福島県の北西部、会津盆地の北部に位置する喜多方市。豊かな自然環境を有するとともに、名物の喜多方ラーメンや蔵のある街並みが有名な、年間180万人が訪れる観光都市でもあります。
喜多方市 おたづき蔵通り
喜多方市雄国地区には、江戸時代初期から伝わる「雄国根曲り竹細工」という民芸品が今も息づいています。雄国山の標高1000m付近に自生する「根曲り竹」を使い、鉈(なた)1本だけで製材した竹ひごを編み上げるのが雄国根曲り竹細工の特徴です。この独特の技法が400年近くにわたり、地域で継承されてきました。最盛期には雄国集落内の実に90パーセントもの人が農閑期の生業にしていましたが、年々その数が減少。今では10名に満たない人数となってしまいました。
そこで今回は、この雄国根曲り竹細工を継承する「地域おこし協力隊」を募集します。
会津地方における竹細工とはいったいどんなものなのでしょうか。
その魅力を伺うべく訪れたのは、「平出竹材店」です。喜多方市役所からほど近くに佇む、竹細工の販売店です。昭和34年に会津若松市で創業し、40年代に喜多方市に移転。以来ずっとここで竹細工の販売を続けてきました。
店内を見渡すと、竹細工がびっしり。籠、笊(ザル)や菜箸など、ありとあらゆる竹細工が揃っています。
平出竹材店 店主 平出達朗さん
屈託のない笑顔で迎えてくれた平出達朗さんは、50年以上にわたって竹細工の販売を手掛けてきたほか、自身でも制作を行なっています。いわば、喜多方における竹細工の第一人者のひとり。そんな平出さんは、根曲り竹細工の魅力をこう語ります。
「しなやかで丈夫。これに尽きるね」
そのような性質から、日常生活で使われてきました。民芸品であるとともに、生活に根ざした暮らしの道具でもあったのです。
「会津では生活に根付いた実用品だったけれど、近頃は、『かわいい』と言って買っていってくれる若い方もいるね。この間も東京から若い女の子が買いに来てくれたんだよ。普段の生活で使いたいと買い求めてくれるお客さんもいるんだよね」。
特に「おしんかご」という取っ手付きの籠が人気だそう。
右は地域おこし協力隊として2019年まで活動する佐々木智子さん
それらの籠が作られている所が「おぐに交流の郷(さと)」。廃校となった旧熊倉小学校分校の跡地を利用した施設です。
雄国根曲り竹細工保存会のみなさん
雄国根曲り竹細工保存会のみなさんに迎えていただきました。地元で農業を営むかたわら、竹細工職人としても活躍してきました。地域おこし協力隊に着任した際は、この先生方から教えていただくことになります。
モノづくりとしての面白さ
四等分に割る様子
実際に作る様子を見せていただきました。
特殊な形をした鉈を竹に入れ、細く割っていきます。ヒゲ(雄国における竹ひごの呼称)に加工し、籠やザルなどを編んでいきます。工程に応じて道具を使い分けるのではなく、基本的にたったひとつの鉈のみで制作していきます。この技法こそ、雄国根曲り竹細工の最大の特徴です。
先生方は、基本的に竹を自らの手で採取しています。今ではクルマを使って短縮できるようになったものの、かつては片道2時間半以上もの時間をかけて山に入っていました。そうして採ってきた竹を割り、乾燥させ、その後細かい加工に入るのです。
「加工しやすいよう、乾燥している竹を水で戻すのだけど、その加減も人によって違う。それを見極めることも大切だな」
雄国根曲がり竹と普通の竹とでは、素材の良さも「全然違う」そう。使いやすい竹の確保は、自分の作業のしやすさや、品質にもつながります。自分の足で山に入り、自分の手で竹を採ってくることも、加工と同じくらい重要なことなのです。
みるみるうちに形になっていく
実際に、竹細工制作の過程を見せていただくと、手際の良さに驚きます。どの先生も、慣れた手つきでテンポよく編み上げていきます。
「手先が器用であるに越したことはないけれど、意外と力仕事でもあるんだよ」
そう話すとおり、時おり力を込めて竹を引いたり、押し込んだりを繰り返します。
いとも簡単に編み上げていきますが、このレベルに達するまでには数十年もの積み重ねが必要です。
竹細工を編み、語る先生方の表情は、竹に対する愛おしさが滲んでいるように見えました。
「竹細工をやっていていちばん楽しいと思えるときは、お客さんに評価してもらった時だよね。もっというと、自分が制作したものが売れたとき。お客さんとの交流が生まれる」
先生方が制作している竹細工は、浅めの籠であったりザルであったり、網目を見ても細かかったり広かったりと、実に様々です。作り手によるオリジナリティがあるのでしょうか。
「オリジナリティというよりも、かつての名残りかもしれないね。雄国には6つの集落があり、各集落によって作るものが決まっていたんだ。籠モノなら籠モノだけ、というように。そうするとお互い喧嘩せず、仲良くできるでしょう」
