家屋敷群、雲仙天草国立公園の一部である長島町の島々、ラムサール条約登録湿地である藺牟田池やツルの渡来地があり、紫尾温泉や市比野温泉、川内高城温泉など県内有数の温泉地でもあります。
「甑島(こしきじま)に住むと伝えたら、母には『信じられない』と言われましたね。親戚もおらずもう行くことはないと考えていたんでしょうし、びっくりしたんだと思います。」
しかし、けやきさんをかつて甑島に連れてきたのもまた母親だった。小学校から高校生まで、夏休みは母方の祖父母を訪ねて島へ。海辺で遊んだり、祖父と釣りをしたり過ごした。
けやきさんが暮らす手打(てうち)を眼下に望む
それから20年近い時が経ち、なぜけやきさんはRターン(自分の起源の土地への移住)という選択をとったのか。そこには、夫・慎治さんと共有する夢、地元の人たちからの歓迎の声、オリンピックという大イベント、移住を取り巻くさまざまな巡り合わせがあった。
『串焼きバルテウチ1600』店主 池内けやきさん
1973年横浜生まれ。高校・大学時代をアメリカで過ごす。大学はデザイン(インテリア・工芸)専攻。卒業後都内で飲食・アパレルなどの仕事を経て、2019年2月に夫婦で下甑島へ移住。地元の小学校やグループホームでの仕事をしながら開業準備に入り、2020年1月にテウチローカルフードカンパニーを開業。翌月に、『串焼きバルテウチ1600』オープン。
太古のロマンが眠る島にて
港に足が着くや否や、ピーヒョロロとトンビの通る鳴き声が上空をひとまわりして山に消える。釣竿を持った乗客たちは慌ただしく散っていき、間もなく波が波止場で割れる音と自分だけが取り残された。沖の方へ目をやると、巨石のような小島が無造作に生えている。白亜紀からの地層が残されており、8000万年の積み重ねを堪能できる断崖は甑観光の目玉だ。
甑島は、鹿児島県薩摩川内市にありながら、本土から沖合45kmにある離島。正確には、上甑島(かみこしきしま)、中甑島(なかこしきしま)、下甑島(しもこしきしま)が連なる甑島列島で、その名前は、甑大明神として崇められるせいろ(=甑)の形をした巨石に由来する。 ※本記事の会話においては従来の呼称を尊重して「こしきじま」と読みがなを振っています。
昨年夏に開通したばかりの架橋を渡り、上甑島から中甑島を抜け下甑島へ。トンネルの数と長さに地層を肌で感じながら集落・手打に着くと、目が醒めるような白浜が広がっていた。
夢を叶えられる場所は思い出の島だった
「いずれ、海が近い町で、お店をしながらゆっくり暮らしたいね。」
池内けやきさんと夫の慎治さんに、移住前からの家族であるトイプードルのくう。
そんな夢を、ともに飲食の現場で働く池内夫妻は共有していた。事が大きく動きだしたのは、けやきさんが働くお店の研修で奄美大島を訪れたときのこと。『鹿児島の離島』という共通項から、ふっと下甑島を思い出す。忘れていた訳ではないが、そこで島と夢がつながった。
そうと決めたら早いもの。二人は別々の店で昼と夜で働いていたが、予定を合わせ島へ向かった。そもそも、そうしたすれ違いの生活を送っていたからこそ抱いていた夢。子どもの頃にはよく来たとはいえ、常に祖父母のそば。さらに20年も経てば知らない場所も同然。
移住前に島を訪れたときの様子
「天気は悪かったですね、いいイメージはなかったかな。」
ならばどうして移住を?というのが素朴な疑問、すると納得の答えが返ってきた。
「滞在中に地元の人たちとの集まりに参加したんですけど、私たちの飲食店を開こうと考えをすでにみんなが知っていて、『やってほしい』と言われたんです。移住した先に自分たちが求められていることがあるという状況が、最後のプッシュになったと思います。」
だが、それまで藤沢で暮らしてきた家は持ち家。さすがにそこが売れないと簡単には離れられない。ともかくまず不動産屋に相談したところ、買い手はたった二週間足らずで現れた。
藤沢の家から夕暮れに望む富士山
