岩手で農業を始めませんか?【後編】
UIターン&就農で岩手暮らし
仕事として「農業」を選ぶ!
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美しく豊かな自然に恵まれた岩手県

広い県土と変化に富んだ地形、気象を生かして、米や園芸、畜産などの多様な農業が展開されています。リンドウ、ピーマン、キャベツやリンゴなどの生産は全国でも上位にランクイン。日本有数の食料供給基地として、一次産業をリードしています。

岩手県の県南地域は比較的温暖な気候で、米、野菜、果樹や畜産などの農業経営を展開し、担い手対策や就農サポート体制も充実しています。UIターンで就農する移住者も少しずつ増えています。

後編では、北海道からIターンし、ミニトマト栽培を軌道に乗せた一関市の大住正樹さんと、東京からのUターンで実家の農業を継ぎ、長ネギ栽培に挑戦した金ケ崎町の小原堅太さんのお二人に、就農から農業経営、就農者へのサポートなどについてお聞きしました。

岩手で就農を選んだ大住正樹さん

岩手県の一番南にあり、比較的温暖な気候の一関市で「おおすみファーム」を営む大住正樹さん。母の実家が一関市(旧藤沢町)にあり小学生の頃、夏休みに祖父の家で過ごした思い出があります。大住さんは「祖父がトマトを作っていたので遊び感覚で手伝い『農業もいいな』と思って、仕事の選択肢に入っていました」と振り返ります。


一関市のミニトマト農家・大住 正樹さん

埼玉県の農業大学校で2年間学び、卒業後は北海道で農作業ヘルパーとしてミニトマトを栽培。ミニトマト農家での研修も含め約8年間、北海道で暮らしました。2009年、研修先が一緒だった妻・茜さんと共に就農を目指して一関市へ移住。移住前に、一関農業改良普及センターに、岩手で農業をしたいとメールで相談しました。大住さんは「どんな農業をやりたいかを相談しながら経営計画を作り、翌年には就農。祖父がトマト栽培で使っていた3棟のハウスでミニトマト栽培を始めました」と笑顔で語ります。

栽培技術に自信があったミニトマトを栽培

移住後、家族が4人になった大住さんは、地域住民との関わりも大切にしながらお祭りやイベントなど自治会活動もしています。「知り合いがいないので、役員を務めることで顔を覚えてもらえるというメリットがあります。自然に囲まれた子育てしやすい環境です」と、地域に密着した毎日を過ごしています。

地域の祭りやイベントに積極的に参加

規模拡大を視野に入れた農業経営

「大変だったのは農地の確保です。規模拡大を視野に入れると、祖父所有の農地だけでは面積が足りなかったので農地の取得を検討しましが、岩手では農地は家の財産という意識が強いため購入が難しく、借りる方向で調整しました」と就農時の苦労を語る大住さん。

また、補助事業による支援やJAの融資を受けながら、ハウスを設置するほか、トラクター、畝立て機などを導入しました。

岩手県一関市の自宅近くに建てたミニトマト栽培用ハウス

大住さんは「自分なりに作業が達成できた、仕事が順調に進んだ時は結果が出るのでやりがいがあります。一番の面白みは、苗を植えて、花が咲いて実になる、収穫する、という生長過程を見ながら毎年いろいろ工夫し、栽培研究できることです」と農業の魅力を肌で感じています。

1個1個確かめながら収穫

理念は「食卓に夢と希望と彩りを」

大住さんは「ミニトマトを食卓に届けることを通して、私たちの思いを伝えたいと考えました。これまでの経営計画に加え、自分たちの心意気を込めた理念を掲げることで方向が定まりました」と力強く語ります。

産直用の商品に「夢と、希望で、できている。」のメッセージ

また、妻・茜さんと家族経営協定を締結し、働く時間や役割分担、専従者給与などを取り決めました。「就農してから12年間、毎日の作業の段取りから、将来の経営の方向性まで何でも話し合います。妻の発想から気づかされることや新たに挑戦することもあり、共同経営者として頼りになる存在です」と夫婦二人三脚で日々、農業に向き合っています。

ミニトマト栽培を柱に多品目栽培に挑戦する大住夫妻

「数年前に、妻の提案で西洋野菜の栽培に取り組んだことがあります。妻の出産と重なりミニトマトとの両立が難しく中断していましたが、また始めたいと思っています」と計画しているのはケールやビーツなどの西洋野菜。サラダやスープに使えて食卓に彩りを添える野菜として、大住さんは多品目栽培を目指しています。「冬の間のハウスで栽培できる利点を生かして、栽培方法を研究していきたいと考えています」。夢と希望を追求する大住さん夫妻の挑戦は続きます。

農業には伸びしろがある!

