私たちの未来をつくるのは、
私たちだ

京都府京都市 HOTEL SHE, KYOTO

新型コロナウイルス感染症の影響が拡大するなか、打撃を受けた観光業から立ち上がった人がいる。
「HOTEL SHE, 」をはじめとした全国五か所のホテル運営で知られる、龍崎翔子さんだ。
彼女が打ち出したのは、非感染者が自宅の代わりにホテルで安心・安全に暮らせるシェルターと、
旅ができるようになった未来で使える宿泊券。どうして次々に、新しい試みを打ち出せるのだろうか。

 

未来に思いを寄せ、日々を蓄積する
「夢を叶えた」ホテルプロデューサー

「新進気鋭のホテルプロデューサー」。そんな枕詞で語られる龍崎翔子さんを知ったのは、ウェブメディアの記事がきっかけだった。彼女は大学在学中に起業して、ホテルの経営を始めた。最初のホテルとして北海道・富良野のペンションをオープンし、続いて京都、大阪に出店。神奈川・湯河原の温泉旅館の運営を引き継ぎ、北海道・層雲峡の温泉旅館をリニューアル。現在はこの五つのホテルを運営している。龍崎さんは会社の取締役として経営企画を担当し、ホテルの世界観づくりから発信まで、会社がどう進むべきかを判断する役割だ。

若い女性経営者、東京大学在学中に起業、ホテル王。画面の向こう側から伝わってくる彼女には、いつだって華々しいラベルが貼られていた。でも彼女はラベルへの注目を拒否するでもなく、ラベルの華やかさに顔負けするわけでもない。どう取り上げられようとも、自分の言葉で考えを伝えて協力者を増やし、やりたいことを着実に実現していた。知性と行動力を兼ね備え、気骨がありながらしなやかで、謙虚さを忘れない。龍崎さんの「姿勢」が、画面越しに伝わってくるような気がした。

 

彼女は、コロナ禍で立ち上がった

二〇二〇年三月、龍崎さんが経営する会社・L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.は、全館休業を発表した。同日には、これまで運用してきたオウンドメディアを、オンライン上にある架空のホテル「HOTEL SOMEWHERE」としてリニューアル。続いて翌日、ホテル経営の舞台裏を龍崎さんが執筆するマガジン「ホテル経営企画室」もスタートし、発信を強化する体制を整えた。そこに書かれていたのは、「ホテル業界全体で生き延びる」ために新しいサービスを準備している、というニュースだ。彼女たちは今できる取り組みを急ピッチで進め、四月に大きなリリースを二つ出した。一つが、安心安全な世界でゲストが旅をし、ホテルに泊まるための前払い制の宿泊券「未来に泊まれる宿泊券」。もう一つが、ステイホームが推奨されるなかで家で過ごす、もしくは家に帰ることが難しい人のために、家以外に安心して過ごせる拠点をホテルが提供する「HOTEL SHELTER(ホテルシェルター)」だ。この二つの取り組みを通じて、彼女は「力を貸してほしい」と呼びかけたところ、百社近いメディアが彼女たちの取り組みを紹介した。

ホテル業界が厳しい状況に置かれるなか、彼女はなぜ立ち止まることもあきらめることもなく、次々と新たな取り組みに進んでいけるのだろうか。ホテルシェルターをリリースしたとき、彼女は「寝ても覚めても、未来のことを考える日々の蓄積を信じています。ひとりひとりの力は小さくても、連帯することで成し遂げられることがあると信じています」とつづっていた。どうして、信じ続けられるのだろうか─。そんな問いを抱えながら、HOTEL SHE, に向かった。

 

誠意を込めて、嘘のないものを
ホテルから、選択肢を生み出す

「よろしくお願いします」。初めて会った龍崎さんのスカートには、小さくペンキの跡がついていた。「最近、石膏ボードに色を塗ったときに跳ねてしまったみたいで」。そう言って小さく笑った龍崎さんは、隣に座って話を始めてくれた。

