人の営みと原風景が美しいこの村で、
理想の生き方を見つけた。

三原村 農家 多智花 光男(たちばな みつお)さん


高知県の西南に位置する、三原村。山々に囲まれ、標高約120メートルの高原地帯は、豊富できれいな水を育み、米や野菜などおいしい食を生み出す。人の知恵とつながりが暮らしの根っこにある。大阪出身の多智花光男さんは、そんな日本の原風景が残る三原村に惚れ、「ここでずっと生きる」と決めた。

 

導かれるように、高知に来る。

光男さんは、大阪府大東市で生まれ育った。サッカーを学びたいと、徳島の名門校へ進学。そのタイミングで、両親も故郷の徳島へと移り住んだ。

大学は、関西を選んだ。「幼なじみも友だちもたくさんいましたから。僕の中ではそれまでずっと、戻りたい場所は大阪でした」。大学を卒業した後、大手住宅設備機器メーカーに就職した。配属先は「四国」。光男さんは、都市部にある支社ではなく、高知県四万十市の駐在所を希望する。「普通は選ばないです(笑)。でも、四万十の駐在所という文字に、なぜか惹かれたんですよね」

四万十市は、三原村に隣接するまち。清流を囲むように緑が広がり、人も温かい。どんどん高知に惹かれていった。「特に水が気に入りました。飲んでもおいしくて、水が描く風景も美しくて。日々、からだをトリートメントされているような感じでした」

ある日通った細い県道の先に、光男さんは心を奪われた。エメラルドグリーンを称えた見たこともないような美しい川と山々が描く、秘境。「将来子どもができたら、こんなところで暮らしたいなって思ったんです」。その地域こそ、三原村だった。

 

一生暮らしたい場所を見つける。

光男さんは四万十市で、その後、人生の伴侶になる宏美さんに出会う。「転勤の話も何度かあったのですけど、気に入りすぎて伸ばしてもらいました」。それでも転勤を免れず、10年後、宏美さんを連れて高知市へ引っ越すことになる。その後、結婚し双子が生まれた。マンション生活の日々を縫って、三原村に通い続けた。宏美さんの祖母が村で暮らしていたのだ。「ここで暮らしたい」という想いがそのたびに募っていった。

そんなときに知ったのが、三原村が募集していた「地域おこし協力隊」制度。最大3年間、村から給料をもらいながら地域活動に取り組む仕事だ。宏美さんも村役場職員の社会人経験枠に応募し、2人とも採用が決定。2017年、宏美さんの祖母が暮らす敷地内の家で、4人の新しい暮らしは始まった。

光男さんの協力隊のミッションは「村集落活動センター」のサポートだった。集落活動センターとは、高知県が独自に取り組む施策で、中山間地域の集落を守っていくために、住民が主体となって地域課題を解決したり、必要なこと・ものを講じたりする取り組み。光男さんは3年間、特産品を掘り起こすなど、地域のために奔走した。一方、家の周辺の田畑や山を管理。光男さんにとって、農仕事や山仕事も三原村でやりたかったことのひとつだった。

 

風景の豊かさから、こだわりが生まれる。

三原村が今、力を入れるのが米のブランド化だ。標高と美しい水を活かした三原米は、その食味のよさで高知県でも評価が高い。現在、村をあげて、農薬や化学肥料を抑えた特別栽培米「水源のしずく」の浸透を図る。

光男さん自身、米づくりに力を入れる。山深い地域に生きるからこそ、人と人とのつながりを大切にする。野山の旬が食卓に並び、昔ながらの食文化、風景を守りながら暮らす。暮らしの豊かさのベースになる、美しい自然。光男さんは、この風土がどれだけ尊いものなのか、外の目を持つからこそわかる。だから自ら、農薬、化学肥料未使用の米づくりを実践し、周囲にも少しずつ賛同者を増やしているのだ。

「自分で作ったお米を食べたとき、こんなおいしいお米を食べたことがない!って本当にびっくりしました。この地域の人たちが代々受け継いでいる、農期といった暗黙の決まりごとを大事にしています。その上で、三原の風景を今後も維持していくためにはどうすればいいか。そして、この村がずっと生き残っていくためにはどうすればいいか、できることをやっていきたいのです」

光男さんは、自分の意思で時間を組み立てる働き方を、すでに会社員時代からやってきた。子どもができたことで仕事の効率をあげ、定時に家に帰って家族と過ごした。三原村に移住し、生き方も変えた。晴耕雨読の日々を過ごし、できる限り自然に逆らわない。三原村に暮らし、抱いた理想の生き方は、この村だからこそできると実感している。

 

子どもも自分ものびのび育つ。

「子どもと遊ぶときは、近くの山で野イチゴとって竹筒の中で潰してなめたりしてね。家族でよく『しあわせ』って言い合うんですよ。食べものがとにかくおいしいし、見渡せばこの自然でしょ。暮らしに不満がないって最高ですから」

子どもが一人増えて、3姉妹になった。孫のようにかわいがってくれる近所の人たち、のびのびと育ててくれる保育園で大きくなり、2歳で三原村民になった双子の子どもたちはこの春、小学生になる。

光男さんが今後、実践していくことに掲げた屋号は、3姉妹の名前につくひらがなを組み合わせて「陽力組(ひりきぐみ)」と呼ぶ。宏美さんの祖父が50年前、「非力組」の屋号で山仕事をしたり、家の囲炉裏で宴会をしていたりしていたことへの敬意も込めた。

三原村に注ぐ“陽”のように、底抜けに明るく、パワーに満ちる光男さん。大切なこの村の風景を守りたい。その心からあふれる想いや行動力が、うつくしい村の未来を鮮やかに照らしていくだろう。

 

文:ハタノエリ 写真:徳丸哲也