無くしてはいけないものを残すために

長野県松本市 [菊の湯]

長野県松本市。松本駅から十分と少し歩くと、本屋あるいは喫茶店『栞日』がある。
形に捉われず、街に開かれた〝場〟を創り続ける彼らはこの秋、
斜向かいの歴史ある銭湯「菊の湯」を継承した。継業を通した場の変化や、
街と場と人の良い関係、コミュニティについてこの企画では鼎談も交えてご紹介する。

〝自分なりのサードプレイスを創る〟

本屋と喫茶店『栞日』をはじめ、暮らすように泊まる宿『栞日INN』、日用品のギャラリーストア『栞日分室』の運営など、オーナーの菊地徹さんが手がける業態は多岐にわたる。それ以外にも、湖畔のほとりで本を楽しむキャンプフェス『ALPUS BOOK CAMP』を発起・運営するなど、多くの場を創り出している仕掛け人だ。

菊地さんは静岡県に生まれ、大学進学で茨城へ。国際関係の学部に属す一方、スターバックスで週六日アルバイトをする日々だった。「このまま社員になってスタバのブランディングやサードプレイスの思想を学びたい」。そう考えるも、当時はリーマンショックの影響で就職氷河期時代。スタバで正社員になることは叶わず、その後もしばらくアルバイトとして続けることになった。しかし、大学序盤ですでに自分なりのサードプレイスを創るという目標を定めていた菊地さんは、スタバを卒業し、次のステップに動いた。

「僕、大学で早い時点でつまづいたんです。学んでいたのは国際教育開発といって、途上国における識字率を上げるために現地政府と協力しながら進めるような分野。割と序盤で『何をどこまでしたら、自分が国際に貢献した手応えを得られるのか』と、果てしなさを感じてしまって。一方スタバは、地域に開かれたカフェという場所で一杯のラテと数百円を交換するという日常に密接したやりとり。シンプルだけれど、買う人にとってその瞬間は少なからずポジティブですよね。それで自分は、目と手が届く範囲の幸せのことをやろうと決めました」

スタバを辞めたあと、松本の山奥にある旅館『明神館』、軽井沢のベーカリー『ハルタ』でサービスなどの経験を積み、勤め終えたのは二十六歳の頃。そろそろ自分の事業を始めることを考え、歴史的に文化的な土壌があり、自身の生活にもフィットする感覚があった松本に拠点を定めた。

松本はすでに喫茶店が多く、自分が普通にコーヒーを出してもつまらない。そこで加えた要素が、本屋だ。「クリエイティブな文化や人が多いわりに、本に触れられる場所が少ないと感じていて。それで、インディペンデントなマガジンを多く扱う本屋を併設した喫茶店をやろうと。本屋や出版業の経験はなかったんだけどね」。こうして、栞日が始まった。

自然と口から出た「僕がやります」

三年目の夏、お店を現在の場所に移転。店内からも見える位置にある向かいの銭湯が、今回事業を継承をした『菊の湯』だ。当時の店主・宮坂さんがコーヒーを飲みにきたことから交流が始まり、その後もやりとりは頻繁ではなかったものの、栞日が発行するフリーペーパーの企画で菊の湯を取材したことなどがあったという。そして移転から約四年の月日が流れたこの夏、宮坂さんからある相談が持ちかけられた。

「菊の湯を閉めることにした。この建物を活かすとしたら、どんなアイデアがある?」

菊の湯は家族経営で代々百年近く続いてきた歴史ある銭湯だ。廃業という決断がどんなに重かったか、赤の他人でも想像がつく。しかし菊地さんは、「銭湯を続けましょう、僕がやります」と即答をした。

「宮坂さんからは相当止められました。『銭湯の経営は本当に難しいよ』と何度も言われ、経営の数字も見せられた。もちろん難しいのはわかっていたけれど、それ以上に菊の湯を無くしてはいけないと思ったんです」

時代が変わり、成り立たなくなってきたものや業界は多い。どの家にも風呂がついている現代において、生活必需品でなくなってしまった銭湯の経営が大変なのは当然のこと。でも、そこに新しい価値を加えてアップデートできたら、この時代にこそ必要なものになる。銭湯の継承という選択を、当然のごとく自然に受け入れた。

奇跡が起きたとしか思えない
無くなっていたかもしれない菊の湯が、
ここに存在している

十月十五日。運営が宮坂夫妻から栞日に渡り、新しい体制での菊の湯がスタートした。取材したのはちょうど一ヶ月経った頃。まずは今の率直な感想を伺った。

菊地 安心しているのは、見る限り常連さんの面々が変わっていないこと。決まった曜日と時間に来ていた方がほとんど来てくれているんです。正直ものすごくホッとしています。リニューアルが原因で常連さんが来なくなった、なんてことも想定しておく必要があったので。

