ワーケーションの普及に取り組む観光庁では、その調査の一環として、全国の企業・団体を対象に「企業ニーズに即したワーケーション推進に向けた実証事業」の公募を実施。その中から「空からみる未来の農業 ワーケーションによる新しい価値創造ストーリー実証事業」で採択を受けた日本航空株式会社(JAL)が、全国3か所で同社社員参加によるモニターツアーを行った。今回は2023年11月27日〜30日に実施された和歌山県みなべ町のツアーをレポートする。
1日目:世界農業遺産に認定されたみなべ町の梅の原点を知る
南紀白浜空港
和歌山県みなべ町は、紀伊半島の南西部に位置する人口約1万2千人のまち。太平洋に面する海岸線と吉野熊野国立公園に含まれる風光明媚な環境に恵まれ、世界遺産で知られる「熊野古道」のひとつ、紀伊路の参詣道が通る歴史文化的にも重要な土地だ。空の玄関口である南紀白浜空港からは高速道路を利用して車で約30分の距離。朝の便で空港に到着した日本航空(以下、JAL)の一行は、まずはじめに、町の中心部にある道の駅「うめ振興館」へ。
うめ振興館
ツアー参加者は6人。普段は東京のオフィスで別々の部門に所属しており、年代も20代前半から40代後半までとさまざまで、ともに行動するのは今回が初めてという。ここでは、みなべ町でお世話になる方々との顔合わせの後、みなべ町役場・うめ課の木田勝紀さんの案内で館内の展示施設を見学した。
年間の平均晴天日数が200日以上と日照時間が長く、紀伊水道に流れ込む黒潮の影響により温暖な気候に恵まれる、みなべ町。水はけのよい土壌を有する環境では、紀州藩田辺藩主安藤直次氏の奨励策によって江戸時代の初めから梅の栽培が行われてきた。現在では全国の梅生産量のうちみなべ町は約3割が生産される日本一の梅産地で、後に説明する梅栽培の仕組み「みなべ・田辺の梅システム」は、2015年に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定された。
美しい海岸線を持つ、みなべ町
そうした歴史を持ち、古くから梅の産地として有名だったみなべ町。その地位をさらに確かにしたのは、明治時代に端を発する「南高梅(なんこううめ)」の誕生だ。
ブランド梅の代表格として知られる南高梅は、みなべ町の高田貞楠氏が、明治35年(1902)に近所から譲り受けた内中梅の苗の中から粒の大きな優良種を見つけたことが起源。「高田梅(たかだうめ)」と名付けられたその梅は、昭和の初めに農家の小山貞一氏へと受け継がれ、昭和25年(1950)から始まった最優良母樹選定委員会(委員長 竹中勝太郎氏)の調査研究で最優良品種に高田梅が選ばれた。この調査に協力した南部高校の先生や生徒への配慮から「南高」という名前になり、現在の南高梅が生まれたのだ。
まちの中心部に立つ「南高梅誕生の地 みなべ町」の看板
「名産地と呼ばれる場所は日本各地にありますが、世界農業遺産に認定されている場所には、特別な自然環境や長い伝統、そして地域の文化との結びつきなど、さまざまな特徴があります。みなべ町の梅栽培も400年もの長い間、土地の人々が代々守り続けてきたものです。ひとつひとつの特徴については、言葉で伝えにくいことも多いので、今回は実際に産地を訪れて、見て、触って、この土地に息づく伝統を感じていただきたいです」と木田さん。
展示の中には「日本最古の薬草漬梅干」の実物もあって驚き。また、3階の物産コーナーでは、お菓子や調味料など、梅干し以外にもさまざまな梅商品が並んでいた。
◾️うめ振興館
http://www.town.minabe.lg.jp/docs/2013091100182/
その後は昼食を済ませて、宿泊先に移動。午後からはリモートワークの時間に。