彼女がホテル経営を志したのは、小学生の頃だ。両親とともにアメリカ大陸を横断したとき、変わらない車窓よりも、今晩泊まれるホテルを楽しみにしていた。しかしドアノブに手をかけた先には、毎日毎日同じような部屋が広がる。どうして、その土地らしさを感じられるホテルがないんだろう。本をきっかけに知った職業「ホテル経営者」に、自分の夢を見出した。「カフェを巡るように、CD
を買うように、今晩泊まるホテルを選びたい」。大学一年生のときに母と起業し、一軒のホテル経営をスタートした。

「ホテルとは、メディアである」。龍崎さんの会社が運営するホテルは、すべてこの考えが反映されている。旅先の寝床として扱われることが多いホテルに、龍崎さんはライフスタイルに関わるさまざまな提案をできる可能性を見出し、街と人、文化を繋げる体験を届けてきた。その土地で受け継がれてきた唯一無二の文脈を重視し、歴史を取り込み、現代のライフスタイルに寄り添った表現を届ける。この考え方は、新型コロナウイルス感染症の影響があろうと変わらない。むしろホテルに来てもらえないタイミングこそ、「ホテルはメディアなのだと言い続けてきたことを、証明する瞬間なのかもしれない」と、次々に新たな取り組みを打ち出している。

 

今の自分たちが、やるべきことを

「ライフスタイルのあらゆる意思決定のシーンで、選択肢の多様性にあふれた社会を作る」。彼女が経営する会社のビジョンだ。手がける事業はホテル運営に限らず、人生における選択肢を広げるための取り組み全般にわたる。コロナ禍で打ち出した新たな取り組み「未来に泊まれる宿泊券」も「HOTEL SHELTER(ホテルシェルター)」も、選択肢がなかったところに新たな選択肢をつくり出すサービスである。

両者のうち、「なけなしの勇気で、新しいプロジェクトを始めます」とリリースしたのは、ホテルシェルターだった。「すべての人にとって、はたして『ステイホーム』がベストな選択なのだろうか?」。コロナ禍における家庭内のトラブルや、出勤を余儀なくされているエッセンシャルワーカーの不安が報じられるなか、龍崎さんはその問いと向き合っていた。結果、数々のホテルが休業を決めていくなか、自社のホテルを開ける決断をしたのだ。L&Gではホテルシェルターを安全に実現すべく、専門家の監修のもとにガイドラインの設計からとりかかった。そして他社に連携を呼びかけながら、まずは自社のホテルで試験し、想定されるリスクを短期間でつぶしていった。とはいえ社内からは不安の声もあるなか、最後に実施を決めたのは、龍崎さんだ。

 

自分のために、「嘘のなさ」を貫く

会社と自分の名前で旗を振り、他の誰もやっていない試みに挑戦することに、不安はなかったのだろうか。「その時点で残っているのは、炎上リスクですよね。たとえばホテルシェルターをきっかけに、感染者が出たとする。その責任はホテルにあるのではないか、クラスターが発生したらどうするのか、との批判は想像できます。でも病院ですらクラスターが発生したように、どこであっても万全を期することはできません。そして現に、安心・安全に自宅にいられずに困っている人がいる。それらをトータルで見て、リスクよりも誰かの課題を解決できる側面のほうが大きいので、自分たちがやるべきだと判断しました」

ホテル事業者として、今やるべきことをやりたい。そのためなら、残ったリスクは引き受ける。もしトラブルが発生したとしても、SNSを使って自分の言葉で誠実に発信すればいい。「たとえホテルのブランドが毀損する事態につながったとしても、いくらでもやり直せます。それに、誠意を持って準備してきた自負がある。もし自分に後ろ暗さがあるのに取り組みを打ち出したらすごくリスクがあると思うけれど、嘘のないものをつくっていると言い切れるから」

嘘のない。どんなに世の中から注目されようと、コロナ禍においてどんなに拍手を浴びようと、彼女は自分にも周りにもこの姿勢を貫いてきた。自分を軸にして、今やりたいこと・やるべきことを判断する。その「嘘のなさ」こそが、龍崎さんが一つ目のホテルを経営し始めてから四年間、着実に仲間を増やしながら自分のやりたいことを実現してこられた理由なのだろう。

