生まれ変わる地域
岩手県沿岸地域の最南端に位置する陸前高田市。太平洋へと伸びる半島の一番先に、広田町という人口約3,100人の小さな漁師町がある。
北上山地に囲まれた自然豊かで穏やかな地域だが、東日本大震災発生時には太平洋と広田湾の両岸から津波が押し寄せ、甚大な人的、物的被害を受けた。震災から8年が経った今でも、街の至るところにその爪痕が残っている。
震災のイメージから、広田町は「被災地」というフィルターを通して見られることが多い。しかし、復興支援をきっかけにこの地を訪れた若い移住者たちの手で新しいチャレンジが活発に興り、地域の中と外との交流が大切に育まれてきた地域でもある。
地域活動の原動力を生み出す、特定非営利活動法人SETを訪ねた。
SETは、東日本大震災の数日後に、当時大学生だった三井俊介さんが立ち上げた団体だ。設立のきっかけは、震災の復興支援ボランティア。この地に拠点を構えてから今日に至るまでの約8年間、住民と共に復興と新たな時代の地域像を模索しながら、絶え間なく活動を続けてきた。
そのSETが特に力を入れて展開しているのが「民泊事業」だ。主に首都圏の小中高等学校に陸前高田市を修学旅行先として提案し、地域の一般家庭に学生を迎え入れ、農業や漁業などこの地でしかできない交流体験を提供する。
広田町は、少子高齢化と過疎化、そして、震災以降の転出超過によって毎年約100人ずつ人口が減っており、「50年後にはなくなるかもしれない」と言われている地域だ。
SETはなぜこの街で民泊事業を始めたのだろうか。
NPO法人SETの運営スタッフで、陸前高田市の民泊事業を一手に担う渡邉拓也さんに、その理由を尋ねた。
誰にでもできる「まちづくり」
「『まちづくり』という言葉に対して、『それは行政や街のほんの一部の人がやることで自分には関係ない』と感じて遠ざけてしまう人もたくさんいると思います。地域のヒト・モノ・コトを資源として捉え直し、外から来た人を受け入れもてなすことは、まちづくりのひとつの形です。民泊は、家と布団、車さえあれば、誰でもそうした活動の担い手になれます。民泊を住民一人一人が主役のまちづくりとして地域に広めていくことで、『まちづくり』のハードルを下げたいと考えました」
SETが中心となって始めた民泊事業は、陸前高田市役所、一般社団法人マルゴト陸前高田、株式会社And Natureの官民4団体が連携して取り組む事業に発展し、陸前高田市全体に広がった。
事業が始まって4年目を迎えた今、市内全体で105もの家庭が参加しており、受け入れ人数は年間5,000人を超えるまでになった。広田町はその3分のⅠの受け入れを担っている。
広田町でここまで民泊が広まった理由について、渡邉さんは、外から来る人に対しての寛容さがあると語る。
「震災後には、SETのメンバーをはじめ全国各地から多くの若者が訪れ、復興に向けて力を尽くしました。そうした土壌に加えて、SETが展開している「Change Maker Study Program(チェンジメーカースタディプログラム)」と「Change Makers’ College(チェンジメーカーズカレッジ)」という、若者を一定期間受け入れ地域の課題解決に取り組む事業を通して、人口約3,100人の街に年間200人以上の学生や社会人が絶え間なく訪れ、滞在しているんです」
「Change Maker Study Program」は、全国各地から集った大学生が広田町に一週間滞在し、他の参加者と地域住民と共に地域課題の解決に取り組むプログラムだ。フィールドワークを通して地域が抱える課題を把握し、それを解決する方法を考え、実行、発表するところまでを行う。運営スタッフも大学生で構成されている。
「Change Makers’ College」は、4ヶ月間の移住留学プログラムだ。過疎地域に一定期間移住することで、地域の方々と深く交流しながら地域課題にじっくりと取り組み、次世代のまちづくりにリーダーシップを発揮できる人材を育むことを目的としている。
地域住民にとってSETが展開する民泊やこれらのプログラムに参加する若い学生たちは、地域の未来を共に見つめてくれる心強い存在だ。学生から「広田町の課題をこんな取組で改善したい」、「実際にこんなアクションを取ってみました」と言われると、元々まちづくりに前向きではなかったり、関心がなかった地元の方も「自分たちも、もっと何か地域のためになることをしよう!」と、まちづくりへの参加に主体的になる。彼らを快く地域に迎え入れ、時には事業を超えて、深いコミュニケーションをとることもあるのだという。
