アルベルゴ・ディフーゾのおもてなし 空き家再生から見るイタリアと尾道

【トランスマンツァ・ツアー】広島県尾道市の上映イベント取材記事・後編

広島県尾道市で開催された「トランスマンツァ・ツアー」上映とトークイベント。

2回目の上映後には、日伊文化コーディネーターの中橋恵さんによるアルベルゴ・ディフーゾのレクチャーと、尾道を中心にまちづくりの活動に取り組む方々との意見交換が行われました。イタリアと尾道、空き家再生という共通のテーマの先に見据えるものは?

参加者からはアルベルゴ・ディフーゾを通して知るイタリアの現状が尾道と「驚くほど似ている」という共感の声や、「尾道は尾道らしさを」大切にしたいという心構えが見えました。後半の記事では、レクチャーと意見交換についてリポートします。

前編記事はこちら。
https://turns.jp/23554


イタリアは日本に次ぐ高齢化国家。
過疎化も進み、「約2,400の自治体が廃村の危機に直面しています」と中橋さんは言います。

廃墟化した集落や増え続ける空き家が大きな問題になっており、若者の失業率も高いそうです。「そんなイタリアに住んでいると、身近な話題は否応なく失業率や過疎などの問題になります。北部とは異なり、社会的にも経済的にも格差が大きい南部に住んでいるのでそのような問題に触れるきっかけが多いです。子どもたちの将来を考えると、必然的に地域再生に関心が向きました」

そんな背景から、イタリアの地域再生に関する調査・執筆に取り組む中橋さん。イベントでは、イタリアの小さな町や村に暮らすように泊まる新しい旅のかたちを紹介した著書『イタリアの小さな村へ アルベルゴ・ディフーゾのおもてなし』(中橋恵・森まゆみ著/新潮社)の刊行にちなみ、まずは「アルベルゴ・ディフーゾ」に関するレクチャーが開かれました。レクチャーの一部をご本人の言葉で紹介します。

 

きっかけは大地震

アルベルゴ・ディフーゾは、直訳すると「分散した宿」という意味。

空き家を改修して、近隣の建物を分散型の宿とし、ネットワークで結ぶ宿づくりの仕組みです。大きなホテルならば一つの建物内にあるレセプションや客室、レストラン、会議室、土産物屋などの様々な施設が、小さな町や村の中に分散していて、路地をホテルの廊下のようにして観光客が移動して泊まります。

この仕組みが生まれたきっかけは、1976年にヴェネツィア北部の山深い地域で起きた大地震。崩れた集落には住めないと、若者を中心に多くの人々が故郷を捨てて都会に出て行きました。

そうして増えた空き家をどうにか観光に生かせないかと発案されたのが始まりです。しかし、空き家を再生して宿にしただけでは足りない。その村の伝統や、地域の農産物の地産地消、住民の温かいおもてなしの心を感じないと人がなかなか来ないことが、2年以上、アルベルゴ・ディフーゾの取材をして分かりました。

『イタリアの小さな村へ アルベルゴ・ディフーゾのおもてなし』(新潮社)より引用

(上図のように)客室が村の中に点在しています。
その周辺にレセプションやレストランなどがあり、その中に住民の生活が残っている。ワイン作りやオリーブ栽培、チーズ生産など、元々地元で営まれて先代から受け継がれてきたものを、そのまま観光にも取り入れて体験できる場を設け、村全体で地域の昔の暮らしを取り戻そうと活動しています。

 

空き家再生だけではなく地域再生運動

2年ほど通っていると、宿だけでなく村全体や住民の様子も分かってきます。住民の理解がないところに、いきなり宿泊施設ができても住民は戸惑っているように見えました。

月日が経っていくと、オーナーはまず空き家の再生だけではだめだったと気づく。それで、パン焼き器のある家で、皆でパンを焼いてみようというように地域特有のものを生かした試行錯誤が始まります。若い人たちが昔のパンの焼き方や、かつて使われていた小麦に興味を持ち、おばあさんたちが昔使っていた石臼を持ってきてくれる。

