第一回ターンズの地方のお仕事研究所「函館の仕事」研究レポート

北海道函館市

9月29日に開催した第一回ターンズの地方のお仕事研究所。

このイベントの目的は、タイトルの通り「地方のお仕事を研究」すること。

地域活性や地方創生という話題では、東京と比較してモノゴトが語られることが少なくない。もちろん今回のテーマである「仕事」も例外ではない。

なんとなく「地方」の仕事というと、一次産業や二次産業が多く、対東京で比較した時にどうしても選択の幅が狭いという印象があると思う。でも、色々な地方に足を運びその地で暮らす(もしくは関わる)人と話をすると、伸びやかに・しなやかに生きている人が多いことに驚かされる。

地方で「自由に」暮らす人々はどんな仕事をしているのか、そこから「イケてる」地方の仕事・働き方を知ることができるのでは…そんな想いがきっかけでスタートしたのがこの企画。研究とは少し仰々しいかもしれないが、地方にはどんな楽しそうな仕事が眠っているのか知りたい!じゃあ、探ろう!そんなシンプルな内容というわけだ。

というわけで、地方のお仕事研究所、第一回目の研究地域は北海道函館市。
(函館市がどのような地域なのかについては、イベント告知記事をご参照ください)https://turns.jp/22491

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函館では、『生きがい』を見つけることができる

まずは、函館市がどんな地域か、その概要について「函館市地域交流まちづくりセンター」のセンター⻑:丸藤競さんにお話をしていただいた。

「函館市は、歴史を遡ると、早くから港が開港されたこともあり、海外から様々な文化が入ってきた地域です」

函館を訪れたことがある人ならわかると思うが、函館市内には異国情緒漂う建築物などが数多く見られる。

「そして、1900年くらいから北洋漁業が盛んになったんですが、その後衰退していき景気が悪くなっていったんです。しかし、それと同時に市民が立ち上がり、海外から入ってきた煉瓦造りの建物や和洋折衷の建物などいろんな物を残していくというような、あるいは自分たちでまちを作っていくというような団体がたくさん立ち上がっていきました」

今、函館市に点在する様々な様式の建築やそのまちの風景は、意図してかつての函館市民が残してきたものなのだ。今でもその風景やまちの文化を体験すべく多くの観光客が訪れていることを考えると、函館市に一貫して続く「まちづくり」の歴史の長さ、その重要さを感じることができる。

「そして、2000年代に入ってからは函館市でも急激に人口が減ってきています。ただ、人口は減ってきているんですが、同時に自分たちが住みよいまちにしていこうという市民が主役になったまちづくりも行われ始めているんです」

函館市も他の地域と同じように人口減少という地域課題がある。それでも移住者が入ってきて、新しいコトやモノも起こり始めているという。

移住者が増えてきている函館では、仕事をして稼ぐというだけでは得られないような『生きがい』を見つけることができると丸藤さんは話す。

「『生きがい』とは、得意なこと、好きなこと、世間が必要としていること、そして稼げることが重なった部分のこと。函館では、いろいろな価値観・人と繋がることができる機会がとても多いんです。だから、東京では見つけられないような『生きがい』が、より確率高く見つけられるんじゃないかなと思います。かつてたくさんの人たちが函館にやってきましたが、これからは、ここにいる方々が函館で活躍していただいて、生きがいを見つけていただきたいです」

日々の暮らしの中で、仕事が占める割合はとても大きい。だからこそ、丸藤さんのいう生きがいが大切になってくるのだろう。そしてその生きがいをみつける場として、函館は多くの可能性を秘めている地域なんだということを知ることができた。

 

函館の仕事に関するポータルサイト「函館しごとネット」

続いては、『函館しごとネット』を担当している函館市役所の小林祐樹さんから、実際の函館市の仕事の状況について(求人倍率、職種などなど…)お話ししていただいた。

函館しごとネットは、函館市が運営する、函館の仕事に関するポータルサイト。 市内企業情報、創業・起業情報、就職に関するイベント情報などの発信や、UIJターン希望者向けの職業紹介を行っている。