宮坂 僕は一言でいうと、奇跡が起きているとしか思えないですね。無くなってしまっていたかもしれない銭湯ですから。菊地くんに相談したとき、『銭湯やめて何かやりたいんだけど何がいいだろう』って話を持ちかけたけど、『いや、銭湯続けましょう。僕がやります』と即答だった。

菊地 そうですね。たぶんその場で言いました、続けましょうって。

宮坂 僕はその時すでに閉める決意をしていたし、やめとけって説得しにかかったけど(笑)。今こうして閉めずに済んでいる。ありがとうの気持ちしかないです。

山本 私はリニューアルのタイミングで松本に引っ越してきたんですけど、正直慌ただしくて、なんだかまだ実感が沸かないです(笑)。目の前のことを必死にやっている感じで。

菊地 今ひかるんが一番忙しいよね。僕は番台には立たないし、一緒に考えることはするけれど現場は基本おまかせ。お湯の仕込みなどを宮坂さんに手伝ってもらいながら、足場を固めていっている段階です。

生活の必需品から、
日常を良くしてくれる場所へ

宮坂 今回のテーマはコミュニティだけど、やはり銭湯の中心にはお年寄りがいますね。『医者に行ってきた』みたいな会話や、『あそこのじいちゃん最近見かけないけど来てる?』なんて生存確認もあったりして。

山本 番台でも、毎日なんてことのない会話をしています。八割が天気の話(笑)

菊地 銭湯ってどちらかというと生活の延長線上にある場だから、栞日のように日常を良くするためのサードプレイスではないんですよね。必需品としての役割が近い。

宮坂 生活の一部として、みなさんお湯に入ってくれていますよね。

菊地 ただ現代はどの家にも当たり前にお風呂がついているし、銭湯が機能的に必需品ではなくなってしまった。だから、時代に合わせてアップデートしないと生き残っていけないという状態になっているんだと思っています。

宮坂 僕の経営では、必需品としての銭湯で思考が止まっていたんです。例えば、当時お客さんには自分で風呂桶セットを持ってきてもらうのが当たり前だった。けれどリニューアルしてからはレンタルタオル無料、シャンプーやコンディショナーも備え付けという状態になって、みんなが手ぶらで来れるようになった。このことだけでも、随分と開かれた場になったように感じます。

菊地 銭湯は世代や肩書きを超えて裸の付き合いをする。だから、あらゆる人にとってのサードプレイスになれる高いポテンシャルがあるんです。これは喫茶にはできないこと。

自分のものでも、みんなのものでもある

菊地ひとつ印象的だった出来事があって。リニューアル当日、お風呂にいらした常連さんに『ありがとうね。よろしくね』って言われたんですよ。最初はよろしくってどういうことだろうと思っていたんだけど、何人かに言われるうちに『私のお風呂の運営よろしくね!』って意味だなとわかってきて。

宮坂自分にとってのお風呂だから無くなってもらっちゃ困るよ、というメッセージでもありますよね。みんな結構応援してくれてるんです。

僕の時代も『今日貸し切りだったからのんびりできて嬉しいけどよ、大丈夫か?』と声かけてくれたりね。

菊地常連さんたちにとっては特に、私のお風呂であり、私たちのお風呂なんですよね。それがわかって改めて、残していかないといけない場・コミュニティだなと実感しました。

宮坂お客さんと我々の関係もそうだけど、お客さん同士も気遣い合ってるよね。銭湯マナーがわからない若い子に教えてあげる人もいるけど、それも過剰な言い方だと嫌になっちゃうし。お互いの気遣いが良い風に運べば、良い空間になる。

菊地自分が気持ちよく過ごしたいから他人にも気を遣う。こういった良心の意識は、ルールで縛れるものじゃないなと思います。

宮坂うちは松本駅から一番近い銭湯なので、いろんな人がくるんです。観光客や登山客がいたり、近くの芸術館で催しをしている関係者が来たり。リニューアルでまた更に新しい人が来てくれるだろうから、これまでの常連さんともうまく交わってくれるといいなと思いますね。

世代や肩書きを超えて人が交わる場は、ルール以上にモラルや思いやりが求められるのかもしれない。自分にとって必要な場所がみんなにとって心地良いものであるために、それぞれの意識や行動が大事だと再確認する。

風習や常識が文化を無くす可能性もある

今回の継業は長野県初の、家族以外の第三者が継いだ事例となった。銭湯といえば家族経営が多く、組合の付き合いなどで地域とも根深い関係にある。懸念はなかったのだろうか。

宮坂『銭湯は家族で経営していくもの』という文化は確かにあったけれど、僕自身はそこにこだわる必要は一切ないと思っていました。継承してくれるのであれば好き勝手やっちゃって、という感じで。

菊地これまでの風習や暗黙の了解にこだわっていると、今後残したいものが残せなくなっていくんじゃないかと思うんです。これは工芸品や伝統野菜など、いろんな仕事や文化に言える。継ぐ家族がいないと消滅してしまうくらいなら、継ぎたいモチベーションがある人に渡していいんじゃないかって。

宮坂今回はそれがたまたまお向かいさんだったという話だね(笑)。菊地くんにはずっと注目をしていたし、縁を感じていたけれど。

菊地宮坂さんがこうして新しい人や物を受け入れるタイプじゃなかったら、今回の継承はまず実現していなかったと思います。僕は普段自分がやることにあまり責任を感じなくて(笑)、いつも『好きにやります〜』って感じなんだけど、今回は世間から成功だねって認められるところまでやろうと決めています!