今回の宿舎となる国民宿舎「紀州路みなべ」は、海岸線沿いの高台に建つ絶景の温泉宿。純和風の落ち着きある客室は全室オーシャンビューで、窓には「みなべ」の地名の由来となった伝説が残る「鹿島」などを見渡す景色が広がる。
高台に立つ国民宿舎「紀州路みなべ」
加えて同館は、リモートワーク施設としても売り出し中。地下1階にある施設には約100㎡のコワーキングスペースのほか、個室タイプのワーキングスペース、会議や打ち合わせに便利なミーティングルームを完備している。宿泊者はコワーキングスペースを無料で使うことができ、宿泊していない方でも1時間400円の料金で利用が可能だ。
オーシャンビューのコワーキングスペース
実は、和歌山県は「ワーケーション発祥の地」。全国でも特に積極的にワーケーションの誘致が行われており、みなべ町も梅産業を絡めたワーケーション誘致に力を入れている。
その中で特に大きな取り組みが、日本ウェルビーイング推進協議会と連携して毎年5月から 7月に実施している「梅収穫ワーケーション」だ。この取り組みでは、参加者が農家で梅の収穫を手伝いながらワーケーションを実践。期間中には、勉強会やワークショップなども盛り込まれ、地域との交流も目的としている。2度目となった2023年は70日間の開催期間で延べ382人が参加。毎年収穫時期の人手確保に苦労するまちにとってはその課題の解決につながり、参加者にとっては普段とは違う場所で仕事をしながら生産地への理解を深められる、双方に価値のある機会となっている。
◾️紀州路みなべ
https://kishuji-minabe.jp
2日目:「みなべ・田辺の梅システム」を肌で感じる農業体験
2日目は朝から3人ずつのチームに分かれ、2軒の梅農家で農作業を体験。このうち、1チームは、「渡口農園」で梅林の肥料撒きをお手伝い。
夏過ぎから草刈り、11月から1月にかけて枝の剪定作業を行い、3月から5月の間に収穫用のネット張りや防除作業をして、6月下旬から7月初旬に収穫を迎えるというのが梅農家の一年のサイクルだ。約8万本の梅の木が立つ町内の「南部梅林」にひと月で3万人の観光客が訪れる2月の花見シーズンと、初夏に迎える収穫の時期がもっともにぎやかになるみなべ町にあって、今回訪れたのは比較的静かなシーズン。ただ、それは、普段はあまり光が当たらない、梅農家の方々の地道な努力が見られる時期でもある。
渡口農園の梅林
渡口農園の渡口丈二さんに連れられて訪れたのは、約200本の木が立つ広さ5反の梅林。渡口農園ではここを含めて計2町歩の梅林を所有しており、毎年約26トンの梅を生産している。この農園では、肥料に牛ふん堆肥を使用。梅の木の根が張っている場所の上に、線を引くように堆肥を撒いていくのが参加者に課されたタスクだ。
先にふれた世界農業遺産の「みなべ・田辺の梅システム」とは、天然の地形と生物多様性が織りなしてきた伝統的な梅生産の仕組みのこと。この地域の山地には、紀州備長炭の原材料が採れる薪炭林(しんたんりん)が梅林の中に共存。薪炭林が山崩れを防ぐ役割を果たすとともに、その土壌に貯まった雨水が斜面に作られた梅林に安定的に栄養を供給することで、古来からサステナブルな農業が保たれてきた。また、薪炭林は、自家受粉できない梅の木に花粉を運ぶミツバチたちの 棲みかでもあり、そうした自然の循環により伝統的な農業が守られてきたのだ。
したがって、梅林は山腹の斜面にあることが多く、我々が訪れた渡口さんの農園もとても見晴らしの良い場所にあるが、普段デスクワークが多い参加者には、その地形が体力をじわじわと奪う“難関”に。足場がいいとはいえない地面の上で一袋20キロの堆肥を撒きながらアップダウンを繰り返す作業は、「農業体験」の域を越えたなかなかの重労働。
