能登内外の多様な関係をつなぎ復興を支える
地域密着型プロジェクトマネージャー
任田和真さん

能登半島地震で特に被害の大きかった地域の一つ、石川県七尾市に2018年に東京から移住した任田とうだ和真さんは、地震直後から地域住民の避難支援や、行き場を失った特産品「能登牡蠣」の販売支援を行うなど精力的に活動しています。七尾市周辺の現状や必要な支援、これからの石川移住などについて、県の移住推進担当者も交え、お話を伺いました。

任田和真さん

株式会社能登風土マネージャー/合同会社 トウダマネジメント代表、地域密着型プロジェクトマネージャー。石川県小松市出身。大学卒業後、国際NGOピースボートで地球を約2周。結婚を機に2018年に東京から七尾市にJターンし、地域おこし協力隊として高階地区コミュニティセンターで移住者の案内やイベント企画を行った後、2021年から能登風土のマネージャーに就任。2022年、自身の会社トウダマネジメントを設立。

 

発災当日、消防団員として住民の避難をサポート

「今まで経験したことのないような揺れでした。震度5程度の揺れの後、すぐにものすごい横揺れを感じる震度6強が来て、身を守ることだけで必死でした。揺れが収まって家の外に飛び出すと、地域の方々もみんな外に出て身を寄せていました。町会で普段から避難訓練などをしていたわけではなかったので、地域住民は戸惑い、頻繁に続く余震の恐怖から、日が暮れる前に地域の避難所である高階地区コミュニティセンターに自然と集まってきました。私は消防団員として地域の見回りや避難所の交通整理などを行い、できる範囲で避難をサポートしましたが、自分や家族の身を守るだけで精一杯でした」

任田さんは2024年1月1日の地震発生時の様子をそう語ります。2018年に七尾市高階地区に地域おこし協力隊として移住してから3年間は、この高階地区コミュニティセンターを拠点に地域自治活動を通して地域の人々との信頼関係を丁寧に築いてきた任田さん。発災初日は地域住民に加え、付近にある和倉温泉に宿泊していた観光客の一部も避難し、総勢200名程度がおしかける大騒動になったと言います。幸いにも電気は通っていたため暖を取ることができ、低体温症などの二次災害を防ぐことができました。


道路や生活インフラの復旧が最優先で進められる中、瓦礫の片付けはほとんど進んでおらず、ほぼ発災当時のままの所が多い。ボランティアを中心に危険レベルが低い家屋の中の片付けが少しずつ行われているが、人手が足りない状況だ

「同じ地域内でも地盤の強弱などによって被害状況は異なります。ほとんど被害がなかった家の向かいで、全壊した家もある。2月になって水道が復旧し、自宅での暮らしを再開できた人もいれば、安全な居住空間を確保できず親戚を頼って地域外に二次避難している人もいます。和倉温泉も稼働の目処は立っていません(2024年3月中旬現在)。七尾は観光業に関連する仕事に就いている人も多く、旅館や観光施設が停止してしまうと、そこに食料を卸していた生産者や、電気等の工事関係者、交通事業者など大勢の仕事が失われてしまう。気温は少しずつ暖かくなってきていますが、気持ちの上では春を迎え難い人もいるのではないでしょうか」と任田さんは現状を語ってくれました。


七尾市の被災状況

 

発災後、いち早く発揮された移住者たちのネットワーク

任田さんが暮らす七尾市高階地区は、「移住の里」と呼ばれるほど移住者が多いまち。東京や大阪、遠くはオーストラリアから移り住んだ人もいます。地震が起きた直後、最も早く機能したのは、そんな移住者たちがもつ地域外とのつながりから届く支援でした。

「発災直後、物資が何もなかった時に、大阪から移住したご夫婦の娘さんが、嫁ぎ先の鳥取で仲間を集めて、トラックに食料や物資を積んですぐに届けてくれました。旦那さんが消防士だということもあり、災害直後の現地の状況を予測して素早く行動してくれたんです。他の移住者のもとにも各地から支援が集まりました。地元の人だけではできなかった動きですし、移住者が持っているネットワークが思わぬところで活きたと思います」

地震からの復旧・復興が続き、今も多くの移住者が現地に留まり、地域内外のハブとなって活躍しています。民間ボランティアの受け入れや情報発信、地域の人々のケアなど、発災後の地域のニーズと持っているリソースをうまくつなぎ、さまざまなかたちで貢献しているそうです。

「みんな能登や七尾が好きで、想いがあって移住して来ているから、簡単には離れられないんですよね」


地震前は、移住者と移住希望者、地元の人が集まる移住者交流会「イジュトーーク」を能登地方の各所で月に一度開催し、任田さんが実行委員会代表を務めていた。UIJターンや関係人口、地域コミュニティ活性化につながっていた