「ある高校生が、民泊家庭での団らん中に『私は頭悪いから大学進学とか考えてないんだよね~』と、少し自虐的に将来の話をしたそうなんです。その話を聞いていたその家のお父さんが『自分たちは、大学に行きたくても金銭的な理由や家の事情で大学に行かせてもらえなかった。大学進学を希望していたのに、震災で断念した高校生もたくさんいる。行こうと思えばチャレンジできる環境にいるのに、なんでチャレンジしようとしないんだ!』と怒ったそうで。その高校生は、一晩悩んで考えた末、翌朝の朝食時間に『大学進学にチャレンジしてみる』と決意表明をしたと聞いています」
「僕なりの解釈ですが、きっとその子が普段所属するコミュニティーでは、大学進学を考えるきっかけになるようなコミュニケーションが、そもそもとられていなかったのではないかと思うんです。地域の方は、その子の普段の様子を知らない赤の他人です。でも、だからこそ、周囲も本人ですら気づいていない可能性に気付き、言葉にして伝えてあげることができたのだと感じます。滞在中に交わされる地域の方々とのやり取りやコミュニケーションによって、若い学生の人生の選択肢を広げることもできるんだと思います」
このようなエピソードは1つや2つではない。多様な人生経験を持つ地域住民が、都会から来た学生の人生にポジティブな影響を与える。そして、住民もまた、この地を訪れる若者の生き生きとしたエネルギーに刺激を受け、これから先も地域で生き、積極的にまちづくりに参加していく力を得ている。
誰もが参加できるまちづくりは、ひとづくりにも繋がっているようだ。
能動的に生きる先輩の姿に憧れ、移住
SETが生み出す好循環は、地域住民や民泊を利用する学生の間だけに留まらない。運営メンバーである渡邉さん自身もSETの活動に参加し、生きる手ごたえを得た人の一人だ。
渡邉さんとSETと広田町との出会いは2015年。大学2年生が終わろうとしていた頃だった。
「大学に入学してから2年生の頃まで、飲み会やカラオケ、スケボーなど遊びに時間を費やすことが多かったんです。その時その時は楽しく感じているんですが、そんな日々が続いて行くことにいつもどこかで虚しさを感じていました。『自分はなぜ、何のために大学に通っているのか?』その意味を考えるようになったんです」
そんな折、当時勤めていたアルバイト先の先輩に、SETが展開する「Change Maker Study Program」を勧められ、第5期生としての参加を決める。
全く知らない街で初めて出会う大学生と共に、広田町が抱える課題の解決策を考える一週間を過ごした。
「良いアイデアを生み出すためにそれまで以上に自分自身と向き合い、他者とも深く関わり協力し合って、とても濃い時間を過ごすことができました。そして何より、同じ志を持つ仲間と一緒に一つの事に熱中して取り組むことが、自分にとってとても心地の良いことなのだと気付くことができたんです。何の目的もないまま、ただ過ぎていく日々に感じていた物足りなさがそこで満たされた気がしました」
一週間という短い期間だけではなく、これから先もずっと広田町に関わりたい。そう考えた渡邉さんは「Change Maker Study Program」の運営に学生スタッフとして携わることを決めた。地域に通い続けること1年。大学3年生が終わる頃には、広田町への移住を考え始めていた。
移住を決意する決め手になったのは、SETで活動し、主体的に人生を切り開く先輩移住者たちの姿だった。
「終身雇用の前提が崩れ、働き方も生き方もどんどん変わって行く中で、就職できずに自殺をする人の話やブラック企業で心身共に疲弊する人の話、あとは街で見かけるつまらなそうな大人たちの姿。それらを見聞きしているうちに、社会人になることや社会に出て働くことに対してネガティブなイメージを持つようになっていました」
「でも、SETの先輩移住者たちは、自分が本気でやりたいことやチャレンジしてみたいことに挑み、色々な苦労をしながらも生き生きと目の前の課題に取り組んでいました。そして、仕事もプライベートも両立させて楽しそうに生きていました。その姿に『こんな社会人もいるんだ、自分もそうなれるんだ』と憧れを抱くようになったんです」
誰かにさせられる仕事や不本意な生活ではなく、自分の意志で選択し、自らの力で切り開く人生を選びたい。
渡邉さんは大学卒業後すぐに、東京から広田町へ移住した。2017年の春のことだった。
移住して2年目の春を迎えた渡邉さん。移住前と移住後でどのような変化があったのかを聞いてみた。