それでも、地形をうまく使って撒くことを覚えたり、袋の開け方を工夫するなど各々のやり方で効率を高めながら、午前だけで用意されていた量の堆肥撒きを完了。
◾️渡口農園
https://www.ume2823.com
一方で、もう1チームは、「梅ボーイズ」の梅林で、剪定作業で切り落とされた枝拾いをお手伝い。
梅ボーイズは、山本秀平さん、将志郎さん兄弟が運営する農園。兄の秀平さんはみなべ町の町議会議員であり、弟の将志郎さんは農園と同じ名前のチャンネル名でYouTuberとしても活動中で、梅文化の情報発信に努めている。
梅ボーイズの梅林
こちらも斜面につくられた梅林の中をひたすら歩き続ける、足腰が鍛えられる作業。しかしここでも、全員で同じ範囲の枝をまとめて次の範囲に進むなど効率を考える姿が見られ、3人が次第にまとまりを見せていく、チームビルディングの学びに通じるような光景があった。また、普段はマルチタスクでさまざまな業務に追われる仕事ゆえ「黙々とひとつのことに集中できる作業が心地よい」という声も聞かれた。
そんな中、休憩の会話中に足元の地面をゴソゴソと靴で掘り始めた山本さん。その先を見ると、細かく砕かれた木のかけらが。梅農家ではこの作業で集めているような枝を燃やし、炭にしたものを土壌改良に活用。それ自体は昔から行われてきたことだが、今は無煙炭火器を導入したバイオ炭の生産により、枝の燃焼や放置で発生する二酸化炭素の量を減らすという、カーボンニュートラルに向けた試みも進められているそうだ。
なお、渡口農園の渡口さんも梅ボーイズの山本さんも、一度みなべ町の外に出てから家業を継いだUターン組。そして、ともに就農から約10年という若手農家だ。みなべ町も他の生産地の例に漏れず、担い手不足の問題を抱えているが、若い二人の姿にこの地の農業の明るい未来を感じつつ、両チームとも本気の農作業を経験して、生産者の方々の努力を肌で知ることができた。
◾️梅ボーイズ
https://umenokuni.com/
計5時間の農作業でたっぷり汗を流した後は、宿舎の温泉でリフレッシュ。夕方からはリモートワークの時間に。そして夕食は、町中心部のお食事処「リッチ」でみなべ町の方々との親睦会に参加。海の名産品であるウツボの鍋料理を囲みながら梅酒で乾杯し、ざっくばらんな会話の花が咲く中、頭も体もフル稼働だった一日の夜が更けていった。
3日目・4日目:老舗梅干し工場で百年ものの木樽を見学
3日目の午前は、今回のツアーでコーディネートの中心を担ってくださった岩本智良さんが経営する「岩本食品(ぷらむ工房)」の梅干し工場へ。
梅の生産者が加工・販売まで行い、小売業者やバイヤーと直接交渉して販路を築く6次産業化した農家が多いことも、みなべ町が世界農業遺産に認定されている要因のひとつ。明治39年(1906)創業の岩本食品でも、アイデアマンである岩本社長のもと、高級梅に金箔をのせた「プレミアムダイヤモンド梅」をはじめとしたヒット商品を開発。全国の小売店等で商品が販売されているほか、東京の日本橋や神戸、札幌の百貨店に自社の店舗を持っている。
岩本智良さん
梅酒などに使われる青梅は手摘みで収穫されるが、梅干しの梅は木から自然落下した大きくて完熟した実を使うのが一般的。6月中旬からの収穫期が近づくと、梅林一帯には落ちてきた梅を傷つけないためのネットが敷かれ、その上から斜面の下にコロコロと転がってきた実をその日のうちに収穫。そこから大きさごとに選別された実を塩分20%の粗塩で1か月ほど塩漬けにした後、数日間にわたって天日干しを行い、酸っぱくて塩っぱい、昔ながらの「白干梅(しらぼしうめ)」が作られる。さらに今では定番となったハチミツ梅やカツオ梅などの調味梅干を作るには、ここからそれぞれの商品に合った度数まで塩分を抜き、調味液に漬け込む作業を行う。
