長野県佐久市で見つけた、
地域と関わりながら
自分を表現する仕事。

八ヶ岳山麓と浅間山を望む長野県佐久市。標高650〜800mに位置する望月地区は、昼夜の寒暖差と肥沃な土が濃厚な味わいを育む高原野菜の名産地です。

2011年、農業を志して東京からこの地へ移り住んだ吉田典生さん。現在は農業法人「Farmめぐる株式会社」を立ち上げてレタスやミニ白菜、ニンジンなどの有機栽培を行い、県内のスーパーや生協に出荷しています。

吉田さんが農業を始めたのは9年前、32歳のときのこと。それまでは10年間、国家公務員として国税局や国税庁で忙しく働く日々を送っていました。まったく違う世界へ飛び込んだきっかけは、それからさらに12年前、大学時代にさかのぼります。

 

学生時代のアルバイトで体感「農業は楽しい」

京都の大学に通っていた二十歳のとき、吉田さんは当時欲しかったバイクの資金を貯めようと、長野県・川上村のレタス農家の短期アルバイトに出かけました。

「大学で環境について学んでいたこともあり、農業に興味があったんです。いざやってみると、早朝4時から夕方までの肉体労働は大変でした(笑)。でも、すごく楽しかったんです。特に鮮明に覚えているのが、毎日仕事終わりにバイト仲間と小川沿いの道を歩いて駄菓子屋へアイスを買いに行ったこと。体はクタクタなんだけど充実感があって、夕日がきれいで。『農業って楽しいな』と全身で感じましたね」

大学卒業後は国税局に入局。さまざまな事業所を訪ねて税務調査を行う業務を担当し、ハードに働く日々を送りました。

「帳簿とにらめっこする仕事と思われがちですが、ほとんどの時間は調査先の事業者の方との対話なんです。相手の事業やお金の流れをつかむことが大切ですから。さまざまな業種の方と話すことは純粋に楽しかったし、忙しいながらも仕事にのめり込みました」

一方でさまざまな事業の面白さを間近で見るうち、「自分で事業をやってみたい」という思いが芽生えていきます。そこで浮かんだのが二十歳のときの記憶。「自分で農業をやってみたい」、そう思いを募らせた吉田さんは、就職して10年の区切りとなる年に退職を決意。農家への転身を決めます。

「『安定した公務員の仕事を辞めるなんて』と驚かれましたね。もちろん僕自身、清水の舞台から飛び降りるくらい思い切った決断でした。国税の仕事も楽しかったですから。でもやっぱり、『自分がやりたいことを仕事にしたい』という思いの方が強かったんです」

「前から妻とは『歳をとったら田舎暮らしをしよう』と話していたんです。でも農業について調べるうちに『事業として始めるには50歳では遅い』と感じて。体力はもちろん、地域や農協などまわりとの関係を築くことも重要だし、会社員と違って自分で決断しなければいけない場面もたくさんある。頭も体も冴えている若いうちに始めることが大切だと思いました」

同時に計画したのが、長野県への移住です。「学生時代の記憶もあって、『農業をやるなら長野』という固定観念のようなものがあったんです」と吉田さん。ゆくゆくはレタスなど高原野菜を生産したいというビジョンも当初から持っていました。

 

研修を経て佐久へ移住

まずは東京・調布市の農家で1年半ほど研修を受け、農業を事業として営む方法を学ぶことに。そこで発見したのが、前職の経験を活かせるということでした。

「例えば『この作業は楽しいけれどこんなに時間をかけたら割に合わない』など、事業全体を見て冷静にバランスを見極められるのは、国税局でいろいろな商売を見てきたから。新規就農者はたくさんいますが、自分の強みはこれだと思いました」

▲感覚や経験だけでなく、データに基づいた「誰でも再現できる農業」を追求。それが後継者の育成にもつながると考えている

並行して、週末に短期で長野県小諸市にある「長野県農業大学校」(※1)へも通いました。そこで出会った佐久市の農家の経営方法に興味を持ち、「研修を受けさせてください」と直談判。了承をもらい、その農家に通うため現在暮らす望月地域への移住を決めたのです。