「学生時代は、東京から車で7時間かけて広田町まで通っていました。だから、市内の30分だけの移動を面倒に思う地元の方の感覚がよく分からなかったんです。でも、実際に移住して広田町という範囲で仕事や生活をはじめると、その感覚が分かるようになりました。広田町の人間に近づけているのかもしれません」
互いの存在が力になる地域カルチャーの魅力
広田町の何がそこまで人の心を掴むのか。渡邉さんは主に2つの理由があると語る。
1つは、人口が少ないからこそ、地域貢献活動を通して「自分が行動を起こすことで、街にポジティブな影響を与えられる」という主体的な実感を得やすいことだ。そして、活動する度に地域住民との新たな繋がりが生まれ、その関わり方も次第に深くなる。そうすると、「地域のため」はもちろん「この人のために何かをしたい」という強い気持ちが生まれてくるのだと言う。
2つ目は、SETの存在だ。SETはその活動ビジョンに「一人一人の『やりたい』が『できた』に変わるまちづくり」を掲げている。単に社会貢献活動を行うだけではなく、携わるメンバーそれぞれが活動を通して、自分が本当にやりたいことや本気で目指したい自分の姿に気付けるよう気を配ることで、社会貢献と自己実現との間に心地良い循環を生み出しているのだ。
「SETのメンバー同士は単なる仕事仲間というより、人生のビジョンを共にして互いに互いを助け、深く付き合っていく存在です。それはSETのメンバー間だけでなく、広田町の人たちとも同じなんです。お互いを受け入れ、欠かせない存在として影響を与え合いながらまちづくりにチャレンジしていく。そういう組織文化や地域のカルチャーに惹かれる人たちが、ここには集まってくるんだと思います」
次の時代も力強く生き残っていくために
広田町をどのような地域にしていきたいか。渡邉さん自身が見据える地域の未来像を尋ねた。
「地域の中で新しいことにチャレンジするのは大変なことです。地域の方々の同意を得ずに新しいことに挑戦しようとすると、村八分になってしまう可能性もあるし、事業を興しても地域住民からの継続的な協力が得られず、結局頓挫してしまうことも考えられます」
「SETが地域で初めて民泊事業や『Change Maker Study Program』を始めた時、周りからはどうせ無理だと言われることが多々ありました。でも、あきらめずに一人一人が本気で取り組む姿勢を見せ続けた結果、活動に共感し、応援してくれる人たちが次第に増えて行ったんです」
「本気で取り組む姿勢を見せる」という言葉の通り、渡邉さんは修学旅行の受け入れ当日の司会、入村式や離村式の運営、週に1度行われる市全体の受け入れ体制整備の会議など、多くの業務を自ら担い、チャレンジする姿勢を示し続けている。今では、広田町の民泊は渡邉さん無しでは成り立たないと言われるほどだ。
民泊は、受け入れ家庭と事務局の信頼関係があってこそ成り立つ。登録家庭に定期的に顔を出すことも欠かさない。
「地道に一軒一軒を回り、住民一人一人としっかりコミュニケーションをとる。そうして蓄積していった信頼によって『あなたが頑張っているから私もやるよ』と、登録してくれる家庭が増えたり、民泊に対する町の人の考え方が深まったりすると思うんです」
「これからも続くSETの『まちづくり』と『ひとづくり』チャレンジを、もっと多くの地域の方々に『一緒に取り組みたい』と言ってもらえるようにしていきたいです。特に民泊事業を通して、地域住民一人一人がまちづくりの担い手だという認識を持ち、実際の活動を通して『やりたい』と思うことは誰でも『できる』のだという実感を皆が持てる街にしていく。それが生き生きとしたまちづくりに繋がるということを体現し続けたいです。それは、広田町という地域が次の時代でも力強く生き残っていく上で、すごく大切なことなんじゃないかと思います」
広田町には、今年も首都圏からたくさんの修学旅行生が訪れる。修学旅行で広田町を訪れた学生が大学に進学し、SETの活動や広田町のまちづくりに参加したいと連絡をくれることも増えてきたという。
地域が前に進もうとする力と、若者が自らの人生を切り開こうとする力。SETが両者を繋ぐことで、人と人とのあたたかい交流の中で相乗効果が生まれ、誰もがより良い未来に向かって力強く歩み出す。
広田町には、人口減少社会を迎えた日本の地域が理想とする、街と人の姿がある。
(文・写真:一般社団法人いわて圏 写真提供:特定非営利活動法人SET )
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