地域をデザインする人に会える、ものづくりの町

西九州させぼ広域都市圏のワーケーション

今、ワーケーションのスポットが増えている西九州させぼ広域都市圏に、TURNSチームで取材に行ってきました。そこで発見した魅力をご紹介します!

今回訪れたのは、「デザイン」「ものづくり」をキーワードに地域の人々が活躍している西海市・東彼杵町・波佐見町。そこは、地域内外の人々の力でまちを盛り上げようとするエネルギーに溢れた魅力的な場所でした。

 

【西海市】有限会社山﨑マーク 代表取締役 山﨑秀平さん

はじめに訪れたのは、西海市にある刺繍をメインにオリジナルグッズの制作をおこなう「山﨑マーク」の工場。案内をしてくれたのは、代表取締役の山﨑秀平さんです。

山﨑さんは大学卒業後、地元である西海市に戻り、家業である「山﨑マーク」を継ぎました。ものづくりを身近に感じてもらうために、プリント体験や、ときにはミシンごと持ち出してのワークショップもおこなっています。

私たちもシルクスクリーンプリントを体験させていただき、力加減の難しさを感じながらも、”なにかを作る”ということの楽しさを経験しました。


プリントしたのは、なんと西九州させぼ広域都市圏「YOKAワーケーションガイドブック」表紙です!

「工場って、一般の方が来づらいと思うんです。なので親しみをもってもらうために、ホームページやロゴも柔らかい雰囲気にしました。相談しやすい空気のなか、ものづくりの楽しさを感じていただけたらと思っています。」

また、西海市の新しい地域拠点として、空き家を利用したコミュニティスペース「HOGET(ホゲット)」の運営もスタートした山﨑さん。西海市の魅力を外へと伝えることと、地域の交流の場を作ることの両方ができたらとの思いでさまざまな地域活動をおこなっています。

「西海市には中心地がなく、魅力的なところが点在しているんです。HOGETは西海市の入り口にあるので、ここで地域の情報を手に入れて、巡ってもらえるようにしています。」

そう話す山﨑さんは、長崎県の移住コンシェルジュとしても活動しているそう。柔和な笑顔でゆったりと話すその姿に、この町のあたたかさを感じることができました。

 

【東彼杵町】東彼杵ひとこともの公社 代表 森一峻さん

続いて向かったのは、東彼杵町にある地域交流拠点「Sorrisoriso千綿第三瀬戸米倉庫」。東彼杵町の交流・発信の拠点でありながら、カフェやフリースペースも併設しているこの複合施設を運営している森一峻さんに、お話を伺いました。

高校卒業後、コンビニエンスストア本社に就職した森さん。東京をはじめ全国の店舗に配属され、5年ほど働いたのちに東彼杵町へ帰ってくると、父親の経営するコンビニエンスストアが経営悪化で閉業の危機に晒されていることを知ります。
「この町は、コンビニも成り立たない町なんだと思い知らされました。当時、千綿エリアにはお店がほとんどなく、うちの店が潰れてしまうとなにもなくなってしまう。社会で学んだことを活かして、なにかできないかと考えました。」

人や店舗の少なくなった故郷の様子に危機感を覚えた森さんは、“このエリアでお店を出してもらうためのサポート体制や仕組みづくりをしたい”と「Sorrisoriso千綿第三瀬戸米倉庫」をオープン。地域の古民家をリノベーションした店舗や拠点づくりのサポートをおこなっています。

「”まちづくり”というよりは、みなさんのお仕事のお手伝いをしているという感覚です。結果的に集積されて、地域になっていく。小商いや経営をする人は、町のことを自分ごととして捉えるので、そういう人を集めることが結果的に”まちづくり”になったという感じですね。」

森さんはさらに、東彼杵町の魅力を発信するポータルサイト「くじらの髭」を立ち上げ、地域を盛り上げるプロジェクトの企画や運営もおこなっています。森さんのまとうその朗らかな空気は、人と人を繋げる人なのだということを納得させてくれるものでした。

 