 

地域の中で子育てがしたくて七尾市に移住

そう言う任田さんが七尾市に移住を決めた理由は、地域コミュニティの中で子育てがしたかったから。世界一周を船で旅する「ピースボート」に乗り、発展途上国や戦争を経験した国を含む50カ国以上を訪れた任田さんは、多様な価値観や文化に触れ、幸せのかたちは一つではないことを知りました。

「経済的に恵まれていないと言われる国や悲惨な経験をした国でも、楽しそうに暮らしている子どもたちに会いました。両親の顔も知らなくても、地域の人たちと一緒に暮らしていて毎日幸せだと言うんです。良い仕事について、お金がたくさんあることだけが幸せではないと分かりました。子どもは地域の宝だから、親だけでなく、地域全体で育てるものだという文化もありました。私の妻もピースボートの経験があるので価値観が似ていて、そんな子育てが叶えられそうな場所を日本の中で考えると、石川県の能登だったんです」


海だけでなく、美しい緑にも恵まれた能登の風景

当時、移住コンシェルジュの方から聞いた七尾市での暮らしの話や、移住者交流会「イジュトーーク」で出会った、地域でやりたいことを熱く語る同世代にも強い魅力を感じ、ここなら自分も何かできそうだと感じたそうです。

 

自分の有用感を感じられ、やりたいことが形になっていく場所

「移住して感じたことは、ここでは一人の人間の価値や存在感が非常に大きいということです。東京に住んでいた時はメディアに取り上げられることなんてありませんでしたが、能登に移住しただけで地域誌に掲載され、地域おこし協力隊の期間中には地元の新聞に100回以上も掲載してもらいました(笑)。一人ひとりの活動が目に見えて分かりやすく、やりたいことを口に出せば仲間ができて、いつの間にか形になっています。娯楽や教育の選択肢は都会に比べたら少ないかもしれませんが、自分から行動を起こすほど、現実が変わっていくのを実感できます」と任田さん。

地域おこし協力隊の任期終了後は、アルバイト先でもあった、牡蠣養殖や能登野菜の生産・施設運営を行う地元企業「能登風土」の社長から声が掛かり、能登観光の重要な拠点である「能登千里浜レストハウス」の再建を担う会社のマネージャーに就任。夏は賑わうものの冬は閑散としていたこの施設の一部を牡蠣小屋に変え、観光客だけでなく地元の人も利用しやすいように売店に地場野菜やこだわりの品を置いたり、使われていなかった2階をコワーキングスペースに改装するなど経営の改善に取り組みました。また、千里浜で年に一度開催される1万人規模のツーリングイベント「SSTR」も鑑み、ライダーの聖地となることを目指して、新たに「SSTR CAFE」もオープンさせました。

「社長がずっと思い描いていたビジョンを、私が右腕になってかたちにすることができ、とても良い経験になりました。自分の持ち味は、自らビジョンを打ち立てるというよりも、誰かの叶えたいことをカタチにするために、人と人との間で調整しながら伴走していくことなんです」


能登半島の千里浜に建つ「能登千里浜レストハウス」は300席のレストランを有する能登観光の要所。任田さんがマネージャーに就任してから、使われていなかった2階をコワーキングスペースとして改装し、2022年末から稼働を始めた

 

地域に伴走する自身の会社を立ち上げ、復興支援

任田さんは地域おこし協力隊時代から積み上げた経験と信頼関係を礎に、2022年、地元企業や事業者の地域づくりの取り組みをマネジメントとデザインで伴走支援する自身の会社「トウダマネジメント」も立ち上げました。


トウダマネジメントのウェブサイト。妻の祥子さんは妊娠期間中からグラフィックやWebのデザインを勉強し始め、地域の自営業者や地域プロモーションなどにデザインを通じて伴走している

地震後は能登復興に向けて、売り場や卸先を失った能登牡蠣の事業者のために、1月上旬にいち早くオンラインショップの開設に取り組みました。2月には東京で開催された国内最大級の魚食イベント「SAKANA&JAPAN FESTIVAL2024 in 代々木公園」に震災復興特別ブースとして出店し、仲間と共に3日間で約1万5千個もの能登牡蠣を販売。ブースに取材に来てくれた全ての報道メディアに能登への支援を訴えました。

