TURNS vol.40より|伝統工芸から受け継ぐ、 自分への手紙

「開化堂」6代目 八木隆裕さん

伝統工芸とは、人生に関わりのないもの。そんな思い込みを「お茶筒」がひっくり返した。

工芸との出会いが、自分の軸を見出す手助けをしてくれる。

職人だけでなく自分もまた、工芸を未来につなぐ継ぎ手の一人なのだ。


自分に自信がなかった、と職人がこぼした

伝統工芸と、出会えるのか

伝統工芸が、わからない。自分とは別世界のものに対して、どう向き合ったらいいのか。もはやわかることを手放していた。だって、時代を超えて変わらずに大切にされてきた伝統工芸品と、何もかも変わっていく根っこのない水草のような自分の人生は、どうにもミスマッチに見えるのだ。

仕事、住む場所、人間関係、お金の使い方、何もかも自分の意志で変えられる人生。それを望んできたはずでありながら、全てを変えられることは絶望でもあると知った。自分の「まんなか」を貫く軸が、わからない。自分には、変わらないものなんてあるのだろうか。

伝統工芸を受け継ぐ職人は、そんな自分とは相反する生き方に思える。家業があって代々受け継がれてきた技があり、それは「伝統工芸」と名を背負うべきもの。「この人といえば」と連想される代名詞が、家を継いだ瞬間に決まる人生。自分が何もかも変えられる状態に近づくほど、彼らの確固たる軸はずしんと重量を放ちながら、それでいてまぶしく見えてしまう。

だから彼らがつくる伝統工芸品は、遠くの世界に存在するものだと思っていた。子どもや孫に受け継いでも色あせない「本物」と一緒に年を重ねていく、素敵な暮らし。伝統工芸品がよく語られる文脈のとおりだから、何百年も愛されてきたのだろう。対して、一年後にどこで何をしているのかもわからない自分。そんな人生では、子どもや孫に受け継いでいく前提でつくられたものを手にできる気がしないのだ。だから伝統工芸品は、今の自分にはガラスケースの外側から見ているしかないもの。いつか手にできるときは訪れるのだろうか、と想像したくなるもの。伝統工芸品とは、そういうものだった。

しかしあるとき、美しい缶と出会った。究極のシンプルを極めたようなデザイン。曲面に映り込む光は、上品にやわらかな輝きを放っている。金属製でスタイリッシュなのに、冷たさを感じさせない。凛としたそのたたずまいに、ひと目見て惹きつけられた。

これは、「お茶筒」と呼ばれる道具らしい。お茶の葉を新鮮に保つためにつくられた缶だそうだ。つまり、ガラスケースの向こう側に置いて鑑賞する対象ではなく、毎日当たり前のように手にする道具。これが、明治初期から百四十年以上つくられてきた伝統工芸品らしい。このお茶筒をつくり続けてきたのが、京都にある「かいどう」だという。

6代目・八木隆裕さんは、暮らしのなかにあるお茶筒をこんな言葉で表現した。

「お茶筒のふたを開け閉めする気持ち良さを毎日味わっていたら、大げさでなく日常への意識が変わる」。「お茶筒は、行き詰まったときに背中を押してくれるもの」。

いや、大げさでしょう。そう思った。でも八木さんは、こうも言った。

「自分に自信がなかったんです」。「人生って常にしんどいじゃないですか。だからいつも心の拠り所を探していました」。

ずっとぶれない軸を持っているように見えていた職人が、自分の軸となるものを求めていたと目の前で語ったのだ。

変わらないから受け継がれてきたように見える伝統工芸品は、何でも変えられる生き方と共存できるのか。伝統工芸品と自分の人生は、どう関われるのか。八木さんが自分の「まんなか」を育てていった道のりは、この問いの答えを探すヒントを見せてくれた。

(続きはTURNS vol.40本誌で)

文:菊池 百合子 編集:佐藤 芽生 写真:山崎 純敬

                   

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