このとき利用したのが、長野県が実施する「新規就農里親制度」(※2)。熟練農家(里親)が新規就農者に実践的な研修を行って独立までサポートする制度で、里親・新規就農者それぞれに県から手当も支払われます。「当時から、長野県は特に農業に関わる支援制度が整っていましたね」と吉田さん。新規就農者は収入が不安定だからこそ、こうした制度は心強かったと言います。

 

地域の人に温かく受け入れてもらって

「妻は移住に反対せず、僕の決断を尊重してくれました。公務員時代から転勤に慣れていたこともあるのかもしれません。移住後は一緒に農業を始め、今では自分ごととして頑張って取り組んでくれています。ずっと会社を支えてくれる、まさに縁の下の力持ちです」

不安だったのは、当時5歳だった長女が新しい土地になじめるかどうか。このタイミングで移住を決めたのも、小学校入学前にと考えたからなのだそう。

「心配していたんですが、引っ越した日にお隣さんと挨拶をしたら、娘がトコトコその家に入っていってしまって(笑)。びっくりしましたが、『ああ、大丈夫なんだ』とすごく安心しました。結局そのまま、引越し作業の間ずっと面倒を見てもらったんですよ(笑)。

娘は今では中学生ですが、この間ふと『東京と佐久、どっちが良かった?』と聞いてみたら『佐久かな』と。理由は聞けていないんですが(笑)、よかったなあと思いました」

▲古い民家を購入して社員寮に改装。お風呂は薪式のボイラーで沸かすので「ライフラインが絶たれる災害時にも強いんです。ソーラー発電も搭載しているエコハウスなんですよ」と吉田さん

新しい仕事、新しい土地での暮らし。変化づくしの毎日を支えてくれたのは、地域の人の温かな支えでした。お隣さんが集落の人に吉田さん家族を紹介してくれてからは「みなさん気にかけてくれて、『これ食べな』と野菜や野沢菜漬けを分けてくださったり、娘をかわいがってくれたり。本当にありがたかったですね」。

一方、寒がりの吉田さんを悩ませたのが佐久地域特有の寒さ。最初に暮らした古い一軒家ではコンタクトの洗浄液が凍ったこともあったそう。現在は快適な住まいに引っ越し、コンビニやスーパー、飲食店も徒歩圏内にあるので暮らしに不自由はありません。仕事で東京に行くこともありますが、佐久平駅から東京まで新幹線で1本とアクセスも便利です。

▲フローリング張りなど、社員寮の改装は当時のスタッフとほぼDIYで敢行。「大変だけど楽しかったですね」と振り返る

 

移住後、3年が節目になった

当初から独立を考えていた吉田さんは、研修中から地域の人と知り合うたび「使っていない畑があったら貸してください」と自己紹介がてら声をかけていました。すると移住後わずか2カ月で計1ヘクタールもの畑を借りられることに。移住から1年後の2012年に個人事業主として独立してからも少しずつ面積を広げ、現在は地域内に点在する計6ヘクタールの畑で栽培を行っています。

「移住した当初『3年は周りから様子をみられるよ』と言われましたが、本当でした。もちろん最初から親切にしていただきましたが、事業を続けて3年たった頃、『うちの畑も使ってよ』と頼まれることが増えたんです。地域の人に信頼されたことを実感しました。もちろん周りから見られていることはずっと意識していましたし、きちんと真面目に取り組んでいるということを、言葉だけでなく姿勢でも見せるようにしていたからだと思います」

当初は夫婦二人体制でしたが、2018年「Farmめぐる株式会社」として法人化。現在は社員とパートスタッフ、アルバイトスタッフを計7人雇用しています。

「当初は家族経営で続けていくつもりでしたが、独立の2年後に大雪でハウスが潰れるという出来事があって。自然の脅威を思い知り、『自分のような小さな存在がこのままやっていけるんだろうか』と不安になったんです。そこで思い切って方針を変え、規模を大きくすることを決めました」

