こんにちは。TURNSのスイです。
前回のブログから、だいぶ日が空いてしまいましたが、第2弾をお伝えしたいと思います!
ゴールデンウイークに私が行ってきた場所は、沖縄県の八重山諸島にある小さな島「鳩間島」の音楽祭です。
「そもそも鳩間島ってどこ?」
と、周りの人にも必ず聞かれるのですが、鳩間島(八重山郡竹富町)は石垣島から船で40分ほど、西表島の北側にちょこんとある人口50人、周囲4kmのとても小さな島です。
八重山諸島は観光地として竹富島や日本最南端の波照間島など有名な島もたくさんありますが、鳩間島には商店もなく、食事処もなく、思いつくのは郵便局と自動販売機くらい?というほど何もないです。笑
ここにあるのは、海の美しさとヤギの多さ、そしてハブがいないことが大きなメリットかもしれません。
そんな鳩間島で、毎年5月3日に開催されているのが、鳩間島音楽祭。今年でなんと19回を迎えました。
「民宿いだふに」のオーナーで島の唄者(うたしゃ・歌手)でもある、音楽祭の実行委員長・加治工勇さんが庭で始めた小さな音楽祭がきっかけで、だんだんと周りの人たちへと広がっていき、島の一大イベントとなるまで大きくなったそう。
音楽祭の運営には、勇さんを含む島の人たちと、普段は東京で活動している勇さんの息子である、三線アーティストのかじくあつしさんも中心となって会場設営やゲスト含む各所との調整、当日の進行などを行っています。
三味線を弾いているのが、音楽祭実行委員長の加治工勇さん
加治工勇さん「島のイベントだから、島の人たちが頑張ってやらないと。そう思って、なんとかここまで続けて来れました。来年の20回は節目になりますが、そのあとも続けていけるかどうかはまだわからないですね。始めた当初よりもだいぶ歳もとってしまったので。」
勇さんの息子・かじくあつしさんは、ステージの司会を務めていました
かじくあつしさん「応援してくれる皆さんのおかげもあって、昨年、野外ステージを完成させました。それまでは、毎年一から設営していたので、本当に大変でした。でも、せっかく作ったステージに、毎年楽しみに来てくれるお客さんたちがいるので、20回を過ぎてもなんとか続けていかなきゃと思っています。島のおじいたちも、まだまだ元気なので、というか僕の生まれた島を残すためには続けるしかないです。頑張ってもらいましょう!笑」
そんな親子の会話からも、島の人らしい手作り感のある音楽祭が続いてきた秘訣が感じ取れます。
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音楽祭は、石垣島からの船が到着する11時ごろスタート。
まずは、鳩間島も属している竹富町の町長挨拶から始まり、今年で創立120周年という鳩間小中学校の生徒と先生たちによる演奏、踊りが披露されました。その後、鳩間島に縁のあるアーティストたちが登場し、サンバ隊や舞踊など様々なジャンルのゲストたちが会場を盛り上げていきます。
ゲストの他にも、島の人々が出店している屋台や記念グッズも音楽祭の楽しみの一つで、毎年売られる音楽祭記念Tシャツは昼過ぎには完売してしまうほど。今年は、入場口で配られるリストバンドとお揃いの空色のTシャツが会場中を埋め尽くしていました。
また、鳩間島では豊年祭や運動会などお祭りごとがあるとヤギを絞めて食べるという文化があり、音楽祭では、もちろんヤギ汁が売られていました。
ほかにも、東日本大震災のがれきが鳩間まで漂流してきたことから親交がある仙台の名物・牛タンや、熊本地震を応援するための募金箱と、浮き玉に描かれた「くまモン」が会場の様々なところで見かけられました。こういった連携も、小さな島だからこその助け合いの精神が垣間見れます。
そして、音楽祭の目玉は、毎年訪れている鳩間島にゆかりのある大物アーティスト。今年は夏川りみさん、八重山民謡の第一人者・大工哲弘さんもステージに立ち、会場を盛り上げました。
ステージでのプログラムが終わると、足早にみなさん港への移動が始まります。
鳩間島の名物、港でのお見送りです。
この見送りは約40年前からお祭りで島に来た方々を感謝を込めてお見送りをする鳩間島独特の文化・最大のおもてなしとなっているようです。
勇さんのオリジナル曲『鳩間の港』を演奏すると、みんな首にかけていた鳩間の港オリジナルのてぬぐいを手にとって、唄に合わせて踊り始めます。最後の船が見えなくなるまで、約2時間近く踊り続けるんですね。(※鳩間の港は、2015年BEGINのアルバム『ビギンのマルシャショーラ』でもカバーされたそうです)
島から船を送り出す瞬間ってどこか寂しさが漂いますが、こうして歌い、踊りながら「また来年ここで会いましょう」と離れていく場面は、寂しさと共に来年への楽しみも交差して、鳩間島ならではというか、また一味違った体験になります。
人口50人の島に30倍もの1400人が集まる、島の音楽祭。
音楽祭の運営に関わる人を数えると、50人以上。島の人たちだけでは作り切れないものが、周りにいる多くの人に支えられながら、大切に繋がれてきたんだなと実感しました。すべてが終わった後の島はいつもの静かな日常をとり戻し、数時間前に1400人の人がいたとはとても思えない不思議な感覚になりました。
あつしさんのようにいつかは島に戻ってきたいと思う人がいることは、島にとって大きな財産です。ただ一方で、やはり“仕事“という部分が、若い人にとっては大きな課題となっているとあつしさんは話してくれました。
「数年前にも小中学校の生徒がいなくなるという事態になりましたが、Facebookで生徒募集の投稿をしたら、300人以上の多くの方にシェアしてもらえて、偶然、情報を見たお母さんから連絡があり、島に移住をしてきてくれました。」
「もともと鳩間島では里子制度があり、『瑠璃の島』というドラマの舞台にもなりました。昔からそういう文化は根付いてるんですよ。ただ、島の人が高齢化してしまったので、昔のようには受け入れられなくて。現在の生徒数(2016年6月時点)は、小学生が2人と中学生が1人の計3人に対して、職員が10名。
またいつ生徒がいなくなるか分からないので、定期的に生徒募集の投げかけは続けていますが、やはり島に仕事がないので、なかなか難しいですね。それでも鳩間島に移住したいと言ってくれる家族がいれば、役場とも協力しながら一丸となって何とかするしかないんですよ。何とか廃校を防がないと、島の存続がかかっているのでね。」
何もない島ですが、インターネット回線は繋がっているし、竹富町としてもテレワーク推進を進めていく予定とのことで、在宅業務が可能な仕事なら鳩間島でも住める可能性があるとあつしさんは言ってしました。
(※鳩間小中学校へ興味を持った方がいれば、随時、あつしさんへ連絡してくださいとのことでした。)
あつしさんのFacebookページ:https://www.facebook.com/kajiku.atsushi/?fref=ts
小さな島が抱えている課題は、日本のどこにでも起こりうる問題が凝縮されているようで、とても遠い話には聞こえないような部分があります。私もこの島に出会って10年近くになりましたが、ここへ来るたび、この島の文化や伝統を残すために私にできることはなんだろうと島外の人間ながらに考えさせられるのでした。
もし機会があったら、ぜひ鳩間島へ遊びに行ってみてください。
観光地でもなく、何もない島だからこそ、直面している暮らしの日常が、体験できると思います。
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