一関市で農業をしたいと考える人には、県や市町村、JAなどが支援する新規就農ワンストップ相談窓口や、市独自の研修制度があります。自身も関係機関に相談して新規就農の夢を実現した大住さん。「この地域の夏秋5品目(トマト、ピーマン、キュウリ、ナス、ミニトマト)を勉強する場、栽培を体験できる滞在施設のような場所があれば、農業を始める人が作る品目を決めやすくなる」と先輩農家として岩手県の農業の未来を具体的に考えます。

「農業は『伸びしろのある産業』だと思います。食料という一番大事なものを作っている産業で、生活の根底であり経済の根底です。一次産業が回らないと経済は回らないのです」と大住さんの農業に対する姿勢は前向きです。「ただし、自分たちが本当に作りたいものを作って、この地域に住むんだ、という覚悟がないと農業はできません」と言い切ります。大住さんはこれからも、農業や地域を担う強い思いを発信し続けます。

収穫、選果、箱詰め後にJAなどへ出荷

【プロフィール】
大住 正樹さん
埼玉県出身。高校卒業後、埼玉県の農業大学校で2年間学ぶ。卒業後は北海道富良野市で農作業ヘルパーとして3年間、ミニトマトを栽培。その後、ミニトマト農家で5年間研修した。2009年、研修先が一緒だった妻・茜さんと共に、新規就農を目指して北海道から岩手県一関市へ移住。翌年には就農し、祖父がトマトを作っていた3棟のハウスでミニトマト栽培を始めた。就農12年目で、ハウス8棟(30a)に経営規模を拡大した。かつて祖父が住んでいた家で妻、息子、娘と4人で暮らす。※2022年8月現在


■一関市で農業を始めたいと思ったら
~お気軽にお問い合わせください~

一関地方農林業振興協議会 担い手部会事務局
一関農業改良普及センター
TEL:0191-52-4961 FAX:0191-52-4965
E-mai:CE0019@pref.iwate.jp


東京からUターンし農業を継いだ小原堅太さん

「学生時代、農業への関心は全くありませんでした。音楽をやるのが夢でした」と笑顔で話す小原堅太さん。工業高校卒業後、金ケ崎町内の自動車関連会社で4年間働きました。高校の先生に勧められるままに製造業に就職しましたが、音楽を諦め切れずに上京。音楽活動をしながら居酒屋のアルバイトをし、その後、正社員として店を任されたことで経営の面白さを知りました。

金ケ崎町の長ネギ農家・小原堅太さん

親から「農業を継がないか」と連絡がきたのが、居酒屋で利益を出し始めた2年目の頃。「1年ぐらい悩みました。徐々に自営業をやってみたいという気持ちが強くなり、農業も自営業のひとつと考えて実家に帰る決意をしました」と小原さんは振り返ります。「自分でも農業経営をしたかった。農業改良普及センターなどに相談し、安定した価格の作物ということで長ネギを栽培しようと決めました」と独立に向けて準備をしました。

太くなりやすく病気に強い「夏扇パワー」という品種

Uターンの新規就農を応援してくれる支援体制

新規就農を決めた小原さんは「当初から機械化した栽培を目指していたので、給付金がなかったらここまで規模を大きくできなかったので大変助かりました」と話します。農業次世代人材投資事業を活用して、長ネギを畑から掘り出す収穫機や外皮をむく機械などを導入。また、中古の農業機械の購入費に対する助成制度を活用し、農薬を散布する機械なども導入しました。

「実家は農家ですが、新たに始めた長ネギ栽培の機械は全く持っていなかったので、支援制度のおかげで軌道に乗せることができました」と小原さん。新規就農を応援する体制が整っている岩手県だからこそ、思い切った挑戦が可能となりました。

