多様さと日常的に隣り合う
〝ごちゃまぜ〟の街をつくる。

【石川県金沢市】Share金沢




障害者、高齢者、大学生、学童、地域の人。
立場や世代の異なる人々が、分け隔てなく混ざり合う街。
一からコミュニティをつくり上げたこの街で見つけたのは
〝お互い様〟をつくりあう、懐かしくて新しい関係性だった。

コミュニティ形成のモデルとなった〝一からつくられた街〟

「生きたコミュニティをつくりたい」それは地域づくりに関わる誰もが一度は思い描くテーマではないだろうか。建物をつくったり、イベントを企画したり。今ならオンラインでの試みもある。あらゆるアプローチやアイディアで、日々猛者たちがこの課題に取り組んでいる。

しかし同時に「コミュニティを生き生きとした状態に維持し、そして発展させること」、口にするのは容易いこの命題を実現することはとても難しい。

建物ができて目新しいうちは人が集まっていても、数年後には閑散としていたり、多くの労力をかけてイベントを行っても、一過性のものに終始してしまったり。コミュニティとしての形は残っていても、形骸化しているケースもある。

人の気持ちが動く〝生きた〟コミュニティを持続させる秘訣はないか。多くの人々がそのヒントを求めて訪れる場所が、金沢市若松町にある「Share金沢」だ。

「私がつくるまち」をテーマに掲げ、二〇一四年にオープンした総合福祉施設「Share金沢」は、もはや〝一つの街〟である。

約一万一千坪という東京ドームにも匹敵する広大な元国立病院跡地内には、障害児入所施設やサービス付き高齢者住宅、学生住宅といった住居から、学童保育、天然温泉に飲食店、ライブハウスに運動場、さらにはクリーニング店からボディケアまで、様々な施設・機能がこのエリアに混在している。

運営母体は「佛子園」という社会福祉法人だが、Share金沢には福祉業界のみならず、医療や建築・まちづくりなど様々な分野からの視察申し込みが絶えず、これまでに約五万人が訪れている。あまりにも視察が多く職員が対応しきれないために、現在は旅行会社を通したパッケージツアーになっているほどだ。

更地に一から街をつくる、それも〝生きた街〟を。その難題に挑み、見事にその景色を見せてくれているShare金沢を訪ねた。

突発的なイベントではなく、日常的に混ざり合う場を

「福祉の世界に限ったことではなく、似たような属性の人だけで固まるということが、日本のあらゆるところで起きています。そういった、色んな意味での〝縦割り〟を壊していこう、様々な立場の人が〝ごちゃまぜ〟に関わり合える場所をつくろう。そういう想いが私たちの根底にあります」。こう話すのはShare金沢・施設長の清水愛美さん。新卒から佛子園で働き、現場で経験を積んできた。

佛子園が、法人として社会に開いていくようなコミュニティ展開に方針転換をしたのは、今から約十五年前のある出来事がきっかけだという。

当時から障害児の福祉事業を行なっていた佛子園は、障害がある子どもたちが園を卒業した後の居場所としてグループホーム建設を企画したところ、町内の住人から反対意見が巻き起こった。「障害のある人が社会に出て活躍するという理念は素晴らしい。けれど、うちの町内だけには来ないでほしい」という、ある種切実な声だった。

「その反応は私たちにとって意外なものでした。それまでにも収穫祭やコンサートなど、様々なイベントを法人として長年開催していて、ご近所の方をはじめ、一日で何千人もの方が来てくださり、皆さんとても喜んでくださっていました。障害者理解は進んでいると思っていたけれど、それでもこういう結果になった。つまり、法人の理解にはつながっても個々人の理解までには至っていなかったんですよね。これは私たちとしても考え方自体を変えないといけないと」