「産業の割合でいうと、一番多いのが卸売・小売業:2万5千人、次が医療・福祉従事者、その次が宿泊飲食・サービス業。やはり、函館市は観光都市ということで観光客が増加してきていますし、ホテルなどの宿泊施設も増えてきています。サービス業はこれから増えていくだろうと考えています」

また近年では、函館市内の有効求人倍率も高くなってきているとのこと。そして、函館しごとネットに掲載している求人の内訳としては、情報通信業や建設業、IT関連、営業企画などが多く、やはり観光客の増加に伴ってサービス業の求人も増えていくだろうと、小林さんは話した。

価値として見出されていないものを掘り起こして、価値をつけて世に出す

ここからは、実際に函館で暮らすゲストから、具体的にどのような仕事をしているのか話を聞きつつ、函館での働き方・暮らし方についてご紹介した。

まずお話しをしていただいたのが、箱バル不動産代表の蒲生寛之さん。
箱バル不動産では、函館市の⻄部地区の街並み保存・活性化を目的に移住体験や古⺠家改修などを行なっている。メンバーは蒲生さんを含め3人。それぞれのメンバーが、パン屋、宅建士、建築家…と本業とは別に箱バル不動産で活動している団体だ。

「箱バル不動産って名前ですが、普通の不動産屋さんとは少し違うんですよ。「箱」とは空き家のことで、「バル」というのは小商いのこと、「不動産」はまちづくりのこと。この3つをかけて、函館の空き家を活用して小商いをしながら、暮らしを豊かにする会社というように定義しています」

函館生まれ函館育ちの蒲生さん。
一度函館の外に出てみようと考え、21歳の時にオーストラリア、その後東京…と色々な地域で暮らしを経験したのち、30歳手前くらいで函館にUターン。

実家の不動産会社で働くかたちで、函館に戻ってきた蒲生さんだが、Uターン当初は自分のやりたいことを周囲になかなか理解してもらえずに挫折感を味わったという。

「初めはやろうとしていることを周りに理解してもらえなくて。なんで帰ってきたんだろう…って思っていたんです」

今では、函館に根を張り様々な事業をおこなっている蒲生さんだが、今に至るまでに試行錯誤を繰り返してきたようだ。

真剣に話を聞く参加者

「そんな状況が続いて、もう東京に戻ろうかな…てなった時に、自社で管理しているいい感じの古い木造賃貸の物件がほったらかしにされているのを知って。低予算でいいから好きにさせてくれないかと会社に提案したんです。そして、知人に協力してもらいながらセルフリノベーションして、そこでオープンルームをやったらそれまで何年間も空き家になっていた物件が、オープンルーム二日目で入居者が決まったんです」

この経験をきっかけに「あんまり価値として見出されていないものを掘り起こして、価値をつけて世に出す」ことをやりたいという想いのもと、西部地区の古い建物がどんどん壊されていくという現状をなんとかしようと3人で箱バル不動産を立ち上げることに。

異国情緒漂う函館市西部地区

それからは、物件のリノベーションだけでなく、まちの外の人に一定期間物件に住んでもう「函館移住計画」や様々な物件の再生事例に携わるようになっていった。

箱バル不動産で手がけた物件には、Iターン移住者やUターン移住者、そして地域の住民の方がたくさん働いているという。

大三坂ビルジング

最近の事例では、日本の道100選に選ばれている大三坂にある「旧仁寿生命ビル」を、ゲストハウスを併設した複合商業施設としてリノベーションすることを提案。2017年12月に『大三坂ビルジング』として新たなスタートを切った。

施設内のテナントも埋まり、宿泊施設・レストラン・キャンドルを製作する工房などが入り、新たな函館のスポットとして生まれ変わった。

「僕たち箱バル不動産が、この施設の中でゲストハウス「SMALL TOWN HOSTEL」を運営しているんですけど、このゲストハウスをまち全体を楽しんでもらうための拠点にしてもらいたいなと思っています。移住検討している方も、地域の住民がスタッフをしているので住民目線でのおすすめのスポットなんかもご紹介できるので、地域との関わりのきっかけにしてみてください」