今の塩漬けはFRP製のタンクを使って行われることが一般的だが、こちらの工場では、100年以上前から使われている木樽に浸けた梅を見学することができた。
「南高梅が品種登録された昭和40年までは、どの梅干し屋も新品の樽を買うお金があるほど裕福ではありませんでした。なので、酒蔵から醤油蔵や味噌蔵が譲り受けたものをさらに梅干し屋がもらい、タガを締め直して使っていました。この樽も味噌屋さんから譲ってもらったものです」
梅酢たっぷりの樽の中から取り出された塩漬け梅は、キラキラと瑞々しく光り、とってもおいしそうな見た目。ところが、ちぎった梅をひとかけら口の中に入れてみると、強烈な塩気と酸味が(笑)。
木樽から取り出した塩漬け中の梅
そのほか、こちらでは天日干しや包装の工程を見学。また、バクテリアの働きを活用した排水の膜処理浄化槽も見させてもらい、環境保全への配慮についても知ることができた。
◾️岩本食品(ぷらむ工房)
https://plumkoubou.jp/
続いて「紀州備長炭振興館」に移動。同館を運営する、みなべ川森林組合の松本貢さんから、「みなべ・田辺の梅システム」の重要な要素である薪炭林の山づくりについてお話を伺った。
紀州備長炭振興館
紀州備長炭といえば、備長炭の最高級ブランド。「紀州備長炭使用店」の看板がかかっている焼き鳥屋や焼き肉屋を見ると、それだけで“こだわりの店”という印象を抱く人も多いはず。この地域では平安時代から炭の文化があり、江戸時代の元禄年間に紀州備長炭の生産方法が確立。そこから300年以上にわたって、伝統的な炭づくりが行われてきた。
山あいに建つこちらの紀州備長炭振興館では、写真や地図などを交えて、紀州備長炭の歴史と特徴、生産工程をわかりやすく紹介。備長炭の原料となるウバメガシの葉っぱや全国各地の炭も展示されており、触って比べて紀州備長炭のすごさを理解することができる。
「現在は木材の生産と炭焼きの仕事が分業化されている炭産地も増えてきましたが、みなべ町の炭焼き職人は、炭づくりの前に山づくりの技術を徹底的に叩き込まれます。山づくりができないと炭焼き職人ではないといわれるくらいで、そうして原料の木を伐採しすぎない『択伐(たくばつ)』のルールをしっかりと守ってきたことによって、備長炭ブームなどと言われる中でも木を絶やさず、次の世代に残していく持続可能な山づくりが行われてきたんです」と話してくれた松本さん。
炭焼き職人が山を守り、その山に守られながら梅林が育まれてきた、数百年にわたる梅システムの原点を見たような気がした。
◾️紀州備長炭振興館
http://www.kishu-binchotan.jp
館内を見学した後は、振興館のすぐそばにある薪炭林の山を1時間ほど散策。原木を担いで上がる道の険しさに驚きを感じつつ、途中に立ち寄った炭焼き小屋では、若手職人から炭づくりのこだわりを聞くこともできた。
その後、宿舎に戻り、地方創生に向けたアイデアを出し合うミーティングを実施。ここまでのプログラムで感じたこと、親睦会の自由な雰囲気で会話したことなどを振り返りながら、活発に意見を交わした。そして4日目は午前中をリモートワークにあて、午後の便で帰路につき、4日間のツアーが終了。
世界農業遺産である「みなべ・田辺の梅システム」を間近で体験しながら、「リモートワーク&観光」という従来のあり方を越えて、地域とつながり新たな価値創造を目指す、新しいワーケーションの可能性を探ることができた。
▼みなべ町×JALワーケーションレポートvol.2へ続く!
https://turns.jp/91582
文・写真:鈴木 翔