【新潟県十日町市】移住者を呼ぶ棚田の魅力

棚田の「経験価値」を中心につながり、集まる人たち

2023919表参道・新潟館ネスパスにて26新潟プレミアサロン」が開催された。新潟県がほぼ毎月開催ているこのサロンでは、観光・食はじめさまざまな角度から新潟魅力発信している。9となったのは移住者える棚田魅力」。農水省の「つなぐ棚田遺産」認定数が全国一の新潟県の魅力を伝えて移住の後押しとするべく、様々なバックグラウンドを持つ移住者が、棚田での暮らしについて熱く語る場となった。 

サロンでは、日本有数の棚田を守るための「まつだい棚田バンク」の取り組みを行いながら、十日町市と津南町の世界最大級の芸術祭「大地の芸術祭」から派生したサッカーチーム「FC越後妻有」に所属し、就農とサッカーを両立する渡邊彩海さん、デザイン事務所とワション施設運営するらで「星峠棚田」で天水田稲作をしながら群馬新潟2拠点生活をしている粂井貴志さん十日町棚田での稲刈体験をきっかけに国内外棚田ったのち、「里山アセットマネジメント」に集中するため十日町移住した阿久澤剛樹さん登壇した 

渡邊さんは、「農業×サッカー×アート、普段交わらない全く別物のようなものを掛け合わせることで新しい可能性が広がり、継続的に棚田を守ることにつながると思います。サッカー、アートを通じて農業に触れた体験が、『棚田を守りたい』と思うきっかけになってほしいと思いながら活動をしています」と語った。

現在は十日町で木と共生するキャンプ場作りにも取り組む粂井さんは、「この土地や文化が継承され、自然そして棚田からの恵み、そこに関わる人のすべてが整っているからこそ、魅力を感じて人が来てくれる」と力説。 

それぞれの登壇者が、異なる棚田との関わり方と魅力について語る中、『棚田との出会いが、人生の価値観そのものを変えた』と熱く語ってくれた阿久澤さん。新潟の棚田に住む魅力とは何なのか。さらに、「里山アセットマネジメント」とは何かを確かめるため、十日町市を訪れた。 

▲ 新潟プレミアサロンの様子

トロノキハウスを拠点に、棚田の『経験価値』を最大化させる。
新潟県十日町市で始まる『里山アセットマネジメント』とは

里山が紅葉に色づく前に、すっかりと刈り上げられた水田。ゆるやかな曲線の畔(あぜ)が幾重にも続いている。眼前に広がる棚田の景色から、連綿と続いてきた人の営みを感じた。

新潟県十日町市には、農林水産省「つなぐ棚田遺産」として14ヶ所が認定され、その数は国内最多を誇るという。とりわけ、松代地区にある星峠、儀明(ぎみょう)、蒲生(かもう)の棚田は季節を問わず、多くの観光客や写真家が訪れており、四季折々の里山の姿を私たちに魅せてくれる。

 

心を癒す日本の原風景、棚田。棚田の集積地とも言えるこのエリアで、『棚田の価値を再定義する』新たな動きが始まっている。その中心にいるのは、外資系不動産投資会社で世界を舞台にホテル経営をしてきた阿久澤剛樹さん。『里山アセットマネジメント』という棚田の価値を最大化させる概念を掲げ、棚田保全を一歩前に進めようとしている。

▲ つなぐ棚田遺産の一つ、儀明の棚田

阿久澤剛樹さん
株式会社トロノキファーム代表
里山アセットマネジャー

1964年生まれ、栃木県小山市出身。大学卒業後ゼネコンに就職。アメリカ、オーストラリアでの計11年間の海外生活を終えて2005年に帰国。外資系不動産投資会社でホテル経営を担当。2009年に十日町の棚田と出会い、国内外の棚田を廻る。棚田学会評議員、棚田ネットワーク理事に。

今の社会に必要な「棚田の経験価値」

阿久澤さんが棚田と出会ったのは2009年のこと。リーマンショックで世の中が大きく動き、阿久澤さんのホテル業界も大きな打撃を受けた。心身を削りながら働く中で、阿久澤さんが訪ねたのは大地の芸術祭(※1)が開催されていた新潟県十日町市。イリヤ&エミリア・カバコフの作品「棚田」に魅了されたことが棚田の世界へ足を踏み入れるきっかけだったという。

 

阿久澤さん「棚田は中山間地の象徴とも言われるほど、多面的な価値があると言われてきました。景観だけではなく、災害リスクの低減、水資源のかん養(※2)といった目に見えない価値です。それらに加え、あまり注目されてこなかった『棚田の経験価値』という『人』への影響に注目した棚田の価値が私の重要視している考え方です」

