民俗ローカル紀行-神さまのいるところ

民家「山形県飯豊町中津川地区」

昔の家は山そのもの。木、土、草と自然素材のみで築100年。
日本には古くから続く豊かな風習や民俗文化がある。すっかり忘れ去られた習慣も、今なお続くものも。昔の民家はすべて木や草との共生、みごとな循環でできていた。人の営みを守りつづける、多彩な民家の顔を紹介します。

今回訪れたのはこんな場所
山形県飯豊町(いいでまち)中津川地区
山形県の南部、最上川の源流部に位置する飯豊町は「日本で最も美しい村」にも選ばれたまち。飯豊山のふもとに広がる中津川地区は日本の原風景の残る豪雪地。


民家とは?

民家とは一般的には庶民の家という意味で、王宮など上層階級の住まいに対して用いられるが、民俗的な視点でいえば「地域の風土に適応してその土地の素材や技術を用いてつくられた家」のこと。ここではおもに昭和初期頃までに伝統製法によってつくられた農家の類を指し、武家屋敷などは対象としていない。合掌造や中門造など地域性の強い造りに対して、それらを総称する「民家造り」という俗称もある。


生活の場であり、生業の場

日本昔話に迷い込んだかのような村へやってきた。
山形県飯豊町中津川。

雪どけ水のあふれる白川沿いに、古い立派な民家がぽつぽつと建っている。今回訪れた目的は「民家」について話を聞くことにあった。ここ最近、人びとの住まいへの価値観は変わりつつある。DIY、リノベーション、スモールハウスといった言葉が言われ、住み手が主体的に家づくりに関わる動きが盛んだ。そうした意味で、自然素材をつかい、人の技でつくられた昔の民家は、生きた資料として今後ますます参考になるにちがいない。

ところが地元で話を聞くうちに、そのとらえどころのない奥深さにがく然とした。昔の「民家」には、ただの「住まい」をはるかにこえる、人の暮らしや仕事すべてに関わる、知恵と技、逸話が無限に含まれていたのである。

考えてもみれば、それはそうだ。かつて家は生活の場でありながら生業の場でもあり、冠婚葬祭やお祝いごとも行われた。神聖な顔も、俗な顔ももつ、変幻自在な場所だったのである。産まれた子どもを取り上げるのも、老人を看取るのも家。村の寄合も、神事も。その都度座敷の襖ふすまは取り払われ、茶の間や土間、寝床も巧みに表情を変えたのである。

昔の家は変幻自在

中津川ではまず、伊藤信子さんの営む「いろりの宿」を訪れた。

11年前に始めたという宿の囲炉裏端で、信子さんは話を聞かせてくれた。

「うちは釘1本も使ってなくて全部くさび。時間が経つと木がきゅっとしまってくんです。8間1本の木から取った通しの柱で、板も同じ。だから廃れずにだんだんいい色になってくんだ」

宿の向かいに建つ信子さんのお宅は築82年。東北から新潟県に見られる中門造りで、古いけれど頑丈。毎年の豪雪にもびくともしない。ここに息子さん夫婦と暮らしている。江戸初期に成立した民家の代表的な造りは、座敷、茶の間、台所、寝床が四の字型に並ぶ「田の字」型住居といわれる。

それを基本にして、座敷の数や土間の有無、風土や産業によってさまざまな家の形がある。中津川で共通していたのは、土間は格好の作業場であり、中門では牛や馬を、屋根裏でお蚕を飼う家も多かったこと。

ふだん家族が過ごすのは囲炉裏のある居間で、お客さんを通すのは茶の間や座敷。居間で活躍したのが囲炉裏の上の火棚だった。「濡れた服やらズイキの茎やら何でもここへ吊るしとくの。焙あぶった魚を弁慶て言う藁に刺しておくと、燻製になるんだ。よぐ考えられてんべ」何より、家の中では公私の区別がはっきりしていた。大勢の客が訪れる時にだけ使う座敷は、普段はめったに入らない、神聖な場所でさえあった。

信子さんは子どもの頃を振り返って笑う。
「ばっちゃが柿でつくった菓子を床の間の押し入れにしまっててな。これが食べたくで食べたくで。でも座敷さ入るのが怖くで一人じゃ行げなかっんだ」

座敷には仏間や神棚があることも多いが、家の神さまの居場所はここだけではない。面白いことに、家には火の神である荒神や年神、恵比寿神などたくさんの神さまがいて、台所や茶の間、玄関などあらゆるところに祀まつられていたのである。信子さんの家でも5カ所に神様が祀ってあり、5回パンパンと手を叩いてからでなければ、お正月が始まらないのだそうだ。

そうして、普段はひとけのない座敷が、寄合やハレの日には一変して賑にぎやかになった。「床の間と座敷の間には柱がなくて、襖を取っ払うと8畳8畳の大きなひと間になるんです。冠婚葬祭やら法事やらのときは、料理もぜんぶ家でしてね」信子さんの同級生の山口泰子さんも加わって話してくれるには「冠婚葬祭以外にも人が家に集まる機会はたっくさんあったなぁ」とのこと。

「村の寄合を泊まりがけでやったり、山の神講やら大宮講。掛け軸に向かって豊作祈願をして、みんなでご馳走食べたりな。楽しみやったよなぁ」大勢が寝食をともにできるだけの布団も膳椀もそろい、かまども大きかった。昔の家にはそれだけの人を受け入れるキャパシティがあったのである。

 
※記事全文は、本誌(vol.29 2018年6月号)に掲載
写真:佐藤秀明 編集:ハタノエリ

文:甲斐かおり(日本の各地を取材し、地産品や風土、地域コミュニティ、一次産業、ものづくりをテーマに執筆。書籍に『暮らしをつくる』(技術評論社)。)

参考資料
『民家のしくみ』(坊垣和明、学芸出版社)
『図説民俗建築大事典』(日本民俗建築学会、柏書房株式会社)
『かやぶき民家調査診断業務』報告書(二宮設計事務所、2003年)

                   

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