竹細工は、和を大切にする、会津地方ならではものづくりなのです。
先任隊員に聞く、竹細工の魅力
喜多方市地域おこし協力隊 佐々木智子さん
「雄国の竹細工は、つくり手の『技』や『腕』がはっきりと出る。そこが難しいところであり、魅力なんです」
そう話すのは、2016年に地域おこし協力隊として着任した佐々木智子さんです。以前は大分県別府市で竹細工の修行をしていました。経験と知識を活かし、竹細工の発信活動や販路拡大促進なども行なっています。
「竹職人って、かっこいい!そう思ったのがきっかけでした。様々な縁が重なって、大分県で竹職人になるための職業訓練校に通ったのですが、職人になって1年目の頃、喜多方市の地域おこし協力隊募集を知ったんです」。実は、佐々木さんにとって喜多方市は日本酒造り体験で11年間も通っていた縁深い場所。そもそも竹細工に出会ったのも、通っていた酒蔵が金賞受賞した際、その祝賀会で着る浴衣用のバッグを探していた折に惹かれたものが竹細工のカゴバッグだったから。「喜多方」と「竹細工」に導かれるように、募集を知った佐々木さんは移住を決意します。「お世話になった喜多方が竹職人の後継者不足で悩んでいるのなら、何か自分ができることはないか…と、地域おこし協力隊に応募したんです」
大分での竹細工の経験があったとはいえ、根曲竹を使った竹細工は佐々木さんにとって初めての経験でした。
「真竹のように真っ直ぐな竹であれば機械でも加工が可能です。しかし、根曲り竹は曲がった形状のため加工はとても難しいんです。だからこそ、確かな手仕事が必要になります。素朴な見た目なのですが、やっていることはすごく難しい」と佐々木さん。
「基本的には、先生二人に生徒一人がつく手厚い体制で教えていただきます。ひとつ一つ順を追って上達していくというより、先生方の作業を見て学んでいくという形になるかと思います。『今日はザルをやるか』とテーマを決めて学んでいくこともあれば、先生が持ち込んだ、今作っている商品の制作を見させてもらうこともありました」
竹細工の知識があったとはいえ、最初は苦戦していた佐々木さん。3年間の修行を経て、ひとりで仕上げることが出来るようになりました。
「まだまだですよ。先生方と比べて決定的に違うところは、スピード」と苦笑い。
「竹細工の世界には『竹割り3年 編み8年』という言葉があります。毎日竹を割り続けて思った通りに割れるようになるのに3年はかかるという意味です。一人前になるには、それ以上の長い時間が必要です」
佐々木さんの任期は2019年9月一杯で終了しましたが、現在も喜多方市内で活動を続けられています。
「ハイブリッド職人を目指したいなと思っています。材料は喜多方の根曲り竹と九州の真竹、技術は雄国の根曲り竹細工と別府竹細工…という形で。できれば喜多方で竹職人として暮らしていきたいと思っています」
広大な台地となっている雄国地区。眼下に会津盆地を見渡すことができる
会津地方の魅力についても語っていただきました。
佐々木さんは「人生をドラマチックにするには、最高の場所」とも話します。その理由は、喜多方市を含む会津地方の人柄がありました。
「冬になると、雄国山に雪が積もって、とても綺麗なんですよ。空と一緒に見ると、涙が出そうになるほど。雄国の観光名所である『恋人坂』から見える夕日も。そういう自然の美しさがとても自分に合っていたんです」
豊かな自然からもたらされる美味しい食べ物もまた、佐々木さんにとって欠かすことのできない要素でした。
「先生方も含め、みなさん本当に優しいんですよ。お米の収穫の時期になると、おすそ分けしてくださったりするんです。私はいつも『世の中で一番美味しいお米を食べている』と思っています」
どのような人なら、ここで活躍できるのか、聞いてみました。
「気になることを素通りしない人。気になることがあれば、どんどん自分で動いて知っていく。そんな方が向いていると思います。逆に、待ちの姿勢でいれば、『何にもないところ』になってしまうかも」
3年間の任期終了を間近に控え、あらためて思うことがあるといいます。
「喜多方市に関しては、やはり高齢化の問題が思っていた以上に深刻でした。そうしたことを真剣に考えつつも、逆に笑い飛ばせてしまうくらいの方であれば、きっと上手くいくのではないかと思いますね」
地域の高齢化は待った無し。先生方が元気なうちに、早くその技を教えていただかなければいけません。
迷う時間がもったいないから、まずは飛び込んでみる。それくらいの勢いで、チャンスを掴んでみませんか?
(文:竹谷純平 写真:木下真理子)
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白河だるま(福島県白河市 地域おこし協力隊)
https://turns.jp/31239