そこで、イベントのような突発的なものではなく「日常的に人と人とが関わり合える場所をつくろう」というテーマのもと、佛子園は方針転換の舵を切った。

「人が成長していく上で、いろんな人たちとの関わりは絶対に必要です。障害者だからといって、職員や先生といった固定化された関係だけではなく、多世代の方、福祉とは全く関係のない方の価値観の中で揉まれながら成長していくことが、健全ではないかという想いもありました」

そこに住む人と外からやってくる人と

金沢市街地から卯辰山丘陵に沿うように伸びる緩やかな坂道を走ると、右手に現れるひと区画がシェア金沢だ。

外来者を迎え入れるように開けた駐車場、そして木造を基調とした建物には威圧感がない。街へと導くなだらかなアプローチからは、地域とのつながりを歓迎する姿勢を感じさせる。

地方創生の一環として国が推進する「生涯活躍のまち(日本版CCRC)」には「施設型」「エリア型」「タウン型」といった分類があり、Share金沢のような限定的な地域を対象として、その地域内への集積を想定したものは「エリア型」に該当する。Share金沢以前にも、同じく〝ごちゃまぜ〟をテーマに佛子園がつくった「三草二木 西圓寺」は「施設型」で、街自体を一から建てるという大掛かりな計画はShare金沢が初の試みだった。

ここには障害児や高齢者、大学生のための「住居」が併設されていて、〝二十四時間住んでいる人がいる〟という点もこれまでの通い型の施設との大きな違いと言える。

「サービス付き高齢者住宅(サ高住)」はShare金沢内に三十二室あり、現在もほぼ満室。宣伝は一切行っていないにも関わらず、問い合わせが絶えない。

こちらに一年前から入居している宮村さんは九十三歳。「主人が亡くなって、一人になったとき『老人ホームは嫌だ』と言い張る私のために、孫が見つけてきてくれて。ここは本当に良いところよ。今私が住んでいるのは学童保育(ガイア自然学校)の向かいの部屋なんだけど、子ども達の賑やかな声が聞こえてくるの。世間では〝子どもの声がうるさい〟なんて言う人もいるらしいけど、私にはこの声が嬉しくて」

また、天然温泉や飲食店はいつも清潔感があり、全体としてリーズナブルな価格設定がなされている印象を受ける。外からの来訪者を招く求心力にもなっているこちらの人気施設は、障害を持つ方々の働く場となる「就労支援」として行なっているため、ビジネス単体として採算を取っているわけではないというのもひとつの知恵だ。

ゆるやかに関わり合いを促す空間

敷地内には、国立病院時代から受け継いだ大樹がいたるところに植わっている。雑木林は学童保育に通う生徒たちにとって格好の遊び場となり、テラスに揺れる緑は住人の目を癒している。

「建物を主とせず、人の暮らしを主として考えることは、うちの理事長のモットーのひとつです。Share金沢の建築には『パターン・ランゲージ』の思想が取り入れられていて、水の音がする、陽だまりがあるといった、〝人が心地よいと感じる景観〟を考えて設計されています」と清水さん。

また、施設内には広々とした市道がぐるりと一周通っているが「実は脇に伸びるこの小道こそが、シェア金沢にとっての〝メインストリート〟なんです」。住居をつなぐ生活通路である小道は各施設へのショートカットにもなっていて、住人のみならず様々な人が通る。しかしこの道幅、かなり狭い。「こんなに細いと挨拶しないと、もしくは譲り合わないと気まずくて通れないでしょう」と清水さんは微笑む。

さらに学生住宅には洗濯機置き場がない代わりに、施設内のコインランドリーで使用できるプリペイドカードが支給されたり、部屋に浴槽がない代わりに天然温泉の利用が入居者は無料だったり。このように、人と人とが自然に関わり合うことを促すアフォーダンスが、この街の随所にさりげなく配されている。同時に、個別のプライベート空間は離れて設けられており、他者との距離感が絶妙だ。設計は金沢の建築事務所「(株)五井建築研究所」で、二〇一四年のグッドデザイン賞も受賞している。

