新しい「お茶のある暮らし」を創る
兵庫県姫路市|播磨屋茶舗

TURNS vol.57「継ぎたい 継がせたい 地域の仕事」

ひと息つきたいとき、あるいはリフレッシュしたいとき、何をしますか?

そう聞かれて「お茶を淹れて飲む」と答える人は、若い世代ほど少ないかもしれない。でも、お茶の小売業を営む老舗の若き三代目は知っている。暮らしの中にお茶があることの豊かさは、時代の中で色褪せたりしないことを。

近年、お茶の小売業に新風を吹き込み、話題を呼んでいるティーバッグブランド「t to(ティートゥー)」。
それは家業の未来を見据えた堅実な努力が生んだ〝小さな革命〟だ。

 

価格での勝負から、付加価値の勝負へ

スーパー依存からの脱却

個包装のティーバッグが現在「柿の葉茶×ほうじ茶」「緑茶」「ジャスミン茶」「ルイボスティー」「とうもろこし茶」の五種類。かわいいイラストがあしらわれたパッケージが目を引く。ひとパックが百四十円と求めやすい価格で、味わいや効能に応じて「ZZZZ TEA」「GOHAN TEA」「REFRESH TEA」といった商品名が付されてる。三角錐のティーバッグにお湯を注いで飲んでみると、普段のお茶よりも一段上質な風味。時間をかけて水出しすると、よりすっきりとした味わいを楽しむことができる。友人や家族へのちょっとした贈り物にもよさそうだ。

店頭で見かけたら二つ三つ買って帰りたくなりそうなこのティーバッグブランドの名は「t to(ティートゥー)」。兵庫県姫路市で七十年以上、お茶の小売業と卸業を営んできた「播磨屋茶舗」の若き三代目、赤松佳幸さんが二〇二一年十月に立ち上げた。掲げるのは「かんたん、おいしい。しかも、ヘルシー」。お茶を淹れて飲むといった生活習慣の希薄化した若い世代をターゲットとし、各所で話題を呼んでいる。

個包装での販売のほか、ティーバッグ7個入りのパック、5種類がぞれぞれに1個ずつ入ったセットなどがある。水出しだと250mlで4時間、450mlで7時間が抽出の目安だ

 

「うちの売り上げの大部分は、祖父の代から始めた全国規模のスーパーマーケットチェーンへの卸しです。ただ、お茶の消費量は減り続けていて、袋入りのお茶の葉の販売数も下がる一方。このままスーパーに頼り続けていると将来的にまずいのは明らかなんです」

そこで赤松さんが着手したのが、雑貨店での販売というこれまでは想定されていなかった販路。どんな商品なら現在二十九歳の自身と同世代の人たちが興味を持ってくれるのか。時間をかけて構想を練ったという。
従来のお茶が持つ〝渋い〟イメージを大きく変えるのが、そのポップなパッケージだ。デザインは写真共有サービス「ピンタレスト」で見つけたというデザイナー、増永明子さんの手によるもの。現時点で関東地方を中心とした六十三店舗で販売され、当初から意図していた通り大部分が雑貨店。「三年目で年間売り上げを一千万円に」という当初目標は、二年目で早くも達成できそうな見通しだという。

「できることは全部やったけれど、本当に売れるのかどうかは未知でした。ここまで順調に伸びていることは正直、自分でも想定外です。もちろん、会社全体の売り上げの中ではまだまだ一部にすぎません。ただ、とにかく『もっと安く、もっと安く』が至上命題のスーパーと比べて、利益率はかなり高いですね」

今後の目標は会社全体の売り上げの一割を「t to」で担えるようになること。ここまでの堅調な歩みを見ていると、十分に実現可能な目標に思える。

 

「もともと継ぐ気はなかった」
強みはティーバッグ加工

「播磨屋茶舗」が創業されたのは、戦後間もない一九四八年。「祖父が姫路市内のお茶屋さんに丁稚に出ていて、そこから独立、開業したと聞いています」。静岡や鹿児島といったお茶の産地から葉を仕入れて販売する小売業として始め、やがてスーパーへの卸しによって事業規模を拡大していった。
播磨屋茶舗の最大の強みは、ティーバッグ加工の充実した設備と技術力。現在の社長である赤松さんの父・修二さんが十五年ほど前、手でお茶の葉を袋詰めして販売していた従来の業態からの大胆な転換を図った。

