穏やかな瀬戸内海と山の裾野に広がるノスタルジックなまち並みを有する尾道は、映画の舞台になるほど絵になる美しいまち。そんな尾道も時代の移りかわりとともに、まちの状況は地域過疎、少子高齢化、大都市一極集中の波に飲みこまれていきます。2000年代には空き家の数が数百件に及び、まちの空洞化が社会問題に。
そのさなか、2012年、尾道のまちに生まれた会社が「ディスカバーリンクせとうち」です。地元で危機感を持つ異業種のメンバーが、尾道の可能性と向き合って、新しい事業と雇用を生みだすために設立されました。
尾道というまちの特性を活かした事業と雇用を創出するミッションのもと、「せとうち 湊のやど」という古民家を再生する事業からはじまって、サイクリストにフレンドリーな複合施設「ONOMICHI U2」のプロジェクト、「尾道デニム」、「尾道自由大学」など、尾道の魅力を発見する事業を数多く展開しています。
▲歴史ある建物を建築家の手により再生した「せとうち 湊のやど」。
▲しまなみ海道の本州側起点である尾道の、地域ならではのモノコトが集まる複合施設「ONOMICHI U2」。サイクリストの憩いの場としても。
▲尾道を舞台に働く人々が持つ、それぞれの個性と物語が刻みこまれたユーズドデニムを販売する「尾道デニムプロジェクト」。
尾道の人々はもちろん、訪れる国内外の観光客をワクワクさせてきたディスカバーリンクせとうちが始める、新たなプロジェクト「LOG(ログ)」。今回、ここで一緒に働く仲間を募集します。
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尾道・山の手の「奇跡の物件」をまちのアンカーに
まず、「LOG(ログ)」とはどんなプロジェクトなのでしょうか。「LOG」プロジェクトの事業責任者である吉田さんにお話を伺います。
▲「(株)se-ed」の代表取締役社長の吉田挙誠さん
これまでの観光にくわえ、海と山がある尾道で、海側の賑わいを「ONOMICHI U2」が担い、今や年間20万人が訪れるランドマークに。いままでまったく人通りのなかった倉庫街に、”サイクリング・建築” というキーワードでまちの文脈に組み入れたことで、海外をはじめ、10代から40代の幅広い層に新たな賑わいができました。
「もっと歩いてほしい。このまちの『日常』を伝えたい」
こうしてディスカバーリンクせとうちが “山側の賑わい” をつくることに着手。そのアンカーとなる場所が「LOG」です。
▲千光寺新道(photo-Tetsuya Ito/by courtesy of DISCOVERLINK Setouchi)
千光寺のお寺巡りの下山ルートになっている千光寺新道。映画やCMの舞台になる ”尾道といえば ” あの坂道です。その中腹にある、尾道の山側にはめずらしい鉄筋コンクリート造の集合住宅。観光動線にありながら、ここ数年間は利用されていませんでした。それが「LOG」の舞台です。
日本の戦後高度成長期につくられたこの建物は、車も重機も入らない狭い尾道の山の中腹に、人力のみで作った鉄筋コンクリート造の建築。まさに「奇跡」と呼べる建物でした。もうできない。もう二度とない。ぜったいにない。こわせないし、つくれない。
▲photo-Tetsuya Ito/by courtesy of DISCOVERLINK Setouchi
「今、残っている尾道のまちの様子を伝えるためにその建物を開こう。まだまだ空き家が多い斜面地、まずここが開かれた場所になるようリノベーションし、この場所を活用することを決めました」と吉田さん。
まず、場所ありきで始まったプロジェクト。2014年にプロジェクトがスタートし、本格始動したのが2年前。インドの建築事務所「スタジオ・ムンバイ」に建築を依頼。伝統的な技術を用いて、建築家と職人たちが協力してものづくりする手法を採用するビジョイ・ジェイン氏と、これから50年後、100年後に残せる建物をつくることを決めます。
「スタジオ・ムンバイのビジョイ・ジェイン氏も、自分のまちであるインドで、地域のクラフトマンたちを雇用しながら自分たちでものづくりをしています。だからこそ、地域に残り、美しい。伝統工芸に固執しているわけではなく、いまある環境のなかで合うものを哲学的に考えながら、ビジョイさんは “PRAXIS(実践・検証)” をしていました。」
スクラップ&ビルドが主流の日本社会のなかで、尾道という場所で、車も重機も入らない山側斜面地でリノベーションするという難しいことにチャレンジしながら、地域に根ざしたものをつくりたい。その考えを表現するためには、「スタジオ・ムンバイ」そしてビジョイ・ジェイン氏の考え方や手法が必要だったといいます。
