TURNS vol.40より|身の丈な 「畳への入口」を 増やしたい

「青柳畳店」4代目 青柳健太郎さん

はるか昔より、日本人の暮らしを足元から支えてきた「畳」。

住環境の変化でずいぶん疎遠になってしまったわれわれと畳を、再び近づけるべく活動する畳職人がいる。

彼が見つめる現代の「畳への入口」は、一体どこにあるのだろうか?


畳の技術だけ残せばいい、わけじゃない

「畳が生まれたのは日本、作って売ってるのは中国」

「畳の大きさの由来って知ってます? 一説によれば、織田信長が人ひとり隠れられるように180㎝×90㎝に作らせたと言われてるんです」

ちょうど畳と同じくらいの大柄な背丈で、人懐っこい笑みを浮かべる法被姿の男性。彼が千葉県銚子市で100年近く続く「青柳畳店」の4代目・青柳健太郎さんだ。海沿いの集落を進み、潮風のなかにさわやかなイグサの香りを感じたら、青柳畳店はすぐそこ。自宅に併設された工房で作りかけの畳に向かい、リズミカルに手を動かしながら青柳さんが話し始める。

「昔の畳屋は軒先で仕事をしていたから、こうやってお客さんと職人が気軽に話ができたんです。ちょっとした相談ごとに乗ったり、畳のよさを語ったりね。でも畳を作る機械が生まれ、工場で生産するようになって、お客さんとの距離が離れてしまった。それに、ずいぶん海外で生産される畳もずいぶん増えました。実際、いまや世界では『畳が生まれたのは日本、畳を作って売ってるのは中国』って認識ですよ」

そんなに技術が流出してしまってるんですね、という相槌に、青柳さんは「流出ってほどの技術でもないと思います」と苦笑いしながら返した。

意外にも聞こえる言葉だが、畳の構造自体は複雑ではなく、パーツを組み合わせることで完成する製品である。植物のイグサを編み込んだ 「たたみおもてを芯材に巻きつけ、「たたみべり」と呼ばれる帯状の布で端をくるむと、一枚の畳が完成する。

一般的な畳を組み上げることに限っていえば、それこそYoutube の動画を見て覚えられちゃうんじゃないか、と青柳さんは言う。

「昔の畳職人は、全部を手で縫ってたんです。でも相当に力を使う作業だから、畳が仕上がる頃には手が腫れ上がってしまっていた。そうしたら細かな作業はできませんよね。だから、単純作業は機械に任せてもいいと思うんです。でも、お客さんの要望に合わせた細やかな修繕や、空間に合わせてきっちり収まる畳を作るのは、経験を積んだ職人じゃないとできません。繊細な技術と感覚が要求されるところこそ、人間の職人がやればいいんじゃないかな」

ただ漠然と「職人の手仕事」にこだわるのではなく、本当に大切なものは何かを見極める。そんな青柳さんが、「失ってはいけない」と強く語るものがある。

(続きはTURNS vol.40本誌で)

文・編集:友光だんご 写真:藤原 慶

                   

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