 

一つの行動から、未来が動き出す
自分の不満と、誠実に向き合う

ホテルシェルターについて質問していたとき、龍崎さんはふと「反省点があって」と話してくれた。「私たちがシェルターを使う当事者じゃないことが、自分では微妙だったと思っているんです」。ホテルを筆頭に、これまで手がけてきたサービスは、龍崎さんにとってすべて自分の不満や痛みを解決するために生み出してきた選択肢だ。でも今回のホテルシェルターを使う当事者として想定したのは、医療従事者や在宅ワークができないエッセンシャルワーカー、家庭内にトラブルを抱える人であり、龍崎さんは含まれていない。「ホテルシェルターにお金を払って痛みを解決したい方がどれくらいいるかというと、結果的にマジョリティではなくて。事業としてシェルターを成立させられたか、たくさんの方を受け入れられたか、と考えると、まだまだです。個人的には、やりきれなかったなと思っています」。

だから今後のシェルターは、第二波以降の感染拡大に備えるだけでなく、龍崎さんのように全国各地を飛び回る人が長期滞在できるサービスとしての展開を検討している。「ぜんぶ、未来の自分のためにやっていきたいです。どんなに他者のことを想像しても、その人にしか分からない部分があるじゃないですか。でも、自分の痛みや渇きは分かる。だから自分の渇きを潤すための取り組みが、回り回って同じ時代を生きる他の人も潤せると理想的だなと思います」

 

立ち止まって、また歩き始める

スタート地点は、自分。自分の手に負える範囲で、自分をハッピーにしたい。常に現在地から見通せる未来を考えて、「こういうものがあったら、おもしろいよね」と打ち出し続ける。それが、自分たちが進んでいく先に「未来の選択肢」を増やすきっかけになるからだ。龍崎さんは、新型コロナウイルスの影響があろうとそうでなかろうと、ずっとこの姿勢を続けてきたのだ。「SNSを通じて自分の行動が人の耳に入るので、それがどう受け取られようとも、新しい動きが生まれることはきっとあると思うんです。そういう動きの連鎖を体感してきたから、自分がアクションする意味を信じられるのかな。一つの行動そのものは、収益性がよくないかもしれない、インパクトが小さいかもしれない。でもきっと、そこから新たなきっかけを生み出せると信じています」

画面越しに見ていた龍崎さんは、聡明さと圧倒的な行動力が際立って、あまりにもまぶしかった。対して、夢もなければ、誰かの選択肢を増やすための行動もおこせていない自分。どうやら無意識のうちに彼女との間に境界線を引き、傍観者になりかけていたようだ。「自分の原体験を大切にするために、できるだけリアルでありたい」。話してみて初めて、彼女はまぶしい光を当てられようとメディアにどう取り上げられようと、ただ自分の痛みを見逃さずに向き合って、自分のために行動を続ける同世代なのだと気づかされた。そうだった、だって私たちは、私たちの未来をつくる当事者なのだ。

取材を終えると、龍崎さんが「またお会いしましょう。お気をつけて行ってらっしゃいませ」とホテルの出口まで見送ってくれた。HOTEL SHE,の最後に添えられた「,」は、「立ち止まり、また歩き始める場所」としてのホテルを表している。ホテルは彼女が選び取り、これからも表現を続けていく場所だ。どんなに画面越しの龍崎さんがまぶしく見えようと、誰もが同じ場所で同じように輝くわけではない。一人ひとりが、自分の立つべき場所を持っている。だから、ライフスタイルを自由に身にまとえるホテルで旅路を決めたら、龍崎さんと同じように現在地から未来を見つめる一人として、自分の道を歩き出していこう。嘘がない、今の自分らしい表現を身にまといながら、いつだって変わっていける軽やかさを忘れずに。地道に境界線を溶かしながら、自分の痛みを解決するために前に進み、新しい選択肢をつくっていくと決めた。他の誰のためでもなく、私たちの未来のために。

 

文…菊池 百合子 編集…佐藤 芽生 写真…土田 凌

                   

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