「当時から袋詰めのお茶の消費は減少傾向にあった一方で、ティーバッグの市場は全国的に伸びていました。現在、うちには加工用の機械の技術者がいるので、メーカーに頼らず自分たちで機械のメンテナンスができる。配線をいじって改良することもできる。だから質の高いティーバッグを作れるんです」

ティーバッグの「抽出性」は、素材や形状によって大きく左右される。いい素材を用いた三角錐のティーバッグが最も茶葉が広がりやすく、美味しく抽出できるという。

「姫路はお茶どころでもないし、市内に茶畑もない。自社で茶畑を所有し、『◯◯産』と銘打って勝負できるわけではないからこそ、社会の変化に柔軟に対応してこられた面はあるでしょうね」

今はお茶についてひとつひとつ学んでいくのが楽しいと話す赤松さん。実は、もともと家業を継ぐ気は「全くなかった」そうだ。

「中高生の頃はとにかく姫路を出たくて仕方がなかった。家の商売にも無関心で、お茶もあまり飲まず、自分で淹れたこともありませんでした」

高校卒業後は横浜国立大に進学。卒業後は全国でフィットネスクラブを展開する企業に就職した。

「大学時代、ビジネスを通して社会課題を解決することに興味を持つようになりました。その企業はフィットネス事業によって少子高齢化、健康寿命といった社会課題に取り組んでいたんです。東京のど真ん中にオフィスがあるのを見て、『かっこいいなあ』という純粋な憧れの気持ちも抱きました」

入社から半年ほど経った頃、赤松さんは新規事業に携わることになり、鳥取県大山町に赴任。同僚ら七人で共同生活を送ることになった。

 

まっとうな社会人として生きる

そこで待っていたのは、想像を超えて過酷な日々だったそうだ。

「新規事業に関連する業務に加えて、店舗でフィットネスのコーチもやって、会員の勧誘もやって。最も忙しい時期は、朝五時に起きて、深夜二時に倒れるように眠りに就きました。会社の掲げる方針がとにかく絶対的で、疑問を口にすることは許されない雰囲気も、自分には合わなかったですね」

勧誘の成約率といった数字で業績を図られる毎日。退職する直前のある日、業績を上げ〝ボス格〟になっていた同期から言われた「てめえ、人間のくずだな」という言葉が今も忘れられない。

「あの頃は記憶があいまいなのですが、仕事関係の連絡ミスをした時だったと思います。僕は勧誘がめちゃくちゃ苦手で、それなのにやる気でごまかしながら続けていて。その結果、ボロが出て、ミスもして。数字を出すことが全てで、周りには仕事関係の人しかおらず、逃げ場もない。もう限界でした」

結果、一年数ヶ月で退職。しばらく実家で休養したのち、播磨屋茶舗の仕事をする決心をした赤松さん。そのとき心の中にあったのは、自分を温かく迎え入れてくれた実家への感謝だった。

「小さなことでもいいから、自分にできることで恩返しをしたいと思いました。会社の経営を改善するといった大きなことではなく、まっとうな社会人としてちゃんと家業の役に立ちたい、と」

最初の二年弱は修行を兼ね、繋がりの深い三重県の製茶問屋に働きに出た。

店舗はいかにも〝町のお茶屋さん〟といった趣き。取材中も近所の方が、袋入りのお茶を買いに来ていた。抹茶ソフトを販売する姫路城近くの「城前店」も地元ではよく知られている

「製茶問屋とは、茶畑で採れたままの『荒茶』を農家から買い、市販される状態の『仕上げ茶』に加工する業者のこと。例えば同じ緑茶でも種類、産地、部位、季節で味は違う。それまで家業に関心を向けてこなかったからこそ、お茶のことを一から勉強しました」

ウェブサイトの刷新、インスタグラムの運用といった、父の修二さんには不得手なことにも着手。徐々に新規事業にも意識が向き始めた赤松さんは、中川政七商店主催の経営の講座でブランディングの手法を学び、すでにあるティーバッグ加工の設備と技術を活用したブランドづくりを思いついた。

現在、社員は10人ほどで、パートを含めると計約30人が播磨屋茶舗で働く。「自分自身もまだお茶について勉強不足。まずは自分が学び、それを従業員にも伝えていきたいですね」と赤松さん