お互い様の関係性が〝居場所〟 をつくる

しかし、こうしたハードの整備だけでコミュニティが自然発生し展開して行くかというと、そう単純な話ではない。

「例えばShare金沢の天然温泉。様々な世代の人に好まれる温泉は、日本人にとっての〝キラーコンテンツ〟であることに間違いありません。しかし、温泉があるからといって、勝手に〝ごちゃまぜ〟になるかというと、それはまた別の話です」

そこには日頃の細やかな配慮や仕組み、そして意識のメンテナンス作業があるという。

「皆忙しいですから、放っておくと自分の仕事や目の前のことだけで目一杯になる。これはとてもよくあることです。だからこそ 〝つなぎ合わせわせよう〟と日々意識することは、スタッフ間で大切にしていることのひとつです。例えばテナントさんが集まる定例会で『最近敷地内の草刈りが大変で……』と呟いてみたり。すると『草刈り大会』なるものがテナント合同で開催されていたりします(笑)。そういうちょっとしたきっかけを、スタッフが街の黒子として提供するようにしています」

そして、今度は「地域」と「施設」をいかにつなぎ合わせるか、という工夫。Share金沢はもともと病院だった区画ということもあり、ともすれば〝地域から隔絶したエリア〟という風にも捉えられがちだ。だからこそ意識的な断絶を防ぐことが重要になる。

その一つに〝お互い様の関係をつくりだすこと〟があると清水さんは話す。

「うちの天然温泉は田上二丁目の住民の方は無料で入浴いただけることになっています。すると、あるときから『いつも世話になっているから』と住人の方が年末に大掃除をしにきてくださるようになったんですね。気づいたら板塀を塗ってくださったり、草を刈ってくださっていたこともあります」

人は本来 〝与えられるだけ〟だと居心地の悪さを感じる生き物だ。「支援される側/する側」「サービスを提供する側/される側」といった一方通行の関係性ではなく、「あげたらもらう、もらったらあげる」その時々によって自在に立場を入れ替えてきた。それによって人は「自分はここに居ていいんだ」という安心感を覚え、そしてそこが〝居場所〟になる。「そういうことも含めて『みんなでシェアしていきましょう』というのがShare金沢の理念なんです」

タテ・ヨコ・ナナメの関係性で、コミュニティに〝強度〟が生まれる

取材に訪れた日、十四時を過ぎると突然小学生が涌くようにやってきた。彼らはテナントとして入居する「ガイア自然学校」で学童保育を受ける児童たち。ランドセルを置いて着替えるなり街に勢いよく飛び出していく。

「学童の生徒達は、Share金沢の中ならどこでも遊んでいいことになっています。ときには高齢者住宅のベランダで勝手に遊んで叱られたりも(笑)。でも、それも子ども達にとって良い教育だと思うんですよね。現代の子は〝近所の人に叱られる〟という経験がほとんどありません。だから『悪いことをしたら叱って下さい』とこちらからもお願いしているんです」とガイア自然学校スタッフの岩野さん。

オープン当初からシェア金沢に入居する「ボディケア ゆらり」の店主吉原さんは「街の住人であること」を常に意識しているという。

「施設職員じゃない第三者がこの街にいるからこそ話せることや、一息をつけることもあると思うんですね。また、私たちのように直接からだに触れる仕事だからこそ気づける細やかな変化があったりする。街の人の目は、多様であればあるほど良いですよね」

入居者やテナントが〝ごちゃまぜ〟なら、職員もまた多様だ。Share金沢のスタッフには福祉とは全く関係のない学部を卒業した新入社員や、地域づくりに関心をもって他業種からやってくる人も多い。

現在就労支援を担当している舘さんは広告代理店からの転職組。

「何かを考えたり企画するという意味では、そんなに変わらないかなとは思っています。ただ、ここの世界では〝うわべ〟が通用しない。これまではスキルやお金で繋がっていた人間関係が、ここでは信頼関係で繋がっている、それはひとつ大きな違いかもしれません」