「むしろ『いつ出るの?』と追い出されるように引っ越しましたね(笑)。高台で、富士山も見えて、裏は神社でウッドデッキ付きと良い条件だったと思いますが、ちょうどオリンピックのセーリング会場が湘南に決まっていたので、タイミングもよかったと思います。」
馴染みのある焼き鳥メインで、珍しい食材も。
『テウチ1600』は、店名やメニューから手打に根差すという意志を感じる。名前は分かりやすく住所そのもの、看板メニューを焼き鳥としたのも、誰にとっても馴染みあるからだ。だがその中で、たとえば『フォアグラ』といった異彩を放つものがあるのもおもしろい。
夕暮れ時、提灯が赤く灯され開店を知らせる『テウチ1600』。
お店のスタンスについて慎治さんは話す。
「地元の人たちに向けて商売しているお店なので、メインにあまり馴染みのないものを出すのもよくないなと。焼き鳥なら誰でも知ってるじゃないですか。でも、島では食べられないものも提供できればと思って、ときどきフォアグラや馬肉、生ガキなども仕入れてます。」
串焼きメインのメニューの一方、奥のボードにはフォアグラや馬刺しの文字が。
それができるのは都会の飲食店で働いてきた二人のネットワークあってのもの。しかし、都会であれ、都合よく近所にフォアグラや馬肉まで食べられるお店はそうそうない。下甑島にも若い移住者は多くはないそうだが、島で生まれて都会暮らしを経て帰ってきた人たちがいるという。彼らがテウチ1600で都会で食べたことのある味を懐かしんで喜ばれるそうだ。
甑は暖流に面した地域で、きびなごが豊富に獲れる。
今はまだコロナ禍で様子見といったところだが、これからは地元の漁師さんと連携しながら、島で獲れた新鮮な魚介類を使った観光客向けのランチ営業も考えているとのことだ。
移住後は、生活の時間がたっぷりできた。
移住してよかったことは?とけやきさんに尋ねた。
「生活のための時間がすごくある、ということですね。都会にいたときは通勤に往復3時間かけていたし、その中で寄り道も多かったけど、それがぜんぶなくなった。こっちだとないものは自分でつくるしかない。パンとか、島に来て靴下なんかの編み物もはじめました。」
「この子たちも走り回れてよかったんじゃないかな」と小さな家族を抱く池内夫妻。トイプードルのジジもくうと同じく藤沢から、白黒猫のぴいとは島で出会った。
田舎全般に言えるかもしれないが、離島には手芸・工作系の趣味人が多い気がする。私自身も離島に住んで感じることだ。お金を使いすぐに楽しめる娯楽が少ないこともあるし、住人同士で感化されて趣味が増えることもあるのだろう。逆に困ることは?と尋ねると、島に来てDIYやバイクのカスタムをはじめたという慎治さんからおもしろい答えが返ってきた。
「ホームセンターがないことですね。DIYに必要な道具や材料があってもすぐ買えない…」
「それDIYをはじめたからじゃん」とけやきさんが笑う。趣味ができたからこそ、困ることもある。そんな状況を通しお二人が下甑島での生活を心底楽しんでいる様子がうかがえた。
大型バイクをメンテナンスする慎治さん
「そこで何する」は、地域との接点になる。
移住を考えるにあたって、誰でも気になることのひとつが「地域に溶け込めるか」ということだろう。もちろん、溶け込まなければ住んではいけない訳ではないけれど、その交流は田舎で暮らすことの醍醐味だと言ってもいい。それに、おすそ分けだってもらえないし。
そこでまずは、地域の先輩たちと会って話してみるというのは大切だ。そのとき、誰かに間に入ってもらうのが一番いい。そう考えると、池内さんは、すごくいい形で移られたのだろうなと感じた。「お店をやってほしい」「手打(下甑島)に住んでほしい」と求められる。移住における心理面の壁は、それだけでほとんどなくなると言ってもいいのではないか。
くうを抱くけやきさんと、慎治さん。
それだけを基準に仕事を選べる人は多くないとは思うけれど、移り住んで、何をするか、そして誰とつながるか。それを地域に対し伝えることは、必要なプロセスなのかもしれない。
文/ネルソン水嶋
写真/ネルソン水嶋、池内けやき(提供)