【農家の扉 vol.5】
水菓子屋乃介・阿部陽介さん
移住し果樹農園を継承。
受け入れ側となって地域の農業を未来へつなぐ

Presented by 農業の魅力発信コンソーシアム

一人ひとりの農家には、地域に根ざした個性ある取り組みがあり、その中には地域活性化や食の安全、環境保全への熱い思いが込められています。本企画「農家の扉」では、一歩を踏み出した先輩農家たちの物語を通じて、未来への種を蒔く「農家」という職業の魅力と可能性に迫ります。彼らが築き上げてきた経験や視点は、これから農業に挑戦したいと考える皆さんの道しるべとなるはずです。

 

◉お話を伺いました

阿部陽介さん|水菓子屋乃介 代表

生産品目:スモモ、桃、ラ・フランス、りんご、ブロッコリー、水稲、さくらんぼ

神奈川県出身。プログラマーなどを経験した後、2007年にソフトウェア開発会社を共同設立。エンジニア兼プロジェクト管理などを担当するも事業縮小に伴い7年後に退職。すべて自分の判断や責任でできる仕事がしたいと起業を志す。妻の田舎暮らしへの希望もあり、就農の道を選択。就農相談会で山形県大江町の新規就農受入組織「OSIN(おしん)の会」と出会い、同町へ移住。2年間の研修期間を経て2016年に独立。

始めから終わりまで自己責任で経営したい

「農業は、頑張れば頑張った分だけ儲かる仕事。チャレンジを助けてくれる人もたくさんいます。僕のまわりの農業人口を少しでも増やしていけたら」

と力強く語るのは、山形県大江町で果樹と野菜を生産している阿部陽介さんです。東京から移住し就農して9年目。独立当初、約30アールから始まった農園は、高齢化した近隣の農家からりんごやラ・フランスなどの果樹園を徐々に託され、今では約4ヘクタールにまで拡大しました。大江町に暮らすうちに長女も誕生し、今年の初冬には新しいマイホームも完成。移住と就農をターニングポイントに、阿部さんの人生はますます充実しているようです。

大江町に来る前は、東京のIT業界に身を置いていた阿部さん。社長と二人で創業した会社で、エンジニアとして、また部下をマネジメントする中間管理職として働く中で、いつしか「始めから終わりまですべて自己責任で経営していきたい」と考えるようになりました。さまざまな業種をリサーチしているとき、和歌山県出身の妻が「東京ではなく田舎で暮らしたい」と言い、田舎でできる事業として視野に入ってきたのが農業でした。

「OSINの会」との出会いから大江町へ移住

「どこで農業をしようか?」そう考えながら都内で開かれた就農相談会「新・農業人フェア」に足を運びました。そこで声を掛けられたのが、山形県大江町で2013年から新規就農希望者の受け入れ活動を行っている「OSINの会」です。両親が山形県出身だったものの東北は考えていなかったという阿部さん。しかし、OSINの会のメンバーの話にグッと心を掴まれました。

「多くの出展ブースが市町村職員による補助金などの説明が中心だったのに対し、OSINの会のブースにいたのは先輩就農者や農業研修生など実際に生産に携わっている方々でした。『スモモだったら、これくらいの労働時間でこのくらいの量が採れて、JAに1日何箱出荷すればいくらになるよ』と非常に具体的な話をしてくれたんです。それでイメージが湧き、現地を見てみたくなりました」

「この日においで」と言われて大江町に足を運んでみると、その日はOSINの会の新年会。農園や地域の空き家などを見学させてもらった後、阿部さん夫妻も新年会に参加しました。その宴席で、移住して農業を始めた先輩たちから、良いことも大変なことも含めて、さらにリアルな話を聞くことができたそうです。

「僕は神奈川で生まれ育ったし、人見知りする性格なので、“田舎は怖いところ”という思い込みがあったんです。余所者扱いされたらどうしようって。でもOSINの会には移住者も何人もいましたし、ワイワイ楽しい雰囲気の中で妻も打ち解けているのを見て、ここなら大丈夫と思えました」

その月のうちに大江町を再訪して2週間の短期研修を受け、住まいとなる空き家も探し、新年会から3ヶ月後には夫婦で移住に踏み切りました。阿部さんが38歳、妻が32歳くらい。人生の新たなステージの幕開けでした。

大変さを乗り越えた先にある大きな喜び

OSINの会の受け入れ農家で研修を受けるにあたり、阿部さんは果物の名産地である山形だからこそ、いろいろな果樹を手がけたいと考えていました。1年目はさくらんぼとラ・フランス、米を生産している農家に弟子入りし、2年目は桃とりんごをつくっている別の農家で栽培技術を身に付けました。

IT業界でデスクワークばかりしていた阿部さんにとって、最初に大変だったのが「体づくり」。昼夜逆転の生活リズムが染み付いていた体を、早朝暗いうちから起きて毎日農作業を続けていける体にしていくまでに、体重は20kg近く絞られたそうです。

「それを乗り越えられたのは、とにかく自分の力で農業をやれるようになりたい! という気持ちと、毎日20時には力尽きて寝てしまう僕を農業に専念させてくれた、妻のおかげです」と阿部さん。