※1:新潟県『越後妻有』の広大な里山を舞台に20年以上続く現代アートの祭典。1年を通じて200点以上のアート作品を楽しむことができる。
※2:水田にたたえられた水は、地下に浸透し、地下水(浅い層)となる。こうした水資源の保全や河川への急激な流出を防ぐ働き。

阿久澤さん「芸術作品に触れ、棚田に興味を惹かれる中、縁あってとある集落の稲刈り体験に参加をすることになりました。棚田の稲を大人数で手刈りして、はざ掛けをする。夜は大人数で宴会をして、集落の集会場で大人数で雑魚寝をして、そして新幹線で東京に帰りました。その時の感覚は今も覚えています。肉体的には疲れているはずなのに、とても満ち足りた心地良い癒しが心身を満たしていたのです。ボロボロだったはずなのに、疲れが取れている、リフレッシュされている。この体験が今に繋がっています」

それは、まさに人間性の回復とも言える体験だったという。それからも阿久澤さんは東京と新潟の二拠点生活を続け、日本各地の棚田も巡るようになる。東京で働くビジネスマンにも棚田での経験を話し、仲間を増やしていった。

 

阿久澤さん「都内で100人に『新潟の棚田で米づくりをしている』と話せば、4〜5人は身を乗り出して『詳しく聞きたい』と興味を持ってくれました。時代が棚田を求めていると確信しましたね。私は、仕事が忙しくなって棚田に行けなくなると『棚田切れ』を起こすようになって、ますます棚田の魅力と癒しの力にとりつかれていきました」

阿久澤さんはこの体験を「棚田の経験価値」と名付け、棚田の多面的な価値の中心のひとつとした。それは、棚田と関わりを持つことが、メンタルヘルスや人間関係の良好化に作用するという提言でもある。今まで言われてきた景観資源、環境資源とはまた別の意味づけだ。

なぜ、棚田は人を再生させるのか?

リーマンショックを経て棚田と出会い、人間性の回復を体験した阿久澤さん。ライフスタイルも少しずつ影響し始めた。まずは棚田遺産の一つである『蒲生の棚田』から数百メートルの場所にあった古民家を購入。トロノキハウスとして再生した。

▲ 外壁の色合いが特徴的なトロノキハウスは柱や梁は残し、全て改修した。

阿久澤さん「トロノキハウスは自邸であり、農家民宿施設です。里山アセットの要素として、『古民家』を棚田に次ぐ重要な資産として位置づけています。古いもの、続いてきたものの価値を残したいという想いもありますが、『棚田のある暮らし』の体験を伝えるために、棚田との接点を持ち続けるための滞在場所が必要になる。古民家は、棚田の価値を高める重要なアセットなんです」

人口減少と豪雪によって失われていく古民家の再生。阿久澤さんは蒲生集落の通りにある古民家をさらに2軒購入して、滞在しながら棚田を経験できる拠点として整備していった。

トロノキハウスは、松代地域に住むドイツ人建築家カールベンクス氏が建築デザインを、阿久澤さん自らがインテリアデザインを手がけた。柱と梁の骨格をあえて見せ、外観は和紙を彷彿させるようなマットな色彩の土壁。内装や調度品には古民家に馴染むステンドグラス製の照明や木製のハンドメイドスピーカーが使われ、調和している。

阿久澤さん「古と新が融合した空間をつくりました。観光のための滞在ではなく、暮らしとしての滞在ができる場所。心地良さ、落ち着き。内装から家具調度品にまでこだわって、正に里山ラグジュアリーと呼べる空間です」

この場所で人が滞在し、棚田に入り、人間性と生命力を回復して日常へと戻っていく姿を何度も見てきた。阿久澤さんは、ホテル経営の傍ら、東京とトロノキハウスを往来し、農家民宿の運営と棚田保全に取り組んだ。

2020年4月、コロナ禍によってリモートワークが普及したこと、これまでのような気軽な往来が難しくなることを考えて、遂に軸足を新潟県十日町市の蒲生集落へと移すこととなる。

阿久澤さん「二拠点居住から移住へ。そのタイミングで儀明の棚田を引き継ぎ、その4年後には蒲生の棚田の一部を復田(※3)。棚田に出会って10数年、私は棚田に救われたと思っています。これまでの経験や経歴を活かして、棚田の再生と保全に役立てていきたいですね」

※3:耕作放棄地となっていた場所を再び水田に戻すこと

阿久澤さんは、農業法人であるトロノキファームを設立した後、棚田地域の振興のためトロノキ協議会を発足。里山アセットマネジメントの体系化と、棚田の価値の可視化に注力しはじめた。

 