岩手県金ケ崎町にある小原さんの長ネギ畑

技術習得のために近隣の長ネギ農家に見学に行き、インターネットの情報からも栽培方法を取り入れました。しかし「1年目は収量も少なく細いネギで、JAに出荷しても返品されました」と苦笑いしながら小原さんは栽培の難しさを話します。2年目からは基本的な栽培を学び、JAなどからのアドバイスも受けて、出荷できる長ネギを生産できるようになりました。

畑から長ネギを掘り出す機械を運転して収穫

機械化とパート雇用で規模拡大

収穫までの作業は、ほぼ機械化を進めた小原さん。しかし、出荷前の調製作業は全自動にはできません。流れ作業で外皮むきから箱詰めまで手作業.。1日に約100箱を市場などに出荷します。小原さんは、労働力を確保するため、毎年ハローワークなどで募集してパート雇用をしています。15人ぐらいでシフトを組み、毎日約10人が作業できる体制を整えています。

「皮をむいてすぐに出荷するので、新鮮でシャキシャキの食感です。パートさんたちがいなければ、毎日この量を出荷できません。頼りになる皆さんといつも楽しく作業できるので、本当にありがたい存在です」と楽しく仕事をすることも心掛けます。

近隣から雇用するパートさんたちと調製・箱詰め作業

小原さんは「Uターンして変わらない地元の風景の中、自然豊かな環境で農業をすることが自分に合っていると感じ、戻ってきて良かったと思っています。パートさんたちと毎日一緒に頑張ることで、やりがいを感じています」と農業者と経営者の顔をのぞかせます。

農園名と生産物をブランド化する工夫

小原さんは2年ほど前に農園名を「obarafarm」と名付けました。ホームページを新たに作る時、検索で一番上に出るようにしたかったからです。これまでJAや市場に出荷していますが自分でもPRしたいと考え、本を3~4冊買ってきて独学でホームページを開設。イベントで配布するチラシも手作りです。

「しら雪」というブランド名も付けました。小原さんは「うちで出荷する長ネギは、皮をむいたネギの白さから雪を連想させます。今後、飲食店やスーパーなどとの直接取引も目指しています」と命名理由を語る小原さんは楽しそう。

ホームページやチラシを自分で作り長ネギをPR

「農業は作物を作るだけでなく、いろいろなことをやらなければいけない業種。だからこそ、自分でやろうと思えば人に頼まず何でもできることが魅力だと思います。冬場は趣味のギターを弾いたり、アニメを描いたりできますし、来年のことを考える時間でもあります」と1年中、農業のことを考える充実した毎日を送っています。

趣味の音楽やアニメを描いて気分転換

利益を出す農業に魅力を感じてもらいたい

常に経営の発展を目指す小原さんがいつも感じていることは「農業は続けることが大事。最初は機械などに投資しているのでなかなか利益が出ないのですが、続けて頑張ることが利益とやりがいにつながります。結果が出ると仕事が楽しくなります」と胸を張ります。

収穫・調製・箱詰め後は市場へ出荷

広い長ネギ畑と選果場と市場とを1日中、軽トラックやフォークリフトで動き回る小原さん。「自分は農業をするために岩手に戻ってきたので、農業以外は考えていません。農業経営で利益を出したい人や、自営業を始めたい人は、ぜひ農業という仕事に挑戦してほしい」と未来の就農者に笑顔で呼び掛けます。

農業経営を軌道に乗せる小原さん

【プロフィール】
小原 堅太さん
岩手県金ケ崎町生まれ。地元の工業高校卒業後、金ケ崎町内の自動車関連会社で4年間勤務した。その後、上京し居酒屋で働きながら音楽活動。実家にUターンし、水稲や花卉生産を手伝いながら2017年、長ネギ栽培に挑戦して就農。母とパート従業員約15人(8~11月雇用)の営農形態で、経営を軌道に乗せた。5年目には栽培面積や生産量が地域でもトップクラスの生産者として成果を上げている。実家で祖母、両親、兄、本人の5人暮らし。「obarafarm」代表として、自らホームページや販促用チラシを作るなどPRにも力を入れている。※2022 年11月現在


■金ケ崎町で農業を始めたいと思ったら
~お気軽にお問い合わせください~

胆江地方農林業振興協議会 担い手育成支援班事務局
(奥州農業改良普及センター 地域指導課)
〒023-1111 岩手県奥州市江刺大通り7-13
TEL:0197-35-6741 FAX:0197-35-6303
E-mai:CE0019@pref.iwate.jp


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