【東彼杵町】宿泊飲食施設「さいとう宿場」オーナー 齊藤仁さん・晶子さん

今回私たちが宿泊したのは、東京から移住してきた夫婦が営む「さいとう宿場」。海の見えるその宿は、地域の人や移住者の交流の場にもなっています。

〈暖かくて、海のみえるところ〉。その条件のもと、32もの町をまわって移住先を探したといいます。東京に暮らし、今とは全く異なる分野でそれぞれに働いていたオーナーの齊藤仁さんと晶子さん。

晶子さんは東彼杵町に移住するまで、一度も東京を離れたことがありませんでした。「東京で生まれ、東京で働くうちに、このままずっと隣の人が誰かもわからないような暮らしを続けていくことに疑問を感じて。それで、移住を考えはじめました。」

お二人が東彼杵町で出会ったのは、もとは旅館だったという古い建物。案内してくれた役場の方から、このあたりにはもう旅館をやる人はいないと聞きました。「受け継ぐ人がいないのなら、僕らがやろう。」そうしてできたさいとう宿場は、旅で訪れる人だけでなく、齊藤さんたちを中心に地域の人の輪が広がる場所になっていきました。

齊藤さんご夫妻とゆっくりおはなしできるのも、この宿の魅力のひとつ。地産地消のおいしいご飯をいただきながら、地域の人たちと一緒に楽しい時間を過ごしました。移住してきたという方がまるで親子のように齊藤さんたちと親しく過ごすのを見ていると、ここが外から来た人にとっても安心できる場所になっていることが感じられます。

今となっては、旅で訪れる人にとっても、地域の人たちにとっても、なくてはならない存在である「さいとう宿場」。東彼杵町に暮らしたい・関わりたいと思ったとき、まず最初に訪ねてほしい”頼れる拠点”です。

 

【波佐見町】波佐見空き工房バンク/iktsuarpok(イクツアルポーク) 代表 福田奈都美さん

使用されていない空き工房を貸し出すプロジェクト、「波佐見空き工房バンク」。そのモデル工房で出迎えてくれたのは、「波佐見空き工房バンク」を立ち上げた福田奈都美さんです。

福田さんは、福岡県から地域おこし協力隊として波佐見町にやってきました。3年間、商工振興課で観光業に関わり、そのうちに移住に興味を持つようになったと言います。「移住って、家探しの前に仕事があるかどうかが大事じゃないかなって思って。波佐見町は人気が出てきているとはいえ、空いている工房は少しずつ出てきていたので、空き家ではなく空き工房を提供するプロジェクトを始めました」

もともと生地屋だった建物を改修したモデル工房では、移住相談も受けているという福田さん。波佐見町の空気感や暮らしのことが誰もに伝えられたら、と立ち上げた移住情報サイトの名前は「iktsuarpok(イクツアルポーク)」。イヌイットの言葉で、「誰かが来るのではないかと、何度も外をのぞき心待ちにすること」という意味だそうです。

「日本語にはないその言葉が、移住者を待つ姿勢に似ていると思ったんです」と話す福田さんからは、ささやかな期待の意思が感じられます。波佐見町の魅力だけでなく、移住者のインタビュー、またご自身が移住をする際に子育てに関する情報が少なかったことを思い返し、保育園や待機児童のことまで細やかに情報を掲載。

波佐見町の歴史が染み込んだ建物の下で、不安にも優しく向き合ってくれる福田さんは、この町への移住を考える人々にとって安心できる存在なのだと感じられました。

 

【波佐見町】民宿「oniwa」オーナー 河内 拓馬さん・友紀乃さんご夫妻

お昼ごはんをいただいたのは、田舎の古民家暮らしを体験できる1日1組限定の民泊「oniwa」。オーナーの河内さんは4年前、父親の出身地である長崎への移住を考え、地域おこし協力隊として東京から波佐見町へとやってきました。

そんな河内さんのもとへ、波佐見町の古民家を空き家バンクに登録したいという相談が入ります。ひと目見て建物を気に入った河内さんは、その空き家を買い取ることを決意しました。
「7年間空き家だったんですが、元の持ち主の方が丁寧に手入れされていたのでとても状態がよかったんです。思い入れのある建物だからぜひ残してほしいとのことだったので、2年かけて大切にリノベーションしました」

