「移住する前、まちのどんなところを見ればいいですか」と訊かれることがある。私は断然、まちにあるカフェを見てほしい。
実際に暮らす人々が行き交うカフェには、 そのまちの物語と時間が蓄積される。ここ 「山の上のロースタリ」は、岡山県瀬戸内市へUターンした木下尚之さんがはじめた培煎所があるカフェ。このカフェの成り立ちを知ると、このまちに移り住む理由がすんなり見つかるからだ。
文・編集:アサイアサミ 写真:加藤晋平
Uターンは夢を叶える手段だった
室内にはあえて照明を設えない。「自然の光で、瀬戸内海を楽しんでほしい」と木下さん。季節の移ろいが感じられる最高の環境。
イギリス、東京、京都、経由
風光明媚な瀬戸内海を有する瀬戸内市牛窓町。海と山の恩恵を受ける港町はとても暮らしやすい。瀬戸内海のそばで日常を送れる魅力は、近年移住者が増えていることからも計り知れる。
このまちで生まれ育ったのが木下尚之「さん。瀬戸内市邑久町にある「キノシタショウテン」をはじめ、岡山県内5店舗一のカフェ経営者だ。今回訪れたのは最近オープンした「山の上のロースタリ」(以下ロースタリ)だ。牛窓を一望できる高台にある「牛窓オリーブ園」、展望台2階の隠れ家のような扉を開くと目前に、息を呑むほど美しい瀬戸内海の風景。カウンターに座って、スペシャルティコーヒーがもてなされる。ここは心が踊る、特別な空間だ。
実は筆者と木下さんは旧知の仲である。筆者が移住の下見で来岡したとき、「キノシタショウテン」で出会った。田舎一のスケールに恐れおののいていた東京モンは、おいしいコーヒーと北欧のあしらいを見て、不思議と「ここで暮らしていける」と思えた。インフラや仕事、家よりも、見知らぬ土地に豊かな文化が根付いていることに勇気づけられたのだ。
そんな「キノシタショウテン」をつくった木下さんは、地元の高校を卒業後すぐにイギリス留学した強者だ。「一刻も早く外に行きたくて。地元はもとより日本から出たい。まわりが大学を目指すなか、ずっと同じレールの上を走り続けるのは難しかったです」と当時のことを話してくれた。
帰国後、東京でコーヒーや焙煎の勉強をはじめた。のちに料理とパンの修行をするため京都へ。まちからまちへ移り住んでいくなかで幻歳のとき、京都の地で自分のお店を開こうと思った。しかしツテと余白が見つからず出店は頓挫。
「故郷の親に相談したところ『どうせお店をやるなら、自宅も兼ねて、地元に建てれば』と。そのときの僕は、自分の店を持つことが最大の夢でした。その夢を叶えるために、岡山へ戻ることにしました」。つまり「帰りたくなかったけれど、帰ってきた」のが正直なところだった。
カウンターから見える瀬戸内海の風景。天気の良い日は、東に明石海峡、西に小豆島が見える。箱庭のように牛窓町の街並が見えるのも魅力。
地元に愛される店づくり
2008年、故郷に戻ってきた木下さんは焙煎所を併設したコーヒーショップを持つために奔走。出店しようと思っていた故郷の牛窓町は過疎化が進み、コーヒー豆を売る店をやるには人口が少なすぎた。いくらお店を持ってもお客さんが来なければ意味がない。そこで瀬戸内市の中心地である隣町の邑久町に土地を購入。2010年、キノシタショウテンを開店した。
「当時、岡山県全体でも今のニーズに合う焙煎をしている喫茶店やカフェは少なかった。僕は豆を売りたくてカフェをやる前提で、最初の頃は焙煎機があるお店を、地元のお客さんはびっくりして見ていました」
焙煎したての豆を一杯ごと挽いて、丁寧に淹れる。センスのいい調度品で囲まれたお店はまちの人気者に。都会にあっても不思議じゃないクオリティでありながら、おばあちゃんから赤ちゃんまで、まあるい笑顔でくつろいでいるのがキノシタショウテンだ。
「僕は、自分の好きなものとお客さんの好きなもの、半々くらいお店に置こうとコンセプトしました。最初の頃、瀬戸内の人たちは北欧ものを知らなくて『なにこのでっかい柄!』と言われたりしたけれど(笑)、たとえばウェッジウッドなどお客さんが知っている良いものも置くことで、見知らぬ僕の好みも『知らなかったけどいいかもしれない』と興味を持ってもらえました」
寄り添いすぎず、尖りすぎず。キノシタショウテンとお客さんが織りなす、日常から地続きの非日常は、都会にはない文脈のカフェを育てていった。
「山の上のロースタリ」では、豆ごとに最適な方法でコーヒーを淹れる。
木下尚之 Naoyuki Kinoshita
焙煎士、「キノシタショウテン」オーナー。1980年、岡山県瀬戸内市牛窓で生まれ育つ。高校卒業後、イギリスへ留学。東京や京都で飲食店勤務などを経て、2008年、Uターン。現在、岡山県下に「キノシタショウテン」をはじめ、カフェ5店舗を経営。
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