蒲生さんの取り組みは、まさに函館に息づく「函館らしさ」を生かした取り組みだ。

本業をやりつつ、箱バル不動産として函館市を楽しんでいる蒲生さんは、丸藤さんが話していたように、函館で生きがいを見つけ日々の暮らしを楽しんでいるようである。
そして、その活動は周りの人を巻き込みながら、函館というまちをさらに魅力的な地域にしているようだった。

 

函館から日本全国、世界とつながる

最後にお話していただいたのが、結婚を機に静岡県から函館市に移住して16年になる阪口あき子さん。

「私は起業の担当で話をするんですが、大学時代から将来自分の会社を作るということを目標にしてきていて、今自分の会社を経営して16年になります」

移住する前はベンチャー企業などに勤め、起業の準備と資金集めをしていたそう。そして、函館への移住を機会に起業、今では函館市の公式観光サイト「はこぶら」や「函館しごとネット」の運営、映像制作、イカール星人というキャラクターを作ったりと幅広く活動している。

「移住直後の3か月間は、自らの経験の棚卸しや函館に関する情報を整理しつつ、日本の未来予想をして…事業計画を20~30本書きました。事業内容決定後は、函館市と北海道から創業補助金を450万円いただき、函館市のインキュベート施設に入居。4年間お世話になりました」

このように起業にあたっては、市の援助が充実しているのも函館市の特徴だろう。そして、webの仕事を多く手がける阪口さんは、函館市を超えて多くの地域の方々とも繋がっているようだ。

「函館市って知名度が既にあるので、何かやると全国ニュースで取り上げてもらうことができる。それによって次の仕事に繋がる。函館の知名度には助けられてるなという実感があります。ただ、仕事の単価は安いです!時々、移住前に自分がやっていた仕事の単価を思い出すと、フラストレーションを感じます。でも、函館での仕事は面白く、達成感が大きいので、総合的に今の自分には満足しています」

「函館ってダメなところがいっぱいあって(笑)提案する余地がたくさんある。そして、実際にやると目に見える形で成果が上がってきたり、函館だけじゃなく世界の人と繋がることができるんです。それって、お金だけではえられないやりがいみたいなことがすごく大きいんです」

函館という場を持ちつつ、webというツールを使うことで日本だけでなく世界とのつながりを感じている阪口さん。これまでは様々な文化が函館に集積してきたが、これからは阪口さんのように函館から世界に発信していくという形が増えていくのかもしれない。

「最後に問題発言をすると、私たち夫婦は北海道の暮らしは50歳までと決めているんです。その次は海外移住をしようと準備を始めています。私は住む場所を変えながら、いろんな計画を立てて自分自身の人生を切り開いていくのはすごい楽しいし、幸せなことだと感じています。新しいまちで暮らしてみるというのは、良い経験ですよ。あと5年くらいで私の分の人口は減ってしまいます(笑)皆さんぜひ、函館への移住を考えてみてください」

阪口さん移住しちゃうの!?と初めは驚いたが、阪口さんの人生観も函館らしい人としてイベントで紹介することができるこの地域の素地は、いろいろな価値観を受け止めてきた歴史があるからこそだろうと妙に納得してしまった。

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最初、函館に抱いていたイメージは、異国情緒漂う雰囲気の良いまちでそこに観光客が集まっているのだろう…という抽象的なものだった。

もちろんそのような要素はあるものの、函館には「仕事」という枠組みを超えて「生きがい」に繋がる活動を行い日々の暮らしを充実させる、まさに函館らしい暮らし方を実践している人が集まり始めていることを強く感じた。開港当初から、様々な文化・価値観を受け入れてきた函館だからこそ、今このタイミングで様々な取り組みが行われ始めているのだろう。

イベント参加者もそんな函館の暮らしの魅力に触れたようで、交流会では積極的にゲストや自治体職員に質問をしているようだった。

「移住とはこうあるべきだ」という凝り固まった考え方がなく、いろいろな価値観・文化を受け入れ人々が自由に暮らすことができるのは、昔より続く“函館気質”なのかもしれない。

函館で働く、そして暮らすことの魅力は、まさにこの「生きがい」を感じることができるということなのだろう。

写真・文:矢野航(TURNS)

                   

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