こうした期間を経て独立するときには、2年目にお世話になった師匠から、「スモモまで俺の手が回らないから、お前がやってみろ」と言ってもらえ、研修時に管理していたスモモ農園をそのまま引き継ぐことに。近隣の別の農家からもラ・フランスの成木の農園を貸してもらうことができました。

 

その後、1年、2年と農業を頑張っているうちに、高齢化のため縮小や離農をする近隣の農家から果樹園を託されるようになり、気がつけば阿部さんが管理する農園は見渡す限りの広大な面積に。果樹園、畑、田んぼを合わせ、四季を通じてさまざまな作物を生産するようになっていました。

「農業とITは意外な共通点があるんですよ。複数の作物を、時期をずらしながら作業内容を組み立てて世話をしていく工程は、実はソフトウェア開発で複数のプロジェクトを動かしている感覚と似ています。マネジメントする対象が人から果樹に代わったようなものですね(笑)。僕はその管理が得意だし好きだから、自分で考えた計画や工夫がうまくはまって収穫量や売上につなげられたとき、最高の喜びを感じます」

これまでの奮闘の成果が実り、阿部さんは9年目の今年、過去最高の売上を記録したそうです。

生産者としての目標と、受け入れ側としての意志

現在の出荷先は約8割がJAで、残りが産直施設やECサイトでの直販。いずれは直販の割合を3割まで伸ばすのが経営上の目標だと言います。そのためには、「つくり手としての自分のこだわり」を確立することも必要です。OSINの会の師匠や名人たちのように、自分の大事にしたい味や栽培方法を追求し、「この人がつくるこの味や食感が好き!」と思わせるような品質を実現して、ファンや後輩を増やしていきたいと考えています。

阿部さんは現在、自分が受け入れてもらったOSINの会で、移住者サイドの副会長を務め、新規就農の研修生を年間数名受け入れています。

「素晴らしい知識や技術を持った方々はほとんどが70代で、受け入れ先の農家も少なくなってきています。受け入れ先がなくなるのは、農業をやりたい人のチャンスがなくなるということ。集落営農をしようにもすでに人が全然足りていない危機的な状況を感じています。気候変動の問題などもあり、これからの農業の在り方が大きく変わっていこうとしている時代の中で、この先に農業をつなぐためにも受け入れを続けたい」

OSINの会は設立から10年を迎え、その間に20人の農家が独立し、移住者も60人余りに増えているそう。自分が受け入れてもらったからこそ、次の世代を受け入れる。そんな未来への循環の輪が、阿部さんのまわりに生まれています。

阿部さんから、農業を始めたい人へのメッセージ

「まずはしっかりとした産地を選ぶことが大事だと思います。そして一人で何でもやろうと考えずに、仲間や地域の人、JAなどに助けてもらいながら営農していくのが良いと思います。産地として確立している所は支援体制も整っています。そういう場所なら、頑張った分だけ儲かる農業をしていくことが可能です」

 

阿部陽介さんに聞く、農業のココが知りたい!Q&A

Q1. 農業研修生にとって大切なことは?

ズバリ「忍耐力」(笑)。農業は単純作業の反復も多く、特に研修期間は師匠である農家の方の指導に従い、朝から晩まで食らい付いていく体育会系の日々。師匠も農業のプロではありますが、教えるプロではないので、お互い人として理解し合いながら取り組むことが肝心です。その期間を経て独立就農した時の達成感は格別です。

 

Q2. 就農する地域はどう選んだらいい?

事業として農業をするなら産地の規模や強さは重要です。JAのサイトなどで産地の顔となる作物の出荷量や売上高が多い地域を探しましょう。新規就農者への支援があるか、若手農家が活躍しているかなども調べるといいでしょう。強い産地のJAは変動する市場の中で高単価を取れる実力があり、若手が多い産地は将来性が高いとされ、市場でも支持されます。

 

Q3. 独立の際に活用した支援は?

農水省の助成金(農業次世代人材投資資金)に加え、町からの家賃補助、農業機器購入時の補助などを活用しました。独立当初は生活面を助成金で賄い、作物が売れたお金は営農に必要な機器類の購入資金に。トラクターなど高額の大型機械は町が共同で使えるものを用意してくれたので、広い農地を耕作することができ助かりました。

 

Q4. 経営をスムーズに安定させるには?

成木の果樹園を譲り受ける形で独立しましたが、大きな規模ではなかったので、果樹と並行してブロッコリーや枝豆などの野菜の生産も同時に始めました。果樹の苗を育てつつ、実がなるまでの数年間はすぐに出荷できる野菜で売上をつくり、その収益を機械の購入など営農規模拡大を見越した計画的な設備投資に回していきました。

取材・文:森田マイコ



農林水産省の補助事業を活用して発足した組織で、農業と生活者の接点となる⺠間企業9社が参画。これまで農業に縁のなかった人たちに、“職業としての農業”の魅力を発見してもらう機会をつくるため、全国で活躍するロールモデル農業者を選出し、彼らとともにイベントを企画・開催するほか、就農に役立つ情報を発信しています。

https://yuime.jp/nmhconsortium/

 

                   

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