米良三山と呼ばれる山々に囲まれ、村の面積の96%が山林という宮崎県の西米良村。移動手段が車しかない山里深き土地には、歴史の中で育まれてきた農産業や食文化がある。
この地で生まれた特産品「天空の柚子胡椒」も、その一つ。主役の柚子の栽培から製造・販売まで全て手掛けるのは、柚子農家3代目の中武洋文さんだ。今回は、農業を通じて地域と向き合ってきた中武さんに、西米良の山の魅力や食文化、そして山暮らしの楽しみ方を伺った。
【プロフィール】
1980年、宮崎県児湯郡西米良村生まれ。高校卒業後、単身で親戚を頼りにブラジルに留学。20歳の時に帰国後、地元で家業の柚子・ほおずきなどの栽培に携わる。現在、父が作った中武ファーム代表。自社で材料となる柚子の栽培から製造・販売まで手掛ける「天空の柚子胡椒」は自前のECサイトや村のふるさと納税返礼品で1位になるほどの人気に。西米良村を代表する若手農家の一人。
柚子農家の家で生まれ、ブラジルでの驚きの日々
西米良の柚子栽培の歴史は半世紀以上前に遡る。林業に変わる産業として村ぐるみで力を入れたのが、村で昔から自生していた柚子の栽培だった。そんな柚子を祖父の代から植え始め、3代目として受け継いでいるのが中武洋文さんだ。
中武さんが代表を務める中武ファームは柚子、ほおずきなどの地元特産品の栽培を家族経営で行なっている。加えて、自前で運営するECサイト「中武FARM」でオリジナル商品「天空の柚子胡椒」の製造から販売まで手がける“ビジネスマン”でもある。
西米良の農家の長男として生まれた中武さん。「昔の『長男あるある』なんですが」と、宮崎の大学を経て家業を継ぐという将来の進路は高校時点で決まっていたという。
しかし、転機は高校3年の夏休みにやってきた。たまたま見ていたテレビ番組で、ブラジルで大農園を経営する親戚がいることを知ったのだ。村では考えられない規模で経営されている外国の農業の様子を画面越しに目にして、決まっていた進路を一転。周囲の反対もあったが、両親の協力もあり、単身でブラジルへ飛んだ。現地では、コーヒー農場や日系コミュニティーのある弓場(ゆば)農場など1カ月ごとに回っていった。
「ブラジルではさまざまな農園やスラム街を回るうち、日本とまるで正反対の生活に驚きの連続でした。特に記憶に残ったのは、とても純粋な現地の人々とのコミュニケーション。私の誕生日の日に、庭で養っている鶏を『プレゼントだよ』って大真面目にくれたことも。とにかく、他人を敬う心があって、みんなやさしかったんです」と、中武さんは異国の地で出会った人々との思い出を語る。
西米良に帰郷後、山と向き合う日々
中武さんは1年半のブラジル留学を終え、すぐに父が作った中武ファームで働きはじめることになる。西米良に戻ってから、特に取り組みたかったのが父の代から始めていたほおずき栽培だった。
西米良のほおずきは、強い赤色とハート型をしているのが特徴。村の特産品として人気だが、生産量が少なく市場にはほとんど出回らない。ナス科の植物のほおずき栽培には手間もかかり連作障害が出やすいため、その栽培は簡単ではない。村でほおずき栽培を始めた当初は23件いた農家も、今では中武ファームを含めてたったの4件。中武さんが帰郷した初年は豊作だったものの、年を経るごとに生産量も減少し、5年目には全滅してしまうという厳しい現実も味わった。
「ほおずき栽培にはとにかく試行錯誤しました。厳しい状況があっても、作り続けられたのは毎年必ず買い求めてくださる常連のお客さまがいるから。貴重な観光資源にもなるなら、村のためにもと頑張って生産を続けています。ただ、ほおずきを好まれるのはやはりシニアの方々。将来的な販路に不安を抱えていたのも事実です」
そうした中、ほおずきと一緒に栽培を続けていたのが柚子だ。標高が高く、寒暖差の激しい山の環境のなかで、西米良で自生していた種から育てられた柚子。凝縮された香り高さが特徴だ。しかし、それ単体では市場で思うような値がつかず、需要のある柚子胡椒の原料として卸すにも量が必要。家族経営の中武ファームで栽培できる量には限界があった。
「2015〜2016年頃が一番苦労していた時期だったと思います。当時は、販路を広げようと必死で、一軒一軒料理店をまわり、『ただでいいから使ってください!』とお願いしたこともありました。でも、単に柚子を売るだけでは他と差別化ができない。そこで、山で採れた柚子の特徴を伝えようと名付けた名前が『天空の柚子』だったんです」
東京での出来事が転機に
そんな日々の中で、ある時、東京で柚子胡椒を作っているという人物から「農園の柚子を送ってほしい」という依頼を受けたことが、一つの転機になった。その人物と共に、中武ファームの柚子を使った柚子胡椒を、東京で同行販売する機会を得たのだ。
「そこで目の当たりにした光景が衝撃的だったんです。自分たちの柚子を元に作られた柚子胡椒が、驚くほど付加価値のついた値段で飛ぶように売れていきました。SNSで宣伝すれば、人が次々と集まり、また売れていく。ただの柚子が、ちょっと手をかけて売るだけで、こんなにお金になる……驚きと悔しさが相まって、とても複雑な気持ちになって、帰路につきました」
元々、柚子胡椒は祖母や母親が家で作ってくれていた“当たり前の存在”でもあった。それならば、自らの手でも柚子胡椒を作れるはず。そこで、代々引き継がれていたレシピに改良を重ね、冷凍保存も可能にし、ついに「天空の柚子胡椒」が完成した。