また、地震でスポーツや遊びの場を失った子どもたちを元気づけるため、七尾市内の野球アカデミーと協力して、宮本和智監督率いる読売ジャイアンツの女子チームを能登に招き、交流イベントをコーディネート。宮本監督やジャイアンツ女子選手と触れ合う中で能登の子どもたちが心を開き、最高の笑顔が見れた素晴らしい時間になったそうです。

 

復興のひとつの鍵となる地域おこし協力隊を支え続ける

「大変なのはむしろこれから。たとえば、牡蠣の事業者は旬のシーズンが終わり、オンラインでの出荷も止まった後、店舗を開けることもできない中でどうしていくのか。でも、復興の生業支援の補助金などを活用してこの機会に店舗を建て直し、逞しく再起を図ろうとしている人もいます。私たちはそうした人々を引き続きサポートしていきます」

また、任田さんは2023年12月に「いしかわ地域おこし協力隊ネットワーク」を共同代表として設立。SNSや各種メディアで能登の各地で地域おこし協力隊OBOGが地域内外をつなぐハブ人材として活躍を続けていることを知りました。3月上旬には能登半島各所の被災状況を視察し、地域復興のキーマンとして地域おこし協力隊(OBOG含む)に向けた、長期的な支援事業を実施していく予定です。


全国の地域おこし協力隊OBOGのボランティア希望者は、3月現在60名ほどいるという

発災初期の混乱の中で発信された「交通渋滞を避けるため、被災地への来訪を控えてください」という情報のインパクトが強かったこともあり、いまだ能登へのボランティアは不足したまま。「むしろ今は来てほしい」と任田さん。また、七尾市高階地区への移住者に向けて任田さんが編集長として作成した『集落の教科書』には、地域のルールやしきたりが明文化されており、地域外からボランティアに来られた方が地域の全体像を把握しながら災害ボランティアの活動ができると、災害時にも大いに役立っているそうです。


『集落の教科書』は、全44ページにわたり高階地区での生活に役立つ知識や情報が網羅されている

任田さんに、能登復興も踏まえ、石川県への移住に関心のある人に向けて、メッセージを伺いました。

「私なりに思う石川の良さは、自分がやりたいと思ったことを口に出すと形になる、そんな面白さがある所。能登は地域に関わるほどに、人々のつながりや文化の中で新しい仲間に出会えます。自分が必要とされているという実感を肌で感じやすい地域だと思います。

これから能登は長い復興期間に入り、外部からの支援が引き続き必要ですから、逆に、主体的に地域に関われるチャンスがあるとも言えます。その中で新たな人間関係を築き、自分のやりたいことを見つけて行ける時かもしれません。発災から最初の1ヶ月は関心や支援が集まりましたが、少しずつ薄れてきているのも感じています。被災地のボランティアに来なくとも、能登に関心を持ち続け、オンラインで手軽に消費応援をしたり、関心を持った情報を発信してもらえたりするだけでも、地元の人ができないことなので、とてもありがたいと思っています」

長期化する避難生活や復旧・復興の道のりの中で、炊き出しの支援や現地の人の話をただ聞いてあげるといった、力仕事だけではない仕事もたくさんあるそうです。今後の旅先や活動拠点の一つとして、能登や石川県を検討してみてはいかがでしょうか。


任田さんが好きな能登の風景


ボランティアの力が必要。移住受け入れも継続

最後に、石川県企画振興部地域振興課 移住推進担当者に今後の被災地支援の方法や、石川県への移住に関してお話を伺いました。

「支援の方法としては、まずは災害ボランティアとして活動いただけるとありがたいです。インフラの復旧や気象条件の緩和が進み、より活動しやすい環境が整ってきており、被災家庭へのニーズ調査も加速し、ボランティアを必要とする場面が増えてくると想定されます。一人でも多くの方にご協力いただけますと幸いです。その他にも、県では災害義援金を受け付けています。

また、移住者のみなさんはバイタリティのある方が多く、地域を力強く支えてくださっており、本県への移住が能登の復興の後押しになると期待されます。移住先としてご案内できる地域は限られますが、県では引き続き仕事や住まい探しなど移住のサポートをさせていただきます」

また、金沢や加賀エリアなどへの観光も、石川県の経済の発展や関係人口への寄与にもつながります。北陸新幹線も延伸するこの春、石川県を旅してみることも復興への一助となるでしょう。

▼災害ボランティア情報はこちら
https://prefvc-ishikawa.jimdofree.com/

▼災害義援金情報はこちら
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/suitou/gienkinr0601.html

▼移住の相談窓口「いしかわ就職・定住総合サポートセンター(ILAC)」
https://ishikawa-note.jp/supportcenter/

▼任田和真さんの会社「トウダマネジメント」
https://tohdamanagement.com/

取材・文:森田マイコ


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