▲ビジョイ・ジェイン氏(photo-Tetsuya Ito/by courtesy of DISCOVERLINK Setouchi)
「スタジオ・ムンバイ」が関わることで、国内はもとより世界的注目度がグッと増した「LOG」。
LOGは宿泊施設だけでなく、カフェ、ダイニング、ギャラリー、体験イベントや建築ワークショップもあり、陶芸作家やクリエイター、料理家、家具や和紙などの職人が多数参加しながら、”LOGの空間づくり” を進めています。
「山に灯かりをともすことで、自然発生的に明かりがまたひとつ、ひとつと増えていき、山の手が復活してほしい。そして、「LOG」を通して新たな文化が創出され、尾道にまた新しい賑わいができるのではないかと思います」
だからこそ、言葉で表現することが難しい場所になっていることも確かです。
▲photo-Tetsuya Ito/by courtesy of DISCOVERLINK Setouchi
「ビジョイさんともいつもその話をしていて、『僕たちはホテルをつくっているんじゃないよね』と。ビジョイさんいわく『シアター』だって言うんですが、またこれは話がややこしくなりますけど(笑)僕らとしては、複合施設という言葉にもおさまらないし、コミュニティスペースだけでもないし、マルチパーパススペース(多目的スペース)や多目的施設になるのかな?
外から宿泊しにくる観光客目的のお客さまもいれば、近所のひとがお茶を飲みに来てくれる、その場で働いているひともいるし、イベントも行われている。なにかしらの体験と経験を残していく。LOGの中でそんな毎日がつくれるといいね、と話しています」
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夢を叶えるために「移住」して働くという選択肢
ワクワクとおどろきと不思議が飛びかう「LOG」。どんな人材を求めているのでしょうか。
「主な職種はフロント、ショップなどのホテルサービス部門とカフェやダイニングのFood&Beverage部門です。この2つの軸が僕らにとって必要な人材です。
地元の雇用を創出するのがディスカバーリンクせとうちのミッションであり、「ONOMICHI U2」の場合は実に8割のスタッフが地元採用です。しかし、プロジェクトの立ちあげ時は、様々なスキルが必要だといいます。
「スタジオ・ムンバイに建築を依頼している関係で、国内より国外でのざわざわ感が大きくて、スタジオ・ムンバイが宿泊施設をつくるんですか?と世界中から問い合わせが来ます。このように、宿泊客は海外の方が多いと予想されるため英語を話せるスキルも必要です。
さらに接客用語だけではなく、建築のこともよく訊かれると思うので、そのへんも柔軟に話せる人材。でも、そういうひとは、やはり地元だけで探すのは実に大変です。私達のプロジェクトに興味を持っていただき、移住して参加していただける方がいらっしゃれば、それも嬉しいです」
そう話す吉田さん自身も “ターンズ” だといいます。
「生まれは神戸で勤めが東京でした。21歳で上京して4年ほど仕事をしました。都会はスキルアップを目指して働いているひとが多かった印象です。地方は、地域で『働く』ことに対して、すごく温度差があります。モチベーションが高くなければ、どんな仕事でも続かないと思いました」
そしてもうひとつ。ここで働く上では、コミュニケーション能力が高いことも重要です。
「会社ですし、主軸となる仕事をしていただきますが、LOGを運営する中で、自分の業務外であっても『自分はなにができるのか』『どうチャレンジしたいのか』を持ってほしい。LOGの仕事を自分ごとにできる人がいいですね」
LOGで仕事をするなら、会社で業務をただ全うするのではなく、”まちで仕事をする” という意識が必要なのかもしれません。
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ここは、まちに良いことを事業化する会社。
「我々が一緒に働きたいと思うのは、失敗を恐れず、チャレンジするひと。ディスカバーリンクせとうちで働く上で、すごく大切な考え方です。せっかくうちの会社に入ったのであれば、なにかぶつかっていくのが仕事じゃないかなと。
一緒に長く仕事ができるひとがベストですが、こんな時代なので1年間とか期間限定でも構わないと思っています。まあこんなことを言うと、会社としては困りますけど。まちとしてはありかなって(笑)」
▲「LOG」プロジェクトの打ち合わせの風景