西米良の歴史と魅力を伝える天空の柚子胡椒
ただ、ようやく柚子胡椒は完成したものの、販路がなかった。そんな時、テレビ番組出演の話が舞い込んでくる。なんと、中武ファームの柚子胡椒を使ったレシピが全国放送されたのだ。その反響は想像を遥かに超えて大きく、連日注文が殺到。3カ月間は缶詰状態で柚子胡椒を作る日々が続いたという。
「天空の柚子胡椒」の一番人気は、西米良の山で育てられた香り豊かな柚子の皮と地元産の青唐辛子で作られた「青×青」。パンチの効いたその辛さや柚子を丸ごとかじったような溢れだす風味が特徴だ。中武さんの仕事への大きなモチベーションになっているサイトのレビューには、「天空の柚子胡椒」を食べた方の喜びの声が次々と並ぶ。
「こうして柚子胡椒が作れるのも、祖父が柚子を最初に植えてくれたから。このような環境を残してくれたことに感謝しています」と中武さん。「天空の柚子胡椒」には、西米良の山でしか味わえない柚子の魅力や、半世紀以上かけて継承してきた歴史が詰め込まれている。その要素一つ一つが、顧客を惹きつける理由なのかもしれない。
山で生きて、山で遊ぶ
米づくりも手がける中武さん。山での米作りは、まず谷から水を引いてくることから始まる。段々の田んぼでは土手の方が広く、その管理は危険をともなう大変な作業だ。そんな過酷な米作りに対しては、若い頃から常にジレンマを抱いていた。
「米作りって、手もかかるからコスパが悪いんです。断然買った方が安いですし。ただ、米作りに関してはある種『割り切り』をしていて、ものづくりをしているプライドとして作り続けているという部分はあります。それに、30俵ぐらいの食べ切らないほどの米ができた時の安心感は格別。『これで一年間、子供も誰も飢えることはない』と、安心できるんです」
中武さんは、「子育てには本当に良い環境だなと。良い距離感の人付き合いができるから、子供たちものびのびとしている」と西米良の良さを語る。
去年から子供たちと遊ぶために、山でテントを張ってキャンプもはじめた。虫の音しか聞こえないような山の壮大な環境を利用したプロジェクターでのシアター鑑賞などに、子どもたちは大喜び。実際に、山に作られたブランコなどの自作のアスレチック場を日々アップデートしている。
「子供たちの喜ぶ姿を見て、みんなが山を楽しめる場所作りをしたいと思って、中武ファームでは『柚子とほおずきを作りつつ、人が来られるようなキャンプ場を作る』ことを今後の目標にしているんです」
他にも春には花見など山での遊びはアウトドア感満載だ。西米良の自然あふれる環境の豊かさに惹かれた移住者が中武さんの周りに続々集まっているという。山での生活に懸命に向き合いながら、西米良にしかない山の環境を思う存分に楽しむ中武さんの姿に、今を生きる西米良ならではの魅力が詰まっている。
取材・構成=田代くるみ(Qurumu) 執筆=日高智明 撮影=田村昌士(田村組)
西米良村とは
西米良村は宮崎県の中西部、熊本県との県境に位置する人口約1,000人の小さな山村です。精霊カリコボーズが棲む豊かな自然とどこか懐かしい風景、美味しい食事、美人湯 の温泉、親しみやすい村民とのふれあいを目当てに、多くの観光客が訪れます。山間部 の気候を活かしたゆず、ほおずきやカラーピーマンなどが特産で、ジビエの活用にも取 り組んでいます。カリコボーズと1,000人が笑う村を合言葉に、子どもからお年寄りま でが笑顔で暮らす桃源郷のような村づくりを目指しています。
■食べ物|FOOD
西米良村の食べ物はどれをとっても絶品!食べ物が美味しすぎて、村で暮らす人たちは 段々顔が丸くなっていくのだとか…。まず、西米良に訪れた人に食べてほしいのが「おがわ四季御膳」です。四季折々の食材を使い、おばちゃんたちが真心込めて作る郷土料理 は、味はもちろんのこと、見た目にも美しく、満足すること間違いなしです。他にも、村内の施設でスピーディーに処理された良質なジビエや西米良サーモン、イセイモ、ユズ、シイタケ、干しタケノコ等、西米良にはたくさんの美味しい食材があります。■場所|SPOT
西米良村の魅力の一つは、雄大な自然です。四季によって色を変える山々、透き通った青色が美しい一ツ瀬川は、訪れた人々を魅了します。特に春には桜が村全体に咲き誇り、令和の桃源郷とも呼ばれています。観光施設としては、肌がすべすべになると噂の「西米良温泉ゆた〜と」、茅葺屋根が特徴の「おがわ作小屋村」、一ツ瀬ダム湖を眺望できる「湖の駅」、おばちゃんたちの笑顔が眩しい「川の駅百菜(歳)屋」、今流行りのグランピングやダッキー(川下り)が体験できる「ステラスポーツ」があります。■暮らし|LIFE
村の暮らしは、決して便利とは言えませんが、小さな村ならではの良さがあります。朝は小鳥のさえずりで目覚め、日中は山々に囲まれ、川のせせらぎを聞きながら過ごし、夜は満天の星空を眺め眠りにつく。村民にとってはなんてことのない1日ですが、初めて訪れた方は驚かれます。そして、村の最大の魅力は、人との「つながり」です。人口が少ないがゆえに、ほとんどの村民は知り合い同士です。お互いに何ともなしに気にかけており、程良いお節介という丁度良い距離感が、暮らしていて心地良く、不思議な安心感があります。
【問い合わせ先】
西米良村 むら創生課 移住相談窓口
TEL:0983-36-1111