また、発達障害児のサポートをしながら、施設内の飲食店「YABU丹」で働く波佐谷さんは神奈川県の出身。温泉から上がってきた利用者に「温まりました?」とにこやかに声をかける。

「横浜で暮らしていた時は、マンションの隣人が誰かも知らない環境が当たり前だったので、街の人みんなが顔見知りという今の暮らしが新鮮で。飲食店は地域とShare金沢との接点でもあるので、他人行儀なマニュアル対応ではなく、つながりが生まれるような接客をいつも心掛けています」

縦だけでも、横だけでもない。直接関わり合いがあるかないかを抜きにしても、同じ街でなんとなく隣り合い、気配を感じ合いながら暮らすいうこと。人という点が多様であればあるほど、そして関係性が多方向であればあるほど、コミュニティは複雑に編み上がっていく。この街の日常がそのことを教えてくれている。

コロナ禍でも変わらぬ佛子園の哲学

「今日も法要で、さっきまで袈裟(けさ)姿だったんですよ。急いで着替えてきました」と朗らかな笑顔で迎えてくれたのはShare金沢を運営する社会福祉法人「佛子園」理事長・雄谷良成さん。

け、袈裟姿……? そう、何を隠そう雄谷さんは日蓮宗蓮昌寺・行善寺の住職、つまり〝お坊さん〟でもある。そもそも佛子園の起こりは、雄谷さんの祖父であり行善寺四十五世住職が、戦災孤児や居場所がなかった知的障害者を引き取ったことから始まっている。

佛子園に通底する〝ごちゃまぜの哲学〟には、「頭で理解する以上の何か」がある。そのヒントを求め、この日は白山市にある本部に理事長を訪ねた。

「新型コロナウイルスの感染拡大によって地域がバラバラになった今だからこそ、もう一度〝つなぎ上げていく〟という作業が求められてくると思うんです」と雄谷さん。

「大型ショッピングモールに代表されるように、不特定多数に消費を促すような手法が近年は一般的でした。しかし、そもそも昔の日本では、地域の魚屋や八百屋がそうであったように、特定の〝顔のわかる人たち〟に対するサポートが主流だったはず。今改めて 〝顔の見えるコミュニティ〟というものに、もう一度帰るタイミングなのかもしれません」

緊急事態宣言の発令後、次々とクローズしていく福祉施設が増えていく中で、佛子園では反対にデイケアの受け入れ人数を増やしていた。「行き場を失った高齢者や障害をもつ方の状態がどんどん悪化していました。僕らには社会のセーフィティネットとしての役割があるんです」

周囲からは心配の声が上がったが、病院対応よりもさらに高いレベルで全館消毒を繰り返し、これまでに感染者は一人も出していない。

さらに、佛子園では自社生産していた消毒液の県内全域配布も行なった。どこも内向きになっていく状況下で、あえて自ら開いていく。そうした佛子園の姿勢を見ていた地域の企業から、配布した以上の消毒液やマスクなどの支援が届くようになった。まさに〝法話〟のようなエピソードだ。

 




ただ一緒にいる、それだけで

厳しい状況下でも、ぶれることなく佛子園の哲学を貫けたのも、〝人がただ一緒にいること・ごちゃまぜであること〟から生まれた奇跡に、雄谷さんは幾度となく立ち会っているからだ。

佛子園のグループホームに通う、ある男性がいた。彼には盗癖があって、どんなにスタッフがケアをしても、その癖は止まらなかったという。「孤立している寂しさや、心の中の何かを埋めようする作用が、そのような形で出てしまう。本来物を盗ること自体が彼の目的ではないんです」しかし、いよいよ執行猶予が付き、〝もう次はない〟という時に、ちょうど「三草二木 行善寺(佛子園本部と併設して建てられた総合福祉施設)」ができた。そこには近所のおじさんに、保育園の子ども達、多様な世代が毎日のように集った。