そうやって新しく何かをして観光客を呼び寄せたいと考える若い世代と、昔から住んでいるお年寄りが交流して、少しずつ機能し始める。本当に草の根の運動だなと思います。1~2年後に村に戻ると、最初は知らないふりだった地域の人たちが、観光客に挨拶してくれるようになっていました。

取材を通して分かったのが、アルベルゴ・ディフーゾは空き家再生だけではなく、地域再生運動だということです。

外から来た人が、何かをやりたい気持ちを村の人に芽生えさせるのがなかなか難しい。イタリア人はやきもち焼きなので、一人だけが儲かると、他の人はいい気がしません。皆でよくなろうと取り組み、皆が幸せになれるような町や村づくりを実現するのがアルベルゴ・ディフーゾではないかと最近は思うようになりました。

 

何もしない、ありのままの姿が魅力

アルベルゴ・ディフーゾは、実はイタリア人よりも外国人に人気があります。

一泊あたりの値段が民泊よりも高い。値段が高くても、イタリア人が忘れているような昔のライフスタイルに憧れて泊まりにくるのです。最近では、日本人やアメリカ人に人気があります。村の人たちが暮らしを自然に見せてくれ、普段着のままのイタリアの生活に溶け込める。

そんな何もしない、ありのままの姿が魅力です。オーナーはホテル業の経験者ではなく、地元の一般の人が多い。魅力的なオーナーに会うためや、暮らしに触れるためにリピーターになる人が多く、私自身もそんな旅行スタイルになってきました。

アルベルゴ・ディフーゾが目指している理想のモデルがいくつかあり、本の中に20の村とおすすめの宿を写真とともに紹介しています。専門的な内容は、学芸出版社から出ている『世界の地方創生―辺境のスタートアップたち』や『CREATIVE LOCAL』の中に書いていますが、歴史的な名所などがなくても、昔からの景観、住宅、暮らしぶりを守るだけでも、十分魅力的な観光地となりえます。

ナポリの南にあるカラブリア州。
レセプション前にいつも同じおばあさんたちが座っていて、にこにこしながら話しかけてくるんです。これが自然にできているところに私はいつも感動します。元々の暮らしの中に観光客が入ってきて、住民が自然に声をかけてくれる。尾道でもカメラを持って歩いていたら、住民が道を教えてくれたりして、とてもいい雰囲気でした。尾道を含む瀬戸内海は、観光地としても大きな可能性を感じました。

中橋さんの話を聞いて、「イタリアと尾道がこんなに似ているとは思わなかった」と開口一番に話すのは、主催の青山修也さん(45)。

「これから20-30年後、子どもたちが大きくなった時に、この町がどうなるのかを心配しています。これからを考えるのにアルベルゴ・ディフーゾや、映画『トランスマンツァ・ツアー』がきっかけになるのではないかと思って主催をしました」

しまなみの向島で建築設計の仕事をしながら、NPO法人「むかいしまseeds」代表として島で子どもが育つ環境を整えようと運営に励む青山さん。尾道でゲストハウスを営む人や、まちづくりに関わる人たちと共に考えたいと、続いて意見交換の場を作りました。

現場のまなざし、行政の方の声、若者が感じていること、それぞれの視点が交差したひと時。
声の一部を紹介します。

▼一昔前の暮らしの営みが残る町
豊田雅子さん(NPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」代表、44歳)

私はUターンで戻ってきて、2007年から「尾道空き家再生プロジェクト」の代表を務めています。住まいの裏が山で車が入れない、トイレは汲み取り式で、井戸水も多用しています。その井戸が今回の災害(2018年7月の西日本豪雨)では、断水時に活躍しました。尾道の斜面地では、そんな一昔前の暮らしの営みが今も残っています。

そんな尾道の暮らしは、イタリアの小さな町や村に似ている部分があると思います。生活を楽しんでいたり、先人が残してきたものを大事にしたりと、それを大切に使いながら次の世代に自然にバトンタッチしていくのが理想。尾道で去年も15人ぐらい子どもが生まれました。

その中には、移住者の方々の赤ちゃんもいて、尾道で生まれた子になります。その子たちがいつか出ていっても、また帰りたいと思える町であり続けたいです。


▼出入りが自由にできる場所に
村上博郁さん(NPO法人「まちづくりプロジェクトiD尾道」代表、44歳)