「移住してきたら副業という形でもいいので、お店を持つなど、まちになにかしら賑わいを与えてくれたら嬉しいですよね」と吉田さん。
仕事をしながら、でも自分の夢をもって、このまちで何かをきっかけにして形を残してほしい。短い期間でも一緒に共創できたら、きっとこの先にもプラスになることが、関わる中でたくさんありそうです。
「このまちで、ひととつながるための時間を有意義に使ってほしい。その時間を咀嚼して解釈して、このまちにとって何が必要なのか、考えながら働けるひとがいいです」
50年、100年残るものをつくることが目的であるディスカバーリンクせとうちは、事業性を担保しつつも、まちに寄与できる仕事を、人を。そして、支えあえるまちづくりをしたい。そんな思いをこの人材募集に込めているそう。
「まちの良いことが1番、事業はその次。まちに良いことを事業化していくのが仕事ですから」
一緒にLOGで働く予定の中尾早希さん。LOGが開業したら、どんなことをしたいかを伺うと「LOGの風景をつくり出したい」と目を輝かせます。
「たとえば、ビジョイさんから『シアター』というインスピレーションを受けているので、開業時は映画のイベントをやりたいと思っています。インドの楽器の音楽が流れていたら面白いんじゃないかなぁとか。
山側に暮らしている地元のおじいちゃんたちが、LOGにさらっと入ってきて、庭で囲碁を打つようになって、そのうち囲碁の教室がはじまったり。日常的な暮らしの延長線上にある特別を楽しみたいです」
「あそこに行ったら、つねに面白いことが起こっている、そんな場所にしたい!」と中尾さん。中尾さん自身、進学で上京後、Uターンし尾道のまちなかに暮らしています。因島の農家さんに頼まれて名刺をつくるお手伝いをするなど、仕事と暮らしの垣根を低く、地続きになるような生き方を実践しています。
▲「LOG」のプロジェクトメンバーの皆さん
「自分の暮らしかたをLOGで投影できるように働けるといいですね。やりたいことを実行するために計画ができたり、夢を実現するためにわくわくしながら取り組めるひとと一緒に仕事がしたいです。今の所、スタッフの男女比としては女子が多いので、女の子なら楽しいですし、男性だったらモテます(笑)
本当に楽しんだもん勝ちだと思います。やりたいことがあったら、企画書作って予算とって、はい実行って!役割で自分のやることを制限したらもったいない。会社自体が、まちにとって良いことをやりたいと思ってやっている会社なので、個人でもそうあるべきだなと思います」
”ここで自分の人生を賭けてみよう。それくらいの気概で来てほしい。”と、言いきる吉田さん。
「それくらい、充実した仕事ができるまちです。この会社の根幹には『地元の雇用を創出する』という理念がありますが、立ちあげ当初はたくさんの方のアイデアや熱量をお借りしたい。それを一緒に積みあげていく。一緒に成長していくことが、会社の宝だと思っています」
▲可能性しかない、建築中の「LOG」
ただ、「われこそは」と立ちあがる前に、「住まい」のことではこんな注意事項も。
「このまちをみていると、近年すごく移住者の方が増えました。募集を出してなくてもダイレクトに連絡してくださる方もいて。我々も率先して採用するのですが、2、3ヶ月でご縁が切れてしまうこともあるのがこのまちの現実です。
家がないんです。みなさんが想像しているような『きれいな』家が。尾道の今の空き家事情と移住者が想像するところの乖離があります。施設は古いですし、田舎なので虫もたくさんいます。草抜きだってしょっちゅう必要。都会暮らしはできないのが現実です。だから『暮らしが落ち着かない』という理由で尾道を離れてしまいます。
でも、『だからこそ』尾道は面白いと考えてほしい。冒険心、チャレンジ精神があるひとのほうが、このまちは楽しめる。
▲それぞれが考える「LOG」の絵(photo-Tetsuya Ito/by courtesy of DISCOVERLINK Setouchi)
移住を真剣に考えている。このまちで生きる痕跡を残してくれるためのきっかけに、『LOG』で挑戦してくれるひとを募集します」
ディスカバーリンクせとうちは、みんなが夢を賭けて「働ける場所」をつくっている最中です。まちのひとはみんな明るくおおらかで、商人の港町らしい開かれた人柄です。暮らしていくまちとしては、本当にいいまちだと太鼓判が押せます。
そして、尾道が大好きなまちのひとが大事に育んできたまちを、大好きになるひとに「LOG」をつくってほしい。
あなたの人生を、ここ尾道でディスカバーしてください。
文:アサイアサミ(ココホレジャパン)写真:松尾浩靖