阿久澤さん「なぜ棚田は人を惹きつけるのか。私は曲線なのではないかと思っています。自然な丸みとでもいいましょうか。都市の高層ビル群や建物のような都市的なものは『直線』ですよね。直線というのは緊張を生む。対して、棚田や里山は曲線の連続です。それから、棚田って人間に合わせた大きさなんですよ。広大な水田や都心の商業施設とは違って、周囲を畔に囲まれた安心できる広さ。そういったヒューマンスケールでの営みが人間が本来求めている癒しとなっている。こうした感覚は実際に棚田に入って作業をしてみないと得られない感覚です」

棚田との出会い、そして再生。阿久澤さんの移住をきっかけに、歯車はまわり始めた。

棚田との新たな接点をつくる人たち

里山アセットマネジメントは、棚田の価値を最大化させるための考え方。棚田との接点を生み出すために古民家という滞在拠点も守らなくてはならないと話す阿久澤さん。里山が持つ資産の意外な「最後のピース」があるという。

 

阿久澤さん「里山アセットを構成する要素として、棚田と古民家を挙げましたが、もう一つ『じいちゃんとばあちゃん』を掲げています。棚田の集積地である松代地域を振興するために発足したトロノキ協議会の設立趣意書にも明記しています」

少子高齢化と人口減少が中山間地にもたらす、担い手の消失。受け継がれてきた『知恵』は重要な資産でもある。棚田保全において、担い手となっていた高齢者が亡くなり、継承が途絶えることは、文化や知恵の消失を意味する。

 

阿久澤さん「棚田、古民家、じいちゃんばあちゃんが持つ知恵。これらを里山の三大アセットと定義づけています。そして、こうした資産を活かして、ビジネスとして持続可能性を高めていくプレイヤーが必要です」

そう話す阿久澤さんの両隣で、その話に耳を傾けるのは首都圏から移住をしてきた2人の担い手だ。地域おこし協力隊の制度を活用して、この蒲生集落に移住をしてきた。

正力俊和さん
2021年度のミッション型地域おこし協力隊として松代地域に着任。20代の頃に世界30カ国以上を旅する中、日本の食や食文化に興味を持つ。帰国後は、和食の料理人に転身。未経験から料理の道を進み、移住後も里山の食文化を楽しんでもらうため、里山馳走というコンセプトを掲げて、トロノキハウスや松代棚田ハウスなどで料理を担当している。

 

星 裕方さん
1993年生まれ、東京都出身。 慶應義塾大学経済学部卒業後、大手PR会社でPRプランナーとしてのキャリアを重ねる。独立後はフリーランスとして活動しながら、NPO法人の設立や地域活性化事業に携わる。2023年4月より十日町市のミッション型地域おこし協力隊として、松代地域を中心に棚田の魅力発信に取り組む。

 

正力さん「私が惹かれたのは里山の『食』と『食文化』です。東京で料理人をしていて、先に十日町市に移住していた友人に誘われて十日町市を訪れたのですが、そこで食べた食材が衝撃的でした。それが忘れられず数年後、新しいプロジェクトで料理人を探しているから来てみないかと誘われて、2021年4月に移住をしました」

料理人である正力さんが惹かれた食材とは、朝採りのキュウリ。その土地で暮らしているからこそ、口に運ぶことができる食材を提供したいと考えるようになった。山菜や天然きのこ、冬を越えるための保存食。里山が育む食と食文化は正力さんの心を掴んだ。

 

正力さん「私が出している料理は8割以上が地産の食材。米は棚田米を使っています。ここにしかなかった食文化、失われてしまいそうな食の技術、それらを守っていけるようになりたいです」

星さん「私が初めて十日町市を訪れたのは2021年の6月。その時は色んな移住者の人たちと会って、その中には阿久澤さんもいました。移住したのは2023年4月。資本主義の中で仕事をやりきって、里山へと向かう人が周りにも増えていて、この場所には、これからの世界を生きるために必要な武器があるのではないか。そんな可能性を感じて、次のキャリアのフィールドを十日町市に置くと決めたんです」

星さんが十日町市へ移住したのは半年前。都内で大手PR会社を経て、フリーランスとして独立。情報発信のスキルを活かし、棚田の価値、里山の価値を企業や組織へ伝えていきたいという。

 

星さん「人の流れをつくることが自分のミッションだと思っています。移住をして棚田に人を受け入れる側になって、企業や組織が行う『人への投資』の一部を里山や棚田に向けることができるのではないか。人が来て、体験をして、繋がりをつくる舞台装置として棚田を捉えています。棚田の中で人生の気づきを得て、コミュニティが活発になる。そうした観点で棚田を活用していきたいですね」

 