現在は、春は佐久の伝統野菜「ちりめん冬菜」の菜花、夏はレタスとサニーレタス、インゲン、秋はニンジンや「ミニ白菜」「紅くるり大根」など、旬の野菜を栽培・出荷しています。長野で人気のスーパー「ツルヤ」には、ほぼ年中「Farmめぐる」の野菜が並んでいるそう。

「地元のスーパーに毎日うちの野菜を並べてもらうことが目標です。」

▲佐久の伝統野菜「ちりめん冬菜」。見知らぬお客さんから突然電話がかかってきて「全国の菜花を食べ歩いたけど、あなたのところの菜花が日本一おいしい!」と絶賛されたこともあるそう

 

名もない地域のつながりこそ、一番の財産

新天地で得たのは、農業というやりがいある仕事だけではありません。一番の財産は、ここだからこそ得られた地域のつながりでした。

「何か名前がついているわけではないけれど、地域のコミュニティは一番の宝です。困ったことがあれば誰かにすぐ相談できるし、子どもたちのことも周りの大人がみんなで見守っていてくれる。こういう環境は東京にはなかったし、心強く感じます」

2019年に佐久を襲った台風19号。この辺りでもあちこちで小規模の土砂崩れが起きました。地域の人と「あの道は行けないぞ」など電話で連絡を取り合いながら、ニュースでも報じられない情報を交換し合ったそう。顔の見えるコミュニティだからこそ、自然な助け合いが生まれました。

農業は土地を使うからこそ、地域との関わりは重要です。吉田さんは自社の利益を追求するだけでなく、農業を活かして地域と関わることを大切にしたいと考えています。

「今考えているのは、休耕田の活用です。田園風景は日本ならではのアイデンティティですが、高齢化や人手不足で使われず荒れていく現実もあります。そうなると、地域に暮らす人のマインドが下がってしまう。それなら僕らが田んぼを活用して野菜を育てることもできるかもしれないと考えるようになりました」

最後に吉田さんに、移住を考えている人へのメッセージをもらいました。

「移住は確かに大きな決断です。自分は一体何者なのか、思いを巡らせる時間でもある。これは私の考えですが、自分らしさを発揮できる仕事は、移住をより楽しいものにしてくれるのではないでしょうか。農業という仕事は、作物だけでなく土地や天候などあらゆる要素を一つずつ論理的に解明して改善することで、結果として表れてくる。それがおもしろさだし、やりがいを感じます。移住することが目的なのではなく、そこで仕事をして生活するなかで、“自分らしさ”を表現できることが大切なんだと思いますね」

(※1)【長野県農業大学校(研修部)】
機械研修、農業研修、体験研修など、各種農業体験研修を随時開催しています。
https://www.pref.nagano.lg.jp/nogyodai/kenshubu/index.html

(※2)【新規就農里親制度】
新たに農業を始めたい方が就農コーディネーターの支援によって就農までのプランを作成し、就農希望者の支援に積極的な熟練農業者(里親)の指導のもと、就農までの課題を一つずつ解決していく制度です。
https://www.pref.nagano.lg.jp/nogyodai/kenshubu/documents/panf2012.pdf

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〇FARM めぐる
住所:長野県佐久市協和2609-2
メール:farm.meguru@gmail.com
H P:http://www.facebook.com/farm.meguru
現在2020年シーズンのアルバイト、通年雇用のパートを募集中

〇佐久市移住情報サイト「佐久にくらす」
https://www.city.saku.nagano.jp/sakunikurasu/index.html

〇佐久市空き家バンク「おいでなんし!佐久」
https://www.city.saku.nagano.jp/sakunikurasu/kanko/oidenanshi/index.html

〇長野県の移住ポータルサイト「楽園信州」
https://www.rakuen-shinsyu.jp/

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文:石井妙子 写真:林 光

                   

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