 

「日常的に急須でお茶を淹れて飲むという人は今後、ますます少なくなっていきます。そうであるならば、お茶のある暮らしを別のかたちで提案していく必要があると考えたんです」

パジャマで寝転がっていたり、スケボーで滑走していたりするパッケージのイラストも、「お茶のあるシーン」の提案を意図したものだ。

「広めたいことの一つが、ボトルでお茶を淹れて持ち歩く習慣なんです。朝、水とティーバッグを入れておくと、出先や職場でおいしい水出しのお茶を飲むことができる。蓋つきのマグカップももっと普及させたい。お茶は少し蒸らした方がおいしいし、取り出したティーバッグを蓋に置いておけて便利。今後はお茶だけでなく、関連する雑貨も併せて売っていきたいんですよね」

 

自由な挑戦が未来をつくった

継がれたのは挑む姿勢

「t to」の存在は、播磨屋茶舗のティーバッグ加工技術を周知させるという副次的効果ももたらしたそうだ。

「『こういうティーバッグを作れませんか』といった問い合わせが会社に来るようになりました。ニュース性のあるブランドを作ったことで、メディアに取材していただく機会が増え、会社自体の知名度が上がったと感じます」

では、父・修二さんの目に赤松さんの姿はどう映っているのか。赤松さんのいないところで聞いてみると「僕にできないことをやっているし、ちゃんと結果も出している。正直、すごいなと思っています」と感心しきりだ。もとは製紙工場に勤めていたという修二さんが、妻の実家の家業だった播磨屋茶舗に入ったのは二十九歳のころ。四十歳で先代から経営を引き継いだ。

「倉庫を工場に造り替え、ティーバッグ加工の機械をドンと導入したのは、経営を任されてから三年ほど経った時です。機械だけで当時四、五千万円したので、かなり大きな投資ですよね。それでも、先代は止めることなく自由にやらせてくれた。自分も先代から挑戦する機会をもらったのだから、息子のことも見守ろうと思っていたんです」

今ではティーバッグの売り上げが袋詰めのお茶の売り上げを上回る。「t to」もそうやって培われてきたティーバッグ加工技術を活用することで生み出されている。播磨屋茶舗ではルイボスティーといったいわゆる「健康茶」も、かなり早い時期から取り扱ってきた。社会の動向を冷静に見極め、ときには思い切った舵取りをして商機を捉える──。アウトプットは違えども、そうした姿勢は親子に共通しているようだ。

「実はね」と、修二さんは秘密を明かすように語り始めた。「佳幸が『t to』をここまでちゃんと形にできるとは思っていませんでした。なぜあんなによく売れるのか、正直、僕には今も理解できないんですよ」

修二さんにとって何より意外だったのが、その価格設定。

「僕の感覚だと、ティーバッグが三つ入って百数十円ぐらい。ひとパックが百数十円で売れる商品を作れるなんて、想像もしていませんでした」

「t to」が掲げるのは「気分や体調、シーンに合わせて気軽に飲んでいただきながら、よくばりな望みもサポートするお茶」というコンセプト。言葉だけでなく、本当に質の高いお茶だからこそ高い支持を得ている

播磨屋茶舗は今夏、市内の別の場所に社屋と工場を移転させる。移転後は、今までバラバラの場所にあった店舗と工場が一箇所にまとまる。

赤松さんは社屋一階の店舗部分も「お茶のあるライフスタイルを提案していく場」へと刷新することを考えている。「姫路は基本、チェーン系のお店ばっかりなんです。そこに一本でも、個店の面白いお店が並ぶ通りをつくりたい。新しい店舗がその起点になればいいですね」

店舗内には創業時の播磨屋茶舗の写真が。個人商店が減って大型スーパーマーケットが隆盛し、お茶の消費量が減り、ペットボトルのお茶も普及し……。逆境を何度も乗り越えて、今日まで続いてきた

 

家業を継ぐことは、地域を継ぐこと
刺激し合える仲間と共に

起業ではなく、長く続く家業を継ぎながら変化、拡張させていく後継ぎという生き方。そのことに伴う喜びや苦しみは、同じ道に進んだ者同士でないと分かり得ない部分も多い。その点、赤松さんには心強い仲間がいる。