阿久澤さん「正力さんや星さんの様に、料理やPRといった専門性、プロフェッショナリティを持っていながらも「通う」から「住む」というステージに移行してくれた人もいます。それぞれの専門性をぶつけて表現していくことができる環境が、この里山にあるということです。その部分が他の地域と違う点かもしれません」

▲つなぐ棚田遺産の一つ、蒲生の棚田。阿久澤さん達が暮らす蒲生集落にある。

正力さん、星さんは共に蒲生集落で暮らす。阿久澤さんが里山アセットとして捉え、購入していた古民家を活用しているという。

棚田を次の世代につなぐためには、人の営み、ビジネスの持続性も同時に必要となる。阿久澤さんが構想する里山アセットマネジメントは、表面的な棚田保全ではなく、棚田を取り巻く里山に内包された多様な資産を取り巻く人々が活用することによって実現するのだ。

 

つながり、広がる人と棚田遺産

トロノキハウスから車で数分。4年前に耕作を承継したという儀明の棚田を案内してもらった。山清水の流れる音と土の匂い。西陽が里山にかかろうとしている。ところどころ赤くに染まり始めた桜紅葉からは秋の気配が感じとれる。

 

阿久澤さん「この桜の老木は儀明の棚田の象徴です。春には水が張られた田に鏡写しになる桜が綺麗なんですよ。私がこの地域に来て、正力さんや星さんのように専門性を持った人たちが続いて来た。私の任務は彼らが定着できるようにサポートすること。そうして受け継ぐ人が増えていけば、あとは類は友を呼んで、自己増殖していくでしょう」

老木を撫で、眼下に広がる一つ一つの棚田を指差し「あの場所は4年前に放棄地になった…」と説明する阿久澤さんは、気持ちを引き締めているようだった。正力さんは、その横で野生のホップを収穫したと喜んでいる。

 

正力さん「里山で採れるものをなるべく素材のまま、味わって欲しい。山に入る楽しさ、採る楽しさ、そういうものを伝えていきたいんです。そんな『里山馳走』を提供することが、これからの目標です」

 

星さん「本当は日本に住む全員がテニスコート半面分、50kgくらいのお米を作らないといけない。でも、もちろんそういう訳にもいかないから、それを里山にお願いしている状態。東京で働く人たちの代わりに、米を作る担い手として農家の皆さんがいます。新規就農とまではいかなくても、ヒューマンスケールで棚田くらいの面積のお米を自分でも作る、関わるという生き方を都会の人には提案していきたい。そんなことができるコミュニティを広げていくことが目標です」

 

阿久澤さん「こうして質の高い里山や棚田との接点が枝葉まで広がっていく。オーバーツーリズムにならないように、少しずつ。それが残された里山の最後の生存戦略だと思います。それをつないでいくために、ここに関わって、その価値を理解し、住み継いでいく人が必要です。都市の仕事を持つ人がワークポートフォリオ(※4)を作る場合、棚田での農業のような都市との相関が低い仕事を加えることが効果的です。 」

※4:複数の仕事や知識、キャリア、経験を無形の資産と捉えて、自身の時間や労力を投資する考え方

暮らしやライフスタイルの中だけではなく、キャリアやビジネスの中に里山や棚田、農的なキーワードを組み込むという提案。そこに価値を見つけることができるような人に訪れてもらい、関わってもらうこと。最初は大変かもしれないけれど、里山の持つ価値を複合的かつ総合的に再生していくために必要な戦略だと阿久澤さんは語る。

 

阿久澤さん「十日町市は豪雪地だからなのか助け合いの文化が醸成されていて、受け入れてくれやすい。あまりよそ者扱いはされないですね。だから、外から来た人でもやっていける。里山の中にある価値を見つけて、目利きして、ポートフォリオに落とし込み運用していく。『価値をカタチに、たからをチカラに』ということです。その面白さや価値に惹かれる方がいたら、是非一度、この地を訪れてみて欲しいです」

働き方やキャリアに悩んだら、棚田に入る。そんな選択肢が当たり前になるかもしれない。

里山アセットマネジメント。棚田の集積地で静かに進む『人』に焦点を当てたこの価値観は、現代社会に必要とされる考え方になるだろう。

阿久澤さん「この山桜も老木になってきたため、後継樹として接木した幼木を隣に植えました。この山桜あっての儀明の棚田ですから、いつまでもここに立ち続けて欲しいんです」

里山に眠る価値を見える化して、資産として捉え、暮らしやビジネスに繋げる。そんな価値観を持ったコミュニティが十日町市にはあった。年代も専門分野も違うが、それぞれの熱量を持って棚田の未来を見据えている。里山の誇りは、次の世代へとつながっていくだろう。

文・大塚眞 写真・本間さゆり 内田麻美

 

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