河内さんご夫妻が自らの手で改装された建物には、囲炉裏や五右衛門風呂などの古き良き日本の暮らしを体験できる設備が揃っています。

ウッドデッキからは日本の棚田百選に認定された鬼木の棚田を一望でき、そこで丁寧に作られた掛け干しの棚田米のかまど炊き体験もできます。
食卓には地元の新鮮な野菜や鬼木の味噌など波佐見らしい食材が並び、かまどで炊かれたご飯はもちろん鬼木棚田米。

私たちは取材時間の都合で昼食をいただきましたが、宿泊した際には朝食と夕食が提供されるそう。

河内さん一家と一緒に食卓を囲みながらいただくつやつやのご飯は、心まで温まるおいしさでした。

 

【波佐見町】NPO法人グリーンクラフトツーリズム研究会 事務局長 小林さん

次に私たちは、カフェや雑貨店の立ち並ぶ「西の原」を訪れました。ここでお会いしたのは、NPO法人グリーンクラフトツーリズム研究会を立ち上げた小林善輝さん。波佐見町を訪れる人々に地域の暮らしや仕事、自然環境に触れてもらう陶芸体験や農村体験を推進しています。

「波佐見町は昔から、農業と窯業の町でした。それが厳しくなってきたときに、このままではいけないと思って、その2つを合わせた体験型のツーリズムをやっていこうと。”もの”だけではなく、”地域”をどうやって売っていくか、ということを考えました」

かつて製陶所として使われていた建物を利用して作ったという「西の原」。「なにかを作ろう」と計画するのではなく、「ここでなにかをやりたい」という人に場所を提供し支援していく、という形で運営し、今では9つのショップが並んでいます。「古い建物というのは”時間”が作っているから、真似しようとしてもできない、ここにしかないものになる。若い人たちからそう言われたんです。波佐見町にあった製陶所をきちんとリノベーションして、作ることに意味があると思っています。」

小林さんは、「西の原」の他にも、ピザの窯焼き体験のできる地域交流拠点「四季舎」や、温泉やホテル、レストランのある「ミナミ田園」などをつくり、外から波佐見町に訪れた人が気軽に立ち寄り、滞在できるような拠点作りをおこなっています。

外から来た人や、若い人たちの声に耳を傾け、支援する。小林さんのような方の存在が、町が前に進んでいくことには欠かせないのだと感じました。

 

【波佐見町】有限会社マルヒロ/HIROPPA 代表 馬場匡平さん

最後に訪れたのは、波佐見焼の産地問屋である「マルヒロ」の馬場匡平さんです。

高校卒業後、福岡で暮らしていた馬場さんは、23歳で生まれ育った波佐見町へと帰ってきました。そこで父親から突然たすきを渡された家業「マルヒロ」は、倒産寸前の状態。馬場さんは経営コンサルティングを2年間受けるなかで、オリジナルブランド「HASAMI」を立ち上げます。

「地元に帰ってきて間もない、デザインも焼き物も勉強していないやつの言ったものを町の職人さんたちが作ってくれたのは、地域の繋がりがあったからだと思います。父の同級生や、同級生の親、昔から知ってるおじさんたちが働いているので、わからないことは全部聞いて、助けてもらいました」

アパレルメーカーからの発注をきっかけに、大ヒットした新ブランド「HASAMI」。その後も馬場さんはアーティストとのコラボ商品を作るなど数々の人気ブランドを立ち上げ、波佐見焼の名を広めました。

そんな馬場さんがもうひとつ、想いをこめて作ったものがあります。波佐見焼を通して繋がったアーティストと共に作った、私設公園「HIROPPA」です。「ちょうど子どもが生まれて、一番必要なのはただの公園だ、と思って。それで作ることを決意しました」

公園を作るもうひとつの理由は、子どもに焼き物に興味を持ってもらうことだと馬場さんは言います。「焼き物屋に行くと、子どもは親に怒られるんです。割ってしまうおそれがあるので。そうなると、焼き物屋さんには行きたくない!と思ってしまう。でも、公園があれば遊ばせておけます。敷居をできるだけ低くして、焼き物に興味を持ってもらいたい。それは未来への投資にもなると思っています」

故郷に新しい風を吹き入れていく馬場さんの見据える先に、波佐見町のにぎやかな未来が描かれています。

 

写真/横尾涼(Photoli

                   

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