姫路市街地から車で四十分ほど。神崎郡市川町にある育苗農家「文化農場」の三代目、小野未花子さんは赤松さんいわく「めちゃくちゃ行動力のある、地域のハブのような存在」。ロンドン大学に進学後、現地の教育系IT企業に勤めたという異色の経歴の持ち主だ。

「今は一年でもっとも苗の少ない時期」(小野さん)だというか、それでもビニールハウス内には色とりどりの苗が。チャレンジ精神旺盛な父親の下でさらに事業を刷新していこうとする点で、小野さんと赤松さんは境遇が近い

 

「育苗農家とは野菜の保育所のような仕事。三百種ぐらいの苗の〝子ども〟を預かって、育て、ホームセンターの家庭菜園コーナなどに卸しています」と小野さん。家業を継ごうと思ったきっかけは、イギリスの豊かな家庭菜園文化を目の当たりにしたことだった。

「イングリッシュガーデンと聞くと、芝生や草花をイメージする人が多いかもしれませんが、実は菜園も含みます。日本ではトマトならトマトだけをたくさん植えていきますが、イギリスではトマト、ナス、ハーブ、他の葉物野菜……と多品種を一緒に植えて、その景観を楽しむ。イギリス人にとっての家庭菜園は、アートに近いものなんです」

イギリスの豊かな家庭菜園文化の要素を取り入れることで、家庭菜園人口が減り続ける日本の現状を変えていけないだろうか。そう考えた小野さんはウェブでの情報発信や通販に加え、保育所や小学校を対象にした家庭菜園のワークショップなどを開催してきた。

「今も家庭菜園をする人の多くは、祖父母がやっていたとか、幼稚園に菜園があったといった、過去に何らかの形で家庭菜園に触れる体験をしています。まずはできるだけ多くの人に家庭菜園を体験してもらうために、たくさんの〝入り口〟を作りたいんです」

最近は「起業家精神を育てるための英会話教室」を立ち上げたばかり。その場で収穫した野菜をサラダにして食べられるカフェ、各地から集まってくるロードバイク愛好家向けの宿の運営など、アイデアは尽きない。赤松さんと小野さんは、一般社団法人ベンチャー型事業承継が運営する、家業を継ぐ人たちのプラットフォーム「アトツギファースト」を通して知り合った。赤松さんは「t to」がまだ構想段階だった二〇二一年一月に初参加。姫路市からは初めての参加者だったそうだ。

ホームセンターへの卸しという販路を開拓したのは小野さんの父。「家庭菜園は文化である」という信念から「文化農場」という名称を用いるようになったそうだ

 

「決まった顔ぶれで月いちのオンライン定例会で開くようになって、それがずっと続いています。現在のメンバーは五人。業種は異なっていても、人材育成やマーケティング、商品開発といった部分でそのまま応用できることもとても多い。毎回めちゃくちゃ勉強になっていますね」(赤松さん)

小野さんから見た赤松さんは「めっちゃ真面目で、物事を着実に進めていく好青年」。赤松さんが「t to」を立ち上げた際には、小野さんの事務所兼ワークショップ用スペースで関係者やカメラマンを集めて「お茶会」を開くなど、仕事面でも協力関係を築いてきた。

二人が共通して話すのは「中学や高校の同級生はほとんど外に出てしまい、地元に数人しか残っていない」という現状。どこの地方にもあることだが、地域に根を張って商売を続けようとする後継ぎたちにとっては見過ごせない問題だ。

「家業を継ぐことって、地域も一緒に継ぐことだと思うんです。この地に面白い会社があれば、きっとそこに人が集まってくる。そうやって関係人口を増やしていくことの方が、補助金で移住者を呼び込むことよりも現実的な道だと感じています」(小野さん)

姫路市街へと戻る車中、「新ブランド立ち上げは大変でしたよね」と赤松さんに話し掛けると「そうですね。でも、続けていくことの方が正直大変ですよ」と苦笑しながら応じた。そこに滲むのは、地道にこつこつと商売を続ける親の姿を見て学んできた者ならではの矜持。こうした後継ぎたちが今後のローカルを支える大きな力になっていくことは、やはり間違いなさそうだ。

 

文・瀬木広哉 写真・三根かよこ

                   

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