菊の湯の第三者継承が成功事例として人に伝われば、全国の銭湯や、継手がいない業種で再現ができるはず。良いモデルケースになって、無くなってしまう場や文化が一つでも減ればと、菊地さんは語る。

宮坂二人は銭湯に関してはド素人だけど、新しい視点と発想で、すでにどんどん銭湯の可能性を引き出してくれている。今後の菊の湯を見守っていくのが楽しみです。

菊地ひかるん、菊の湯がどうなっていってほしいとかある?

山本新しい価値観を持った人が仲間になってくれると嬉しいかも。自分のやりたいことはあるけれど適した場所が見つからない人や、いろんなことに関わってみたい人とか。今ってやることを一つに絞らなくてもいいわけですし、私もこれまで街の地図を描いてきた人間なので。

菊地ひかるんは、湯屋チーフに応募してくれたなかで唯一『銭湯をやりたい』が一番の動機じゃなかった人。街に住んで、街の人として新聞を描きたいっていう目的があったよね。そこに僕はすごく惹かれたんだけど。見ていきたい菊の湯の風景とかある?

山本まだバタバタしていてわからないけれど、正直私、今の風景にすごく満足しているんですよね(笑)

菊地うん、わかる(笑)。まだ今は地盤を整える段階だけど、その段階にしては十分すぎる風景が今菊の湯には広がっているね。この状況に感謝しつつ、しっかり整えてから今後を創っていきたいです。

みんなコミュニティなんて頻繁に言うのは
きっと寂しいからだと思う

『コミュニティ』は、共同体や地域社会のことを意味する。この言葉が頻繁に使われるようになったのはなぜなのだろう。

「最小単位は家族なんだろうけれど、コミュニティなんてきっと昔からあるし、おそらく動物にだってある。こんなに叫ばれるようになったのは、みんな寂しいからなんじゃないかなと思っていて。要するにひとりぼっちが多いんだよね」。人間社会が成熟して人の繋がりが複雑化するほど、個に還っていくのではないかと菊地さんは話す。

「コミュニティって二種類あると思うんです。『新しく立ち上げていくコミュニティ』と『自然発生するコミュニティ』。後者は土地や血縁に基づいているものだからあえてコミュニティなんて言わないし、自然に存在しているからそのまま大切に育めばいい。銭湯は後者だと思います。だから残していかないといけない」

菊の湯には、一人で来る近所のお年寄りが多い。そのおじいちゃんの生活から菊の湯が無くなれば、家でテレビを眺めて誰とも話さずに一日が終わる可能性すらある。そんなことを想像すると、『コミュニティ』なんて言葉はそこになく、ただ人々が共同生活をしているだけなのだ。

コミュニティはコントロールできない
新しいものを少しずつ馴染ませて、共存していく

では、無くしてはいけないコミュニティを残し続けるために何が必要なのか。それが『新しく立ち上げていくコミュニティ』の力だという。

「僕は、自然発生してきた共同体や場を大切に育みつつ、時代が変わっても残していけるようにアップデートさせていきたい。これまで『コミュニティ』という言葉や概念を乱用する人やその界隈のことを斜めに見てしまっていたけど、今後新しいコミュニティの力は絶対必要になる。バランスが大事だって最近気づいて、斜めに見ててごめんって思った(笑)」

内輪の盛り上がりで成り立っているコミュニティは、熱量の低下やちょっとした問題で消滅してしまう。内輪ならそれでいいけれど、銭湯のように昔から自然にあるコミュニティは多くの人にとって必要不可欠なのだ。

「新しいコミュニティの視点や人や役割を、昔からある場に少しずつ馴染ませていく。そうやってアップデートしていくことで、時代が変わっても必要とされ続けられるはず。そんな大きな社会実験をするのに、銭湯は最高の場所なんです」。その理由はやはり、世代や肩書きを超えて人が集う銭湯のポテンシャルにある。

最後に菊地さんに、理想のコミュニティについて聞いてみた。「理想系って正直ないんです。人も街も生き物だし、それらを『こんな形にしたい』とコントロールしようとするのはおこがましい。ただ、サードプレイスとしての理想系はあるのかも」

それは、地域の人も旅の人も、世代も障害の有無も関係なく、どんな人も自由に出入りができる場所。

「僕にとって、栞日を運営することも菊の湯を運営することも同じことなんです」。訪れた人の今日がちょっとでも良いものになるように。そのきっかけを菊地さんは今日も、街に仕掛け続ける。

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