僕も斜面地に住んでいます。不便な所ですが、家賃が安くて、自分たちで手を入れて好きなように直していける。ですが、今回の水害で壊れてしまった所もあります。重機が入れず、個人の資産で直せるレベルではない。そんな状況に直面しながら、中橋さんのお話でアルベルゴ・ディフーゾは大地震がきっかけで始まったことが印象的でした。今回災害が起きたことで、崩壊した時でもゆるやかに助け合ったり、直して使えるようにしたりと有機的な部分とのバランスが大切だと感じています。

暮らしやすさから、もう少し災害レベルでも話し合っていけたら。いい所を寄せ集めて作るところは作り、解散するところは解散する。留まるだけではなく、さっと移動できる選択肢があってもいい。僕自身、隣町の出身で16年前に尾道に来た時は、コミュニティに入りづらかったです。外から来た人がどうしたら町に住みやすくなるかを常に考えながらコミュニティや行政に入りやすい仕組みを作りたいと思って、今のNPOを立ち上げました。出たり入ったりが自由にできる場所になればいいと思っています。


▼尾道中心部はリアルなモール
山本淳さん(尾道市都市部まちづくり推進課)

私は行政の中で、新開地区という繁華街にお店を誘致する業務を担っています。一度、東京から大手の事業者の方が来られて、市内を案内したことがありました。意見が一致したのが、尾道の中心部は、ある意味大きなモールという見方。モール内の通路が商店街の路地だと。都心部で大きな事業を行う時に、尾道のまちづくりが参考になると言って、一軒一軒のお店をメモして帰られました。尾道のまちは尾道にしかなくて、決して大手のモールが真似できないリアルなもの。

海外には統一されたまちや空間がありますが、尾道はそこに向かわないで、独自の価値観で尾道らしさを追求すればいい。その中でやりたいことを個々に発揮してくれたら。尾道の良さは、自分たちで全部やるという気概が根っこにあること。全国でまちづくりに携わる方々からも、行政に頼らずにやりたいことは自分たちでやる、その方が最終的にはいいものができるといった声も多く聞いています。そんな姿勢に対して、私たちは別の面で支援していけばいいのかなと最近感じ始めたところです。


▼島は不便な方がいい
古本将大さん(福山大学工学部建築学科4年、21歳)

僕は元々、江田島で生まれ育ち、しまなみはいい環境だと感じています。島の人たちと交流するのはすごく楽しい。僕は観光と教育を一体的に考えて設計をやろうとしています。島は、ある程度不便な方がいいと僕は思っています。

最後に「皆さんの意見をまとめると、行き着くところは幸せに生きていくためにはどうしたらいいのかではないかと思います」と中橋さん。

「どの国にも共通することですが、そのためには環境を守っていくこと、人とのつながりやコミュニケーションのしやすさを、次の世代に作っていくことが重要」とこれからを共に考える場で、同じ方向を見つめている様子でした。

空き家再生という課題でつながるイタリアと尾道。海を越えて地方同士が直接つながる動きの面白さや、草の根の活動の可能性を強く感じたイベントでした。

 
2018年7月27日 広島県尾道市・尾道商業会議所記念館にて
取材・文・写真(会場撮影分):桝郷春美、アルベルゴ・ディフーゾの写真:中橋恵さん

 

中橋恵さん
1973(昭和48)年岐阜県生まれ。1997年金沢大学工学部土木建設工学科卒業、1998~2000年ナポリ大学工学部留学、2001年法政大学大学院工学研究科修士課程修了、2006年ナポリ大学建築学部博士課程単位取得退学。2018年5月現在はナポリ在住で、日伊文化コーディネーターとして、通訳・コーディネート業務や、地域再生に関する調査・執筆を行う。共著に『世界の地方創生―辺境のスタートアップたち』、『CREATIVE LOCAL エリアリノベーション海外編』など。

『イタリアの小さな村へ アルベルゴ・ディフーゾのおもてなし』(中橋恵・森まゆみ著/新潮社)
http://www.shinchosha.co.jp/book/602283/

                   

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