「彼がここに来て働くようになって、もう四年になりますが、その間一度も物を盗っていないんです。さらにはお寺の掃除まで始めたりして。地域の人からは『あんまり飛ばすんじゃないぞ』と心配されていますが(笑)」

佛子園が何かすごいことをしたわけではない。様々な世代や背景をもつ地域の人たちが、ただなんとなく一緒にいる、それだけでなんです。集うことで人は自然と健康になっていく。今よく〝共感力〟と言われたりしますが、一番大切なのは、同じ時間を過ごして人を〝見ている〟こと。難しいことを考えなくても、とにかく一緒にいることでわかることがあるんです」

また、障害者や高齢者といった、これまで〝保護する対象〟とされてきた人たちだけでなく、こういった場は、地域の人など周囲にも大きな影響を与えているという。

「これまではどこか『サポートする側/される側』といった〝二元論〟的な考え方が中心でした。けれど、今私たちはそこから脱却しなくてはいけないと思っています。人は『自分は支えられる側の人間だ』と思った瞬間にエネルギーを失い、『誰かの役に立っている』と感じている時は元気になる。それは受け入れ側にも言えることで。例えば、ここでは『様々な立場の人たちを受け入れられる度量が自分たちにある』ということが、地域の人たちにとってひとつの誇りになっています。障害がある人たちがいることによって、周囲の人たちのスキルが上がっていく。逆に、彼らがいないとダメなんです」

『三草二木行善寺』の飲食店では、認知症の人が突飛な行動をしたり、生涯をもつ人が大声を上げたりすることがままある。しかし、「驚いて振り向くのは、視察の人くらい」と雄谷さんは笑う。ここでは、どんな人も受け止めてもらえるという安心感が共有されている。それは障害の有無にかかわらず、誰もが暮らしやすい社会を、彼らが代表して開拓してくれているとも言えるのかもしれない。

生きてるうちは〝理想郷〟なんてない

齢者も若者も、障害の有無にも関わらず、互いに尊重し、共生し合う。そんなコミュニティが実現できたとしたら、それはもはやユートピアではないか。

しかし雄谷さんは「理想郷なんてどこにもありません」と強調する。

「人間同士が集まれば、絶対何か物事は起こるんです。良いこともあれば、もちろん問題だって起こる。それが人が営む社会の摂理です。けれど今の日本ではそんな当たり前のことが忘れ去られている。気が合わない人達は会わせないようにしたり、事前に問題を防ごうとします。

そうではなくて、必ず起きる問題に対してどう対処していくか、それだけなんです。いつか揉め事がなくなるとすれば、それはもう天国や極楽といった死後の世界ですよ(笑)。色々あるから、人間楽しいんです」

生きたコミュニティづくりは一杯のお茶から?

「とはいえ、『生きたコミュニティを作るために、どんなことから始めたら』と問われたら、私はまず『お茶でもコーヒーでもいいから、とにかく一生懸命に淹れた一杯を飲んでもらうとか、そういうことから始めては』とアドバイスするでしょうね。コーヒーならそれを飲んで美味しいと思う人がいる、その人が『あそこが美味しかった』と話すことで、そこに行ってみる人が出てくる。今度はそのコーヒーにあうクッキーを焼いてきた人がいたりして……。じわぁっと、その連鎖が広がっていく。とても小さいことです。でも、本当にそこからしか始まらないんですよね」

今回Share金沢を取材する中で、様々なアイデアや細やかな工夫を学んだ。しかし「コミュニティづくりにコツなし」、それが佛子園としての答えであり、まるで禅問答のようだ。けれどこの言葉は、生きたコミュニティは遠いどこかにあるのではなく今自分の目の前で実現できると、温かな希望を持たせてくれる。

 

文…柳田 和佳奈 写真…利波 由紀子




                   

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